8_買い物と許可

 スーツじゃなくていいのだと説得され、彦助は普段着になった。広岡に失礼だからと言うのを、「普段着のまぁくんに対してスーツは余計失礼だよ!」と莉々が強固に言ったからだ。広岡もほっとした。会ってまだ二度目の愛する人のお父さん。スーツのそばで普段着だなんて、自分の方がどうしたらいいか分からなくなってしまう。


「じゃ、行ってくる」

 運転は彦助。狭い空間の場繋ぎのように「趣味は?」と聞かれ(なんだっけ?)と考えた。そう言えばちゃんとした趣味が無い。表に普通に出られるようになって頻繁に散歩をするようになったのを思い出す。

「今のところ散歩です」

「散歩? 若いのに、散歩が趣味?」

 説明するなら今だと思った。いつかは知ってもらわなければならない。そしてそれは早い方がいい。

「俺は、『パニック症候群』なんです。障碍者手帳も持っています」

 もしかしたら結婚話を蹴られるかもしれない。でも後出しのように結婚後に知られるのは嫌だった。

「特に酷かったのは入社の頃でした。その時助けてくれたのが哲平でした。哲平の助け方はとても温かいものでした。何かを代わりにやってくれるんじゃなくて、困っていたら俺の様子を見ながら手を出してくれるんです。大丈夫そうになったら本当にさり気なく手を引いてくれる…… 離れていてもいつの間にかそばにいてくれる。得難い友人です」

 口を挟まず彦助は聞いていた。

「発作が酷い時に口に薬を入れてくれるのはいつも哲平で。でも俺が間違っている時に間違っているとはっきり言ってくれるのも哲平で。その後後輩にいろんなトラブルがあってそういう中で俺の発作は気がついたら減っていました。最近起きた発作は……かなり前で覚えていません」

 しばらく無言。

(だめか…… 娘の夫がパニックを起こすような男じゃ安心して任せられないよな……)


 沈黙が続く。半ば諦めていた。

「莉々は知っているんだろうか?」

「はい」

「今、君は諦めかけているのか?」

 図星だった。そしてそれは当然のことだと受け入れている。

「一つの事実を話してくれた。そこで終わりなら私は言うことは無い」

(何を……)

求められているのだろう? 今自分は宣告待ちの状態なのに。

『そこで終わりなら』……

「俺は……それでも莉々さんを守っていきたいです。そういう男になりたいです。莉々さんが知っているということだけに甘んじていたくは無いです。俺は……」

(諦めたくない…… 父さん母さんと話した時にそう思ったじゃないか!)

「俺は諦めません! 好きです、莉々が。彼女は温かくて……哲平のように大きく俺を受け止めてくれて…… 莉々と結婚できないなら誰ともしません。俺には莉々しかいません!」


 車がホームセンターの駐車場に入った。静かに止まる。どうなるのか……。先に彦助が下りた。続いて広岡が下りた。

「さ、買い物だ」

 歩き出す後ろについて行った。



 さっきの話はそのままになってしまった。すぐに将棋の置いてあるという場所に行く。彦助は選び方を教えてくれた。

「こういう物を買う時にもし買えるのなら安いものは買わない方がいい。やる前からやらなくなることを前提にしている。少し背伸びしたくらいがちょうどいい。大事にするし真面目にやるようになる。そうは言っても取り組み方など人それぞれだと思う。だから自分の使い方を考えて選ぶ。別に咎めたりしないから選んでみるといいよ。趣味の世界だからね、自分がどの程度やるつもりかだけを考える。誰かに合わせてじゃなくて」

 半分は見透かされている。お父さんの気に入るものをやりたい。だが半分はさっきの説明で興味を持った。お父さんの言った言葉だ。

『将棋は現代における戦場だ。取って勝ち、取られて負ける。城を落として王を倒す』

 戦国武将を思い起こした。


 思ったより種類が多い。値段もピンからキリ。3,000円くらいから始まり、50万のものを見て驚いた。100万のものもあるそうだ。

 よく見て考えて、広岡は将棋セットを選んだ。安いものは何点かあるが、8,800円。その上はいきなり上がって3万9千円になってしまう。店員にも聞いたが、その間のものは売れ筋で今は在庫が無い。

「上手くなったらまた買います」

 そう彦介に言い、店員に呼びかけた。

「これを」

「いや、これでお願いします」

 彦助がセットではなく、碁盤の上に将棋駒を載せてさっさと店員に渡してしまった。どれなのか分からない、値段も分からない。支払いも彦助がしてしまった。


 包んでもらっている間、彦助の顔を見た。

「いい物を持って欲しい」

 そこに店員が声をかけた。

「お父さん、どうぞ」

 彦助が応えた。

「いえ、息子のです」

 持たされた袋を手に広岡は固まった。彦助も固まった。

「次の方、どうぞ」

 その声に二人とも我に返って横にどいた。

「あの……」

 つい、『息子』と言ってしまったのだ。店員に『お父さん』と言われたからだ。ちょうど(哲平には買ってやれなかった)などとノスタルジックなことを考えていた。それで出た言葉だった。

「ありがとうございます、お父さん! 莉々さん、必ず幸せにします。結婚を認めてくださって本当にありがとうございます!」


 こうして彦助は、広岡と莉々の結婚を将棋盤と駒の購入と共になし崩しに認めてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る