第31話 主人公としてブレている。
「まさか、自力でプログラムを終了させるとは想定外です」
<異世界転生>のギョウカイ神・リンネが感想を漏らした。
謎空間の床に転がっていた、俺。
謎空間に何度も訪れているのだから、そこはもはや謎ではないかもしれない。
「俺は……何をしていた?」
「あちらでは、現世の記憶が次第に霞んでいきました。対して、こちらでは異界の遺産は持ち込みできません」
「あー、なるほど。完全に理解した」
俺は、腕を組みながら顛末を振り返った。
異世界転生体験プログラムを実施して、おそらく体験したのだろう。
きっと、俺TUEEEなチート主人公でも興じたはずだ。己の最強アピールをひけらかすために、現地人の知能レベルを下げたり、最強の種族は日本人だった件とかのたまったのかしら。俺が読んだなろう系はそんな感じである。
そして、紆余曲折を経て帰還した、と。
「いくらログを解析しても、なぜ離脱の道を選べたのか理解できません。あなたは異世界ライフに順応し、楽しんでいたはずなのに。間違いなく、主人公補正は機能していたのに」
手元のタブレットを操作しつつ、リンネは首を傾げるばかり。
俺は、やれやれとため息をこぼした。
おいおい、そんなことも分からないのか? お前、ギョウカイ神何年目だよ。
「んなもん、決まってる! だって、あの異世界! トイレがほんとに臭かったっ! 水回りが汚いとか最悪! あと、シンプルに食べ物がマズい! 口に合うのが野菜だけ! それも、味が薄くてすぐに苦痛になったぞ! ふざけんなっ! ……ん? あれ?」
気付いた時には、口が流暢に不満を漏らしていた。よほど印象に残っていたらしい。
俗に言う、たとえ記憶が消えたとしても、身体は覚えているというやつか。
あのさぁ、もうちょっと感動的な場面で発動してくれませんかね? しょぼんぬ。
「そのような低次元の理由で、ギョウカイ神の権能が打ち破られたと? 認めたくないものですね、人間の底なしのわがままは」
「異世界転生した主人公が最強になれる理由と比べれば、すこぶるリアリティーあるだろ。つまるところ、ホームシックにかかりましたってね」
「大原さん、<異世界転生>の適性を粗末に扱うべきではありませんっ」
リンネは一瞬表情を強張らせたものの、諭すような口調で。
「此度の機会は、現代の面倒な人間関係、煩わしい雑念から解放されるチャンスです。どの道、あなたには消滅の危機が迫っているのでしょう? 迷ったところで、心労が増すだけ。異世界転生の主人公に準ずれば、思い描いた人生が約束されています」
「……」
「消滅したくなければ、私と再契約するのが賢い選択です」
確かに、俺の致命的な課題は未だ解決していない。
もう一度異世界に赴けば解決する。転生は急げ。
さりとて、俺はわざわざ帰ってきた。
なぜ? 心残りでもあるのか? こちらを選んだ?
こちらとはすなわち、異世界転生ではなくラブコメ?
俺がラブコメをやるのは、業務委託契約を結んだから。
誰と? あの偉そうなくせにちょっと親切な女神だ。俺のギョウカイ神は、どこだ?
「フレイヤ! いつまで台湾カステラ食ってんだ! お前、クーリングオフ寸前だぞっ」
随分と久しぶりにその名を呼んだ気がする。
刹那、謎空間にヒビが入った。外側から光が漏れ出し、崩壊の兆しが生じていく。
ガラスが割れるように、謎空間の謎の部分がパリンッと砕け散った。
大原家のリビングに切り替わり、薄桃色のロングヘアーが俺の頬を撫でた。
「隆、冗談は顔だけにしなさい。大体、台湾カステラじゃなくて今日はトウファよ」
「台湾スイーツの種類なんて知らん。俺がJKトレンドを押さえてるわけなかろうに」
俺はごくごく普通な男子高校生ゆえ、トウファが固めた豆乳に好きなトッピングを乗せて、シロップやチョコレートを垂らしたスイーツとか全然知らねー。杏仁豆腐に似てるけど、トウファは牛乳を混ぜてないかもしれないぞ。
「今、どんな状況? って、聞こうと思ったけど一目で把握したわ」
フレイヤは、なぜか俺と肩を組んだ。ウェーイな陽キャコミュは苦手だうぇーい。
「リンネ。言いたいことは手短に。わたしの隆を勝手にスカウトしないでくれる? この落ちこぼれは、わたしが立派なラブコメ主人公に育てるわ」
フレイヤは、俺の育ての親だった? 確かに、年齢差を予想すれば――いや、よそう。
「別ジャンルに出しゃばるな、<異世界転生>のギョウカイ神」
「フレイヤ。相変わらず、身勝手な物言い。元々、大原さんはこちらの案件ですが? あなたこそ、別ジャンルの適性者に接触するのは越権行為です」
リンネはリビングのテーブルを陣取り、メガネのレンズを拭いていた。
「リンネが見捨てたから拾ったの! どうせ、異世界転生ブームが絶好調だからおざなりな扱いしたんでしょ。個人に興味がないくせに、わざわざ見捨てた主人公を再びスカウトなんてあんたらしくない」
「それが何か? 若干、イレギュラーは発生しました。しかし、それだけです。修正し、職務をこなして、文句を言われる筋合いはありません」
ごく自然の流れのように冷蔵庫を物色し、プリンを召し上がったリンネ。
それ、俺が楽しみに取っておいたおやつ! ギョウカイ神はタピオカでもキメてろ!
「リンネの目的、当ててあげる。ラブコメ潰し。ひいては、わたしへ嫌がらせでしょ」
フレイヤが、俺の頭をワシャワシャしながら。
「自分の不始末で別ジャンルに貢献されたら、担当ジャンルの人気が落ちるかもしれない。あんたはそれを恐れて、隆を引き戻そうと躍起になったってところかしら」
「……大原さんが適正なしにもかかわらず、<ラブコメ>ジャンルで通用したことは認めます。しかし、それはもはや杞憂に終わりました」
ニヤリと口角をつり上げた、リンネ。
「ふーん? リンネがそんなに感情を露わにするなんて珍しいわね。わたしが見張ってる中、どうやって隆を懐柔するつもり?」
「――彼はすでに、<いせチー無双ハーレム>プログラムを履修済みです」
「……っ!?」
フレイヤは、思わず腕に力が入ってしまう。
ちょ、うっかり首絞めないで!
「隆、それ本当なの!?」
「え? お、おうっ。強制的に体験させられたっぽいぞ」
「……っ! やられた!」
苦々しくリンネを睨んだ、フレイヤ。
つまり、どういうことだってばよ?
「以前にも言ったけど、別ジャンルの活動をすれば主人公としてブレるわけ。あなたは今、落ちこぼれのラブコメ主人公。なのに、異世界転生を体験したら本来の主人公像に引っ張られてしまう」
つまり、どういうことだってばよ?
「だから! 他所の主人公補正を行使した分、存在が不安定になるに決まってるでしょ! 隆がそもそも、ラブコメを頑張らなきゃいけない理由を忘れたの?」
存在証明ですね。ラブコメに、あやふやな魂を売りつけよう大作戦だった。
「えー、ナンダッテーッ!? 俺は罠にハメられたのか!」
あいつ、主人公として軸がブレてね? 何がやりたいか、さっぱり分からねーよな。
世間様に冷たい評価を下され、存在感が薄い主人公は本当に消えてしまう。
その証拠に、俺の両手はいつぞやと同じく透けていた。まだ感覚があるものの、いずれスケスケボディーになるのは間違いない。無価値の烙印に恐れおののくと。
「大原さんの猶予は、規定の期間より短くなりました。さあ、どうしますか?」
選択を委ねているように見えて、選択肢は一つに絞られていた。
異世界転生のギョウカイ神、流石ブームを起こした手腕である。
「リンネには渡さない。隆はわたしが必ず救ってみせる。助ける手段はいくらでもあるわ」
「フレイヤ、その自信は一体どこから来るのですか? しかし、それは叶いません」
フレイヤの視線を涼しげに受け流すや、リンネは勝ち誇ったように告げた。
「なにせ、前任者がバッドエンドを迎え、ラブコメ衰退の原因を作った戦犯なのですから」
「……っ!? あんた、どこで……」
「まさか、知ってるはずがないと? ゴシップに興味がない私にまで届いた醜聞です。一時期、ギョウ界のトレンドを飾っていました。各ジャンル、フレイヤみたいな失態だけは犯すな、と」
「ち、違うっ……わたしはそんなつもりじゃっ」
フレイヤは嫌な記憶を思い出したのか、表情を歪めたまま後ずさっていく。
明らかに動揺していた。精神攻撃が効いている。
フレイヤがなじられるのは気に食わなかった。イジメ、ダメ絶対。
俺がフォローを入れるか迷うと、心配する間に矛先が向いた。
「大原さんがラブコメ主人公を演じるのは、結局自分が可愛いから。消えたくないから、動機はそれだけ。ヒロインに罪悪感はありませんか? 悩みに共感し、協力を申し出る姿は全てブラフ。虚偽まみれの影に隠れ、人の心を弄ぶのは卑怯です」
「残念ながら、俺に精神攻撃は聞かないよ。意味があってもなくても、何となくディスられる。苦笑失笑は日常茶飯事だ。ギョウカイ神。侮られることに関して、侮るなよ」
全くかっこいいことは言っていないが、とりあえず顔だけキメてみた。
おい、リンネ! うわぁ~って、引くなよ! それでも、ぼくピュアハートゆえ!
「……大原さんは奇妙な人でした。ですが、彼女の方はどうでしょう?」
「ん?」
廊下を踏む音が聞こえた。
振り返る。
「あ、あああ、ああああああののののののっっっ! す、すすすすみまぁっ!」
杜若さんが、家政婦は見ただった。
言い直そう。あらやだ、とドアの陰から覗いていた。
俺は瞬時に判断する。
今日は特訓の日か? 自主練日だ。
もしや、人見知りの杜若さんが勇気を出して遊びに来た? あり得る。
男一人に女が二人、揉めている様子を市原悦子(動詞)。
ギョウカイ神の設定を知らず、騒動を断片的に目撃すればまるで三角関係の修羅場。痴情のもつれ。切ったはったの殺傷沙汰。これには市原悦子(名詞)もご満悦。
「し、ししし、失礼、しませっ」
するのかしないのか、紛らわしい。
「ちょ、ま」
静止も聞かず、杜若さんは真っ青な表情で脱兎のごとく逃げ出してしまった。
追いかけようと廊下へ出れば、ガチャンと扉が閉まった。
「大原さん、返事は明日聞きます。あなたが消滅していなければの話ですが」
そう言い残し、リンネもまた行方をくらました。
「ったく、散々メチャクチャにしやがって。あいつ、別ジャンルの妨害手慣れてやがる」
流石、エンタメギョウ界。人気があれば、何でも許される世界である。
俺はもはや、土俵際に追い詰められている。万事休す。万策尽きた。
――わけもなく、まだ巻き返せると思っている。
野球だって、九回からが本番だろ? え、それじゃ毎回一イニングでよくね? 中継が延長して、録画してたアニメが――以下略。
とにかく、<異世界転生>のギョウカイ神にギャフンと言わせるためには、<ラブコメ>のギョウカイ神のモチベーション次第なのだが。
「……あれはわたしが……わたしのせいで……」
フレイヤは背中を丸め、ソファで膝を抱えていた。
「フレイヤ。俺は育てる奴が凹んでる場合かよ。まぁ、ピンチはチャンス。チャンスはチャンス。劣勢をひっくり返す作戦を詰めるから、それまでには元気出してくれ」
「……」
やれやれ、土壇場こそ落ちこぼれを先導したまえ。プロ根性を見せなさい。
沈黙が流れ、チクタクと秒針が時を刻んでいく。
ぐぅ~と腹の虫が空腹を告げた。まともなご飯が食べたい。
否、フレイヤがこの調子じゃランチはカップ麺か冷食かしら。
ヒロインの誤解を解く前に、俺はフレイヤの過去の因縁に触れなければならない。
トラウマにかまけてる猶予は少ない。手加減なしだ。速攻で乗り越えろ。
頼むぞ、相棒。
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