特別編1「さくら」
学校のチャイムが静かな校舎に鳴り響く。先生にさよならを言い、できたばかりの友達と手をつなぎながら帰って行く皆の姿を見て、私もすっかりと重くなってしまったランドセルと帰ることにした。大好きなおばあちゃんに買ってもらったこの真っ赤なランドセル。あの日はあれだけ軽かったのに今では岩のような重さで私の背中に張り付いている。山ほど入った教科書やノートのせいなのか、それともひとりぼっちで帰るこの寂しさのせいなのか。
私には友達がいない。幼い頃から引っ込み思案だった私は先日の入学式でも友達が一人も作れなかった。いや、本当は作らなかったと言う方が正しいだろう。式の後、担任の山中先生の優しく話す姿を見ていると、何故だかお母さんを思い出して、家が恋しくなって……。次の日、私が学校に着くと皆、もう友達同士集まって思い思いに遊んでいた。私はそんな皆を遠くから眺めていることしかできなかった。
「ただいまー!」
私の一日の中で最も大きな声だと思う。ひとりぼっちで帰っていることをお母さんには知られたくない。その結果考えたのが、こうして楽しそうに帰ってくることだった。にこにこしながらありもしない学校での出来事を話していれば私に友達がいないなんてきっと思わないだろう。でも上手に話していればいるほどなんだか息が詰まりそうになる。ずっと前に、地獄という場所についておばあちゃんが話をしてくれたことを思い出す。真っ赤な顔の大きな男の人が嘘をついた人の舌を抜く絵も見た。私もいつかああなるんだ、と夜に布団の中で思い出して眠れなくなる日もあった。
また朝が来た。テレビの音に目を覚まされ吐きそうになりながら朝の支度をして作り笑いのまま学校まで向かう。私は、朝の集会の時間になるまで裏庭の桜の木の下で一人、遊ぶことにしている。花びらを集めたり、地面に枝で絵をかいたり。
今日は、昨日描いていた女の子の絵の続きを描こうと、桜の木の根っこが二本地面に出ているところに座った。確かこの辺りに描いたはずと辺りを見回すと、桜の花びらが何枚も不自然に重なっている場所があった。おそるおそる手を伸ばした瞬間、どこからか声が聞こえた。
「ごめん、ごめん。驚かせたかな?」
きょろきょろと声の主を探すが誰もいない。「こっちこっち」と声のする方を私は向いて驚いた。なんと声は桜の木の方から聞こえてきたのだ。「誰?」と私が訊く前にその声は答えた。
「私はこの学校のさくら。君が毎日ここに来ているから気になってつい、ね」
優しい声だった。思えば学校で誰かに話しかけられたのはこれが初めてだった。気づくと私の目からぽろぽろと涙がこぼれていた。集会の始まるチャイムが鳴るまで、私は何も言えずにそこで立っていた。
その日から私はその桜の木の下に通うようになった。声は私の話を静かに聞いてくれて私が話し終わると、決まって優しい言葉をかけてくれる。「すごいね」や「上手だね」などの簡単な言葉だったが私にはそれがすごく嬉しかった。
そうしているうちに私も少し自信が出て他人と話すことができるようになった。あずさ、ゆき、しょうこ。三人は私が休み時間に絵を描いているのを見つけて「すごいね」と褒めてくれた私の最初の友達。あずさはどんなことにも真面目で優しいひと。ゆきはすごく賢くて大人っぽいひと。しょうこは私と同じであまり人と話さないけど芯の強い頑張り屋さん。最初はそんな皆が私なんかと友達になってくれるなんて思いもしなかった。けれど皆は私の事を友達として温かく迎えてくれて、休日はいつも四人で公園に行ったりして遊ぶようになった。それから私は心から楽しんで学校に行けるようになった。桜の木のことなんてすっかり忘れて……。
数か月後、ある夏の暑い日に、体育祭のポスターを描く係をクラスで一人決めることになった。もちろんなかなか決まらず、誰か推薦で決めようということになった。
「はい」
あずさが手を挙げた。私は彼女の言葉に耳を疑った。信じられなかった。
「私はみらいさんを推薦します」
彼女は私をポスター係に推薦したのだ。私はすぐに辞退を申し出た。私なんかの絵がクラスの代表として飾られるわけがない。もっとふさわしい人がいる。そう言ったけれど、「上手だよ」「すごい」「心配ない」……。そう言って皆は私に向けて拍手をした。私は顔を上げられなかった。
その日の私は、皆と帰らずに一人で教室を出た。何かどす黒いものが、心の中でうごめいているような気がした。何も考えずに歩いていると、私はいつのまにかあの桜の木の下にいた。もうすっかり緑になったその木の下で私は座り込む。私はあの日の事を思い出して声をかけてみたが、返事はなかった。なんだかどうしようもなくいらいらした私は、つい桜の木を蹴ってしまった。がさがさと音を立てて落ちる葉。それと一緒に、枝に引っかかっていた何かがひらひらと私の手元に落ちてきた。
「何だろう……」
それは一枚の手紙だった。桜の花びらの形をしたシールをはがし、便せんから取り出す。そこにはきれいな字でこう書いてあった。
『やあ、元気かな。私のもとに最近君は来てくれなくなった。けれど君が私以外の友達と遊んでるって聞いて安心したよ。初めて会った時から君は優しい子だって感じたからきっとその友達とも仲良くやれると思う。
だけどこの手紙を読んでるってことは何かあってついまたここに来ちゃったんだろう。君のことだから友達と何かあっても直接言えなくて、ついついここに来てしまったのかな。また前みたいに君に優しい言葉をかけてあげたい。けどね、それじゃあ君の為にはならない。友達と直接話して自分の気持ちを伝えなくちゃならない。君はそれができるはず、信じてるよ』
手紙の最後の行が涙でにじんだ。私だってそれはわかっている。不安と緊張が胸を締め付けてくるあの時の気持ちを誰かに話せたら、わかってもらえたら。少しは楽になるのかもしれない。でも私にはそれがもっと怖かった。クラスの代表として推薦してくれたあずさや期待してくれた皆を裏切ることになる……。
「私のわがままで……」
「わがままなんかじゃない!」
私は後ろから聞こえたその声に驚いて振り返った。そこにはあずさたちがいた。
「わがままなんかじゃないよ。私、みらいちゃんの絵がすごく好きで……。きれいだし、見た人が優しい気持ちになれるすごい絵だと思ったの。だから、ついポスター係に推薦しちゃって……。みらいちゃん、そういうの苦手だってわかってたのに。ごめんなさい! 今から山中先生に言ってポスター係、変えてもらうように……」
あずさは普段の落ち着いた姿とは比べ物にならないくらい焦っていた。そして、長いツインテールが地面につきそうになるほど何度も頭を下げた。
「ううん、良いよ。私がやる。だから顔を上げて」
私は涙を拭きつつそう言った。あずさは今にも泣きそうな目で私を見ていた。
「私がポスター、描くよ。私の絵が誰かのためになるなら、私は描きたい。あずさちゃんや皆の気持ちを私は絵でお返ししたい。だから」
「でも、みらいちゃん……」
「確かに、上手く描けるかわからないし不安だけど。私、頑張ってみる! それが私の気持ち。わかってくれるかな……」
「……わかった、ありがとう……。じゃあ、私達にできることがあったら何でも言って。手伝うから」
私達四人はそれから桜の木の下で遊んで一緒に帰った。その次の日からは毎日、私の家でポスター作りをした。絵の具が顔に飛んだり、失敗してどうにか修正したり、上手になんてできなかったけれど、とても楽しい毎日だった。
それが、私が今、絵を描く理由。ポスターは銀賞だったけれど、私はあの日を一緒に過ごした皆に金賞を付けてあげたい。
――少女は礼をし、舞台から降りて行った。聴衆である他学年の生徒達が一斉に拍手をする。
「あれ、珍しいですね。貴女が最後まで寝ずにスピーチを聞くなんて」
「りっか、貴方が私をどう思っているかは知らないけど、大切な後輩のスピーチだもの。寝るわけないでしょう?」
「よく言いますよ、暇があったら木の上で寝てばかりいるさぼり魔のくせに」
「まあまあ、りっかもさくらも。次は、一年生の水上さんだそうですよ」
「知らないからいい。はるか、終わったら起こして」
そう言って長い髪で顔を隠すようにして眠りだした。
「本当に何があったのでしょうか」
「さあ、私も何も」
そんな二人をよそに、さくらは満足そうに微笑みながら眠っているのだった。
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