2:嘘→幸福

 千葉県成修市の私鉄成修駅。僕がお客さんをよく乗せる本拠点はここだ。夏の暑さが本格的になってきた8月のとある土曜日。時刻は深夜10時を回っている。

「この時間になっても暑いねぇ。」

「っすね…。」

タクシープールは早く来た車から順番に並んでお客さんを乗せていくというルールがある。僕は今先頭に停めていた。後ろに停めている同期の原岡さんと立ち話。案外この時間が楽しかったりする。お互いにその日の売り上げを聞き出しあい、からかって突っつきあう。ひとしきり笑いあった後、原岡さんがふとぼやく。

「これくらいから来るお客さんて…ろくな客いねぇよなぁ…。」

「…あぁ…。」

彼がぼやくのも無理はない。ここ成修市は県内で飲み屋街が多い街として有名なのだ。だから夜を回ると酔っ払いが市街地を闊歩する。そしてそれはタクシーの乗客の質にも影響を及ぼすわけで…。

「この前なんて俺、乗せた酔っ払い客に後ろで吐かれたぜ。おかげで座席シーツ全交換。一時間くらい無駄にしたわ。」

「僕はこの前乗せたお客さん、目的地に着いたら泥酔していて起きないし、持っていた缶ビールこぼされていましたよ。」

起きないなら揺すってでも起こせば良い。そう思う人もいるだろう。しかし、我々タクシードライバーにはそれができないのだ。というのも下手にお客さんに触れてしまうと、後で財布がないだのなんだとトラブルになってしまうからだ。なので…。

「てことは警察を呼んだの?」

「位置的に遠すぎるから、そのまま警察署に行って警察官に起こしてもらいましたよ。」

「めんどくさいよなぁ…。お、お客様だぞ。」

後ろを振り返ると、顔が少し赤い、20代後半くらいの女性がスーツ姿でタクシーの前に立っていた。



「どうぞ…。どちらまで参りますか?」

「ぅええっとねぇ…。といあえず北五里沼小学校まで。」

呂律が回っていないし酒臭い…。土曜日の夜に一番多いケースのお客さんだ。それはともかく五里沼小学校まではこの時間なら料金は3000円越えコース。運がいいほうだな…。そんなことを考えながら車を走らせる。



「運転手さんっさぁ。若いねぇ。」

出た。一番めんどくさいやつ。酔っぱらいのお客さんにも色々あるが、年齢関係で運転手に絡んでくるこのタイプはめんどくさいランキングトップスリーに入るのだ。

「まぁ…。一応21歳なんで…。」

「へぇ~。まだいろいろ楽しめりゅ年じゃないかぁ。私なんても~アラサー間近だよぉ…。」

こういう話をされると空笑いしかできないから困る。

それにしても21歳かぁ、と不意に女性は呟く。

「…?」

「うちの会社にもねぇ、21歳の女の子が社員でいるんだぁ。」

ほら、可愛いでしょ、と突き出してくるスマホの写真を見たふりをして、いいですねえ即戦力だ、と相槌を打つ。すると、バックミラー越しに見える女性の顔が曇ったように見えた。

「…いい子そうでしょ…?いや、良い子なんだけど、それが可哀想に裏目に出ちゃってね…。」

「…というと?」

運転手さんになんか愚痴っても仕方ないんだろうけどね…と言いながら女性は続ける。

「その子ねぇぇ…。上司の課長に目を付けられちゃっているというか…あぁその課長はちなみに50代ね。」

なんとなく言いたいことは分かるが、一応確認を取る。

「…目を付けられたってのは、怒られたとかではなく…。」

「ちがぁうちがぁう、逆よ、恋愛対象として見られちゃってるの。」

年齢差を考えろって話だよねぇ、と彼女は笑ったが、その目からは曇りが取り切れていないように見えた。

「その…。部下の方はどんな反応を…?」

「そりゃあ課長がいないところでは散々愚痴っていやがってるよぉ。でも…うち完全に年齢が物言う雰囲気の会社だから…。うちらもなんも言えないんだよね…。」

そういうと女性はため息をついた。

「なんとかためになってあげたい感じですか?」

「そうなのよね…。でも私も同僚も社歴は課長に負けているからなんも言えないし…。」

「……いっそ【嘘】をついてみるのはどうでしょう?」

そういうと女性は、へ?という間抜けそうな声を出し、首をかしげる。

「ドユコト?」

「簡単な話ですよ。その課長に『あの方はもう彼氏がいる。』という嘘の情報を流すんですよ。もちろんその彼氏は会社内の人間ではないということにしてね。」

そう提案すると女性は俯く。

「私…今まで嘘なんてついたことないからなぁ。…ましてや上司の人なんかに…。」

「今までがどうこうとか関係ないです。本当にその部下のためを思うなら…。それに世間では【嘘も方便】と言いますから。時には嘘だって必要なのです。」

嘘も方便というよく聞くことわざに置き換えたのが良かったのか、女性の表情から曇りが消えた気がした。

「分かりましたぁ…。その案、使わせていただきますね。」

「ええ、お役に立てば幸いです。…あ、ちょうど到着です。3600円です。」

そういうと女性は1000円札を4枚数えて出してくる。400円を返そうとすると、おつりはあげるよぉと突き返してきた。

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華岡渚の運行日報 万事屋 霧崎静火 @yorozuyakirisaki

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