第34話 伝説の桜の木

 学校には、様々な噂が存在する。

 学校の怪談、七不思議、都市伝説、暗黙の了解……

 証拠がなくとも、人づてに広がる暗澹たる気配はやがて現実をも飲み込んでいく。


 学校という排他的閉鎖空間において、漠然とした無意識の集合体は恐ろしい力になり得るのだ。ならば、その不可思議な力の流れを誘導できれば、あり得ない光景を引き起こせるのではないだろうか? 抜粋――大原隆の学校論4章『茫漠を乗り越えて』より。


 冗談はさておき。

 ザ平凡な杉野高校にさえ、いわゆるパワースポットが存在していた。

 曰く、告白すれば成就するとか、願えば叶うとか、死体が埋まってるとか。ん?

 新葉赤く染まりし時、汝の希望果たされん。


 其は、創立当初からそびえ立つ伝説の桜の木なりや。

 ただでさえ狭い校庭スペースの3割を占領する桜の木パイセンは、代々親愛を込めてウドちゃん(大木)やデクちゃん(棒)と呼称されていた。


 杉野高校の数少ないイベント会場もとい告白の名所・伝説の桜の木の下で。

 俺は人の顔に見える樹皮と睨めっこしながら、彼奴の来訪を待っていた。

 ふと、一陣の風が吹き抜ける。


「大原さん。お待たせしました」


 <異世界転生>のギョウカイ神は、銀髪の三つ編みを肩で揺らした。怜悧な印象を与えるメガネが陽を反射して、奥に秘められた冷淡な瞳を暴き立てる。


「返事はメールで構いませんが、座標だけ送って呼び出すのは手段が乱雑です」

「そりゃ、失礼。俺は平凡な高校生ゆえ、ビジネスマナーを知らないんだ」


 フレイヤにリンネの連絡先を調べてもらい、田舎の県立高へご招待した次第。ご足労頂き、まことにありがとうございます。

 最後の対話は、この場所でなければならない。とある地形効果を使うゆえ。


「改めて、昨日の続きですが」


 無駄話は嫌いだと言わんばかりに、リンネは要件を急かした。


「大原さんは<異世界転生>の適性持ち。自分の才能を活かして、脚光を浴びる輝かしい人生を歩んでください。脇道に逸れてこれ以上無駄な時間を浪費すれば、主人公補正が腐っていくばかりです。当ジャンルを預かる身として、主人公の喪失は由々しき問題です」


「無駄な時間、か。果たして、どうかな」

「事実、大原さんの肉体はもうすぐ消滅します。主人公の存在価値など、ギョウカイ神には一目瞭然。フレイヤは薄情ですね。命の灯火が尽きる寸前なのに、自分の過去の失敗を清算するためにあなたを利用している」


 リンネは、フフと冷たく笑った。


「その結果、主人公消失という別のバッドエンドを引き起こしてしまう。彼女は責任を取りギョウカイ神の職を辞する他ありません。意固地になるほど、誰も救われない。フレイヤとは浅はかならぬ付き合いです。無謀な行為を見れば、助け舟を出したくもなります。今この瞬間、大原さんが首を振るだけで皆が救われます。これは、ラストチャンスです」


 あなたのために忠告している、そんなニュアンスだった。


「……」


 俺は、黙ってリンネのプレゼンを聞いていた。

 それは利口な選択。合理的な判断。大人の対応。賢明な回答。

 救いの手を差し伸べてくれるなんて、一体どうして異世界転生のギョウカイ神は慈愛に満ちているのだろう? 矮小な俺は、拝み倒して崇め奉ることしかできない。


 否、あなたのため?

 刹那、根本的な問題が発生した。盲目的な信仰が途切れるほどの致命的なミステイク。


「おいおい、リンネに思いやりの精神が芽生えたかと勘違いしちゃったぜ。でも、俺がラブコメ主人公を始めるきっかけを思い出した。所詮、主人公なんて数を揃えればいい営業スタイル。個を軽んじ、無情に切り捨てられた結果だったな」


「私がぞんざいな対応をしたことは認めます。しかし、大原さん。今更意地を張ったところで無意味。こちらの契約書にサインする以外、あなたが果たすべき役目はないのですから」


 リンネは、業務委託契約書を提示した。

 ジャンルの項目はもちろん<異世界転生>。


「さぁ、もう一度光差す舞台へ。あなたは成功が約束されています」


 承認欲求を刺激するような勧誘に、俺の震える手はゆっくり契約書へ伸びていく。本来、あるべき形へ戻る。自然の流れに従え。別に、非難される話じゃない。楽になれ。

 真の主人公になる権利を掴んだ俺は――


「ごめん。君の想いには応えられない。他に好きな奴がいるから」


 そして、契約書を真っ二つに破り捨てた。


「な……っ!? せっかくの、千載一遇のチャンスを……浅慮が過ぎますっ!」


 憤慨収まらず、珍しく声を荒げたリンネ。


「いや、そうでもないさ。千載一遇のチャンスはちゃんと活かしたぞ?」

「は?」

「重要なオファー=大事な告白に対して、好きなジャンル=他に好きな奴がいるってことで断っただろ。まるで、ラブコメだな」


 リンネをラブコメのステージへ引っ張り込む作戦。異世界転生のギョウカイ神を、仲が拗れたヒロインと主人公を繋ぐ引き立て役に抜擢したのだ。しっかり、演じたまえ。


「何を言い出すかと思えば、そんな屁理屈は通用しません。机上の空論です」

「舞台は整えた。屁理屈が現実を飲み込む時もある。奇跡を刮目せよ」


 俺が自信満々に振り返るや、伝説の桜の木に変化が訪れた。騒めきと共に、見る見るうちに新葉が紅く染まっていく。蕾が芽吹き、満開の花々が咲き乱れた。


「そんな、まさか!?」

「桜の花が舞い散る中、告白シーンの構図が取れた。ラブコメポイント取れ高良し」


 ラブコメポイントって何やねん。とセルフツッコミ。


「偶然たまたま、部活棟の屋上に目を向けてみよう。あれ? あそこにいるのは!」


 奇しくも、指差した先では杜若さんが伝説の桜の木の奇跡に驚愕していた。フェンスに手をかけ、こちらの様子を眺めていたようだ。期せずして、ポケットに突っ込んだスマホと屋上のスピーカーが連動しており、会話を聞かれちゃったかもしれない。

 大変だー。

 杜若さん、誰かに呼び出されたのかなー?

 俺のラブコメはやらせと無縁ゆえ、落ちこぼれのギョウカイ神の悪戯かしら?


「私をラブコメの枠に落とし込んだと? ……極めて不愉快です。これ以上、茶番に付き合う必要はありません。<異世界転生>を司る者として、あなたを強制送還しましょう。文字通り、転生。今度は帰路を塞いでおきます」


 リンネはメガネを投げ捨て、翡翠色の瞳を真っ赤に光らせた。三つ編みを乱暴に解き、長い銀髪を怪しげになびかせていく。


「ちょ、待てよ! 今まで強硬手段を取らなかったのは、使いたくない手段のはず!」

「担当者以外に権能を振りかざせば、ペナルティを課されます。しかし、私のジャンルは大ブーム。ギョウ界では、人気があれば何をやっても許される。それこそ唯一のルール!」


 そう豪語して、リンネは指をパチンッと弾いた。

 俺の足元に魔法陣が張り巡らされる。強烈なデジャブ。体験プログラムを強要された時、俺を異世界へ飛ばした神の御業。


 ホップ、ステップ、ジャンプ。慎重かつ大胆に、俺は魔法陣の効果範囲から逃れた。


「ダンスは苦手ですか? あなたはいずれ、社交の場で姫の手を取るでしょう。予行練習とは感心しました」

「俺は性格上、勇者様にはなれねーよ。どうせ、テンプレ劇場に難癖付ける嫌な奴になるのがオチさ」


 プライドはどこかに置き忘れたゆえ、俺はすたこらさっさと退散した。


「オラッ、伝説の桜の木! 願いを叶えろ! ヒロインに会いたい! 道を開けろっ」


 先方は、主人公補正が低い奴は眼中にないかもしれない。てか、木に眼ってあるん?

 さりとて、今まさに俺は目前でラブコメに準じている。魔の手もとい神の手が迫る中、真っ直ぐヒロインの元へ駆け出したのだ。


 この現状を静観するほど、桜の木パイセンは朴念仁だろうか?

 果たして、地面からぶっとい根っこが盛り上がるように生え、部室棟屋上まで繋がる架け橋となった。


「流石、伝説の桜の木や! 自分、話の分かる男やで!」


 似非関西弁を駄弁るくらい驚いたで、ホンマに。

 桜兄さんの男気に感謝しつつ、俺は根っこの橋を突き進んだ。ちょうど二階の高さ、半分上ったあたりで、首筋を名状しがたきプレッシャーで撫でられた感触を浴びる。


「捕捉完了。もう逃げられません」

「――っ!」


 リンネはずっと後方にいるはずなのに、耳元で囁かれたような感覚に襲われる。

 悪寒を振り払おうと全力でダッシュするものの、ちっとも前進しなくなった。なぜだ、脚は必死に動かしている。


「そこが大原さんの終着点です。あなたは、橋を最後まで渡りきれません」

「いや、渡る。途中で止まったら危ないし、待ち合わせがあるんでね」

「強情ですね。足元を確認したらどうですか」


 視線を下に向けるや、根っこがランニングマシーンよろしく逆方向に滑走していた。ペースを上げても、その分根っこの逆走するスピードが速まっていく。


「このっ、こんにゃろが!」

「体力と時間が無駄になるだけです。さぁ、新世界の扉を開けましょう」


 吸引力の変わらないただ一つの権能で、俺の歩みは停滞した。

 リンネが橋の入り口で荘厳な扉を構えていた。異世界へ通じるゲートそのものだ。


「あなたを異世界へ放り込めば、今度こそ<ラブコメ>ジャンルの人気がワースト記録を更新する! これでフレイヤはおしまい。く、クク……ざまーみろ!」

「めちゃくちゃ私情が漏れてんぞ。リンネ! もっとクールなキャラを務めなさいよっ」


「アハハハハッ! 研修の時から! いえいえ――いいえ! 学生の頃から悪目立ちするアイツが疎ましかった! でも、これで最後っ! やっと、やっとやっとやっとやっと! 私の手で引導を渡せるッ」


 歓喜に震え、リンネは勝ち誇った哄笑をぶちまけた。

 私怨が酷いとか、ギョウカイ神も学校通ってたとか、この際スルーしよう。


「……フレイヤを排除したら、ラブコメ主人公を全員異世界転生させましょう。路頭に迷った子供たちを、私が救ってあげます。<異世界転生>はジャンルの栄華を極め、一時のブームではなくレジェンドへ昇華する! 大原さん、完璧なプランだと思いませんか?」


「いや、全然」

「はい? 聞き取れませんでした? もしや、ラブコメ主人公特有のアレですか?」


 リンネはキッと表情を歪めた。


「主人公のなり損ないに共感された方が不愉快というもの。あなたには、言語が通じず、文化が正反対な異世界を案内します。生粋の日本人として、頑張ってください」


 いせチー無双で俺TUEEEとは何だったのか。

 異世界選択は、<異世界転生>のギョウカイ神の裁量次第。御身の機嫌を損ねれば、主人公なぞただの怪しげな不法滞在者。拙者、流浪の漂流者でござるの巻。


「だったら、なおさら異世界送りは御免被る。主人公修行に励んだ方がマシだ」

「それは不可能。手遅れ。かつて、私から逃げ切れた人間など誰一人いませんでした!」


 勝ち誇ったようにリンネが手を突き出した。

 すると、不可視の引力に俺は背中を掴まれてしまう。前進と後退の均衡が崩れ、元来た道をググっと引き戻された。ゲートは獲物を飲み込まんと、大口を開けている。


 万事休す。もはや、これまで。大原隆先生の次回作にご期待ください。

 ――否。


「リンネ。お前の負けだ」

「この状況で強がっても、負け惜しみにしか聞こえませんね」

「はんっ、この状況だから強がれるってもんだろ」

「……?」


 リンネは、逡巡するかのように首を傾げた。


「ギリ主人公な俺に対して、露骨に勝ち誇ってくれた。ギョウカイ神、早計な勝利宣言は敗北フラグだと学校で教わらなかったのか?」


 途端、リンネの足に根っこが巻き付いた。触手もかくや、根っこがニュルニュルと下腹部に到達すると、彼女はあんっと嬌声を発してしまう。

 桜の木パイセンはテクニシャンゆえ、ついでとばかりゲートにも絡まり、重厚な扉がゆっくり閉じられていく。


「不埒な真似を……こんなもの焼き尽くしてあげます!」


 リンネは怒りを覚え、炎の魔法を放つ寸前。


「ギョウカイ神には、ギョウカイ神をぶつける! フレイヤぁぁあああアアアッッ!」

「――いちいち騒がないでちょうだい。ちゃんと聞こえてるわよ」


 伝説の桜の木の枝の上にて、ラブコメのギョウカイ神が答えた。


「リンネ、随分と嫌われてしまったものね。学生の頃、一緒にティラミスを食べに行った仲だったのに、どこで袂が別れてしまったのかしら……」

「フレイヤ! そんな昔の話とっくに忘れたっ。私はパンナコッタが食べたかったのに、口いっぱいにマスカルポーネチーズを味あわされた! この恨み、絶対に許さない!」


 ナンテコッタ!

 超絶どーでもいい因縁だった。あと、昔の思い出きっちり覚えてるね。

 ……ところで、ティラミスって遥か昔悠久の歴史に名を刻むデザートだっけ?


 おいおい、お前ら旧文明の神かよ。

 つまり、年齢を推し量れば――※人を殺める視線が二つ飛んできたので、割愛。

閑話休題。


「ここから先は、<ラブコメ>のギョウカイ神の役目を全うするわ。リンネ、覚悟しなさい」

「落ちこぼれがプロ気取りとは失笑を禁じえません」


 リンネは唇の端をつり上げて。


「フレイヤはまた失敗します。バッドエンドに追いやられた前任者のように、大原さんの運命はここで幕を閉じるのです!」


 ゲートの吸い込む勢いが強くなり、拘束用の根っこがへし折られてしまった。

 俺は必死に踏ん張ったものの、ゲートをくぐるのは時間の問題である。

 けれど、慌てなかった。俺はフレイヤを、俺の相棒を見つめた。


「……彼には申し訳ないと思ってるわ。最後まで、導いてあげられなかった。わたしのことは嫌いになっても、ラブコメのことは嫌いにならないでほしい……だから、忘れない。彼に渡せなかったものは、隆に教えてあげるの。ラブコメ主人公に輝かしい未来を。幸あれ」


 フレイヤの瞳が、神々しい光を瞬いた。


「お邪魔虫にはお仕置きを。桜のみことよ、愛を信ずる者に仇名す敵を罰したまえ」


 <ラブコメ>のギョウカイ神の発令に、伝説の桜の木が呼応した。

 大樹に薄桃色の燐光が迸り、鮮紅の花びらを騒めかせていく。花びらは円舞をするかのようにその身を散らせるや、ラブコメを妨害する部外者へ一斉に差し迫った。


「……っ、この、鬱陶しいっ! 私に纏わりつくなっ!」


 リンネは煩わしいと顔をしかめながら、花びらを魔法で撃ち落としていく。

 しかし、ラブコメに殉じた桜の花びらパイセンは留まることを知らない怒涛の軍勢。手はないけれど、大手を振ってまかり通った。


「こんな、ふざけた策に……私が後れを取るわけ……っ! くそぉぉおおおおおっっ!?」


 文字通り、全身を桜色に染めたもとい埋まったリンネ。

 ファッションテーマは、春の彩りを取り入れたフラワーコーデ。

 うんうん、花びらのデコレーションが女性らしさを引き立ててるじゃなぁ~い。

 これには、万能スタイリストもにっこりである。


 暴食たるゲートの大口さえ、大量の花びらで異世界への扉を詰まらせた。

ゲート、もはやアンティーク調の家具につき。


「障害を乗り越えて、ヒロインの元へ走り出す。<異世界転生>のギョウカイ神のおかげで、ラブコメ主人公の首の皮が繋がったよ。ありがとう」

「隆っ! こっちはわたしが見張っててあげるから、しっかりやってきなさい!」

「おう。また後で!」


 俺は、ゲートに向かって飛び乗った。

<異世界転生>を踏み台に、<ラブコメ>の架け橋を再び駆け出すのであった。

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