第6話「恋人」

 春休みが終わった。何だか今年の春休みはオープンキャンパスとかで忙しくてすぐに終わっちゃったな。一也くんとも遊びに行く日、取れなかったし。

 いや、そんなこと言っても仕方ないな! 私は気を取り直して部長になって初めての部活へ向かった。職員室から鍵を取り部室で部員が来るのを待つだけだが何となく緊張した。

「こんにちは、みらいさん!」

「こんにちは、一也くん!」

一也くんが来た。私は思わず嬉しくなってついつい声が大きくなる。

「今年は同じクラスだな!」

私たちは教室などでは人目を気にしてお互いあまり喋らないものの、こうして二人きりになるとよく話す。

「今年は新入部員、入ってくれるかなぁ?」

去年、アキちゃん一人だったように最近文芸部に入る人は少ない。軽音楽部やかるた部が全国大会に出て以来、多くの新入生がそっちへ行ってしまうのが現状であった。

「天美さんのためにも、一年生を何人か勧誘しねぇとなぁ……」

「別に構いませんよ」

アキちゃんが静かに戸をあけながら入ってそう言った。

「こんにちは!」

「こんにちは、もしかしてお邪魔でしたか?」

私たちの方を見ながら首をかしげる。私たちのこと、アキちゃんも知っているみたい。卒業式の時の湊先輩の言葉が頭に浮かぶ。

「そ、そんなことないよ?」

「ふふ、冗談ですよ。それより私は別に一年生に無理に入ってもらう必要は無いですよ」

「えっ、どうして?」

アキちゃんの意外な言葉に驚いて聞き返す。

「私、年下の人、苦手なんです。どんな風に接すればいいのか……」

「そっか、じゃあ無理に勧誘とか今年はしないことにしようか?」

「はい、私のためにすみません……。ありがとうございます」

アキちゃんがそう言った瞬間、入口の戸が開いた。

「ども、ここ文芸部っスよね?」

  *

 みらいさんと天美さんが話していると急に戸が開いて一人の女子が入ってきた。入部希望らしく目をキラキラさせながらみらいさんの方を見ている。

「あ、名前っスね。西馬乗子っス。好きなものはゲームと医療ドラマ! よろしくっス!」

西馬と名乗ったその子は赤い縁のメガネをかけ、髪は短めのポニーテールにしている。そして何より一年生のまだ綺麗な制服がよく目立つ。みらいさんが西馬さんと話している間、俺は天美さんに尋ねた。

「大丈夫か、新入生入ってくれるみたいだが」

しかし天美さんは笑って言った。

「そんなこと、部長への嘘に決まっているじゃないですか。あんまり人が多いと先輩たち、いちゃつけないでしょう?」

全く変なところで気の回る後輩だ。

「さて、それではこの四人で今年一年頑張っていきましょう!」

自己紹介や業務連絡を終え、みらいさんの号令で今日は解散した。

 俺は帰り道、みらいさんに今日の天美さんとの会話について話した。

「そうだったんだ、アキちゃん優しいなぁ」

「そうだな、よく気が付く奴だ」

俺が天美さんを褒めるとみらいさんは膨れてそっぽを向いた。

「もしかして、焼きもちか?」

俺は少し驚いたが迷わず続けた。

「馬鹿だな、俺はみらいさんと以外にはありえねぇよ。その証拠に、もし何かあったら絶対助けてやるからな」

そして彼女の手を握り駅への階段を下って行った。

「もぅ、冬でもないのになんだか暑くなってきたじゃない……」

みらいさんがそう言ったような気がしたが気づかないふりをした。

  *

「乾杯!」

体育委員長の万丈くんの音頭と共に体育祭の打ち上げが始まった。学校近くのファミレスで奥を貸し切ってさせてもらっている。何でも桐生先生が学校には内緒でこっそり掛け合ってくれたらしい。……それにしても皆にはまだ言ってないはずなのにどうして一也くんと席が隣になっているんだろう。

「ねぇねぇ、みらいちゃん」

一也くんとは逆の隣に座っていたあずさちゃんが私に話しかけてきた。

「どうしたの?」

あずさちゃんは私に顔を近づけて小さな声で言った。

「沢村くんとは、最近どう? どこまでいったの?」

「へ、一也くんと? ……キス……、まで……」

思わず大きな声をあげてしまいそうだったが慌ててボリュームを下げる。

「ふふ、頑張ってね。進展があったらまた教えてね!」

そう言ってあずさちゃんはドリンクバーの方へ向かった。

「進展、か……」

「どうかしたのか?」

心の声のつもりが漏れていたらしい。一也くんが不思議そうに顔を覗く。

「な、何でもないよ? ほら、一也くんももっと食べて」

「お、そうだな。ありがとう」

そう言うと一也くんは再び男子の方のテーブルのポテトに手を伸ばした。進展って、どうすればいいのかな……?

  *

 夏休み、いや、正確には休みではない。俺は受験勉強の補習のため毎日学校に行ってるし、みらいさんはAO入試とかで遊んでいる暇はない。本来ならば海だの祭だので楽しみたいのだが仕方ない。今日も今日とて俺は乾先生の数学補習に向かう。あの人は確かに生徒のためにしっかりと教えようとしてくれる良い先生だがぶっきらぼうで目つきが鋭いため話しづらい。そのため少人数の授業で彼と顔を合わせるのは避けたいが俺の学力ではそれは不可能だった。

「ああ、しかしこう毎日暑いのにどうして俺は勉強ばっかりしなきゃならねぇんだ」

進学するからだろう、という突っ込みを心の中でしつつ補習を終えて帰宅しようとした。

「お~い、沢村~」

聞き慣れた声に俺は振り向く。

「何だ、暑苦しい。そういえば今日は準決勝だが甲子園に居なくていいのか?」

「お前、俺たちがこの前負けたのを知っていて言ってるな?」

本田が俺の額をはじく。

「わるい、わるい。それよりどうした?」

「ああそうだった。実は最近ここらで芝浦の奴を見かけたって聞いたんだ」

「あいつが? なんで?」

「さぁ。とにかくあいつ、神原さんの小説を盗んだのがばれて学校辞めただろ? 逆恨みとかしてるかもしれねぇから気をつけろよ!」

「ああ、わかった。ありがとな」

おうよ、と本田は走って行った。俺はすぐにみらいさんに伝えた。

「……えっ! あの人が。わかった。気を付けるね」

「もし何かあったらすぐに俺に言えよ」

そう言って俺は電話を切った。あの野郎、何で今更。……いや、そうか。夏休みが終わればすぐに。だとしたらそこか!

  *

 夏休みが終わり私たちの最後の文化祭が始まった。

「みらいちゃん、そこの焼きそば、Bの所に運んで~」

「は~い」

私たちの焼きそば屋はすごく繁盛していて休憩の時間が取れないほどだった。

「あ、そろそろ部活の方の店番しないとだから行っていい?」

「わかった、行って来い」

私は入口の名護くんに店内の人員が減ることを伝え部室棟へ向かった。

「ふぅ、やっぱり部室は遠いな……。きゃあ!」

部室への階段を上っているとき、急に私の足が地面から離れた。誰かに後ろへ引っ張られたらしく私は階段の下へと転がり落ちた。

「何……? 痛っ!?」

見ると足が酷く腫れていた。動かそうとするとずきずきと痛む。

「情けない姿だなぁ、神原!」

その声に私は顔をあげる。

「芝浦……!」

「ひどいなぁ、元カレのことを呼び捨てかい?」

「ふざけないで! どうしてあなたがここに……!」

私が憎悪の眼差しを向けると彼は吐き捨てるように言った。

「わかんないかなぁ、お前が俺のことを周りに言ったせいで俺は金も女も何もかも失ったんだよ! お前も同じ目に合わせてやらねぇと気が済まねぇ!」

「そんなの、あなたの自業自得じゃない! それに私はあなたのことなんか一言も言ってない!」

「とぼけるな! もういい、お前ら」

芝浦がそう言うと後ろから二人の男が現れた。

「ちょっと、止めて! 離して!!」

抵抗する術もなく私はやつらに両腕を持たれ、近くの使用禁止だった男子トイレに放り投げられた。

「お前、今は彼氏持ちなんだって? 俺と別れてすぐに付き合うなんてな! また泣かされてぇのか?」

「一也くんはあなたなんかとは違う! 一也くんをそんな風に言わないで!」

「黙れ! おい、お前ら。こいつしっかり押さえとけ」

芝浦の言葉に従いやつらは私の両腕を床に押さえつける。

「止めて! 助けて! 一也くん!!」

「泣いても誰も来ねぇよ! まずはお前の一番大事なモンから奪ってやる」

芝浦は私の腰に手を伸ばした。

「止めろ!」

入口の戸が開きそこにあったモップが芝浦の頭を強打する。一也くんだった。

「一也くん!?」

一也くんは私の方を見て引きつった笑顔を見せ、芝浦たちを睨みつける。

「お前ら、みらいさんからさっさと離れろ! でないともう一回、いや何回だってこれで殴ってやる!」

「お、お前一人くらい、こっちは三人いるんだぜ!」

「馬鹿か、お前は? ここは学校だぜ。すでに先生にも来てもらってるんだ!」

見ると一也くんの後ろに何人もの先生がやって来ていた。

「これは立派な犯罪だな、芝浦。今度はしばらく出てこれないぞ」

「き、桐生先生……」

  *

 それからすぐに先生によって芝浦たちは警察へ。みらいさんは保健室で足の治療をしてもらった。幸い、軽い捻挫だけで済んだようだ。

 俺は文化祭で使ったバックナンバーを倉庫に戻していた。

「すっかり遅くなっちまったな……」

俺も結局、警察からの聞き取りなんかで学校に戻れたのは六時頃だった。辺りもすっかり暗くなっている。後輩たちも打ち上げに行かせてやり倉庫には俺一人だった。

「一人で作業ってのも寂しいもんだな……」

俺が次の箱に手をかけたとき後ろで戸が開いた。

「一也くん……、まだ居る?」

みらいさんだった。いつもの笑顔は無く左足には冷却シートを貼っている。

「大丈夫……、なのか?」

「うん、ごめんね。私も手伝うよ……」

そう言ってみらいさんは箱の一つを手に取った。俺たちはそこから一言も喋らずに片づけをした。

「今日はありがとう……」

最後の箱をしまい終えた俺にみらいさんは消え入るような声で言った。

「みらいさんこそ、大丈夫か……? すまん、もう少し早く気づくべきだったな……」

俺がそう言うとみらいさんは首を横に振った。

「ううん、一也くんが来てくれなきゃ……」

そこまで言うとみらいさんは俯いて少し黙ったが、やがて口を開いた。

「あの、一也くん。私の初めて……。貰ってくれますか……?」

俺が何も言えずにいると、みらいさんは続けた。

「私は、去年の夏、本当に死んでしまおうかと思った。でも一也くんが来てくれて私は生きようって思えた。今日も同じ。一也くんが居なければ私はここに居なかった。だから、私の全部……、一也くんにあげます!」

みらいさんは本気だった。俺の方を向いて、しっかり俺の目を見ていた。

「……わかった。俺でよければ……」

みらいさんは身に着けていたものを倉庫の床に置いていく。暗い倉庫の中にみらいさんの白い肌が良く目立つ。

「メガネは外さないのか?」

「うん、一也くんのこと、良く見たいから……」

みらいさんが俺の方を見て手を広げる。

「良いよ、来て……」

「ああ、ちょっと待ってくれ」

俺は本田から貰ったものを鞄に入れているのを思い出し取り出した。

「よし、じゃあ、いくぞ……」

俺も服を脱ぎみらいさんの優しい肌を包み込んだ。二人の体温が一つになる。みらいさんは声を漏らしながら顔をしかめる。

「大丈夫か、みらいさん? 痛いなら……」

そこまで言うとみらいさんは俺の口元に人差し指をかざす。

「みらいで……、良いよ……」

「みらい……」

「うん、それでね。……嬉しいの。一也の……、伝わってくる……」

みらいが笑って俺に抱きつく。いつものみらいの顔だ。

「初めてが……。一也で……、良かった……」

俺はみらいを強く抱きしめた。この瞬間がいつまでも続けばいい、そう感じていた。

  *

 私たちが学校を出るころ、もう時刻は八時を過ぎていた。

「すっかり遅くなっちゃったね」

「そうだな。何だか文化祭が随分前みたいな気分だ」

「ほんとだね……。あ、そうそう」

私は一也の方を向いて言った。

「志望校、合格したよ!」

「おお! やったじゃん! おめでとう!」

一也はまるで自分のことのように喜んでくれている。

「ありがとう!」

「桜咲く、だな」

「桜咲く?」

「ああ、志望校に合格することを桜咲くって言うんだ」

「桜……、か」

私は春に綺麗に咲く小学校の桜を思い出した。

「懐かしいな……」

「そういえば、みらいの今年の文化祭の作品のタイトルも「さくら」だったよな」

「うん、桜って綺麗だよねぇ。一也の作品は「紐」だよね、二人三脚の話の」

「ああ、中学の時の話をイメージして書いたんだ」

「私は小学生の頃のこと……。二人ともエッセイなんて驚いたね!」

「ほんとだな!」

私たちは顔を見合わせて笑った。

「俺はこの冬が勝負だからな……」

一也くんが不安そうな顔をして立ち止まった。

「大丈夫だよ、私も応援してるから」

「そうだな、よし。今日も帰って勉強するか!」

オーッと手を挙げ駅へと走る。私も笑って彼を追いかけた。

 文化祭が終わり私たちは部活を引退した。一也は補習で一緒に帰ることのできる日がないのがちょっと寂しい。

「ヤッホー、みらいちゃん! 一緒に帰ろう?」

あずさちゃんが後ろから声をかけてきた。

「あれ、あずさちゃん、補習は?」

「ふっふ~ん、私を誰だと思ってるの? 推薦入試で合格だよ!」

あずさちゃんが得意そうに腕を組む。

「すごーい、おめでとう!」

「まぁね、それより明日から冬休みじゃん? お正月に一緒に初詣行こう?」

「うん、そうだね」

私が了承するとあずさちゃんはきょとんとした顔で尋ねた。

「あれ、沢村くんとは行かないの?」

「うん、一也は勉強で忙しいから。代わりに合格祈願してきてって」

「そっか~。……うん? いつのまにか、呼び捨てじゃん!」

しまった、ついつい普段の呼び方を使ってしまった。

「ねぇねぇ、何があったの?」

「何もない!」

「本当?」

「本当!」

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