第7話 ①虎と龍と魔女と



 午前中のばたつきが落ち着く瞬間がある。それは利用者がお昼ご飯をのんびり召し上がっている時間だ。お風呂組が利用者の入浴を介助(サポート)し終わり、浴室からフロアに戻ってくる。


「あぁ、疲れた。今日は骨が折れたわ。」


 入浴を担当していた草壁が自身の肩を回しながら疲れたアピールをしてくる。確かに今日は介護度(簡単に言うと職員が利用者をサポートする度合い)が高く、着替え介助や湯船までの誘導などが大変だったと思う。


 しかも、車椅子を利用している方が女性だけで今日は六人。そうなるとお風呂の回転が肝でうまく回さないと十二時の食事に間に合わない。


 車椅子や足の筋力が低下している方専用の機械のお風呂がある。ただそれは一つしかないため、利用者の呼ぶ順番を間違えると脱衣所が大混雑になってしまうのだ。


 三十人を九時半から十二時となると、これは大きなタイムロスになる。そう、午前中はお風呂の中は戦場だ。利用者が転倒しないように、足を滑らして肌を切らないように、のぼせないように、浮かないように等最新の注意を払っている。

 気疲れもバンバンして、体力と気力がゼロだ。


「休憩入らせてもらうわ。」


 そう言ったのは三人組のボス春川だった。このデイサービス内では局様と化しており、この人の気分を害さないように動く事が穏便に一日を終える手段だった。


「お疲れ様です。いってらっしゃいませ。」


 吉川が言うと春川に続き、所長は声掛けせず弁当を持ってさっさと休憩室に入っていった。午後別の業務でデイサービスを離れるのかもしれながいが、声はかけてほしかった…。


「じゃあ、山田さんと私は口腔やるからお手洗い介助お願いね。」


「はい。」


 山田が吉川に言う。彼女は基本やりたくないことは相手に押し付ける。「自分の手が汚れるから嫌だ」とか言い訳を言って自由に仕事をしている。なぜここで仕事を続けているかって?

 パートの中で一番上の方にいる山田からすれば、新しい職場で揉まれるよりも、自由気ままに動けるここに居座ったほうが楽なのだ。


「あ、魔女さんはいつココを辞めるの?」


「はぁ?」


 草壁が何を言っているのか、魔女は一瞬理解できなかった。初日入社の人間にいきなり「いつ辞めるの?」は人として可笑しくないか。

 

「はぁって一応先輩なのだけど。言葉遣いと態度を改めてくれる?」


 こいつ、パートの分際だろう。パートの分際で社員のように振る舞うバカはいるが、この態度と対応は大馬鹿者と言ってもいい。

 聞いていた吉川の目がドンドン吊り上がっていく。


「あまりにも唐突だったもので。失礼いたしました。」


「本当失礼極まりないのよ、あなた。社会でだいぶ苦労するわよ。」


「そうかもしれませんな。でも私は外国人、自国に戻るかもしれませんから、それまでご教授のほどよろしくお願いしたく。」


 魔女は穏便に済ませようと頭を下げた。吉川がなぜあなたが頭を下げるのかと驚いていたが、そんな事はどうでもいい。

 マグノリアに会うため、目的を果たすためにここにいる必要がある。穏便に静かに動かなければ。


「誰がするか、あんたみたいなやつ。」


「そうですか。それは残念です。ではお手洗い介助の方に入らせていただきます。」


 場を納め、魔女は吉川と共に利用者の元へ動く。利用者が魔女達のことを読んでくれなかったら逃げられなかっただろう。

 しかしまぁ、自分勝手にも程がある場所だなぁと思わずにはいられなかった。

 

「守ろうとしてくれてありがとう。吉川殿。」


「私は何も…。」


 握り拳を作り、ぎゅっと肌が爪で切れそうな勢いだった。自分が助けなければいけないのに、怖くて動く事ができなかったと悔いる。


「いいやしておるよ?私のために静かに怒ってくれた。それだけで十分だ。ありがとう。」


 魔女がそう言うと笑顔を浮かべて業務に戻る。お食事が終わったお盆を下げていく。他にも歯磨きの準備や次は誰が航空の洗面台に行くか等の確認。

 テキパキと動き回る。本当に「介護」は初めてなのだろうか。


「魔女さんって結構仕事できる人なのね。できないのかと思っていたわ。」


 山田が魔女の無駄のない動きを見て感心する。ほぉ、こんなに彼女は動けるのかと。

 草壁が「魔女さんが睨んできた」とか「あの人、私たちの悪口を言っていたのですよ?」など入浴介助中、山田に言ってきたが、そんなふうに受け取れてしまっただけだろう。


 こんなに動けるなら有効活用すれば良い。そうしたら、私たちの仕事量が減るし楽に仕事ができる。残業もせずに帰宅だってできる。


 山田は不敵に笑いながら草壁に伝える。


「私良いこと思いついちゃった。」と……。



 お昼休憩に入ると魔女は栄養補助食と一緒にコーヒーを入れ始める。この世界にはこんなにも大人の味のものがあるのかと嬉しくなったものだ。


 休憩室に淹れたてのコーヒーの香りが広がり、仕事を忘れる空間ができる。


「コンビニとやらに行くと沢山の美味しいものが置いてあって困るの〜。また行かねば。」


 仕事帰りにコンビニで美味しそうなものを探すのが日課になりそうな予感だ。スーパーなどは少し遠く、買いに行く気力がない。でもコンビニなら駅の目の前にあり立ち寄れる。

 本当、二十四時間営業というのがすごい。しかも品揃えが結構良いときた。


「今日は何を買うか。ビールとやら以外にもお酒があるようだが。」


 と休憩時間中、幸せな悩みを解決するため悩んでいた。


 するとそこに私服姿の男性職員が入ってきた。身長が高く、肩幅が広い。メガネをかけて、マスクなので表情がわかりにくいが結構良い男なのかもしれない。

 いや、マスク詐欺もあり得る。


「今日からの魔女さんですか?」


「ええ、魔女です。よろしく。」


「こちらこそ、斉藤と言います。午後からの勤務になりまして、こちらにきました。」


「午後からと。」


「ええ、なんでも所長が午後からデイを離れてしまうので、職員の人数が手薄になるって言っていましたね。」


 困ったなぁ〜と苦笑いをしながらも、斉藤はここにきてくれた。町田所長、人数配置やら色々が手薄すぎやしないかと心配になるが、まぁ仕方ない。

 所長のミスなのだから!!!


「何はともあれ。午後からお願いたす。」


 魔女は頭を下げて齋藤に言った。それを見た斎藤も同様に彼女の前に言って頭を軽く下げた。


「よろしくお願いいたします。」


 優しそうな雰囲気を纏う齋藤は、制服に着替えるために二階にある更衣室に向かった。斎藤を見送りながら、休憩室の席に座って考える。吉川に聞いた話で齋藤は怒るとすごく怖いらしい。三人組もそれを見た時は凄く驚き、その日一日近づけなかったとか。


「近づけない、か。」


 魔女はその時思った。怒りを感情的に相手に当てるのではなく、理性的に伝えれば良い薬になる。

 三人組が驚いたという事は、斎藤が感情的に怒り、伝えている可能性が高い。

 

「こんな職員の人間関係が酷い中、あいつはここを利用しているのか。」


 ネコ舌に優しい温度になったコーヒーに口をつけ、ゆっくりと飲み干す。


 何はともあれ、まだ初日だ。自分が作業できなくても何とかなるだろう。今は情報収集に徹しよう。

 自分の眼を最大限に使って、ここの状況とマグノリアの痕跡を探すしかない。痕跡がなければ、マグノリアの事を見る事ができない。


「忙しくなるぞ。」


 飲み干したカップに付いた汚れを洗い流し、魔女は休憩室を後にした。


「魔女さん、ここにいる誰かと知り合いなのかな?」


 更衣室に行っている途中、斎藤は忘れ物を思い出した。それを取りに戻ると魔女が独り言で話している声を聞いてしまった。


「誰なのだろう。」


 斎藤は気になって仕方がない。だから、利用者名簿を確認しながら、彼女が会いたい人は利用者なのか職員なのか、探してみる事にした。


午後の業務を開始する。午後はゲームや制作等のレクリエーションを楽しむ時間がある。人にもよるが編み物、ちぎり絵、イベント事の壁紙の制作等かなり種類があるらしい。他にもゲームだと風船バレーやら身体を使った無理のないゲームを行っている。


 今日は制作で各自がのんびりと好きな制作に参加し、グループになって行う。


「春なので桜の木を皆さんと一緒に制作したいと思います。また編み物のグループもございますので、ご自由にご参加いただければと思います。」


 斎藤が利用者に一声かけると足腰が元気な利用者はすたこらさっさと編み物や桜の木制作の場所に動いていく。


 一方で男性陣は麻雀へと一目散にかけよる。自分たちで準備をして椅子等の重いものは職員にお願いして持ってきてもらっていた。


「かけ麻雀しよう!!」


「したいね。」


 明朗快活で恰幅の良い沼田さんが言うと続けて伊地知さんがにんまりと笑顔で言った。他の二人も笑顔になりながら、昔の話題を出して盛り上がっている。でも、その楽しい空間に春川が近寄りやってはいけないと注意をしていた。

 四人は気分が駄々下がりになり、冗談なのにそれを真に受ける人がいるのかといじけてしまった。


「初めて見るが麻雀というのか。」


「お、新顔だね。」


 人との関わりが気薄だった魔女が自分から他人に干渉した。すごく珍しい。


「うむ。今日から世話になります。魔女と申します。」


「魔女さんだね。外国の人かい?」


「うむ。かなり遠く小さい所から来たから日本をあまり知らないのです。良ければ教えていただけませんか?」


 魔女は丁寧に声をかける。首が痛くないように地面にしゃがみ、伝えやすい場所に立つ。

 一つ一つを丁寧に行う魔女を見た吉川は、制作を手伝いながらも魔女に見入ってしまう。


「あんた酒飲めるのか?」


 伊地知さんが自分の車いすを魔女の方に向き直しながら言う。表情が面白いぐらいに悪い顔をしていて魔女は鼻で笑ってしまう。


「ああ、家にビールなるものをコンビニで買っておりますぞ。伊地知さん。」


 魔女も悪い顔をして伊地知さんに近寄る。お酒の話を楽しみながら、周囲に気を払いつつ魔女は行動する。三人組は制作を手伝わない魔女にイライラしているのは感じた。でも魔女は無視をする。

「ビールも良いが日本酒も良いよ。」


「ほお、日本酒か。買って飲んでみよう。教えてくれて愛がとうございます。伊地知さん。」


「そんな事はないよ。今日からよろしくね。魔女さん。」


「はい。こちらこそ。」


楽しい語らいを終え、魔女は制作陣営に戻る。斎藤を筆頭に吉川と三人組がやっていたが、魔女が戻ると三人組は離れていった。

 どれだけやりたくないのだろうか。ここに居てもいないのと同じではないか。三人組の態度にあきれながら魔女は溜息を吐いてしまう。


「こちらにちぎったピンク色の折り紙を貼って頂けますか?」


 吉川が利用者に指示を出す。すると利用者は、どうやって制作していくのかを理解してのんびりと作業を開始してくれた。今日は桜の木のピンク色部分を完成させる予定だ。糊もたっぷりとある。やる気マックスで作業をしていった。



「もう魔女さんは使えるのか・使えないのか、どっちなのよ。」


 脱衣所に行って、明日の準備を一応しながら三人組は話していた。


「全くよね。」


 山田と草壁は魔女の愚痴を言う。それを横で聞きながらベッドのシーツを洗濯機に入れ洗う準備をしている春川。


「で、さっき言っていた面白そうな事を思いついたって言っていたけど、内容は何なの?」


 春川は山田に話しかける。不敵に笑う山田を見て「あぁ、新しいおもちゃを見つけたのか。」と春川は察する。

 今回はどれくらいの期間、新しいおもちゃは壊れずにもつのだろうか。


「『出る杭は打たれる』でしょう?」


 山田と草壁はクスクスと不敵に笑う。一方で春川は、魔女の周りにくっつく人も標的にしようと考えた。

 まずは魔女を、そして吉川や斎藤を。怒らせない程度に小さい事から始めよう。それが良い。


「さて、フロアに戻って躾を始めましょうか。」


 春川が二人に言うと草壁・山田は縦に頭を振る。

 ここのデイサービスに不穏の空気が流れ出ようとしている。

 まだ魔女はこれに気づいていなかった。



 いつもなら悪口、陰口オンパレードの三人組が脱衣所から出てきてから凄く静かだ。何にも邪魔されず、業務が楽に行えた。魔女にも業務をさらっと伝える事ができたし、送迎の時間もスムーズに動くことができた。

 ここまで静かだと不気味で仕方ない。魔女は嫌な予感がした。こいつら何かたくらんでいるのではないかと。


 魔女はそう思いながらも送迎組と掃除組に分かれて動く。魔女は掃除組としてトイレ・机を掃除し、最後の仕事を終わらせていく。すると玄関からスリムで小柄な男性がやってくる。


「初めまして。ここでは掃除担当で来ています。伊達と言います。よろしくお願いいたします。」


「こちらこそ、魔女と申します。よろしくお願いいたします。掃除屋殿と呼んでもよろしいか?」


「少し物騒な人に聞こえますが、大丈夫ですよ。」


 掃除屋殿こと伊達さんはにこやかに応じながら、掃除をする格好になって浴室に向かう。彼は基本風呂掃除を行ってくれる。他にも時間が余るとトイレやフロアの細かいところにまで手を入れてくれる。

 物腰柔らかで当たりが優しい人と魔女は認識する。


「では浴室に向かいますね。」


 伊達は掃除の準備を手際よく始めている。彼は仕事ができる人間だと魔女は感じた。


「魔女さん、お手洗いと浴室やりますので作業が残っていましたらそちらをどうぞ。」


 ほぼフロアの掃除が終わっていた魔女は、伊達の言う通りにする。ただ業務の何が残っているのか、まだわからない。なら魔女の目的を果たすきっかけを探そうじゃないか。そう考えた魔女はフロア内をうろうろしながら、自分の眼に触れて立ち止まる。


「さて、時間は有限だがここを視ていくか。」


 魔女は目を閉じて再度開く。魔眼を魔女は開眼させた。ギラっと青白く輝く瞳は宝石のように輝く。ただ魔眼の力を使いすぎると疲労で毛細血管が破裂して血の涙が出てしまう。

 そうならないようにかなり力を弱めて視ていく。


「ここの過去を早回しでみせろ。」


 そう魔女が言うと魔眼が反応して早回しで一気に視ていく。一眼レフで星の動きを撮るかのように人の流れが視える。


「ふむ。掃除屋殿はここに来て一年未満ぐらいか。後、三人組は大体五年前からか。吉川殿や他の新人たちが新人狩りをしているようだ。これはかなりきついな。」


 一気に情報が流れる。電波時計に日付があり、それを見ながら魔女は時間帯を確認していく。吉川が三人組を恐れる理由は新人狩りに合っていたから。またいじめられるかもしれない、また標的になるかもしれない。洋服を汚したり、靴を捨てたり、かなり極悪非道なことをされた。


 すると車いすに乗った黒髪ロングの利用者を見つける。彼女は笑顔が綺麗で、なぜか仕草にひかれてしまう。

 周りの人を魅了し、毛並みが綺麗な髪をなびかせて歩いている。おしゃれが大好きなようだ。

 だが、彼女が食事を摂っていると急に顔色が悪くなる。


――『誤嚥ごえん』だ。


 自分の喉を掴み静かにもがき苦しんでいる。まだ誰も気づいていない。いや、気づいていない。声を出したくても苦しくて声が出せない。だから彼女は考えた。SOSに気づいてもらえるように、彼女は席から転げ落ちた。

――ガシャンッ


職員たちの間に緊張が走る。この音にようやく気付き、駆け足で駆け寄り、黒髪の人の背中を叩いて吐き出させようとする。吐き出せず、どんどん

彼女の唇が青白くなり、チアノーゼになっているのが分かった。すると春川が黒髪の女性を後ろから抱きかかえ腹に腕を回す。一気にみぞおちをグッと押し込み、吐き出させた。


 ゴロッと口から食べ物を吐き出すと、彼女は咳き込みながらも呼吸をしようと試みている。職員たちも背中をさすりながら、呼吸をゆっくりさせていく。

 かなりの体力を使ったのか、ぐったりとしている黒髪の人はそのまま意識を失った。状況を察した所長は救急車を手配しと黒髪の人をストレッチャーに乗せて、救急隊と共に病院へと向かっていった。


「魔女さん、こんな所でボーっとしていますけど、何か嫌な事でもありましたは?」


 送迎から帰ってきた斎藤に気づかず、ずっと魔女は過去を視ていたのかと慌てる。でも瞳のことを話してこないし、きっと気づいていないのだろう。


「あ、あぁ。少し考え事をしていた。すまない。

送迎お疲れ様。」


 魔女は自分の髪で眼を隠しながら指で瞼をさすりながら魔眼を鎮めつつ、斎藤にそう声をかける。

 すると斎藤は笑顔で返事をするが、目はデスクの書類に行っていた。


「何かあったのか?」


「うーん。先月誤嚥性肺炎ごえんせいはいえんで入院していた方の退院が伸びたみたいで。かなり体力が落ちているみたいです。」


「その人は黒髪ロングの方で合っているか?」


 魔女がそう言うと斎藤は驚く。まさか知っているとは思わなかった。斎藤は魔女のそれに食らいついていく。


「はい。そうです。名前は希龍きりゅう恵さんというのですが、こちらの方が先月誤嚥されてしまいまして。命に別状はないのですが、体力低下もあって誤嚥性肺炎と診断されました。」


 魔女は黒髪の女性に名前を覚える。メモ用紙を胸ポケットから取り出し、内容を書いていく。


「…希龍きりゅうさん。誤嚥性肺炎と診断される。」


 そう書き残しながら、斎藤の話に耳を傾ける。


「希龍さんは明朗快活で周りの方を巻き込んでゲームなどに参加して下さる方です。ただ最近は認知症が進行して意思疎通がしにくい状態です。でもゆっくりと説明して気持ちをわかり易くお伝えすれば、ご自身から動いてくれます。

あと現在は同じ系列の施設からここのデイサービスを利用することになっています。」


 斎藤は魔女がメモを取りながら聞いているのを配慮してゆっくりと話してくれる。気遣いができる男子である。


「という事は、元々は自宅から通っていたのか?」


 斎藤は頷く。彼曰く、希龍さんのご家族だけでは恵さんの介護を支えきれず、疲弊しきっているのだという。そうなると介護をする側の人間が倒れてしまえば、支援が必要な恵は自宅で独居状態になる。そうなれば自宅はきっと荒廃し、悲惨な状態になるのが目に見えている。

 そうならないためにも、恵さん自身とご家族のために、一時的に本人を施設入所させたのだという。


「一時的なのか?」


「ご家族は最後まで自宅で介護したいという事でしたので、今回はレスパイト目的の入所という形になりました。介護ができる環境を整え次第、迎えに行くと旦那様は話されていましたね。」


 レスパイトとは介護が家族の負担になりすぎないよう一定期間休憩を取る事を言う。人によるが施設に数日、一週間、一か月とある。恵さんの場合は長期のレスパイトとなっているようだ。


「家族だけで介護をすれば絶対に疲弊して身体的にも精神的にも負担が出てしまいます。そうならないようにする応急処置でもあります。

 他人に頼るのは申し訳ないと思うかもしれませんが、恵さんのためにも旦那様のためにも、レスパイトは必要だと思っています。」


 斎藤はそう言うと、書類を手に取り再度読み込む。魔女にわかり易いように言葉を噛み砕きながら希龍さんの現状を教えてくれた。


「『最近は部屋の窓から外を見ている事が多い。また聞いた事のない言葉を話している。今後それが恵さんにとってどう関係しているのか、意思疎通を撮るために必要な情報源であるかを調べていく予定

 解読できた言葉はエメのみ。名前ではないかとの事。』だそうですね。」


 斎藤から聞いた内容で魔女の手が止まり、瞳を大きく広げ、猫のように瞳孔が丸くなっている。


 初日で彼女がマグノリアである証拠を見つけることができた。これで彼女の情報を探すことができる。大きな一歩だと感動する魔女。

 それを見た斎藤が驚きつつも昼休憩の時の雰囲気を思い出す。そういえば魔女さんは誰かを探していたように見えた。

 もしかして、今彼女に話した『希龍さん』が探していた人物なのだろうか。どちらにしろ、斎藤は魔女の勢いに押されてしまう。


「この方とお知り合い何ですか?」


 斎藤は魔女に問いかける。すると魔女は頷きつつもこう言った。


「ただの腐れ縁よ。」


 優しく微笑む魔女に斎藤は見入ってしまう。なぜかひかれてしまう。ひまわりが太陽へ顔を向けるように、魔女から目が離せなくなってしまった斎藤。


「お疲れ様です。」


 送迎組が続々とデイサービスに無事到着する。吉川を筆頭にたくさんの職員が帰宅し、デイに集まった。


 これをきっかけに魔女との話は終わってしまったが、斎藤は諦めず彼女に話しかけようと決心した。


「お帰り。」


 魔女はそう声をかけつつ、今日の振り返りを吉川と行っていた。その後ろから掃除を終えた伊達さんが帰宅の準備を整えてタイムカードを押す。


「皆様お疲れ様です。本日の掃除終わりましたので、帰宅させていただきます。失礼いたします。」


 伊達さんは全員に向けて一礼してから帰宅していった。一方で魔女と吉川に遅れてデイサービスに帰宅してきた三人組が仕事を回してくる。


「これは?」


 魔女が三人組に言うと、彼女らは悪魔的な笑みを浮かべながら言った。


「これ他の営業所に提出するのだから、今日中に書いておいて。私たちはタイムカード押しちゃったから帰宅するわね。」


 山田は五十枚程ある書類を指さしつつ、更衣室に一定しまった。周りを見ると春川も草壁もいない。実質、吉川と魔女、まだ帰宅していない所長のみだ。


「え、これを。」


 吉川は唖然とする。そうだろう、だって普通であれば定時で終えられたのにも関わらず、こうなってしまったのだから。


「吉川殿もタイムカード押しておっただろう。帰宅したほうが良いのでは?」


「でも!」


 そう吉川も送迎が終わり次第タイムカードを押している。これ以上仕事をすれば上からのお叱りに繋がりかねない。そう考えた魔女は吉川を帰宅させ、魔女のみで作業をしようとする。


「おっと、まだタイムカード押して…。魔女さん何しているの?帰らないの?」


 とまだタイムカードを押していなかった斎藤が魔女に近づく。書類を見て、送迎前に他の営業所に提出する書類は出来上がっているか確認を取っていたが、まさか終わっていなかったとは。

 唖然としながらも斎藤は椅子を持って、一緒に作業に入る。


「初日にこんな思いをさせてすみません。僕も手伝いますので。」


 帰れと言っても帰らないだろうなと考えた魔女は何も言わずに一緒に仕事を開始した。嫌がらせもあったが、彼がいてくれれば心強い。そう魔女は感じたのだった。



 自宅に帰宅は夜の九時近かった。疲れ切った魔女は明日が休みなのを理由に風呂に入らずベッドに駆け込む。

 フクは何事かと思いながら、魔女がベッドで爆睡しているのを目の前で見る。


「これは何かあったわね。」


 静かに怒りをふつふつとさせる。フクは魔女と一緒にいけないことが嫌で仕方ないが、ここは我慢して魔女に状況を聞かなければとやる気になる。

 そう彼女、やるときはやるのである。


「明日は休みですから。ゆっくり休まれてください。おやすみなさい。主様。良い夢を見てくださいね。」


 フクは魔女のお部屋でささやくと、自分の寝床にいき一緒に眠る。


 疲れが吹っ飛びますように。そう思いを込めて安眠できる魔術を魔女にかける。星の砂のようにきらめくそれを振りかけると魔女から心地いい寝息が聞こえる。


 ゆっくりと眠る彼女を確認したフクは安心して眠りに入ったのだった。

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