服水盆に返らず

 深夜。私の体をちょんちょんと触る者がいた。目を開けて横を向くと、申し訳なさそうな顔をするハルちゃんと目が合った。


「どうしたの、ハルちゃん?」


「ごめんね、起こしちゃって。あの、ヒメちゃん……」


「?」


「ハル、トイレ行きたくなってきた……。怖いから着いてきてくれない?」


 ああなるほど、そういう事ね。さっきまでホラゲをしてたからね、一人でトイレはきついよねー。

 私は今でこそへっちゃらだけど、ホラゲに慣れてない時ならこうなってたかも。ちょっとした物音で「きゃあ! 敵?!」って叫んでローリング回避してしまうかもしれない。


「もちろんいいよ。一緒に行こっか」


 そう言ってベッドから出ようとしたとき、ユズちゃんもおずおずと手を挙げた。


「あのぅ~。私もトイレ行きたいから、着いて行ってもいい?」

「一人取り残されるのは嫌だから、私も行く」


「あらま。それじゃあみんなで行こっか」


 こうして四人全員でトイレまで行くことになった。


「ハルちゃんとユズちゃんはゲーム中ずっと水飲んでたもんねー」


 私がそう言うと、二人は「あはは」「そうだね~」と恥ずかしそうに言った。


「うん、今すっごく後悔してる」

「覆水盆に返らずだよぅ~」


 うんうん。多くの人が一度は味わった事がある後悔じゃないかな? なんて思っているとリンちゃんが小さな声でこうつぶやいた。


「『覆水盆に返らず』ならぬ『服用した水、盆に返らず』だね」


「上手い! 水は飲んじゃったらトイレに流すまで出て行ってくれないってね」


 こうして「服水盆に返らず」という新しいことわざが出来たとさ(嘘)




 トイレの前までたどり着いた私達。限界が近そうなハルちゃんが真っ先にトイレに入るも、用を足さずにきょろきょろしている。


「どうしたの?」


「て、敵が出て来ないか確認してる……!」


 なるほど。確かにトイレ中に敵が出てきたら最悪だね。狭いし動くに動けないし。


「大丈夫だって、ちゃんと外で私たちがいるから」


「そうだけど……。ヒメちゃん、一緒にいてくれない?」


 ……なんですと?


「え?」


「お願い……」


 上目使いで私を見上げてくるハルちゃん。その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。こんなの、いいよって言わざるを得ないじゃない!



※美少女おトイレ中



「ありがと、ヒメちゃん」


「うん」


 トイレから出ると、ハルちゃんがそう一言だけ私にお礼を言った。

 心も体も落ち着いたからだろうか、ハルちゃんは少し恥ずかしそうに私から目を逸らす。そ、そんな風にされると私まで恥ずかしくなるじゃない……!


「あの~リンちゃん。私も一人だと怖いから、一緒に来てくれない……?」

「いいよ」


 私とハルちゃんが微妙に気まずい空気になる中、ユズちゃんとリンちゃんもトイレへと入って行った。



※美少女おトイレ中



 その後、全員で寝室へと戻った。「おやすみー」と言って目を瞑った。



……

………



◆ Side:ヒメ


 不味い……全然眠れそうにない。理由はもちろんさっきの事。ハルちゃんと一緒にトイレに行った事。あの時の『光景』が頭から抜けず、ずっと私の中をぐるぐると巡っている。

 そればかりか、ユズちゃんとリンちゃんの【自主規制】も見てみたいという欲求が自分の中に生まれている。おかしい、私ってこんなHENTAIだったっけ?

 狭い中、相手は動くに動けない状態にある。そんな状況に私は一種の優越感を覚えたのかも。それは恐ろしく魅惑的で禁忌の感情。


 学校とかで「一緒にトイレ行こー」っていうのは良くある事だけど、当然ながらこういう時は別々の個室に入る。同じ個室に入るなんてまずあり得ない。今日が初めてだったと思う。

 だからこんな感情になるのは今日が初めてで、自分でも混乱している。


 今まで健全な関係を築いてきた私たちの関係が、あのホラゲのせいで壊れかけている。まさかあのホラゲにこんな恐ろしいギミックがあったなんて。



 でも、一つだけ分かった事がある。古来議論されている「アイドルはトイレに行かない!」「いや、アイドルだって一人の人間。偶像として崇めるのはおかしい」という終わりのない論争の終着点を私は今知った。


『アイドルだってトイレに行く! だからこそ素晴らしいんじゃない!』


 これが答えよ。



 はあ。私ってば何を考えてるんだろ。早く寝よ。



◆ Side:ハル


 トイレでのヒメちゃんの優しい目線、なんだかお母さんみたいで凄く安心したなあ。ヒメちゃんがお母さんなら、リンちゃんがお父さんで、ユズちゃんはお姉さんかなー。


ヒメ?「どうしたの、ハルちゃん? あ、おトイレ行きたいんだね? じゃあ一緒に行きましょうね~」

ユズ?「お姉ちゃんとお風呂入ろっか~。はーい、まず体をキレイにしよっか。次に頭を洗うよ~。目、つぶってね。は~い、綺麗になった♪」

リン?「どうしたの? 高い高いしてほしい? ん、分かった」

ユズ?「えへへ~! だ~いすき♪」

リン?「ユズは甘えんぼだね」


 とってもいい感じ! もちろん今の家族も好きだけど、ハル、将来はこんな風に暮らしたいなー。


 ってハルは何変な事を考えてるんだろ? 三人は大好きな友達であって、ハルの保護者じゃないのに! で、でも。こんな風に三人にお世話してもらいたいなあー。


 あ、でもユズちゃんがお母さんでも楽しいかも! リンちゃんがお母さんだったら……。


 っていけない! そろそろ寝たいといけないのにぃ!



◆ Side:リン


 今日はユズのトイレに付き合った。まさか個室にまで一緒に入るとは思わなかったけど。ユズ、すっごく恥ずかしそうにしてた。私の方を上目遣いでちらちら見ながら、顔を赤くしてた。


 ユズの恥ずかしがっている顔、凄く可愛かったな。じーって見てたら、どんどん恥ずかしそうな顔になっていくのが、なんというか素直で可愛かったんだよね。


 私、もしかしたらサディストなのかもしれない。もっと恥ずかしい顔を見たい。もっともっと恥ずかしい事をさせたい。

 何が不味いって、この感情をヒメやハルに対しても抱いてるって事。特にヒメの恥ずかしがってるところを見てみたい。「リ、リンちゃん? は、恥かしいからこれ以上見ないで……」って懇願するヒメを一度でいいから見てみたい。


 ユズは私に好意を抱いてるみたいだし、頼めばやってくれないかな? ヒメに頼むのは……ちょっとハードルが高いな。ハルに頼んだら「? 別にいいけど」って言ってくれそうだけど、流石に背徳感が勝るからしようとは思わない。


 って私は何を考えているんだ、流石にこれ以上は不味い。

 一晩寝たら、この変な感情も消えるかな。そう思って目を瞑っても、網膜の裏にさっきのユズの顔が浮かんでくる。どうしよう、これは本当に不味いかもしれない。

 こんな私を知ったら、三人はどう思うだろう。下手したら信頼関係が崩壊しかねないよね。


 はあ、とりあえず意地でも寝よ。



◆ Side:ユズ


 はあ、今日はリンちゃんに幻滅されちゃったかなあ~? 怖いからトイレまで着いてきてもらう、それだけでもちょっと恥ずかしいのに、どうして私ってばトイレの中にまで着いてきてもらったんだろ?!

 リンちゃん、私の事を軽蔑のまなざしで見てたよね~? 呆れた顔でじーってこっちを見てたんだもん。


 こんな恥ずかしい所をリンちゃんに見られたくないって思ったのけど、何故かそう言えなかった。理性では「幻滅されるかも」って思ってるのに、どういう訳かこの状況がずっと続いてほしかったんだ~。


 私、もしかしたら、見下されるのが好きなのかな……? そういう人が一定数いるって聞いた事がある気がする。えーっと確か「マなんとか」って言うんだよね?


 ふとヒメちゃんとハルちゃんにおトイレを視られてる自分を想像してみる。


ヒメ?「あー、えーっと。ここで私はどうしたらいいの?」

ハル?「ユズちゃん動けないんだ! よーし、いたずらしちゃえ!」


 な、なんかすごくいい~! いや「すごくいい」じゃなくて。

 もしかして私って変なのかな?


 ヒメちゃんに相談したら、何かいいアドバイスくれるかな? でも、それで冷ややかな目線で見られたらどうしよ? すっごくいい~♪ いや「すごくいい」じゃなくて。



 眠たいからかな、変な事ばっかり考えちゃう。今日はしっかり寝て、明日の朝気分をスッキリさせてから考えよう~。





 これは余談だが、翌朝四人は一瞬気まずくなったとか。しかし、すぐに元通りの関係に戻ったのだそうだ。

 きっと深夜テンションで四人ともちょっとおかしくなっていたのだろう。元に戻って何よりである。


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