第3話 転校生

《一章》

 何事もなく、二学期が始まった。

 セミがしぶとくミンミンうるさい。

 残暑もしぶとくダラダラ汗が止まらない。


 俺が通う杉野高校は、住宅に囲まれたごくごく普通な埼玉県立校。近所に自称ハイブリッドレジャーランドなる遊園地兼動物公園を要する以外、特筆すべき点がない。ホワイトタイガーは一見の価値あり。


 9月1日はどうしても、足取りが重い。

 夏休み期間だったら、まだ寝ている時間に起床し、朝食を済ませ、身支度を整え、電車に乗り、通学路を歩み、校門をくぐる。これでようやく8時半っ!?


 おいおい、やること多すぎじゃね? 時代は、マルチタスクな人材を欲しているのか?


 仕事は教えないよ、面倒事押し付けるね、うちみなし残業だから。

 人手不足につき、即戦力募集中! ガンガン採用していきます!

 ……は? 冗談は人事の態度だけにしてくれ。

 将来、就職する時のことを憂いた折、俺は懸案事項を思い出した。


「俺、確かにトラックに轢かれたよな……あのくだりはどうなった?」


 先日、ギョウカイ神と名乗る連中と遭遇し、なんやかんやラブコメ主人公に任命されて業務委託契約を結んだはずだ。いや、フレイヤが代筆したゆえ無効かもしれない。


 ハッと意識を取り戻すや、俺はベッドで横になっていた。

 もしや、夢オチかしら? 夢オチだよ! 夢オチじゃん!


 フロイト先生に診断してもらえば、きっと「変身願望が強いですなあチミィ」とプークスクスされるだろう。いや、できるなら異世界転生したいでしょ。あと、普通にモテたい。


 ――俺は、やれやれと肩をすくめた。

 残滓漂う妄想と決別し、校舎へ入った。

 下駄箱で靴を履き替えると、カツカツと小気味良いリズムが響いた。

 クラスメイトと久しぶりの再会だ。俺は徐に振り返る。


「はよっす。元気し――っ!?」


 言い終えず、身体が硬直した。


「……」


 女子生徒は、ギロリと眼光一閃。

 圧力がダンチだ。何と比較して段違いなのか分からんが、とにかくダンチである。


「ふぁぁあああ~~っっ!?」


 ヘビに睨まれたカエルよろしく、俺はただただ立ち竦んでしまう。

 野生の本能的なサムシングが、ヤラなくてもヤラれるぞと警告していた。

 萎縮しながら下駄箱に張り付き、道を開けた。


「か、杜若さんっ! ど、どどどどうぜ、お先にお通りになってくだせぇ!」


 フッ。噛んじゃったり、語尾がおかしいのは緊張さ。


「……っ!」


 有象無象を寄せ付けないオーラが生じ、杜若さんはスタスタとこの場を後にした。


「……ふぅ……た、助かったぁ~」


 思わず脱力し、俺は背中から滑り落ちていく。

 杜若皐月と言えば、杉野高校の美人筆頭。

 端正な顔立ち。艶やかな黒髪が美しく、脚の長さは誰もが振り返ってしまうほど。


 しかし、杜若さんの最大の特徴は類稀なる眼力なりや。

 彼女の冷たい眼差しは、邪心を向ける不届き者を射殺す鋭利な凶器。

 孤高なる氷雪の姫。専らの評判だ。


 俺は紳士ゆえ、杜若さんが履くストッキングは70デニールが良い塩梅なんて全く以って微塵も全然思っていない。でも、射殺された気がする。ナンデカナー。

 正直、こんな無個性な高校に通っているのはおかしい。考査も常に上位らしいね。


 気持ちを切り替え、平和に過ごしたい今日この頃。

 どうにか無事に、2年1組の教室へ到着。クラスメイツは疎らだった。


 軽い挨拶を交わし、俺は窓際から二列目最後尾の机へ向かった。おぉ、親愛なるマイデスク。お前のこと、夏季休暇初日まで忘れなかったぜ。

 学校生活の相棒にまたよろしくなと呟き、俺がイスを引いたちょうどその時。


「うざ」


 机が喋った!

 ではなくて、隣の席から発せられた声に反応する。


「新学期早々、初手ウザいやめなさい。朝の挨拶として、これほど悲しい言葉はないぞ」

「ふん」


 俺が大人の対応をしてやると、隣の席の藤原がそっぽを向いた。

 ったく、反抗期で思春期かよ! 俺の中二時代そっくりだ。

 女子にそんな態度取られたら、寝る時滂沱の涙で枕が濡れるじゃない。ぐすん。


「藤原って、いつも遅刻ギリギリに来てなかったか? イメチェン? 二学期デビュー?」

「あん? いつもあたしを見てるわけ?」

「お、おう。すいません……」


 俺は、白旗を上げた。

 藤原渚と言えば、学年で結構人気があるらしいサバサバ系女子。


 茶色がかったボブカットはゆるフワパーマとやらを当てて、着崩したブレザーと短いスカートを纏って校則と真っ向勝負をしている。不服そうな、ムッとした表情がデフォだが、気まぐれなネコちゃんだと考えれば、可愛げがなくもない。


「変顔向けないで。控えめに言って、きも」

「元々こんな顔だよ!」


 訂正。

 ――なくもなくもない。

 朝っぱらから、俺のピュアハートが傷ついた。人間の悪意に苛まれ、あぁやはり学校とは社会の縮図だなーと悟りました。


「あんた、夏休みどっか行った?」

「いや、特に」

「寂しい奴。あたし、ハワイ行ったけど? ワイキキビーチ、綺麗だったけど?」


 藤原、ドヤ顔で語る。


「ぐぬぬ……何が海外だ! こちとら、異世界に行く予定だったぞっ」

「は? 異世界?」


 マウントを取られたので、ついポロリした。

 藤原は苦笑しつつ、朗らかな表情で俺に話しかけた。


「大原。現実と妄想は区別しなさい。もう高校生なんだから、物事を分別できないのは、恥ずかしいって思わない?」

「――っ!」


 あれれ~、おかしいな? ぼく、嘘ついてないのに同情されちゃったぞ?

 バーローッ! 謎空間があったんだ、ならば異世界もある! 

 たった一つの真実を巡るように説明したいが、俺は名探偵にあらず。腕時計に麻酔銃が仕込んであれば、推理を披露するところだったが。


 閑話休題。

 チャイムと同時に、担任がドアを開け放った。


「お前ら、さっさと席に着け! 早くしろ!」


 ジャージ姿のオジサン・渡邊教諭ががなり立てた。

 グループを作っていた級友たちは自分の席に戻っていく。


「全員いるなー。いない奴は、手を挙げろー」


 相変わらず、テキトーな出席だった。

 先生も一学期とお変わりなく、ご壮健な様子で。


「この後、すぐ始業式なんだが……その前に、良いニュースがある。何だと思う?」


 教卓によっこらしょと寄りかかった、田中教諭。


「はい! 嫁に内緒でやってる、先生の植毛がついに成功した!」

「んなわけねーだろ! 先生の頭見てみろ! 叩けば、ペチペチ言いそうじゃねーかっ」


 ツルルン。

 ハハハハ!


「知久と西田。休暇明けテスト、マイナス10点スタート」

「「……」」


 HAHAHAHA!

 2年1組は、和気あいあいとした笑顔溢れるクラスです。


「喜べ、お前ら。美人転校生だ。入って来い」


 前方のドアが開き、煌びやかな様相が現れた。

 美人転校生とやらに、皆の視線が一斉に注がれる。

 時が止まったかのごとく、静まり返った。


「まずは、自己紹介」


「……大原フレイヤ。仕事の都合で、スウェーデンから日本の田舎に都落ちしたわ。平凡な男子たち、見所があればわたしが仲良くしてあげる。でも、ナンパは面倒だしやめてちょうだい。日本の女子は可愛いから好きよ。怖がらないで構ってね」


 転校生はやけに堂々と、自信ありげに薄桃色のロングヘアーを――


「あぁぁあああーーっっ! お、お前はぁぁあああっ!? あの時のっ!」


 図らずも、テンプレなセリフを吐いてしまった。


「隆、ほんとオーバーリアクションね。自演ってやつ?」


 フレイヤとバッチリ目が合い、手を振られてしまう。

 それは悪手である。どんな関係か勘繰られちまう。

 謎の美人転校生と、いち早くお近づきになったと知られちゃマズいですよ!


「どういうことだよ、大原!」

「なんで、お前があんな美少女と知り合いなのさ!」

「大原のくせに生意気だぞ」


 ほらね。

 せやで? せやろ?

 センセーショナルなイベントゆえ、野次馬が騒ぎ始めた。


「タカシン! 非モテ同盟を脱退すると言うのかね?」

「――汝、如何なる時も抜け駆けを禁ずる。条約違反は粛清じゃん!」

「裏切り者を縛れ! 吊るし晒せ!」


 加須くん……俺、非モテ同盟に加入してたん? タカシンなるあだ名も初耳だ。


(……あいつ……ヤろう……ヤらねば……リア充は、処せ……)


 怨嗟と哀愁のアイコンタクトが、教室中を駆け巡った。

 非モテネットワーク、構築中。彼女のいない男子限定のフリーWi-Fiですっ!


 度重なるプレッシャーを受けたものの、俺はここまでノーコメントを貫いた。

 弁解ほど、誤解され、曲解されるだろう。今こそ、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぼう。


「お前ら、うるせーぞ。騒ぐな。喚くな」


 先生は、面倒くさそうに教卓を叩いた。


「せんせー、騒ぎの原因は大原君でーす。彼が仲間を裏切って、転校生にちょっかい出したからでーす」

「彼奴が友情を否定しなければ、僕たちは共に青春を謳歌できたというのにッ」

「見損なったぞ、タカシン! 尊敬できる要素が、あったらの話だけどっ」


 おっと、加須くん。君が一番の敵だね。

 手始めに、君がいつも持ってきてるラノベ、黒板に並べておくよ。


「ところでさ。うち、フレイヤちゃんの苗字が気になるみたいなー」


 クラスのムードメーカー内山さんが、極めてまともな疑問を口にした。

 うちも気になってたんよ!

 でも外野がうるさくて、ツッコミのタイミングを逃したみたいな?


「苗字……?」


 フレイヤ、自分で名乗ったでしょ。キョトン顔やめぃ。


「わたしと隆は遠い親戚なのよ。だから、大原フレイヤであってるわ」


 いろいろ間違っているが、つまりそういう設定らしい。把握。


「うっそー!? マジ、隆っちと親戚なん? それ、パナくない? ウケるぅ~」


 ウケないことほど、女子はウケるとのたまう。つまり、女子は総じて嘘つきだ。


「なんだ、親戚か」

「執行猶予は付けてやるぜ」

「命拾いしたじゃないか、タカシン」

「さいで」


 俺は、柔和なスマイルで受け流した。

 ただし、加須。テメーはダメだ。


「転校生。席は、大原の隣でいいな? 先生は説明がとても面倒くさい。何か困ったら、全部大原に聞くように」


 職務放棄、やめろ。


「えぇ、問題ないわ」


 フレイヤがこくりと頷き、ランウェイを闊歩するモデルのごとき優雅さを携えた。級友たちの羨望の眼差しを浴びてなお、全く気にした様子を見せず俺の机に体重を預けた。

 フレイヤは、俺の顔を覗き込むようにグッと綺麗な顔を近づけて。


「よろしく、隆。親戚のよしみで」

「親戚のよしみで」


 親戚の概念について思考するものの、ギョウカイ神は親戚に入らないと思いました。

 俺は、ため息をこぼした。

 本日、トラックに轢かれた後のくだりが続くらしい。やれやれですよ。


「ところで、大原って凡庸な雰囲気漂う苗字ね。もう少し、わたしに相応しいファミリーネームを用意してくれない?」


 全国の大原さんに謝れっ!

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