第2話 謎空間

 目が覚めると、真っ白な空間にいた。

 ドアも窓もない、部屋とは言いがたい変な場所。


「あれ? トラックにぶつかって……?」


 全身をくまなく触り、五体満足を確認する。異常なまでに、異常なし。

 確かに、トラックの運動エネルギーを全身で味わったはずなのだが。

 状況確認。俺、なぜかイスに座ってる。


 間隔を開けて、テーブルが置いてあった。

 こちらの様子を退屈そうに眺める見知らぬ人、あり。

 ここ、面接会場かしら?


「大原隆さん。どこにでもいるようなごくごく普通な、高校二年生。日本での享年17。トラックに轢かれて死亡」


 銀髪を三つ編みにまとめたメガネの美人は、淡々と資料を読み上げる。


「やっぱり……」


 当然、夢じゃなかった。命を落とすような行動をした結果である。

 けれど、現実味がないんだよな~。あ、死んでるもんね!

 おかしな状況に飲み込まれまいと、冗談一つ。

 死んだはずなのに、どうして意識がある? 頬を抓れば、ちゃんと痛かった。


「大原さん。あなたには、二つの選択肢があります」

「二つ?」


 初対面ながら、人ならざる気配をまとった女性を観察する。

 妙に、既視感を覚えた。

 俺は、こんなシーンを知っている。何度も目撃した、気がする。


 どこで、見た?

 いや……読んだ?


「一つ目は、大人しく天に召されること。魂は循環します。またいずれ、運が良ければ人間になれるでしょう。二つ目、それはギョウカイ神と契約すること。<異世界転生>の適性を持つあなたに、主人公補正を宿し――」

「これ、知ってる! 導入部分のやつだ!」


 俺は思わず立ち上がり、叫んでいた。

 トラックに轢かれた後、異世界転生を打診されるパターン。

 昨今目撃するのが珍しくなった、往年のなろうイズム。


「なるほど、どうりで謎空間にいるわけだ」


 大原隆は全てを察した。

 わけでもないが、この先の展開は大体読める。

 どうせ、中世ヨーロッパ風RPGチックな異世界に転生するんでしょ?


 冒険者ギルドで、「適性値SSSランクっ!? こんなステータス、一体どうやって!?」とかオーバーリアクションされるのだろう。受付の人、毎回転生者相手だと疲れますね。


 圧倒的センスゆえ計測器のメーターを振り切ってしまうが、センスが誤作動を起こすレベルで微弱だとFランク扱いされるまでがテンプレ。

 昨日読んだ、『俺YOEEEとFランク判定されたので、ラストダンジョン手前でソロキャンしながらDIYで営みます。』的なストーリーを連想していた。


 まぁ、ストーリーと称しても中身はスカスカ……もとい、疲れたサラリーマンが頭を使わないで済む感じだったが。クラフトスキルで作業工程オールスキップとか、こマ?


「妄想垂れ流しの最中、申し訳ありませんが、残念なお知らせがあります」


 メガネの美人が冷めた表情で、浮れた俺を眺めている。


「え、声に出てたん? やだ、恥ずかしっ」


 スタンッと着席するや、俺は姿勢を正した。

 異世界行の合否がかかった最終面接である。一応、真面目に聞こう。


「それで、残念なお知らせとは?」

「最近、<異世界転生>は人気ジャンルです。私が担当する異世界にもすでに、40人は日本人を転生させています」

「へー。実質、勇者が40人いるようなものでは? 魔王が可哀想だ」


 転生したチート能力者が総じて勇者になるわけではない。だが、侵略側のパワー不足で人類存亡の危機が冗談に聞こえる。

 空気の読める俺は、やはりラスダン手前でスローライフを営もう。


口癖は、「大丈夫っ、これ専守防衛だから! 襲って来たモンスターを偶然倒して、Sランクの素材ゲットだぜ!」そりゃ、ラスダン前だからなあ。


「ははーん。分かった。後発組は、あまり活躍出来ないってことだな。今、魔王様が泣きながら抵抗してる辺り?」

「いいえ。魔王退治に熱心な転生者は少ないので、情勢はほとんど拮抗しています」

「んー、他に予想がつかないな。教えてください」


 降参のポーズを取ると、メガネの女性は淡々とした口調で。


「――結論から言えば、あなたは異世界転生できません」

「――え?」

「私が管轄する異世界は、どこも主人公が飽和状態です。振り分けようにも、転生先がありません。先日の統計によると、<異世界転生>ブームのピークは超えました。目下、新人採用より、ベテラン主人公の早期退職を促すリストラ計画が進んでいます」

「……何、だと……?」


 突如、右ストレートをぶち込まれた衝撃だった。

 トラックに轢かれた、俺氏。異世界転生を断られた件について。

 俺の物語は……始まらない?

 おいおい、嘘だろ? こちとら、完全にいせチー無双の気分になってるぞ?


「俺、また何かやっちゃいました?」


 ――まだ、何もやってない。リアルガチで。


「せや! 他の人が担当する異世界はないんですかっ!?」

「トラックに轢かれた人と、面接したギョウカイ神が担当するルールですので」


 漫画の持ち込みみたいなノリ、やめろ。

 その後、あれこれ異世界転生させてもらう提案をしたが、全て却下された。

 俺のプレゼンが弱いのかもしれないものの、先方の既定路線な態度が主な要因だ。


 前例がないからダメ? 活躍するかどうか分からない? あんたの肩書、編集者様かよ。

 リンゴーン、リンゴーン。

 どこからともなく、鐘の音が鳴り響いた。


「終業の合図です。では、失礼します」


 三つ編みの人がペコリと頭を下げ、席を立った。


「ちょ、ちょちょちょ! ちょ、待てよっ! 俺の異世界転生はどうなった?」

「受付は終了しました。エンタメギョウ界は働き方改革の一環で残業禁止です」

「あんた、神様的なサムシングだろ!? 積極的に、迷える魂を救いたまえ」

「残念ですが、定時上がり厳守ですので。またのご来訪をお待ちしています」


 迷惑な客に絡まれたと、被害者面の女性がため息をこぼす。


「……お疲れさまでした」


 俺が詰め寄った矢先、女性の姿がプツンと消え去ってしまう。


「っ!? おい、どこ行った! 戻ってこーいっ」


 問いかけに応えてくれる者は誰もいなかった。

 謎空間に一人取り残され、俺はテーブルに腰を下ろした。

 呼吸がうるさく思うほど、静寂に支配されている。

 俺は、トラックに轢かれ、異世界転生し、いせチー無双する、はずだった。


「どうしてこうなった?」


 もちろん、あの銀髪女史が原因である。

 事務的な態度、お役所仕事な対応。

 挙句の果て、残業拒否で手続きの放棄。

 ふざけろっ! 主人公が飽和しているから無理、だって?


 じゃあ、俺が謎空間に招待されるわけねーだろ! 問答無用でお陀仏コースじゃ!

 沸々と怒りが沸き上がると同時、身体に変調をきたしていた。


「な、なんじゃこりゃぁぁあああ!?」


 手のひらを太陽に透かすまでもなく、手のひらが透けていた。

 真っ赤に流れるぼくの血潮はどこかしら?

 指先から腕に向かって、ゆっくり透けていく。

 俺は慌てふためいたものの、一周回って冷静になった。


「フッ、お笑い種だ。俺は異世界転生できなかった奴として、歴史に名を残すのか。何者にもなれず、あとは消滅を待つのみさ」


 誰もいないゆえ、気取って独白してみた。


「そうね。あなた、このままだと成仏しちゃうわ。ナンマイダー」

「ふぁっ!?」


 突然、耳元で甘い声が囁かれ、俺は背筋をピンと飛び跳ねた。


「だ、誰ですたい! おたく、なまらナニモンやで!?」


 行ったことがない地方の方言が出るくらい、動揺しちゃったばい。

 距離を置いて、相手を確認する。


 薄桃色のロングヘアーをなびかせ、シンプルなワンピース姿の女性。切れ長のまつ毛の下、大きな金色の瞳がこちらに興味を示していた。スカート丈からすらりと伸びた太ももが眩しく、雪のように真っ白な肌が発光しているのかと錯覚に陥ってしまう。


「わたしは、フレイヤ。<ラブコメ>を司るギョウカイ神よ」

「あ、大原隆です。享年17です」

「知ってるわ。トラックに轢かれて、死んだのよね?」

「いやー、うっかり。まさか、コロッと逝くなんて思ってませんでしたよ。ハハハ」


 フレイヤさんとやらに着席を促され、当人も担当者不在の空席に座った。


「って、ちょ待てよ! 世間話してる場合じゃないっ。身体、消えかかってるから! そもそも、ギョウカイ神とは如何に? <異世界転生>とか<ラブコメ>、ジャンル毎に仕切ってる奴らがいるのか? エンタメギョウ界からやって来て、主人公を活躍させることが仕事ってわけか? どうなんだ、全然分かんねーぞ!」


「……あなた、凄い理解力ね。大体、合ってる。説明の手間が省けて助かった」


 フレイヤさんが目を丸くするや、パチパチ拍手を送った。


「どちら様か知らないけどさ、わざわざ現れたってことは俺を助けてくれるのか?」

「どちら様とは心外ね。大原隆くん、今生の別れを見届けた相手に対して」

「ん?」


 <ラブコメ>のギョウカイ神がニコっと微笑んだ。文句なしに可愛い。

 刹那、俺がトラックに轢かれた光景がフラッシュバックした。

 最後に視界に映ったのは、薄桃色の髪――


「あぁぁああああーーっ!? 歩道の真ん中で突っ立ってた、自殺ムーブの人!」

「別に、自殺願望は持ってないわ。そもそも、ギョウカイ神は物理現象で死なないでしょ。まぁ、トラックに轢かれたら結構痛いけど」


 そんなの常識でしょ、とギョウカイ神は豪語した。

 んなもん、知らんがな。


「あんたのせいで、俺はここにいるんだぞ。異世界転生という第二の人生も絶たれた今、あんた責任を取りたまえ! どうにかしろ!」


「あら、わたしは助けてほしいなんて一度でも懇願したかしら? あなたが勝手にトラックに突っ込んだ結果、呆気なく死んだように見えたのは気のせい? ちっぽけな正義感を振りかざし、愚かな結末を遂げたと悔い改めなさい。勇気と無謀は、交わらないものね」


 フレイヤさんが、興味なさげに頬杖を突いた。

 直帰したメガネのギョウカイ神と違うタイプでやる気がなさそう。

 ギョウカイ神(結局、何者?)に期待するだけ無駄だ。疲れるし、余生は穏やかに。

 俺は真っ白に燃え尽きたかのように、首をぐったり傾けてしまう。


 いつの間にやら、両腕が透け通り、下半身はスケスケボディ。

 消滅まで、3分くらいと悟った。


「――けれど、隆がわたしを助けようと必死に行動した。それは十分伝わったわ。だから、あなたを助けに来てあげたの」

「へー。でも、<異世界転生>は大人気で配属先がないって話だろ」

「問題ないわ。言ったでしょ。わたしは、<ラブコメ>を司るギョウカイ神だって」


 えへんと胸を張った、フレイヤさん。

 俺は紳士ゆえ女性の胸に慧眼を向けたりしないが、たわわに揺れていた。


「大原隆くん。ラブコメ主人公になりなさい。<ラブコメ>ジャンルは、転生ブームの余波で深刻な主人公不足に陥っているの。いわゆる、若者のラブコメ離れってやつね。嘆かわしくも、由々しき事態じゃない?」


 特に、嘆かわしくも由々しき事態じゃない。どうせ、原因は担当者の怠慢だろ。


「主人公には適性が必要だけど、そこはちょ~っとだけ誤魔化してあげる。いや、いいのっ。そんな褒めないで! わたし、サービス精神旺盛だから!」

「さいで……」


 フレイヤさんが一人芝居に興じて、俺はどうしようもなく不安を覚えた。

 このギョウカイ神、多分ダメな部類では?


「あなたは消滅の危機を脱するため、わたしはラブコメ主人公を選任しないといけない。お互い、ウィンウィンの関係ね」


「……何を企んでる? 見かけ上、ウィンウィンかもしれない。でも、わざわざ俺を選ぶ理由が明確じゃない。<異世界転生>の俺が<ラブコメ>に鞍替えする。おそらく、そっちは適正が低いはずだ。担当するの、割に合わなくないか?」


「察しが良いわね。明確な理由ねぇ……」


 フレイヤさんはう~んと唸り、何食わぬ顔で言った。


「そんなの、隆が気に入ったからよ。理由なんて他にないでしょ」


 ――気に入ったから。

 飾り気のないその一言が、純粋に嬉しかった。

 助けたことに後悔がなくなった、そう思った。


「分かった。ラブコメ主人公でも何でも、やるぜ。あんたを信じてみる」

「そうね。わたしも、あなたを信じてみるわ。隆に感じたもの、輝かせてあげる」


 フレイヤさんがこちらに近づくや、手元に一枚のプリントを出現させた。


「これは?」

「業務委託契約書」


 内容を覗けば、甲が乙にどうたらー。

 おい、全然読めねーぞ。日本語で書けよっ!


「要するに、わたしが監督の下、隆はラブコメ主人公として日々研鑽を積む。以上」

「あー、なるほど。完全に理解した」

「異世界転生の梯子を外されたあなたは、新たな役割を得て、己の存在証明を果たせるわ。しばらく、よろしくね」


 フレイヤさんがニコっと笑い、業務委託契約書を手渡してきた。

 否。

 この瞬間、俺は重要な事態に気付いた。そりゃもう、大変な状況に。


「――しまったっ! 俺、両手がもう透けちゃってサインできないぞ!?」


 するりするりと、文字通り空を切った。


「ふ、フレイヤ! ど、どどどどうしよう!? 多分、首の下まで消えかかってる……」


 ほぼ初対面の美人を呼び捨てにできるくらい、マジで焦っていた。

 ギョウカイ神、不思議パワーで憐れな魂を救いたまえ!


「……それは、想定外ね……どうしましょう?」


 フレイヤ、目を伏せる。

 期待した俺がバカでした。信じる者は、愚か者。

 シャラララーン。

 そんな音が足元から聞こえる。


「あ、やべ。ちょ、おまっ、こんな地味な消滅いやだぁぁあああアアアァァァ――ッッ!」


 俺はここにいるぞ! そんな気持ちで吠えた。

 おい、ラブコメの女神。急に静かじゃないの。

 いやさ。

 黙とう、やめろ!

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