第17話 芦花

「では、盗ませてもらいまーす」


伊緒は叫んでいる警察官の前まで来てお辞儀をした。

山城の間には5人の警察官がいたが、床に張り付いて動けなくなっていた。

虎の面越しにくすくすと笑う。

そして伊緒は山城の壺の入っていたケースを開け、壺を手にする。


「あなた、なんで、この床の上を歩けるの?」


警察官は必死で立ち上がろうとした。

しかし床に張り付いて動けない。


「あたしが仕掛けたからね。ちゃんと対策してあるのよ」


伊緒は自慢気に警察官に告げた。


「本当、よくこんなもの仕掛けたわね」


いつの間にか伊緒のすぐそばまで芦花が来ていた。


「あら、よく歩けるわね」


伊緒は追ってきた芦花に感心していた。


「あなたの歩いた場所だけ踏んできたのよ」

「それは器用ね」

「何なのよ、この仕掛けは? 他の警察官は皆、床に張り付いて立てなくなってしまったわよ」


伊緒は誇らしげに説明する。


「山城の間の床にね、特殊なボンドを塗りたくっておいたの。超強力なやつをね。その上からね、水に溶けるカバーシートをかける。普段歩く分には何も感じないのだけれど、水分に触れるとカバーシートが溶けてボンドが露出するの。そのために発煙筒でスプリンクラーを発動させたのよ」


芦花はこの一週間を振り返って色々と納得した。

伊緒はこの一週間、ずっと天気の話題を口にしていた。

雨が降ったらこの粘着床の仕掛けが作動するのが心配だったからか。

一般客のいるときに粘着床が作動したら大事件だ。

一週間ずっと晴れる日を見計らって粘着床を仕掛けて予告状を出したのだろう。

美術館を案内してもらったときに米山さんがちらちら床を見ていたのは、この粘着床が気になったからだろう。


そういえば伊緒が粘着シールの話をしてくれたこともあったっけ。

何の気にも留めなかったが、このためのヒントだったのか。

伊緒はあとで芦花をおちょくるためにわざとこういったヒントを出してくる。

「もう、あんだけ言ったのに分かんないなんて、しょうがない子だね」

伊緒がそんなことを言ってくるのがまざまざと思い浮かべられる。


伊緒は床にボンドを塗りたくっておいたと言っていた。

しかし、床一面がボンドというわけではない。

自分が歩けるようにいくつかの足場は残しておいている。

それでも歩ける部分と歩けない部分は見た目で区別できない。

目を凝らせば分かるかもしれないが、発煙筒の煙やスプリンクラーの湿り気で判断しづらい。

足場のヒントは伊緒が歩いたかどうかしかない。

伊緒は山城の壺をかかえた。


「さて、どうする? わたしを追ってこられるかしら?」


伊緒は芦花を挑発する。


「このまま、あなたに飛び掛かって、倒れたら床に張り付くわよね」


芦花は自分の作戦を伝える。


「でも、わたしがそれを避けたら、あなたが床に張り付くだけよ」


伊緒と芦花の距離は5歩分。

芦花はどこに足を置けば良いか把握している。


「そう、だからこの一発勝負よ」


壺を抱えた伊緒はそう機敏には動けないはず。ここで押し倒しさえすれば捕まえられる。


「行くわよ」

「そういうのは宣言せずに、奇襲を狙った方が良いわよ」


伊緒が場違いなアドバイスをくれるが、芦花は構わず飛び込んだ。


芦花の手が伊緒に触れる寸前、伊緒は空中に浮かび上がった。


「え!?」


芦花は伊緒の予想外の動きに反応できずに、そのまま床に倒れこんだ。

ボンドが身体にまとわりつき立ち上がれなくなる。


「あ~ぁ、張り付いちゃったねぇ」


伊緒は空中に浮かんだまま芦花を見下ろす。


「なんで? 一体、何?」


芦花は何が起きたのか分からず、そのまま伊緒を見上げる。


「ちゃんと逃げる用のロープをいくつか仕掛けておいたの。警察もこの部屋を調べたのに天井の仕掛けに気付かないなんてね。床のボンドにも気付かなかったし、本当にザルな捜査ね」


伊緒が煽ってくるが言い返す言葉も思いつかない。


「ん?」


そのとき、伊緒はロープに違和感を持った。

段々と落ちていくような………


「嘘でしょ!」


伊緒は驚いてロープから飛び離れた。

床のくっつかない地点になんとか着地する。


「なんでロープが切れるの!?」


伊緒はロープの切れ端を見た。

重さでちぎれたような切れ方ではない。

ナイフか何かで切れ込みを入れた跡があった。


芦花が後に虹乃を問い詰めたところ「怪しいロープを見つけたので、イブキトラノオが使えないように切れ込みを入れておきました」とのことだった。

切れ込みを入れてイブキトラノオを騙すなんて高度なことをする前に、まずロープの存在を報告してほしかった。


「あ~あ、しまったなぁ」


伊緒は床の周りを見て考えていた。

着地した地点はボンドがないから、くっついていない。

しかし先に進もうとすると、ボンドの床しかない。

このまま脱出することは出来なくなってしまった。

芦花は床に張り付いたまま、伊緒に話しかけた。


「今、警察の応援を呼んだから。ボンドのはがし液を持ってきてくれるわよ。それまで動けなければ、そのまま逮捕してあげる」

「それは嫌だねぇ」

「自分で仕掛けたボンドで自分が動けなくなるなんて滑稽ね」

「それは確かに、みっともないわね」


伊緒は走り出した。出口ではなく、倉庫部屋の方へ。


「え?」


芦花は伊緒の行動に疑問を持ったが、伊緒はそのまま倉庫部屋に入って扉を閉めた。

山城の間から抜け出す道がボンドでいっぱいだからといって、倉庫部屋に立てこもる気か。

倉庫部屋は袋小路だ。

唯一小さな窓があったはず。

小柄な伊緒なら通れるかもしれない。

しかし窓は高い位置にあって、手が届くはずもない。

虹乃で試したときも脚立を使っていた。


倉庫部屋に足場になるような物はない。

全て片付けてもらったはず。

そんなところに立てこもっても、いずれ警察の応援が来る。

ボンドをはがしさえすれば、すんなり歩いて伊緒を包囲出来る。

ボンドをはがさなくても板やビニールシートを敷いて物置部屋を封鎖してしまえばよい。

伊緒を捕まえられるのは時間の問題だ。


「何を企んでいる?」


芦花はボンドで床に固定されたまま考えていた。

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