9_激突-2

「どうして行っちゃいけないの!?」

「必要無いからだ!」

「そんなわけ無いじゃない! まぁくんはちゃんとウチにご挨拶してくれた、私だってしたい!」


 朝からケンカだ。夕べは金曜の夜だからうんと楽しんだのに……いろんな意味で。なのに今日は朝からケンカ。最初は痴話ゲンカ程度だったのだが、莉々が広岡の実家に挨拶に行きたいと言ってから本格的なケンカになってしまった。


「いいわ。住所は前に教えてもらってたし、私一人で行く!」

「やめろ! あんなとこ行ったって莉々がイヤな思いするだけだ。俺は行ってほしくない!」

「筋は通すからね、その上でダメならいい。でもこれじゃ最初っからこっちも拒絶してることになっちゃう。それはイヤ!」

「莉々……」


 莉々の言う意味は分かる。だがそんな誠実さが通る家じゃない。あんな両親を莉々に見せたくない……

「分かったわ。そんな悲壮な顔しないでしょ。分かったから」

 やっとケンカの炎が鎮火し始めた。広岡は莉々を抱き締めた。

「ごめん…… ホントにごめん。莉々の言ってること、普通なら正しいよ。でもあそこじゃ『普通』っていうのは通用しないんだ」

 莉々にも分かってはいる。広岡が莉々を守りたいこと。そして幻滅させたくないこと。



「ごめんください」

 翌日、広岡実家のチャイムを鳴らしてインターホンに向かって莉々は話していた。

『はい。どちら様でしょうか』

「宇野莉々と申します。真伸さんとおつき合いさせていただいている者です。今日はご挨拶に伺いました」

『少々お待ちください』

 その少々の間に庭を見て、あちこち見回した。

(すごい…… なるほどねぇ、私のこと、きっと気に入らないだろうなぁ)

 ガチャリとドアが開いた。きれい、とも言える、顔がきつくなければ。


「突然お伺いして申し訳ありません。どうしてもご挨拶したくて」

「お上がりください。お一人ですか?」

「はい」


 居間に通され、すぐに「お待ちください」と下がってしまった。買ってきた和菓子を渡し損ねた。

 すぐにお茶をお盆に載せ前に出された。莉々は(今!)と、和菓子を差し出した。

「ここの和菓子、とても美味しいです。是非召し上がってください」

「『詰まらない物ですが』という言葉はつかないのですね」

「詰まらない物をお渡ししたくありません」

「ノルウェーにいらしてたんでしたね。船でコックをしていたとか」

「いえ。観光船のキッチンで調理見習いと下働きをしておりました。素晴らしい経験をしました」

「そうですか。今主人を呼んで来ます。もう少々お待ちください」


(ロボットと話してるみたい!)

表情が全く変わらなかった。感情が欠けたような顔だった。静かな足音がした。


「お待たせしました。真伸の父、広岡昌司です」

「宇野莉々と申します。ご挨拶に伺いました。突然お伺いして申し訳ありません」

「そうですね。出来れば事前にご連絡をいただきたかったし、真伸と一緒に来ていただきたかった」

「はい。申し訳ないです」

「先ほどはちゃんとした挨拶をしていませんでしたね。真伸の母、良子と申します」

「よろしくお願いします」

「挨拶と言ってらしたが、どういう意味ですか?」

(このお父さんにも感情無いのかしら。二人っきりの時どうしてるの?)

「真伸さんと結婚を前提としたおつき合いをさせていただいています。本当ならお父さまが言ってらしたように真伸さんと伺うべきでしたが、今忙しい時なので先に伺うことにしました」

「そうですか。では用は済みましたね。良子、玄関までお送りしなさい」

「はい」


 立ち上がろうとする良子に莉々は慌てた。


「ちょっと待ってください! 何もお話ししていません!」

「挨拶はしたが」

「あれで終わりですか? お聞きになりたいことやお話しできること、他に無いんでしょうか?」

「ありませんね。あなたも気の毒だ、真伸に振り回されて。息子はあなたとは結婚しません。早々に別れてあなたに見合う方と幸せになってください」


 莉々はカチンと来た。宇野家の人間ならここで引き下がったりしない。全員が戦う心を持っている。


「私には真伸さんとのお付き合いを止める気は無いんです。真伸さんもそう思ってくださってます」

「ま、図々しい」

「良子。黙りなさい。宇野さん、妻が失礼しました。ですが、お互いに不愉快な思いをするのは時間の無駄でしょう。お引き取りいただいた方が良いと思いますよ」

「認めていただくのが難しいとしても、私のことを少しでも知っていただきたいんです」

「そうですか」

 良子が座り直した。

「そこまで仰るなら私もお伺いしたいことがあります」

「なんでしょうか?」

「履歴書はお持ちでしょうか?」

「履歴書、ですか?」

 晴天の霹靂! そう思った。どこの世界につき合うために履歴書を用意する人間がいるのだろう!

(違うわね…… 今、目の前にいるわ。きっとこの二人はそうやって結婚したんだわ)

 気を取り直して答える。

「申し訳ありません、その用意はありません」

「では口頭でも結構です。最終学歴を教えてください」

 失礼と言うなら、この二人の方がよほど失礼だ。

(そっか…… だからまぁくん、嫌がったのね)

ここまで酷いとは、正直思ってもいなかった。

「東京都立水沢高校です」

「大学はどうされました?」

 父親の昌司がやっと話しかけてきた。

「卒業と共にノルウェーに行きましたので大学には進学しておりません」

「あなた、そのノルウェーでこの方は船の下働きをしていたそうですよ」

 途端に昌司が汚いものをみるような顔つきをした。


 莉々は深呼吸した。

(頭に来ちゃだめだわ)

 だが、それは莉々が莉々に忠告しただけだった。母勝子の血が騒いでしまった。


「観光船の調理見習い兼下働きです。私はそこでたくさんの経験を得たことに誇りを持っています」

「そうですか、良かったですね。残念ながらそこに関心は無いですが」

(このクソ親父!)

「さっきから気になっているのですが」

「なんでしょう?」

「お二人の人間性です。どうやって真伸さんのような素晴らしい人が育ったのでしょう? 不思議でならないんです」

 徐々に良子の目が吊り上がっていく。昌司の目が険しくなった。

「あなたは私たちをバカにするためにいらしたのですか?」

「とんでもない! 純粋な疑問です、真伸さんのお母さま。私もいつか子育てをするようになります。どう冷たく接すれば立派な子どもが育つのかを教えていただきたいくらいです」

 昌司の声が冷えている。

「これ以上お引止めする理由は無いようですが。だいたい恋愛などという絵空事で結婚するなど、考えただけで身震いがします。真伸にはきちんとした嫁を用意するつもりです。どうぞお帰りください」

「はい。これで失礼したいともいます。この後、まぁくんとのデートが控えておりますので。それから次の週末には金曜の夜からちょっとした旅行を二人で計画しております。一応ご報告申し上げますね」

 良子の顔が怒りで真っ赤になっている。

「貴重なお時間をありがとうございました。次はまぁくんと二人で揃ってお伺いいたします。あ、玄関までは分かりますのでここで失礼させていただきます」

 立ち上がってそのまま頭を下げた。


 莉々はこの訪問について何も広岡に話さなかった。辛い思いをするのは自分よりきっと広岡の方だ。

(二人で乗り越えようね。私、大丈夫だから)

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