第2話 芦花

昼の二時をまわったところ。

私服に着替えて、三人で覆面パトカーに乗った。

運転は虹乃(にじの)の役割。


「今度はどうやって盗むんでしょうね?」


助手席の星菜(ほしな)は資料を見ながら言った。


「ミズノト美術館は干支町でも一番大きい美術館だからね。イブキトラノオも大変でしょうね」


芦花(ろか)は後部座席から答えた。

答えつつも手では、晴瑠(はる)の頭を撫でていた。

晴瑠は芦花の太腿で気持ちよさそうに目を閉じていた。


「盗む側としては、美術館は大きい方が大変なんですか? 小さい方が大変なんですか?」


星菜が芦花に訊く。


「美術館の大きさよりも、警備機器の多い少ないが重要だと思うわ。監視カメラとか警備センサーとかをどう突破するかを考えるはず」


犯人を捕まえるには、犯人と同じ思考をしてみること。

自分が盗みに行くなら、どうするか。

芦花はイブキトラノオを捕まえるために、思考をめぐらす。


「芦花さん、渋滞です」


運転していた虹乃が報告する。時速60キロで走行していた車が減速していく。


「やっぱりか」


昨日、イブキトラノオが犯行予告の動画をアップロードした影響で、一般町民がミズノト美術館に押し寄せてきているのだ。

ここのところ、毎回そうだ。

イブキトラノオの影響で美術館が異例の繁盛を見せる。


「イブキトラノオの正体は美術館の関係者で、美術館に人を呼ぶために盗み始めたっていう噂ですよ」


星菜がスマホを見ながら芦花に報告する。


「その可能性もあるわね。それなら美術館関係者全員のアリバイを調べてみる? 干支町で百人以上いると思うけれど」


芦花は晴瑠の頭を撫でながら言った。

干支町の人口は2万人以上。

その中から美術館関係者を絞り出して、アリバイを調べるのは途方もない作業になる。

あまり実行したくない案だ。


「それ、やるとしたら、あたしたちだけでやるんですか?」


星菜が嫌そうに言う。


「そんなことに本部が予算と人員をくれそうにないからね。やるなら私達だけでしょうね」

「うわぁ、やりたくない!」

「結局、警察本部も本気でイブキトラノオを捕まえる気がないのよ。イブキトラノオが犯行予告を動画に上げるから形だけ対応しているのだけれど。美術品なんて盗まれても警察は困らないしね」

「身も蓋もないですね」

「警察だって金が無いと何もできないのよ。逆に金にならないことはしたくないの」


芦花は溜息をついた。

社会人というのは世知辛いのである。


「芦花さん、芦花さん」


運転席の虹乃に呼ばれる。


「どうしたの?」


芦花は呼びかけに応じる。


「芸術って何だと思います?」


虹乃の唐突な質問はかなり抽象的なものだった。


「難しいことを聞くわね」

「イブキトラノオって芸術盗賊を名乗っているじゃないですか。そんなイブキトラノオのやっていることって芸術だと思います?」


芦花は感心していた。


「考えたことが無かった着眼点だわ。良い視点ね」

「ありがとうございます!」


虹乃は元気良くお礼を言った。

しかし、芸術とは何か、ね。

イブキトラノオのしていることは芸術かどうか。


「昔、読んだ本に書いてあったんだけれど……」


芦花は記憶をたぐる。

あれは三年くらい前に読んだ本に書いてあったはず。


「参考文献があるんですか?」

「ええ。『芸術は性欲が顕著になったものである。芸術とは精神的なものではなく、人間の身体を直接的に気持ち良くしてくれるものである』みたいなことが書いてあったわ」

「……昼間からえっちな話をしています?」

「いや、そういうわけじゃなくて……そう書いてあったのよ」


虹乃に鋭い部分を突っ込まれて、狼狽えてしまう。

参考文献:谷崎潤一郎『金色の死』


「直接的に気持ち良くしてくれるものってどんなものですか?」

「眼で見たり、耳で聞いたりしたときに気持ち良くなるもののことね。絵画や彫刻を見たときに『すごい!』って感動したり、良い音楽を聞いた時に『気持ち良い』って感じるようなことよ。これが芸術だということね」

「なるほど」


虹乃は納得してくれたようだ。


「イブキトラノオの盗む姿を見て『すごい!』って感動する人がいるなら、それは芸術と言っても良いんじゃないかしら?」

「確かに、良さそうですね」


芦花と虹乃がそんな話をしていると、星菜も会話に参加してきた。


「はい、芦花さん! 質問があります」

「何かしら?」

「芦花さんはイブキトラノオの盗む姿を見て感動しますか?」


芦花は返答に窮した。


「ああ、まぁ、…………」

「やっぱり捕まえられなくて悔しい気持ちが強いですか?」

「……そうね。まぁ、悔しいわね」


芦花は正直な内心を隠せてほっとした。


「わたしは感動するんですよね。よく毎回こんなすごいトリックを思いつくものだなって」

「そうね。そういう点に感動する部分はあるわね」

「感動する気持ちが大きくて、悔しいなって気持ちがまったくないんですよね。警察として駄目ですかね?」


どうなんだろう?

警察という肩書からすると駄目な気もするけれど。


「良いんじゃない? 窃盗犯じゃなくて芸術盗賊なんだし」


そう、これは。

犯罪者を捕える警察の話ではない。

イブキトラノオの芸術盗賊の話。

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