第6話 新たな土地は前途多難 (2)

 足腰の筋力低下が原因で入浴が難しい人、認知症で家族の介護負担を少しでも軽くすることを目的とした人、社会的交流を目的にデイサービスを利用する人…。


 マグノリアは一体どれに当てはまるのだろうか。認知症と言っていたから、一人で着替えができないのだろうか。でも、神はどうやってこの生活環境を整えられたのかは謎だが。


「えっと、生活(たつき)市か。」


 魔女は唯一神の手書きメモを見ながら、家の位置を確認する。するとメモに書かれた住所が光だし、魔女の目の前に魔法陣が展開する。


「準備ができたらここに乗れ、と言うことかの。」


 そう言いながら、魔女はフクを肩に乗せ直す。


「さあーて、ご老体に鞭打って久々に働こうかね。」


「うふふ、お付き合いいたしますわ。」


 魔女とフクはお互いを見合って、楽しげに魔法陣へと飛び込んだのだった。



「まあ、私の蝶たくさん殺しているぐらいだから、ちゃんと情報はいったでしょ。」


 魔女の使い魔オオコウモリのティーの対応に疲れ切った神がため息混じりに言った。神の伝達ミスで伝達もれが発生したのだ。そりゃ、連絡蝶に八つ当たりされても仕方ない。

 

「さてさて、魔女さんは制約をどう守り掻い潜っていくのかしらね。」


 水鏡から魔女の行動を見ながらそれを肴に晩酌をはじめたのだった。



――バリバリバリッ!!

――ドーンッ!!


 現在の日本の天候は大雨で雷が多発していた。時期は春を少し入った頃。魔女の目の前にある満開の枝垂れ桜が雨風で吹き飛ばされ、花びらがあたり一帯に落ちている。今日は春の嵐が「生活(たつき)市」に到来しているようだ。


「うわ、雨がすごい。目の前の家に入ろう。」


 そう言って魔女はフクと一緒に神が準備した家に入るが、隙間風・雨漏りし放題のオンボロ一軒家だった。近くにあったバケツなどを使って雨漏りを凌ごうとするが数が全く足りない。


「魔法が使えれば。」


とフクが言うと魔女は使い魔の一言で閃いた。


「ああ、その手があったか。」


 そう言いながら魔女は家の中に術式を施していく。フクは来て早々に魔法を使おうとしている魔女にヒヤヒヤしているが、彼女のことだ。きっと何かに気づいたのかも知れない。


「フク、外にこの用紙を貼ってきておくれ。どこでも良いから。」


「はい主様。」


 フクは自慢の翼と嘴を使って野外に出る。風が強い中、彼女は風向きなどを読み難なく作業を 

遂行していく。野外の壁面に開いた小さな穴を見つけると壁と壁の隙間に入れ込むように魔女から渡された用紙を入れた。


「フク、戻っておいで。」


 家の中からフクを呼び戻す。体についた雨を振り払い、フクは定位置の魔女の肩へと飛び乗った。


「魔法は使えないが、魔術を使うなとは制約にはなかっただろう?」


 フクは先ほどの作業は魔術陣を効率よく動かす為の魔力札だったのかと納得する。


「神との制約を守りすぎても面白くない。うまくやれば良い。うまくやれば。」


 魔女は少女が悪さをするように楽しげに話している。その表情を見たフクは安心して目を瞑っていた。それに何かあれば私が主様を攻撃した奴らを懲らしめれば良い。

 そう考えたらフクは内心楽になっていた。


「ではいくぞ。」


 そんなこと全く考えていない魔女は魔術陣に一滴の血を垂らす。詠唱不要で自身の体内にある魔力を動力にする事で発動するという方法だ。杖は簡単に言うとコントローラーのような作用を持つ。大量のエネルギーを杖に流して言うことを聞かせる。そんな具合だ。


――カンッ!!


 魔術陣の中央に杖を思い切り立てる。すると杖をつたってエネルギーが家の中へと流れ込む。家の大改造計画の幕開けだ。


 魔術で木造に生命力を与え、ゆっくりと促進させる。木の再生能力を利用して、雨漏りを塞ぎ新築状態に持っていく。穴だらけのフローリングもあっという間に綺麗になった。


「よし、こんなものか。」


 洗面台やキッチン、風呂場のタイルも綺麗になり嵌め込まれたビー玉が光にあたって美しく輝く。あの手付かずのオンボロ一軒家がモダンで綺麗な一軒屋として再度蘇った。


「綺麗ですね。」


「ああ、きっと元家主が大事にしていたのだろう。」


 そう言いながら魔女は玄関に自身の靴を置き、杖を立てかける。少し工夫してアレンジを加えているようだ。フクが生活しやすいよう止まり木や掴まれる棒などが新しくセッティングされていることに気づく。


「あなたもですから。」


 フクはニマニマと笑いながら嬉しそうにしている。だって、自分のために作ってくれた止まり木だ。嫌な訳がない。二階は魔女の自室とフクの専用止まり木を新たに作ったようだ。

 

 家の中を確認し終え、魔女達はポッケの中にあったメモ用紙を手に取る。いつの間にあのバカ神は入れていたのだろうか。

 すごく不安だが心を決めて読んでみた。


「おめでとう、よく魔術が使えることに気づいたね。私は鼻が高いよ。さて、魔女さん。明日はこれから働くデイサービスに行ってもらいます。そこで面接をしてきてください。一応手を回しているので落ちることはないけど、態度に気をつけること。ではこれから一年間がんばってね。」


 長ったらしく書いてあるが、こいつはいつから私の親になったのだろうか。こいつの言動をみるだけでも頭にくる。本当、こいつ嫌い。

 反抗的な態度をとっているが目的である【マグノリアとの再会のため】だ。我慢しよう。それしか方法はない。あとはどんな人がいるのかが分かれば万々歳だが…。


 魔女の思考は止まらない。


「主様、明日ご用事があるのならお風呂に入ってゆっくりなさってください。きっと早いでしょうし。」


とフクは言う。その声のおかげで思考の渦から戻って来たのだ、そのままフクの言葉に甘える。さっさと風呂に入り、フクと一緒にふかふかのベッドに入る。

 明日から本格的に日本の民と関わるのだ。怖いながらも、挑戦あるのみであろう。


「表情に出ませんように…。」


「無理だと思いますわ。」


「そこはできると言って。」


「主様に限ってそれは無理ですわ。」


 本当、前途多難だなあー。



 朝の五時ごろ、彼女らは活動を始める。魔女は食事の準備をするために昨日作っておいた中庭にすぐに育つ野菜を育てていた。それを使って野菜サンドウィッチを作っていく。一方でフクは放鳥のついでに外を見回り自分で朝食を探しに出かけるのだ。

 いつも肉類はフクとティーがとってきてくれるため、かなり重宝している。


 朝食を完成させ、有り余る時間の中で優雅に過ごす。最高の贅沢を楽しむ。魔女はこの世界に魔女が存在するのかを調べるために魔術を使って魔力を探る。しかし、全くヒットしない。

 

「巫女や聖女はいるが魔女はいないようだな。」


 少しショックを受けてしまう。少しくらいは魔女が生存していてもおかしくないだろうと考えていた魔女だが、その点についてはウェラリア同様、絶滅危惧種なようだ。


「別世界にだから少し楽しみにしていたのだが、そうはいかないか。」


 ため息をつきながらも美味しい紅茶を一口飲んでいると、フクが静かに自宅に帰還する。足も嘴も血だらけのまま戻ってきた。


「ああ、美味しいわ。ここの土地の肉は。」


「夕飯分は?」


「ないわよ?」


「……食べたかった。」


 と肩をガックリと落とす。でも美味しい食材がこの山にはあるとフクが言うのだ。食事には困らないだろう。でも一体どんな肉を食ったのか。

 オークかだろうか。肉が固く癖が強すぎるゴブリンだけはゴメンだ。でも彼女は美食家。本当に美味しいもの以外は口にしない。


「足と嘴を洗っておいで。」


「ええ、洗ってくるわね。」


 家の中が汚れないよう、水場に飛んでいく。玄関近くには自然に湧き出る水場がある。そこが彼女専用の水場だ。

 自身の食器をキッチンで洗い流す。太陽の光が小窓からこっそりと顔を出す。タイルとビー玉で出来たシンクは太陽の光が反射してステンドグラスのように天井が色鮮やかに彩られる。


「さてそろそろ活動を始めるか。」


食器を洗い終え、魔女は普段着から外出用の服装に着替える。


「…この格好はいかんな。」


 真っ黒のワンピースを着て行こうと考えるが、現在の外見が五十代くらい。しかも、仕事先は平均八十代の方々だ。今の年齢のままでは疲れ切ってしまうのではないか。

 そう考えた魔女は自身の外見年齢をいつものように魔術で操作する。


 足元から頭にかけて若返っていく。年齢はざっと二十代。鏡を見ると久々に見る若返った自分に驚く。こんな可愛かったのか、自分はと。


「この年齢なら体力もあるし、魔力もある。なんとかなるだろう。」


 ただ良い服装が見つからない。自分にあった服装はこんなもんかと魔術で精製しだす。


「まあ、これでいいか。」


 魔女は神から貰ったメモ用紙を確認する。手荷物の準備とリレキショなるものがしっかりとバックの中に入っているか、そして服装は「これでいけ」と言わんばかりにバックの中に入れられていた。

 

「これではダメなのか。」


 魔女が作った服装だが自分の格好に興味がないため着ることがそれで良いという考えだ。

 胸元が開いたアウター、スキニージーンズのような身体の流れがわかるズボン。しかもハイヒールときている。


「バックの中にあるのはスーツとか言うのか。やけにかっちりしているな。」


 そう言いながら彼女はスーツを一応着てみる。ボサボサの長い髪を一つにまとめる。姿鏡に映る自分の姿を確認する。かっちりしすぎて自由がきかないこの姿は王族と対面する時の硬さに似ている。

 それがすごく嫌だった。


「うん。いやだ。」


 フクがそれを阻止しようと動くが、魔女は頑固な性格をしている。これが嫌だと思ったら絶対に動かない。国王と喧嘩した時もそうだったっけ。


「主様、せめて上着を着てくださいな。」


「その方が良さそうだな。」


 魔女はフクの言うとおりにスーツの上着をうまく着ていく。全身が黒系一色だったのもあって仕事ができる女に早変わりする。


「うむ。」


 納得いった魔女は荷物を持って玄関へと向かう。玄関にある杖を手に取り、それを持って面接に行こうとしている。またこの人は何をしようとしているのか。


「大丈夫。魔法も魔術も使わん。これは護身用に持ち歩くだけよ。」


 にこやかに微笑みながら、自分の身の丈以上にある杖を一気に小さくしていく。一七〇センチ以上から一気にペンダントサイズになった。


「何があるかわからないからな。」


「…そうですね。」


 ここまで他人を信用できないのは理由がある。でもそれを言っていては何も起こせない。だから魔女は自分を安心させるため護身用としてそれを持つことにした。しかもそのペンダントサイズになった杖はチョーカーのように魔女の首に巻きつく。

 蛇の瞳を触れれば、元のサイズに戻るという仕組みだ。


「ではいってくる。」


 指パッチンをするとチョーカーは一瞬にして見えなくなり、面接場所へと向かっていったのだった。フクは自分用の止まり木に捕まりながる。そして新たな門出を喜びながら、少し寂しい表情を浮かべてしまう。

 なんせ私はここにお留守番なのだから。



 山を降りるのに一時間、電車とかいう近代的な乗り物に乗ってまた一時間と揺られる。デイサービスに到着するまでに二時間もかかってしまった。ギリギリ約束の時間に到着するが、何とも殺風景な場所にデイサービスはあった。あたりは何もない。住宅地からも少し離れており、何となく隔たりがあるようにも感じる。


 なぜここまで孤立しているように見えるのか。


「何だか嫌な予感がするな。」


 そう言いながらも魔女はデイサービスのインターホンを押した。


――ピンポーンッ


 インターホンを押してしばらく待っていると、なんの反応もされずにそのまま待合室に通される。お茶を出すでもなく、少しお待ちくださいでもなくずっと待たされる魔女。

 

「お待たせしてすみません。所長の町田です。」


 と部屋に入ってきた男性職員が来たのはそこから一時間まった後だった。


 こちらは忙しい中お邪魔をしている身だが、これはあまりにも待たせすぎではないか?

ちょっと魔女さんキレそうなのだけど。


「で、今日はどんな要件でしょうか?」


「何だと?」


 おかしい。これはおかしい。だって神からのメモには【この土地唯一あるデイサービスに時間通り面接へ行くこと】と指示がある。もしかして全く違う土地に転移してしまったのか。

 または、私が違う場所に伺ってしまったのか。魔女はよく考えた末に、バックの中を漁る。するとリレキショとかいうのが中にあり、それと一緒に手紙が同封されていることに気づく。


「失礼だが、こちらの方から伝言を預かっているのだが、ご存じないか?」


 魔女はデイサービス宛の手紙を町田とか言う所長に手渡す。彼は面倒臭そうにそれを開けて行く。ペーパーナイフをこの世界の人間は使わないのか。しかも蝋燭で封すらしていない。

 

「ッ!?」


 手紙と魔女を何度も見て確認している。なんでこんなに驚いた表情で私を見るのだろうか。


「こちらの不手際で失礼をいたしました。大神さんのご紹介でしたか。」


「そんなことはない。こちらの方こそいきなり押しかけてしまい、申し訳ない。」

 

 と「相手の人に言っておくように」と追加のメモがファイルの中にあった。なんて用意周到なのだろうか。と言うか、どこの誰だ『大神』とかいう人物は。あのバカ神にもっとネーミングセンスを学べと直接言うべきだろうか。


「大神さんのご紹介でしたら、信頼のおける方だと思うので合格です。これからよろしくお願いいたします。えーと、魔女さん?」


「何がおかしい。」


「魔女って名前は本当に本名ですか?こう、ふざけた名前?キラキラネームはあまりよろしくないと思うので。」


 笑いながら言う町田を見て腸が煮え繰り返りそうになった。確かに本名を名乗るべきだろう。でも私はその名前は使わない。私は今までずっと【魔女】だから。

 

「私の名前を笑うなら、これからのお前の人生堕ちるぞ?」


 身の危険を感じた町田は、所長として人として魔女に詫びる。


「申し訳ありません。」


 と頭を下げる。面接を終えると町田所長から入職書類を受け取る。これを記入し次第提出するよう魔女に伝えた。


「…承知した。」


 マグノリアに会うため、魔女は目的達成のために我慢する。しょうがない、嫌な人間はたくさんいる。でもその中には一緒に仕事ができる人間がいるはずだ。

 そんな人たちがここにいるのか、それは会ってみないとわからないが。


 魔女は所長との面接を終え、彼女はデイサービスの玄関へと向かう。


「あら、素敵な外国人さんね。どこからいらっしゃったの?」


 と魔女に玄関で外靴に履き替えている中、あるひとりの老婆が話しかけてきた。器用に車椅子を使い、手をしっかりと伸ばしてドアを開けている。


「遠いところから来た。近々ここで世話になる。よろしく。」


「そう。よろしく。」


 楽しげに話していると女性職員が玄関に飛んできた。ここを利用する利用者が施設から勝手に出ようとしたと思ったのだろう。


「ダメですよ、玄関に行っちゃあ。まだお車も来ていないですから。」


 職員が老婆を引き留めて無理やり中に連れて行こうとするのをみて、魔女は二人の会話に割って入った。


「話しかけてくれてありがとう。あなたとお話ができて嬉しかったです。」


 爽やかに言うと職員が少し戸惑っているように見えた。一方で老婆は「私もよ」と嬉しそうに返答する。帰ろうとしたのではない、会話をしていたのだと職員に間接的に伝えた。


「では、失礼いたします。」


 魔女はそう言ってデイサービスを後にしたのだった。


 長距離移動をしてようやく帰宅した魔女はヘトヘトに疲れ切っていた。玄関で待機していたフクはその様子を見て中々に癖のある人と話したのだなと察する。

 

「お帰りなさい。主様。お風呂沸いていますよ?」


「ああ、ありがとう。助かるよ。」


 そう、フクは魔法も魔術も使えるスーパーエリート使い魔さんなのだ。魔法が使えないなら、できる限り、魔術で簡単に済ませる。フクは家事もできるいい子なのだ。


「フクも無理はするな。」


「ふふふ、はい。わかりました。」


 魔女の帰宅を喜びながら、フクは魔女のために仕事を始める。本当にいい子だと魔女は思うが、張り切りすぎるきらいがあるため少し自重するよう伝えた。彼女の耳にしっかりと残っているといいのだが。まあ、今はいいか。


 魔女は安心して食事と入浴を済ましたのだった。



 書類手続きや制服のサイズ確認、スマートフォンの購入など一週間が忙しなく終わった。怒涛の一週間は魔女にとって刺激ある日々ではあったが、こんなに動き回るとは思っても見なかった。

 しかも、他の人には気づかれないように山の麓と玄関に簡易的な転送魔術を施したことで、魔女とフク限定のワープを作ることに成功したのだ。

 これで下界との行き来が楽になるぞ。


「では行ってくる。家のことを頼む。フク。」


「行ってらっしゃい。」


 そう声をかけられ、魔女は手を振りながら一瞬にして山の麓まで降りたのだった。そこから電車を使って一時間揺られてようやく到着だ。


「では、今日からここで頑張りますか。」


 と気合を入れながら玄関を通った。中は利用者がいないため、とても静かだが何人か職員が到着していた。書類提出の時に言われたように、更衣室へ行って制服に着替える。そしてタイムカードを押し、彼女は職員が集まるフロアへと向かったのだ。


「おはようございます。」


 町田、もとい所長がフロアに集まる職員に向けて挨拶をした。フロアの広さはホールよりも手狭だが、大体三十人程度の人数が伸び伸び過ごせる程度。また、職員用の休憩室と浴室、静養室とあり、生活感あふれる空間になっている。

 他の職員も一緒に挨拶をする。そして、所長は魔女を呼び自己紹介をするように伝えた。


「初めまして、今日からここで働くことになりました。魔女と言います。どうぞよろしく。」


 とお辞儀をしながら言うと、一部の職員たちがざわめく。名前がふざけているとかキラキラネームだとか小声で言っているのが聞こえるが魔女は完全無視で対応する。


「魔女さん、警察とかでお厄介になったことはありますか?」


 あまりにも無礼なことを言うバカがいるものだと呆れていると続けてその人は魔女に問いかける。


「後は、過去に嫌な思いを?

人とか殺してないですよね?」


 と悪魔的な笑みを浮かべながら、魔女に近づき悪口をふっかける。土足で他人の心の中を荒らし、自分にとって有利にことを運ぼうとする卑怯者。そっちがその気ならと魔女は爽やかな笑みを浮かべ、瞳が全く笑っていない状態で返答する。


「そんなことする訳がないじゃないですか。そうそう、私はしませんが、あなたみたいな人は言葉で何人もの人の心を蔑ろにして、殺しているかもしれませんね。亡者を作るあなたの名前はなんと言うのでしょう?これからお世話になる身です。どうか教えていただけませんか?」


 と冷ややかに返答する。完全に窓は閉め切っているのに、どこからか冷たい隙間風が入ってくる。身震いをする人もいるくらいだ。そんな中、所長が「草壁さん、魔女さん。そこまでにしてください。」と止めに入る。デイの中に緊張が走った。


「では、今日の利用者の報告をします。」


 そう言って魔女の自己紹介が終わり、先ほどの出来事がなかったかのように朝礼がスタートした。


 朝礼では昨日の様子や今日利用する人たちの健康状態・歩行状態・認知面など変わったことがある場合、申し送りをすることで情報共有している。

 これがきっかけで利用者の状態を確認しながら、今日一日の流れを変更・考えていくこともある。


 そしてデイサービスは一日のみの利用になる。だから朝と夕方に利用者の自宅まで迎えにいくのだ。


「では、今日も安全に協力して行いましょう。」


 そう所長が言うと職員たちは朝の準備をするグループと送迎へいくグループに分れて行動を開始した。今日の魔女は朝の仕事を覚える為、デイに残ることになった。


「朝の準備は基本お風呂を沸かすのと湯呑みの準備、あとは塗り絵などの用意ですね。」


 優しく教えてくれる彼女は吉川といい、二十代前半、パートとしてのんびり働く女子だ。正社員にはならず、このパートで働いている方が自分の時間を有効活用しやすいのだという。

 そんな彼女は魔女を恐れず普通に話しかけてくれた。丁寧に仕事内容を教えてくれるし、声かけも丁寧。元々専門学校が介護専門のため、余裕を持って対応できるのだという。


 そんな彼女は入社してまだ半年だという。


「時間が少し余ると思うので、デイでの時間の流れなどをお伝え致しますね。」


 と魔女のことを気にかけてくれる。きっとこの人のような人材がいるから、まだ職員が残っているのだろうと魔女は察する。


「もしイヤだったら無視しておくれ。吉川殿はあの草壁とやらに攻撃されてはおらんか?」


 話が一気に変わるが、魔女はそこが気になってしまった。草壁を含むほか三人が送迎に出た瞬間、デイの雰囲気が少しばかり緩んだような気がしたのだ。

 だから緊張感がほぐれるほど、彼女ら三人組はここのデイで何かをしているのかもしれないと思ったのだ。


「ええ、今はそこまでは。でも朝礼の時は驚きました。」


「ああ言うのが嫌いでの。言い返してしまった。」


「私にはできないので、本当にすごいと思います。でもあの三人組には気をつけてくださいね。あの人たちがいじめて何人も辞めていますから。」


「心得た。教えてくれてありがとう吉川殿。」

 

「そんなことないです。こちらこそ言い返してくれてありがとうございました。おかげでスッキリしました。」


 吉川は気持ち晴れやかになったと特上の笑顔を見せてくれる。そうか、あの三人組と関わると碌なことが起きないと知り、極力関わらないようにしようと魔女は頭の隅に入れる。

 そして普通にのんびりと会話を楽しみながら一日の流れを教えてもらう。


「送迎が終わったら、入浴になります。大体女性が八割なので女性から入浴です。男性はお昼近いですね。お食事が十二時提供、これを超えないように入浴を終えます。私たちはフロア担当なのでお風呂が終わった方の髪を乾かし、水分補給の準備をしていきます。」


「と言うことは、運動よりも入浴なのだな。」


「そうですね。後は入浴をされない方もいらっしゃいますね。他の人に恥ずかしい姿を見せたくないとか色々理由はありますが、男性職員もいるので入浴に抵抗感がある人も中にはいます。そう言う場合は適宜変更して対応します。」


「承知した。」


 魔女は重要な部分だけメモをとり、頭に入れていく。魔女の眼は過去と未来を見る力が自然とあるので、それを使って動きや流れを確認してしまった。   魔女の両目は魔法と魔術ではない。これは魔眼の類。

魔女が望めば、未来の結果・過去の出来事を振り返ることだってできてしまう。ただし、それは自分を除く他者のみで、その他者について情報がないと見ることができない。


「こんな感じに動くのか。」


「え?」


「いや何でもない。食事の後はどんな流れなのだ?」


 ポロッと口から出ていた言葉に反応した吉川に、すごい速さで訂正を入れ、話を逸らした。


「ええと。食後は口腔を行います。」


「口腔?」


「はい、食後歯磨きをお願いしています。理由は口のなかを清潔にする事です。

他にも食べ残しが口腔内に残っているとそれが気管に入ってしまった場合【誤嚥性肺炎】の原因になる可能性があります。」


子どもであれ、大人であれ口腔内を清潔に保つことは、健康的な生活をする上でとても大事なことなのだと吉川は魔女に伝える。


「予防のためにもしっかり行うと言うことだな。」


「はい。」


 吉川が丁寧に教えてくれるなか、第一便の送迎車が到着してしまった。まだまだ話し足りなかったとばかりに悲しそうな表情だ。

 大丈夫まだここにいるから、あとで教えておくれ。


「おはようございます!!」


 元気な声で彼女たちは利用者を迎えに玄関へと向かった。



 午前中は吉川と一緒にお茶汲みや穏やかに過ごしていただけるように塗り絵や点つなぎを大量に印刷し準備をする。

 利用者のお手洗いに付き添い、やり方を見て学んでいく。


 彼女と一緒に行動して分かったが、利用者一人ひとりに丁寧な対応を心掛けている。


 できそうでできないことを実現していた。ただ、入浴担当の三人組のうち一人が利用者を入浴に誘いに来る。

 その時限りは彼女から笑顔と声が一気に消えていた。


 そんな事お構いなしに、草壁が利用者を洗面台まで連れてくる。


「ありがとうございます。お帰りなさい。」


 吉川が草壁と出てきた利用者に声をかける。笑顔で返事をしてくれる利用者、一方で睨み返してくる怖い草壁。何が気に食わないのだろう。

 ただ「ありがとうございます」といっただけなのに。冷たい奴だなと魔女は思う。それを利用者も感じ取ったのか、洗面台の前にある椅子にそそくさと座る。


「失礼。」


 草壁は魔女にわざと当たり、サラッと謝る。何かが気に食わないのだろうが、行動が幼稚すぎる。


「あぁ、幼稚な方は伝え方が分からないか。」


ぼそっと、しかし相手にしっかりと聞こえる程度の声で草壁をあおる。あるモンスターゲームの対戦で挑発を仕掛ける時にありそうな方法だ。大人げないのは魔女も同じだった。


「何ですって?」


「失礼、嫌味を堂々と言ってしまった。何が嫌で私に当たったのか理由を伺いたい。」


 魔女は自分の非を詫びつつ、草壁が感じた嫌な部分を聞き出す。なぜそんな幼稚な奴の話を聞くのかって?

 そんなの面白そうだからに決まっている。


「こっちだって忙しいのよ。手間かけさせないで。」


「そうか。迷惑をかけて申し訳ない。」


 フンッと鼻を鳴らしながら、草壁は浴室に戻っていった。そうか、初日で仕事が全く分からない中、仕事を察しろ、こっちは忙しいのだから。

 草壁はきっとそう言いたいのだろう。全く自分勝手な人だ。


「口があるのだから言えばよかろうに。」


 魔女が腕組をしながら仁王立ちしていると後ろで利用者の髪を乾かしている吉川がブフッと噴出していた。

 魔女が勢いよく後ろに振り返り、吉川の表情を見ると口角が少し上がっていた。


「魔女さんはすごいですね。ね、山本さん。」


 山本さんの髪を梳かしながら、とびきりの笑顔が漏れ出している。


「そうだね。はっきり言う人は初めてだ。スカッとした。」


 アハハと声に出して笑う山本さん。他の利用者達も驚きながらも笑顔が出ていた。きっとこういう状況が横行していたのだろうな。


「ありがとうございます。」


 山本さんを御自席にお連れした後、少しだけ余裕のある時間ができた。その時、魔女と吉川は全体が見える場所でいつでも出動できるように待機していた。

 この時、吉川はタブレットを使って何やら仕事をしている。地味な仕事のようで結構大事な仕事のようだ。


「吉川殿はこの仕事を始めてどれくらいなのだ?」


「私は今年で二年になります。ちょっと取得したい免許があって続けています。」


 タブレットで不備がないか確認しつつ文章を打ち込んでいく。手先はタブレットに、口は魔女に集中する。ダブルワークができる人なようだ。


「どんな免許で?」


「国家資格の介護福祉士です。」


 吉川が目指す介護福祉士には、受験するために二つ条件があるのだ。一つ目が三年間、介護福祉施設に勤続している事。二つ目が実務者研修を受講し合格している事だ。

「勤続年数が三年とは以外に長いの。」


 介護福祉士を目指す人がまず直面するのが、この勤続年数の長さだ。あっという間の三年間と思う人もいるだろうが、かなり酷で我慢を強いられる機関でもある。理由は簡単。自分の心と身体が疲弊し、三年間従事できるか分からないからだ。


「えぇ、でもあっという間ですよ。」


 ただもう一つの条件である「実務者研修の受講と試験合格」は勤続年数に比べて比較的楽に超えられる壁だ。

 他にも介護を学ぶ基礎的な介護知識と技術を学べる「初任者研修」なんてものもあるが、それの取得は任意となる。


「吉川殿がそう言うならそうなのだろう。」


 温かく微笑む魔女の表情は確かに彼女を温かく包み込んだ。それがとても心地よくて、吉川は魔女の眼から離せずにいる。

「私の顔には目と鼻と眉毛と口ぐらいしか付いてないと思うのだが?」


 あまりにもじっと見る吉川にオドオドし、落ち着きをなくしてしまう。想像していた魔女の雰囲気が一気に子犬みたいになったものだから、吉川は楽しくなってしまう。


「じっと見てすいません。フフフッ。」


 なぜ彼女がこんなにも楽しそうに笑っているのかわからないが、氷のように固まった表情を浮かべた彼女に比べて気分が良いと感じる。


「まあ、良いか。」


 そう言いながら、魔女はポットを持ってお茶を入れに行ったのだった。



 人と関わるのが気臼だった魔女にとって、この時間はきっと贅沢な時間だったろう。ウェラリア世界に引き籠っていたら、こんな簡単な語らいも嫌味も立場が邪魔をして味わえなかった。

 

「私が知らない表情をお前は浮かべるのだな。」


 少し嫉妬にも似た表情で、また物悲しそうに水鏡に映る魔女を見つめるバカ神。


「魔女様って優しかったのですね。」


 バカ神の膝の上に乗ってリラックスしているネコは水鏡に映る魔女を見て驚いた。


「主ぃぃぃッ!!生きていて良かったぁッ!!」


 その隣で魔女の無事を知り安堵すると同時に泣き喚くオオコウモリのティー。反応は人それぞれというがこの場の温度差があまりにもかけ離れている気がしてならない。

 すると、水鏡の周りに水分補給に来た神の眷属である蝶は群がる。魔女たちに情報を伝えた後も朝晩関係なく働かされ、少しご立腹のご様子だ。

 水鏡の水がいくらか少なくなっても別に気にしない。だって疲れてしまったのだから。


「すまなかったと言っているだろう。」


 バカ神は玉座からたち上がる。素足のまま水鏡の裳まで歩き、水の中に足を入れた。蝶は足元から神に吸い付き、羽を揺らす。


「フフフッ、お前達が私のもう一つの眼なのだ。そんな悲しいことを言わないでくれ。」


 しゃがみ足元にいる蝶を指に乗せて話しかける。愛おしい蝶を愛でながら、神は足元を見る。足元にある、この水鏡に映る映像も神の眷属の眼を通して投影している。

 

「お前達、いつも見せてくれてありがとう。」


 バカ神もいつもに増して優しさが増している。魔女も神もどうしたのだろうか。いつもと違う場所、行動をすると人はこうなってしまうのだろうか。どれが本当の姿なのか、本心なのか。

 ティーもネコも訳が分からず混乱していた。それに気づいたバカ神は玉座の方に振り向きながらその場で立ち上がる。


「安心しなさい。どちらも我々の一面だ。」


 月のように爽やかに微笑むバカ神に震える。どこで地雷を踏んでしまったのだろうか。

 ティーとネコ、二人は相手の表情を見ながら【絶対何かあるから、サポートし合いましょう。】と協力し合う事にしたのだった。

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