第35話 え、何だって?

「だらっしゃぁぁあああーーっっ!」


 根っこが弛んで墜落寸前、屋上へ転がり込んだ。良い子は階段を使おう。

 ひび割れたタイル。貯水タンク。よく分からない鉄塔。

 まごうことなき屋上で、俺は呼び出した相手と視線が合った。


「杜若さんっ。待たせて……ごめん……ちょっと遅れた」

「だ、大丈夫ですか!?」


 頭が? それは、うん……どうかしら。

 俺は自分をラブコメ主人公と思い込む一般人ゆえ、精神的にヤバいだろう。


「唇が切れてます」


 杜若さんは桜柄のハンカチを取り出して、俺の唇を拭ってくれた。

 うぅ、桜はしばらく見たくありません。パイセンは命を散らしたとです。


「あの、大原くん……聞いてもいいですか?」


 返事を待たず、杜若さんは言葉を続けた。


「下で起きた出来事です。木の根っこが盛り上がったり、変なドアが開いたり、桜の木がこの前大原くんの家にいた人を攻撃したり……目を疑いました。あれらは一体?」


「<ラブコメ>と<異世界転生>のジャンル抗争。ギョウカイ神の権能は、超常現象をぶつけ合う異能力バトルみたいな様相を呈した」

「え……? あの、今何を言われたのか、理解が追いつきません」


 杜若さんは、険しい表情でフリーズしてしまう。

 ご自身の耳は正常です。


「――なんてな。ただの妄言。超戯言。聞き流してくれ」

「はあ」


 困惑する杜若さんをよそに、俺は言い訳を高速で思考した。

 これは内緒だったが、実は普段どーでもいいことばかり意識を集中させている。そのリソースを割け。考える人ばりに顎に手を当て、シンキングタイムゼロコンマ3秒。


「せや! アレは、マジックショーの練習だったんだよッ」

「え?」


 きょとん?


「奇々怪々な催しだったろ。大がかりな仕掛けは初めてだったゆえ、ちょっと事故っちゃったぜハッハッハ! 安心してください、怪我人はいませんからHAHAHA!」


 テンションがおかしいのは仕様です。


「そうだ、そうだよ! 一昨日、俺たちが揉めていたのはひとえにパフォーマンス性の違い! 今まで誤魔化していた想いのズレが露見して、一触即発のシーンということでお願いしますっ」


 初手、土下座。有無を言わさず、深々と頭を垂れた。

 プライドレスがなせる離れ業――プライスレス。


「頭を上げてください。マジックショーの練習で納得しましたから」

「……え?」

「言いたくないなら、飲み込みます。わたしも自分がおかしくなったとは思いたくありません。それに、大原くんが変なのは意味がある時です」


 杜若さんが、変な意味で信用してくれた。


「ちょ、待てよ! もっと疑いたまえ。百聞は一見に如かずとか言うけど、一見した程度で妄信するんじゃない。目を凝らせ。世の中、欺瞞に満ちて」


 ――以下略。

 俺は膝の汚れを落とし、立ち上がった。

 さて、例の件についてどんな弁解をするべきか。

 パフォーマンス性の違いだけでは足りない。


 あのシーンを慮るに、ヒロインの心境に良くも悪くも変化が生じているはず。ならば、ラブコメ主人公はその変化を肌で感じなければならない。


「この前のことですが……逃げるように帰ってしまい、ごめんなさい」


 俺が第一声を言いあぐねていると、杜若さんはぺこりと頭を下げた。


「実は、友達作りの練習のお礼を渡したくて自宅に伺いました。大原くんは手作りチョコを食べさせれば泣いて喜ぶと、藤原さんに教えてもらったので」


 やれやれ、舐められたものだなあ。藤原、俺はそんな安い男じゃねーぞ。

 自慢じゃないが、バレンタインはチョコを貰ったことがある(クラス全員配給制)。

 ったく、本当に自慢じゃなかったぜ! 謙虚な俺を褒めろよ(落涙)。


「でも、いざ家に行くと大原くんは女の子と仲良くしていて……フレイヤさんは仕方がないけど……もう一人他の子がいて……それがとても嫌で……気付いた時には飛び出していました」


 杜若さんが目を伏せ、徐にフェンスの方へ向かっていく。


「フレイヤはノーカンなのか」

「……(こくり)」

「まあ、相棒枠だし。あー、そういえば親戚だっけ?」


 特に活用されなかった設定だった。思えば、遠くに来たものだ。

 相棒枠? と、杜若さんは首を傾げ。


「大原くん。わたしのこの持て余すような感情は何でしょうか?」


 杜若さんは口元で拝むように両手を組み、純粋な瞳を潤ませた。

 返事を待つその姿はまさに、神様に祈願するヒロインそのもの。


「……」


 果たして、それは恋か愛の類か。

 否、かりそめのラブコメ主人公ではたとえ見えたところで掴めない。俺は未だ偽物で、本物を享受できる器じゃない。先駆者の軌跡をなぞるので精一杯。


 大原隆は己が為、杜若皐月を利用している。偽善、まかり通ることなかれ。

 ギフトは、いつか現れる真の主人公が受け取るべきだろう。


「……お気に入りのオモチャを他人に好き勝手されるのはムカつく。そんなところだよ」

「……そうですか」


 杜若さんは俯くや、小さくため息をこぼした。


「……そう、ですね……大原くん、これからも手伝ってくれますか? あなたが応援してくれれば、友達100人できると思います。いえ、絶対作りますから!」

「そりゃ、もちろん。杜若さんの相手は役得だしな」


「ふふっ、良かったです。また変な特訓も頑張りますね」

「まるで、俺が楽しんでるみたいじゃないかー」


 杜若さんは微笑みを携え、屋上の入口へ足を運んでいく。

 とんでもない光景を目撃した結果、彼女は些細な出来事を気にしたら負けと悟ったのだろう。また二人三脚で友達作りに励めるなと安堵した矢先。


「やっぱり、ちゃんと伝えないと気持ちが収まりません」


 くるりとステップを踏み、舞い戻った杜若さん。

 この局面でそのままヒロインが帰るようなら、もはやラブコメにあらず。


 ショー、マスト、ゴーオン。

 舞台は続けなければならない。

 オチが付くまでは。


「大原くんは、わたしのために一生懸命になってくれた初めての人です。誰かに悩みを打ち明ける勇気もない、自分を変える行動も取れない。形はどうであれ、そんなわたしにきっかけをくれたあなたはっ! わたしは、あなたが――」


 刹那、ああ俺はどうしようもなくラブコメ主人公を演じていると思った。


「ハクチュンッ!」


 なんせ、ヒロインの照れくさそうな顔を見て、真っ先にオチへ繋がるリアクションを導き出したのだから。

 鼻をすする。そして、アイコンタクト。


「わ、わたしはっ……! 大原くんが、す――」


 偶然たまたま、ピューッと一陣の風が吹いた。

 屋上で向かい合う男女を煽るような強風に、俺は今まで温めていた伝家の宝刀を抜いた。


「――え、何だって? 風が強くてよく聞こえなかったよー」


 ラブコメ主人公の基本技・鈍感アピール。

 この技の効果は、ヒロインのテンションを下げる。もしくは、ヘイトを上げてしまう。


 耳に手を当てる俺は、すこぶる滑稽に映ったに違いない。主人公補正ではなく、意図的な演出ゆえタチが悪い。

 目を丸くした杜若さんは、グッピーよろしく口をパクパクさせていた。

 正気を取り戻すと、頬がぷくぅ~っと膨張していく。


「大原くんなんて、もう知りません」


 ヒロインはそっぽを向いて、スタスタと立ち去ってしまう。


「ちょ、一体どうしたんだ杜若さん? 俺、何か気に障ることしたか?」


 しただろ。


「……」

「やれやれ、不満げな理由が全然分からねー」


 ラブコメ主人公は、肩をすくめるばかり。

 やれやれは、お前だよ。人の好意を弄んで興奮でもすんの?

 正直、結構きつかった。どうやら、俺はまともな人間らしい。

 杜若さんは立ち止まった。デリカシーの欠けた男を叱るような目つきで。


「藤原さんが言ってました。大原くんは、とんだ鈍感野郎だって! えいっ」


 ポケットから取り出したラッピングを投げつける。


「あべしっ!?」


 顔面にクリーンヒットした俺は、怯んでズッコケを披露する。かつて練習したズッコケがこの局面で活かされるとは予想外でした。


「チョコの甘さは控えめですから! 全部、食べてください! さよならっ」


 ご立腹な杜若さんは入口で、振り返った。


「あと……また明日」


 バイバイと手を振り、柔らかな表情の緩みが隠し通せず屋上を後にするのだった。

 次がある捨て台詞を頂戴し、俺はふぅと脱力する。

 ラブコメイベント、どうにか乗り越えた。ラブコメポイント取れ高良し。

 だから、ラブコメポイントって何だよ、とセルフツッコミしつつうわ言を漏らす。


「屋上で寝そべりながら、空を見上げる。これって、とっても青春じゃない」


 隣に美少女を侍ればリア充の仲間入りだが、あいにく不徳の致す限りで先方は直帰してしまった。恨むぜ、鈍感アピール。咄嗟に実行しちゃう似非主人公!

 俺は、杜若さんに貰ったラッピングを開けてみる。


 星やハート型のチョコが一つずつ包装されていた。ご丁寧に、グミやジャムのトッピング付き。お菓子作り、得意なのかしら?


「甘さ控えめ、ね。俺、味覚はお子様やぞ」


 カレーもコーヒーも甘口で大丈夫です。


「……っ! このほのかに鼻孔をくすぐるカカオの香ばしさはまさに……」


 口内に風味が広がるや、カッと開眼せざるを得ない。


「シンプルに、苦いっ! うへぇ~~~」


 俺は苦虫を噛み潰した表情をしただろう。

 ※虫は混入していません。

 今までの頑張りの成果がビターなテイストで、俺は辛酸を舐めさせられた気分。

 ※辛酸は――以下略。


「はあ、全然割に合わねぇぜ。ラブコメ主人公なんて、誰でも演じられると思う時期が俺にもありました」


 デカい独り言を呟き、俺は無意識にやれやれと肩をすくめるのであった。

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