第24話 謎空間、再び

 いつもの調子で自宅のドアを開けた。

 玄関で靴を脱ぎ、廊下を進む――


「……?」


 段差がなかった。不意に、この前練習したズッコケを披露してしまう。

 周囲を見渡すや、真っ白な空間。今しがた通ったドアが消えている。


「……何、だと……?」


 謎空間。

 そこは、以前迷い込んだあの面接会場だった。


「どうぞ。座ってください」


 声が聞こえた。

 銀髪の三つ編み美人が座っている。

 いや、正しくは。


「<異世界転生>のギョウカイ神か」

「大原さん、お疲れ様です」


 ギョウカイ神はこくりと首肯した。


「あなたは、異世界転生の手続きが完了していません。早急に回答を済ませてください」

「その話は、転生先の主人公が飽和して無理って聞いたけど」

「派遣枠は拡張すれば問題ありません」


 ギョウカイ神は、淡々と答えた。

 まさか、三匹目のドジョウ狙いで異世界を増やしたのか。エンタメギョウ界は、ブームが起これば無理を押し通せるらしい。流石、人気商売。それとも、単に欠員が出たのか。


「俺、もうラブコメ主人公やることになったし、異世界転生できないだろ。業務委託契約したぞ?」

「どちらのギョウカイ神ですか?」

「フレイヤっていう、偉そうなわりにちょっと親切な<ラブコメ>のギョウカイ神」

「フレイヤッ!」


 銀髪の三つ編みさんは、バンッとデスクを叩いて立ち上がった。


「……失礼しました。知ってる名前だったので、つい」

「お、おう」


 ギョウカイ神はメガネの位置をクイっと直すや、高揚感を静めていく。コホンと咳払い。


「大原さん、異世界転生を強く推奨します。異世界転生の適性はあるので、消滅の危機など即刻解消されます。正規の主人公補正が適用され、活躍は約束されたも同然。ファンタジーの冒険譚に比べれば、ラブコメなど児戯に等しいでしょう」


 いつの間にか、プロジェクターとスクリーンが用意され、パワポ資料が映し出された。

 異世界転生とは、全米が泣いたり、顧客満足度98%だったり、人気ジャンル三年連続1位らしい。


 就活説明会よろしく、俺はメモを取るような気持ちで聞いていた。

 ――否。


 立派なプレゼンであるものの、俺は首をかしげた。一度ぞんざいに扱われ、命の花を散らす危機だったのだ。怪訝な表情にもなろう。

 妙に契約を急かした態度に対して、生命保険の不正販売のニュースが脳裏を過った。


 ノルマのためならば、顧客を騙して当然。契約数こそ正義。そんなスタンスが透け透けでやんす。


「とてもむつかしい話なので、家に帰ってお母さんに相談してみます」


 目下、母親はシンガポールのカジノで遊興キメてるけどな。夜はホテルのビーチでエステサロン? ババア、ふざけろ!


「大原さん。決断は、可及的速やかに。あなたの猶予は残り少ないはず。のんびり構えてる暇はないと思いますが?」


 異世界転生のギョウカイ神が、俺のウィークポイントを突いてきた。

 確かに、事実である。

 残り時間はあと三日。ラブコメ主人公として実績を作るには心許ない日数だ。


「では、決めあぐねている大原さんにここだけの良い話があります」


 コホンッと、ギョウカイ神が咳払い。


「ここだけの良い話?」


 古今東西、良い話と言われて本当に良い話はうんぬんかんぬん。


「特別サービスとして、<いせチー無双ハーレム>体験プログラムを実施します」

「いせチー無双ハーレムと言ったら、異世界転生とセットのやつ?」


 いわゆる、なろう系。現代知識でマウント取ればいいのかしら?

 知ってるか。レモン一個に含まれるビタミンCはレモン一個分だぜ、とか?

 ちなみに、レモンはビタミンCの代表例で語られるが含有量少なめだ。

 小学校で習う知識をどや顔でひけらかすのは恥ずかしいと思いました。


「私が担当するジャンルの一端でも知れば、あなたは即決できます」

「うーん。じゃあ、フレイヤに相談してみる。セカンド・ギョウカイ神で」


 先述したが、母親はリゾート気分で忙しいゆえ。


「な……っ!」


 銀髪の三つ編みさんは、なぜか美しい顔を歪ませる。

 フレイヤと、何か因縁でもあるのか。その辺は推し量れない。

 関係性を聞こうとした直前、先方は小刻みに震え上がるや。


「いえ、いえいえいえ! せっかちなお客様のため、<いせチー無双ハーレム>プログラムはすでに準備完了。えぇ、遠慮は不要です」


 ギョウカイ神がデスク上のタブレットを操作した。

 すると、俺の足元に魔法陣的な光が漏れ出した。危険なサムシングを感じて脱出を図ったものの、見えない壁に阻まれる。ドンドンッ、ここ開けてぇーっ!


「逃げる必要はありません。お試しコースの体験は無料ですから」


 タダより高い物はない。どうせ、毎日メルマガ送ってくるんでしょ。


「目の前の顧客を死んでも離さない。当社の基本理念です」

「広告企業の鬼みたいな規則だな」


 大企業は憧れるけど、文字通り仕事で忙殺されたくないなあ。社畜の一生、刹那の一命。

 俺が高校生らしく、将来への漠然とした暗澹たる不安を抱いたタイミングにて。


「体験プログラム――実行」

「ちょ、待っ!?」


 光の奔流が溢れ出し、俺の視界はグルグル回っていく。

 洗濯機に揉みくちゃにされる洗濯物たちの気持ちが分かった。今なら、あいつらと分かり合える。人は、本当の意味で他者(洗濯物)と相互理解し合えるんだな。


 ちょっと感動モンですわ。これ。

 ……今度、高い洗剤使ってやる。大盤振る舞いさ、柔軟剤も付けてやるよ。

とは言え、最新の洗濯機を買う余裕はないがな。


 フタの裏にこびり付いたカビを思い出しながら、俺は光の渦に飲み込まれていった。

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