005 無人(前)

 無人(名)むにん①人のいないこと。住む人のないこと。むじん。

 ②…③…④恩義や人情などをわきまえない人。ひとでなし。



 靴…って言っていいのか。それもボロボロだ。

 弟くんは足を怪我しているようだ。歩様がおか しい。

 脇下に手を入れて、ひょいと抱き上げる。

 軽い。

 身長は多鎖のベルトの位置だから100cmほどか。4歳くらいか。もう少し体重があっても良さそうなものだが、幼児特有のぷにぷに感に乏しい。

 お姉ちゃんはおろおろしてるな。

 腰を落として、首の裏に手を廻させて、片腕で抱き上げる。

 こっちも軽いな。5歳くらいか。

 クサい。幼児特有のお日さまの匂いがしない。

 その匂いは幼児の生命力の指標のようなものだ。大人と違い、汗だくでも臭ったりしない。風邪気味だったり、弱ったりすると、匂いが変わるそうだ。

「おうちのほうを指して教えてくれるかな」

 幼い姉弟が顔を見合わせて、同時に指さした。

 やっぱり、あれか。

 実は見えていた。高さは2層までは届かないが、先端の尖った丸太製の柵がある。

 歩きで30分ってところか。でないと、片腕一人ずつの両腕抱っこは育児未経験のおっさんには無理なミッションだ。


「おじさんは多鎖たぐさり 良座郎りょうじろうと言うんだけど、二人のお名前を教えてくれるかな」

 沈黙は子供を不安にさせるだろう。おっさんに子供を和ませるような能力スキルはない。

「たぎゅちゃ?」

「そうか、言いづらいよなー。じゃあ、ラザロって、呼んでくれるかい?」

「らじゃろー」

 弟くん、元気だな。お姉ちゃんは野良猫に戻ってる。

 ゲームで設定する時の定番の自称だ。良座郎ラザロの読み替えだけど、金がなくとも復活しやすそうだろ。

 尚、弟くんは“じぇい”ことジェイドくんで、お姉ちゃんは“ねえちゃ”ことアンジェちゃん、だそうだ。

 キラキラネームの可能性は否定できないが、それでも日本なら苗字くらいあるよな。

 目指す柵と言い、洋風の名づけが連想させるものは、一つだか……。

「お父さんとお母さんは何をしている人かなー」

「とぅたんは木をきったり、石をはこんじゃりするのー」

 製材業?土木業かな。

「お家をつくってる」

 大工のようだ。

「かぁたんは葉っぱを育ててる」

「じぇいもお水をあげるのー」

 たぶん野菜だろう。母親は家庭菜園でもしてるのか。

 いずれにせよ、二人からは両親に対して、陽の感情しか伝わってこない。

 但し、虐待を受けている子供も同じような姿勢を示すこともあるようだから、判断するにはまだ早い。



 柵はまるで森に相対するように立てられていた。

 森を眺められるような高台も見えるが、人の姿はないようだ。(観光用って、雰囲気じゃないよな)

 入口は柵の端を回って、少し奥まったところにあった。

 中世の砦って、こんな感じだったのだろうか。

 木製の扉も重そうだ。幼い姉弟を降ろすと、わずかに開いた隙間から中に入っていった。

「施錠されていないのか」

 重いが、開く。内開きだ。

 中に入って観察すれば、扉は柵に繋がる閂が外されている。見上げれば、扉の外側凹所の先に落とし扉があった。地面に刺さった先端杭部の跡がなかったから近々では使われていないことが分かる。

 内に視線を戻せば、木造(外壁の一面が石積み)の小屋が点在する農村……、いや、寒村か。

 生活感も人の気配もない。

 一つ一つの小屋はボロいが劣化しているという感じではない。寂れたというよりも捨てられたという感じを受ける。

 観察よりも先に姉弟を追いかけねば……。


 脳梗塞の影響で身体のバランス感覚に障害が残った。体重を足にのせられないというか、踏ん張りが効かない。自主的なリハビリで歩きは何とかなったが、走るのが難しい。しかも、転びそうになったら、以前はおっとっとと耐えれた場面でも、確実に転ぶ。ついた手や身体に思いっきり負荷がかかる形でだ。

「待ってー」

 なので、追いかけるのも、せいぜいが速足だ。

 転がるように駆けていく幼児に引き離される。

 姉弟が入っていった家屋に到着した途端に、太ももに頭突きをくらった。

 弟くんだ。頭をぐりぐりした後に、にぱぁと見上げてくる。マーキングじゃないよな。

「速いなー。おじさん、追いつかなかったよ」

 取り合えず、頭でも撫でとくか。

 お姉ちゃんは浅い籠を手に持っている。

「ちょっと、お父さんとお母さんに挨拶させてもらえないかな」

 二人揃って、首を振る。

「……いない」

「えーと、それはどこかに仕事に行っているとかかな?」

 俯いてしまった姉弟の肩に手をのせて、多鎖は膝をついて姉弟よりも低い位置に身体を置く。先の理由でしゃがんでつま先立ちの態勢は維持するのが難しい。

「じゃあ、他の大人の人たちはどこかな?」

 二人は首を振るばかりだ。

「ここは君たちのお家なんだよね」

 またしても首を振る。

 それは、どういうこと?

「ここにした。葉っぱが生えてたから」

 ちょっと待て、さっぱり分からん?

 ついには弟くんが泣き出してしまった。

「あー、ごめんな。おじさんが悪かった。ゆっくりでいいから、君たちのことを教えてくれるかい?」

 姉弟の後頭部に手を当てて、そっと引き寄せて、二人を抱きしめた。


 筆者注)姉弟の父の職は“杣師そまし”(摩力のこもった木を切り倒したり造材したりする職)、母の職は薬師。

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