4_一難 二難 三難……
ネクタイが苦しい。今日はやけに暑い。汗が流れる。ハンカチを忘れた。気温は23.8℃。悪条件がいっぱい。
今広岡は莉々の父、彦助の真ん前の座布団の横で正座をしている。
「お嬢さんをください」
「大切にします」
「幸せにします」
幾つか言葉を重ねたが彦助はぷいと横を向いたまま広岡を見ようともしなかった。何の返事も反応も無い。いたたまれない。莉々を見ると……あろうことか、面白がっている!
口の形だけで(りり)と言った。ウィンクが返って来る。欲しいのはそれじゃない。具体的な支援だ。けれど(それはあなたの仕事)という顔。確かにそうなのだが。
四面楚歌、と思った。相手は彦助と莉々。そこに参戦してきた者あり。
「私、姉の一知花です。莉々と結婚って、ずい分いきなりよね。広岡さんって言ったっけ? 哲平の同僚の人でしょ?」
「はい。莉々さんとは真面目な交際を」
「今時『真面目な交際』って言う? 初めは何回か来て顔馴染みになってからなんじゃないの? よく知りもしない相手にいきなり娘をくれって言われてもね」
「申し訳ありません」
(ハンカチがほしい、足が痺れた)
薬のことは考えないようにしている。それでなくてもパニック寸前。薬を思い出せば縋りついてしまう。
さらにもう一人出てきた。
「二知花です。哲平の披露宴でお会いしましたよね」
(同じ顔……)
目の前で大人の双子を見るのは初めてだ。
「あれからまだ3ヶ月ですけどもう結婚って…… なんで焦ってらっしゃるんですか? まさか……出来ちゃった婚?」
途端に彦助の目が吊り上がった。睨まれるのと広岡の口が開くのは同時。
「いえっ! まさか! 無いです、そんなの! そんなこと無いようにちゃんと気をつけてますっ!」
自分の言った言葉の意味を把握していない広岡。しっかりと把握した彦助と一知花と二知花。
「ほう! すでにそういう仲だと? 莉々がそんなはしたないことを考えるわけがない。あなたはどんな
そこで違う声が笑いながら大きく響いた。
「父さん、今の可笑しいよ、笑える! 『手練手管』ってなに? しかも『組敷いた』って! 今時そんな言葉誰も使わないよ」
(もう一人出てきた……)
目の前に彦助。左に莉々。右に並ぶ一知花、二知花、
「あのっ!」
さっきの言葉のフォローをしたい。『気をつける』 普段はいい意味なのに、今回はこの言葉が悪さしている。
「『気をつけて』っていうのはそういう意味じゃなくて、ちゃんときちんと」
「まあくん。私、嘘は嫌い」
「莉々っ!」
「人の娘を捕まえて『莉々』だと!?」
彦助は立ち上がる寸前だ。
パクパクする口を見てやっと莉々が助け舟を出してきた。
「父さん。私からもお願いします。広岡さんはとってもいい人です。私、結婚したいの、この人と」
今度はパクパクしているのは彦助の方。
「お願い、認めて」
莉々が手を突いて彦助に頭を下げた。慌てて広岡も手を突いて頭を下げる。
「お嬢さんとのことをどうぞ認めてください! 今すぐ結婚というわけではありません。結婚を前提としておつき合いを」
「ちょっとお待ち!」
(え、また女性)
しかもこの女性は莉々のお母さんだ。哲平の披露宴で賑やかに笑うお母さんだった。それがどこかに笑うことを捨ててきたような顔をしている。
「『お嬢さんをください』って言っておいて、『今すぐじゃない』ってどういうこと!? 返品の可能性があるんなら娘に近づかないでちょうだいっ!」
「いえ、そういうことじゃなくて」
「お試し期間なんて男女の間でいい加減なことは許しません!」
(最後まで話を聞いてくれない……)
「お父さん、お母さん、どうか話を聞いてください」
「なんで君に『お父さん』と呼ばれるんだ? まだそこまで話は行っとらん!」
「私も『お母さん』なんて呼ばれたくありません」
目が回る、みんなが畳みかけるように話し始める。
「たった3ヶ月の間で何回デートしたの?」
(一知花さん、どうか)
「どういうところでデートしたんですか? お薦めのところってあります?」
(茉莉さん、私に)
「確かに莉々はよく考えないで行動するし。そこに付け込んだの?」
(二知花さん、話を)
「本当に君が莉々を幸せに出来る保証があるのか?」
(お父さん、させて)
「とにかく今日はお帰りください。これ以上お話しすることも無いでしょう?」
(お母さん、ください)
この間に広岡に口を挟む隙が無い。さらにあれこれ互いの言葉に被さるように喋り始める。
(哲平…… お前、よく生きてこれたな、こんな中で)
尊敬に値すると、今さらながらあの賑やかで逞しい男の顔を思い浮かべた。
「兄は」「哲平は」「弟は」
一斉にその男について問われた。
「なんて言ってましたか?」
(やっと喋れる……)
「健闘を祈る、そう言われました」
「そう! じゃ、頑張って」
一知花と二知花が立った。部屋を出て行く時に胡散臭いとでもいうような顔で見られる。
(……傷つく)
「茉莉! あんたも自分の部屋にお行き!」
唯一、敵には見えない(だが味方とも断言できない)女性が追い出された。
(莉々、手を握りたい…… 薬が飲めないんだからせめて手を)
「手を握ることでさえ許せんのに君は莉々をベッドに引きずり込んだんだな!?」
「お父さん! いや、あの、莉々さんのお父さん。引きずり込んじゃいません」
「まあ! じゃ、莉々が勝手にベッドに入って来たとでも?」
「いえ! お母さん、じゃなかった、莉々さんのお母さん、そんなこと莉々さんはしてません、もちろん私の方から……」
(おれ、いま、なにをいった?)
大きな溜め息が左から漏れた。
「あのね、父さん、母さん。彼は私をベッドに引きずり込んでくれなかったの。だから私が引きずり込んだわ。だって広岡さんって奥手なんだもん」
広岡の口があんぐりと開いた。彦助の目がくわっと開き、勝子の顔が真っ赤になる。
「そんなこと、女が言うんじゃありませんっ!」
「君は女性に言われないと抱けないのか、この甲斐性なしっ!」
なんとしても印象を悪くしたくない、改善したい!
「俺はっ! 甲斐性なしなんかじゃないっ、今はちゃんと自分から押し倒して抱ける!」
沈黙は金なり、と言うがこの沈黙は泥のようだ。
「広岡さん、曝け出し過ぎ」
莉々の声。
「そこまで言わなくても良かったのに」
「すまん……」
足はすっかり痺れてしまって、たとえ今『出て行けっ!』と怒鳴られても這うことすら出来ないような気がする。
広岡の夜はまだ始まったばかりだった。
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