第3話「恋の始まり」
春休みが終わった。久しぶりの学校に胸を弾ませながら私は学校へ向かう。いつもの道に私たちより少し小さい、綺麗な鞄を持った子たちが歩いていた。そうか、新入生か。私にも後輩ができるのか、そう思うと少しくすぐったかった。
始業式の後、私は二年B組のクラスに向かった。階が一つ違うだけでこんなにも外の眺めが変わるなんて。あんな遠くの建物まで見えるようになった、そんな子供みたいなことでつい楽しんでしまう。
「さてと、席は……」
残念ながらあずさちゃんや沢村くんとはクラスが違う。仲良くなれそうな人が一緒だといいけど……。
「君、神原さんだよね?」
私が席に着いてすぐ、隣の席の男の子が話しかけてきた。えっと、誰だっけ……? そんなオーラを出していた私を察してくれたのか彼は笑顔でクラス名簿の自分の名前を指さしながら言った。
「僕は芝浦鎧。コンピ研所属、よろしくね」
「私は……」
「神原みらいさんだよね、文芸部の」
言い終わる前に芝浦くんが先に言った。
「え、そうだけど。どうして……?」
「実はさ、この前、文芸部の部誌を友達に見せてもらったんだ。そしたらすごくきれいな文と絵の人が居るなって、それでその友達に聞いたらそれは神原さんって人の作品だって。いや驚いたよ、同い年なのにこんなすごいの作れて。それに、作者もかわいいんだね!」
「そんな、からかわないでください!」
私は芝浦くんから顔を背けて否定した。
「からかってないよ」
芝浦くんは私の方へ椅子を寄せて耳元でそう言った。
「からかってない、僕は本気でそう思うよ。自信をもって……ね?」
ちょうどチャイムが鳴り、その話は終わった。しかし私の耳には彼の言葉がいつまでも響いていた。
かわいいなんて言われたの、初めてだな……。
*
やばい、やばい。今日中だったのを完全に忘れていた。俺は机の上に開いたノートに新歓号用の原稿を汚い字で書きなぐっていた。
「すごい、すごい! これってショーセツってやつだよね!」
俺の目の前にあったはずのノートが急に消えた。声のする方を見ると同じクラスの霧島白鳥が立っていた。白鳥と書いてスワンと読むらしく、さすがの俺でも名簿を見た時から強く印象に残っていた。
「すご~い、沢村ってこんなの書けるんだ!」
「ああ、まあな。悪いけど邪魔しないでくれ」
「え~。じゃあさ、邪魔しないから沢村見てていい?」
「それぐらいなら構わねぇけど」
そう言うと霧島は横に座って俺をじろじろ眺めてくる。さらに言えば横というのは隣の席ではない本当の横だ。俺と同じ椅子に座っている。俺はとりあえず続きを書こうとした。しかし全く集中できない。香水の匂い、顔にかかる息。
「やっぱり無理だ、どいてくれ」
「え~、つまんないの。じゃあまた出来たら見せてよね!」
ちょうど授業が始まり素直に戻っていってくれた。俺は結局、授業中に執筆し、何とか放課後の部活に間に合わせた。
*
放課後、私は久しぶりの部活に心を躍らせながら向かった。
「天美アキです、よろしくお願いします」
私が部室を訪れるともうそこには一人の新入生が居た。アキちゃんはロングヘア―ばかりのこの部では珍しいショートカットで、小さな眼鏡をかけていた。そしてすごく真面目な子みたいでこれまで私たちが作った部誌を一生懸命読んでくれている。
「じゃあ! 何かわからないことがあったら部長の私に聞いてね! 今日はこれで終わり!」
仮野先輩は今年から部長になったけど相変わらずすごく明るくて楽しそう。早速、アキちゃんと話している。私は……、そうだな。
「沢村くん、新しいクラスになったけど、どう? 仲のいい友達とか、出来た?」
「う~ん、俺はコミュ障だからな……。神原さんはどうだ?」
「私も特に……。あ、でも隣の席の男の子に作品褒められたんだ! 自分の作ったのを褒められるのなんて初めてだったからすごくうれしかったな!」
「そうなんだ、良かったじゃん!」
「うん、あとね、私のこと可愛いって言ってくれたの! そんな人初めてだったから私、すごく嬉しくて……」
「そ、そうなんだ……。良かった、な。うん」
沢村くんはそう呟いて、それっきりなんだか話が続かなくなった。やがて、下校時刻のチャイムが鳴り私は沢村くんと一緒に学校を出た。けれどどうしてだろう、私は今日の沢村くんとは何も話せず駅で別れてしまった。
*
「ね~、一緒に写真撮ろうよ!」
体育祭の途中、霧島が俺に言ってきた。
「なんで俺なんだよ、後藤や呉島みたいな奴ならわかるけど」
「だってあいつら面白くないもん。沢村は女子と全然喋んないからさ、話とか新鮮で面白いし」
「褒めてるのか、それは?」
俺はとりあえず写真を一枚撮り、自販機に行くと言って霧島から離れた。やれやれ、相変わらず体育祭なんて面倒なだけだな。……うん? 自販機の所に神原さんが居た。珍しく髪をポニーテールにしている。俺は話しかけようと思ったが奥に一人の男子が居るのを見つけ思わず隠れた。あいつは確か前に神原さんが言っていた隣の席の奴だっけか。あのとき俺は話を続けようと思ったがどうしてもできなかった。別に神原さんに仲の良い男子が出来ても何の問題もないはずだ。なのに……。
「神原さん、夏休みは暇かい?」
どうやらあの男は神原さんに遊びに行く予定を提案しているようだ。
「映画、水族館……、どこでもいいよ!」
「……それなら私、夏祭りがいいです! 今度ある花火大会、どうですか?」
「良いね、一緒に行こう! それじゃあ……」
俺はその場を後にした。そう言えばあれから神原さんと話さなくなったな。話そうとしても話が続かないというか、避けられているというか……。いや、別に神原さんが誰とどこに行こうが自由だ、俺にとっては何の関係もない話だ。そう思いながら俺は観覧席に戻った。
「なーに、ぼさっとした顔してんのよ?」
霧島がアイスを俺の背中に当ててきた。
「うわっ?! 冷てぇだろうがっ!」
「ふっふ~ん、元気になったじゃん」
霧島はニヤッと笑うともう一本アイスを取り出して俺に渡した。
「ま、食いなよ。何があったかは知らないけどさ」
そう言って俺の隣でアイスにかぶりつく。
「くうーっ! 美味しいね~! 沢村も早く食べなよ、溶けるよ?」
「ああ、ありがと」
そう言って俺もアイスを食うことにした。
「そうだ、今度の花火大会あるじゃん。沢村さ、一緒に行かね?」
花火大会……、俺はさっきのことを思い出した。しかし……。
「良いな。よし、一緒に行くか」
俺にはもう関係のないことだった。食べ終わったアイスの棒を捨て体育祭が終わるまでを霧島と過ごすことにした。
*
一学期も終わり夏休みが始まった。あれから毎日芝浦くんとは連絡を取っていて長い休みでも退屈じゃない。芝浦くんは初心者の私の書いた作品をいつも褒めてくれて、それで嬉しくなってついつい沢山書いてしまう。それに芝浦くんと一緒に居ると楽しくて話の内容とかもそこから思いついたりする。今日の花火大会も帰ったらそれを元にした話、書こうっと。
あ、そろそろ時間だ。私は友達に選んでもらった水色の浴衣を着て家を出た。駅に着いた私を見るなり、芝浦くんは手を振ってくれた。
「ごめんなさい、待ちましたか?」
「ううん、今着いたところだから大丈夫だよ。それよりも浴衣、かわいいね! 似合ってるよ」
「ありがとう!」
芝浦くんはいつも私のことを考えて、そして私を褒めてくれる。だからついつい甘えてしまう。「ごめんね」と言うと、「良いよ、それくらい。むしろどんどん頼ってくれても構わないから」なんて言ってくれた。
「あ、今日もしかしたら雨が降るかもしれないらしいよ」
「そうなんですか? あ、私、傘持ってきてない……」
「僕が持ってきてるから、一緒に入ろっか?」
そんな会話をしながら歩いていると急に人が多くなった。いよいよ花火が始まるみたいだ。大きな音と共に空一面に輝く大きな花。夏の真っ黒な夜空に一輪、また一輪と増えていく。
「きれいだね……」
「うん……」
私たちは最後の一つが打ちあがるまでずっとそこで空を見上げていた。たまに私が横を見ていたけどきっと芝浦くんは気づいていない。こんな時間がいつまでも続けばいいのに……。
「さ、終わったね。次、どこ行く?」
最後の花火が打ちあがった後、アナウンスが入り人が一斉に動き出す。
「ごめんなさい、先にトイレに行ってきても良いですか?」
「わかった、じゃあここで待ってるよ」
芝浦くんは近くにあったベンチに座った。そして空を見上げて、疲れたようにもたれた。
*
俺はため息をついた。霧島に誘われて花火大会に来たものの、俺は女子と二人でどこかに出かけたことなど一度もない。そのせいか、霧島が何か言いたそうにこっちを見てくるが俺にはさっぱりなので、お互い気まずい雰囲気のまま花火大会を味わっていた。
「さ、さてと。花火も終わったけど、どうする?」
とりあえず最後の一発が終わり俺は霧島に聞いた。
「さ、沢村!」
ちょっとこっちに来いと俺は少し人混みから外れたところに引っ張って行かれた。
「な、何だよ、急に!」
「沢村! あんたが全然女子と喋んないからこういう時にどんな話したらいいかわかんないのはわかるけどさ。ずっと無言なのはダメだよ! あと他にもいろいろあるけどさ、もっと気軽に喋んなよ! 言わなきゃ何にも伝わんないんだよ!」
霧島は俺に向かって強い口調で言い放った。
「もういい、あたし帰るね。あんたはそこのトイレで頭冷やしてあんたとお似合いな女子と一緒に回ってなさいよ! もうあんたなんかとどこにも二人で行かないんだから!」
「おい!」
「うるさい! ……最初からこうするつもりだったんだから」
背を向けた霧島に声をかけようとしたが彼女は俺の方を振り向きもせず、人混みの中へと走って行ってしまった。本当に俺は女子と一緒に居る資格がないな。今だってあいつが何で泣きそうになっていたのかもわからないんだから。
*
さすが花火大会だな。トイレもたくさん人が居て、入るのも出るのも時間がかかってしまった。早く芝浦くんの所へ行かないと。私はさっき芝浦くんが座ったベンチの方へ向かった。
あ、芝浦くん、電話中だ。誰と話しているのかな……?
「……てなわけでよ、あいつの小説、賞貰って五万もゲットだぜ! ああ、大丈夫だ、お前にもやるから」
えっ……? 私は思わず物陰に隠れた。
「ほんと、楽なもんだぜ! あいつが書いたやつをそのまま応募するだけで賞金もらえるんだぜ! 今度この金で海行こうぜ、結構貯まったからよ。え、ああ、あいつなら今ここに居ねぇから大丈夫だよ。じゃあまたな、りんご」
電話を切った芝浦くんに私は思わず駆け寄った。
「さっきの話、どういうことですか……?」
芝浦くんは明らかに動揺しながら答えた。
「え、何のことかな……?」
「とぼけないでください!! さっきの人誰ですか! 賞って何のことですか!」
それを聞いた芝浦くんは鼻で笑いながら立ち上がった。
「仕方ねぇな、聞いてたんならそういうことだよ。お前の小説なら金になりそうだからな、俺が代わりに応募してやったんだよ。良かったなぁ、優秀賞もあったぜ!」
「最初から……、そのつもりだったんですか?」
「そりゃそうさ、誰が本気でお前なんか可愛いって思うんだよ。バカじゃねぇの!」
「ひ、ひどいです……」
段々と視界が滲んできた。
「泣いたって知るかよ。本当はもっと稼いでからのつもりだったんだけどな。ま、お前も短いけど良い夢、見られて良かっただろ? それじゃ、俺はもう帰るとするか。遅くなって雨に降られると彼女が心配するからな」
そう言ってあの人は帰って行った。私は帰ろうにも帰れない。足が全く動かず震えている。涙と一緒に雨まで降ってきた。寒いけどもうどうだっていい。凍死でもなんでもすればいい。いっそ、そこの川にでも飛び込んで……
「神原さん!」
……沢村くん?
「神原さん、何してるんだよ!? 風邪ひくぞ、ほら。一旦、そこの屋根のあるとこに行こうぜ?」
そう言って沢村くんは私の手を取って急いで屋根の下まで連れて行ってくれた。
*
「……なるほど、そんなことがあったのか」
俺は神原さんにココアを買ってあげて、話を聞いた。
「ごめんなさい、もう先に帰っても構わないから……」
「駄目だ、こんな状態で一人で置いとけるかよ」
こんな弱って今にも死にそうな顔してる奴をほっとけるわけないだろ。
「私さ、今まで気軽に話せる男の子って沢村くんとあの人だけだったんだ。でも沢村くんと話している時よりあの人と話している時の方が盛り上がって。だからあの人と一緒に居る方が楽しいのかなって。でも違った。あの人の言葉はその時その時の口先だけの誉め言葉だった。だけど、沢村くんはしっかり相手のことを考えて話してくれている。だから真面目で真剣な話になっちゃうから盛り上がってないように思うだけなんだ。それなのに、ずっと沢村くんのこと蔑ろにしててごめんね……」
「神原さんが悪いわけじゃない。俺も口下手で言いたいことを気軽に言うようなことはできない。だから一緒に居て面白くないってのは事実だ。女子との付き合いも苦手だしな……」
「ふふ。じゃあお互い、恋愛下手だね」
やっと笑ってくれた。いつもの神原さんだ。
「そうだな……」
「じゃあ、そろそろ帰ろう?」
「良いけど、まだ雨降ってるぞ。傘一つだから相合傘になるが……」
「……きな人だから良いよ」
「えっ?」
「何でもない!」
俺たちは小さな傘の中で目一杯、肩を寄せ合って歩いた。やっぱり、あまり話せなかったが俺たちはそれでいいのかもしれない、そう俺は思った。
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