10_お兄ちゃん
「そうか…… あいつも苦労してきたんだろうな」
「酷かった…… 親だなんて思えないくらい。まるでロボットみたいだったよ。たった一人であの中で育ったんだと思うとまぁくんが可哀そうで……」
泣かない莉々が泣くから、哲平も泣きたくなってきた。
「でもね…… やっぱりちゃんとした方がいいと思うの。私もケンカ売るようなこと言って来ちゃったけど、もし結婚式にご両親が来なかったらまぁくん、きっと辛い思いする」
「……そうだな。その先もだ。子どもが生まれても広岡に何かあっても、このまま絶縁状態になればお互いに幸せになれないよな」
「うん」
『どうすればいいと思う?』
そんな相談を持ち掛けられ、哲平はこれは今までの駆け引きの中で一番大変なことになりそうだと頭を抱える。
他人ならどうにでもなると思う。だがこれからは姻戚関係だ。小手先のようなやり取りでその場をしのいで済ませられない。最初の一手で全部決まると思う。
(広岡のために何かしてやりたい)
広岡だけじゃない。両親にしてもこの結婚で生まれる幸せに全く関与しないのは勿体ないことじゃないか? と哲平は思っている。
(人生、幸せだと感じるのは結構少ないもんなんだ。それが家族のことならなおさらだ。莉々も併せて4人で幸せになるべきなんだ)
さりとて、どうすればいいのやら……
自宅に戻り、あれこれいろんな種類んの団らんの後、千枝に話してみた。
「うわぁ、それ酷い! なんでそんな考え方が出来るのかしら! 履歴書? まるで就職ね」
「そうだな…… 終身雇用ってとこか?」
「そんな人たちじゃ変な誓約書にサインさせられるかもよ」
「無いとは言えない……」
千枝の反応はごく普通の当たり前のものだ。
(そうだよな、『酷い』の範疇なんだよな)
「莉々さん、哲平に似てるじゃない?」
「そうだな、姉妹の中では一番似てるかもしんない」
「なら私の時みたいに頑張ってみたらどうかな」
「『私の時見たい』?」
「哲平はずっとウチに通ってくれたでしょ? あれ、今でも思い出すと感激するって言ってるもの」
「……でもなぁ。千枝のお父さんお母さんとは比べ物にならないからな。土台が違うよ」
難しい。一つ間違えば一生もんの決裂になるような気がする。
「課長に相談してみる?」
「河野課長? だめだめ、あの人は和解より決裂の方が上手だよ」
「そうかなぁ。三途さんは?」
「啖呵切って終わり」
「チーフは?」
「声のデカさで黙らせて終わり」
「花は……論外ね。ね、ジェイならどうすると思う?」
「ジェイ? あいつは…… あいつなら絶対に諦めない。誠心誠意、認めてもらおうと頑張るだろうな」
相手は『情』や『愛』というものを否定している。けれど真摯な思いは時間がかかろうともいつかは相手に届くのではないだろうか。
哲平は莉々に言う言葉を見つけた。
「今日は3人で話そうと思ってさ。俺から言いたいことがあって」
「何だよ、怖いな」
「この前のことだよ」
「この前って……」
あ という顔をする莉々に、哲平は真面目な顔で兄として話した。
「莉々、隠し事するな。二人しかいないのにその間にそういうもんを挟むんじゃない。くだらないとこで失くすものはデカいんだぞ」
「……はい。まぁくん、ごめんなさい。だめって言われたのに日曜日お父さんとお母さんに会いに行きました」
「なん…… だめだって言ったろ!? なんで言うこと聞かないんだよ!」
「だって…… どうしてもお話したかった。きっとまぁくんは連れてってくれない、そう思ったの。ごめんなさい」
「……いいよ。莉々は悪いことをしに行ったわけじゃないし。僕こそごめん。嫌な思いして来たろ?」
「私はいいの。でもまぁくんが言ってた意味、よく分かった」
その言葉で広岡は察したようだ。ぎゅっと莉々の手を握る……
「はいはい、それくらいにしていただけませんかね。後でいくらでもくっつきゃいいだろ? 兄貴の前で二人ともそんな顔すんな!」
慌てて広岡は莉々の手を放したちょっと赤くなっている。それを見た哲平は(可愛いヤツ)と内心思っていた。
「あれこれ考えた。やりようはあると思うんだ、これが顧客相手なら。でも一生続く関係だろ? 諦めようと思えばいつでも出来るさ。だから莉々、お前はただ一生懸命広岡のためにいればいいんだよ。そしてそういう目で広岡をこの世に存在させてくれた人たちを見るんだ」
「そういう目……」
「売り言葉に買い言葉。母ちゃんの専売特許だけど今回はそれ、使うな。硬い心は壊したり無理に割ったりしたって駄目だと思う。あったかいお湯で解すんだよ。その方が効果的だと思う」
だが広岡は暗い顔だ。
「そんなことが通用する人たちじゃ無いんだよ、哲平。それを待ってたらいつまで経っても結婚なんかできない」
「いいじゃないか、しちまえば。だって二人とも大人なんだし。俺の言ってるのはそういう短期的なことじゃない、長期的なことを言ってるんだ。結婚式には出ると思うよ。多分そういうとこで恥晒すのはいやだろうから。……済まん、お前のご両親なのに」
「いや、その通りだから。結婚式だけを目標として設定するなって言ってるんだな?」
「そ。いいじゃないか、時間かかっても。二人で頑張って分かってもらえよ。努力って、いつだって止められる。手を放せばいいだけだ。だがな、たった一回の手放しが永久の別れに繋がるんだってこと、忘れないでほしいんだ。後は二人でよく考えてみてくれ」
「『兄さん』だな……」
「兄貴? そうだね、あんなにポーッとして頼りになんないのに時々カッコいいんだから」
広岡は体を起こして自分の腕枕に頭を載せている莉々を見下ろした。
「前から聞いてみたかったんだけど」
「なに?」
「莉々だけじゃなくって、宇野の家で哲平ってどういう存在なんだ?」
「存在って…… そんなたいしたもんじゃなくて」
(たいしたもんじゃない)
「なんかいい加減だし口ばっかりだし気が小さいし何言われても黙って『はい』って一つ返事で安請け合いしちゃって。いいとこもあるんだけど、男としてはどうなのかなって思う」
(別人だ、俺の知ってる哲平と)
でも分かるような気がする、あの姉妹、あの母。自分も絶対勝てないだろう。
「莉々。哲平のこと、ちゃんと分かってほしいって思うんだ。あんなにいいヤツいないよ。職場でもいてもらわなくちゃならない存在なんだ。俺もずっと助けられたよ。哲平は大きな人間だ、莉々たちが思うよりずっと。俺は哲平が家族に認めてもらえてないの、すごく悲しいよ」
莉々の手が広岡の首に巻きついた。
「まぁくん、大好き! まぁくんがそう言うんならそうなんだって思う。私もノルウェーに行く時には兄貴だけにはすぐ言えたの。……そうだね。ウチじゃ兄貴は損してるのかもしれないね」
「会社にいる哲平を見せたいよ! 誰でも一目置いてる。同期だからよく分かる。あいつはずっと変わらずいいヤツだ。そしてガッツがある」
兄を褒められてすごく嬉しい。しかも愛する人が絶賛してくれている。今回も哲平は当たり前のことを言ってくれたのだが、その当たり前を自分は選ぶことが出来なかった。
「兄貴が言うみたいに頑張ろ? 私は頑張るよ、すぐに認めてもらえなくても。必要なら履歴書程度なん枚だって書く! そんなことでまぁくんと一緒にいられるんならお安い御用だわ!」
「莉々…… これからもイヤな思いさせると思う。でもその盾になれるぐらい強くなるように努力するよ。君を守れなきゃ一緒にいる資格が無い」
情熱的な夜が更けていく。解け合う前に一緒にカレンダーを見ようと約束した。正式に結婚したい。広岡は自分には莉々がいればそれでいいという思いが溢れている。莉々には広岡のために尽くそうと言う思いが。
そして二人で困難を乗り越えていきたいと、二人とも強く願っていた。
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