芸術盗賊イブキトラノオ
司丸らぎ
第1話 芦花
11月21日
スクリーンに映し出される淡紅の花畑。
呆れるほどに見慣れてしまったイブキトラノオの草原。
動画の始めはいつもこの花が咲き乱れる光景。
「皆さん、ごきげんよう。芸盗イブキトラノオだ」
動画には虎の面を被った人物が現れる。
読み上げ用音声合成ソフトの声が会議室中に広がる。
警察は未だにこの人物が男か女かも分かっていない。
一応、女であるとは予想されてはいるが証拠はない。
そもそも動画に出てくる人物が毎回同じ人物かも分かっていない。
「今回はミズノト美術館にある山城の壺を頂きたい」
刑事の森岡芦花(もりおかろか)は手元のルーズリーフにメモを取る。
あとで動画を見返すことも出来るから、そんなに懸命になってメモを取る必要もない。
手持無沙汰の手遊びだ。
動画ではイブキトラノオが山城の壺の説明を始める。
江戸時代に作られたとか、将軍様が愛用したとか言われても歴史に疎い芦花にはぴんとこない話だった。
ただイブキトラノオが狙うぐらいには高価な一品であるとういうことが分かっていれば良い。
「期日は11月28日。時間は未定だ。この日に山城の壺を頂きにあがる」
大切なのは11月28日という日付と、場所がミズノト美術館であること、盗むものが山城の壺である。
この三点だけ押さえておけば仕事になる。
「それでは、皆さん。お楽しみに」
虎の面を被ったイブキトラノオが画面から消え、動画が終わる。
捜査係の刑事が会議室の電灯を点ける。
司会の刑事がマイクを握り話し出す。
「以上が、今回送られてきたイブキトラノオからの犯行予告です」
芸盗イブキトラノオは犯行予告をインターネットの動画サイトにアップロードする。
誰にでも見られる状態でアップロードするから、11月28日にミズノト美術館で山城の壺を盗むことは世界中の誰もが知ることが出来る。
イブキトラノオが有名になって以来、動画の再生数はかなり多い。
この動画もアップロードされたのは昨日。
それにも関わらず、10万回の再生がされている。
昔の怪盗ならば、美術館や警察に予告状を送りつけるものなのだろう。
しかし芸盗イブキトラノオは予告状の代わりに予告動画をアップロードする。
これが現代最先端の盗賊のやり方らしい。
おかげで毎回、犯行現場には一般人が押し寄せる。
芸盗イブキトラノオを見ようとする人だかりが発生する。
おかげで警察の警備もやりにくくなってしまう。
交通整備もやらないといけない。
手間と人員が増える。
しかし仮に人だかりがなくても、イブキトラノオが捕まえられるかといえば、無理な話なのである。
今まで一度も捕まえられていないのだから。
今回もどうやって捕まえようか、会議室で無い知恵を絞らないといけない。
「動画の要点をまとめます」
司会の刑事がホワイトボードにいくつか書き記す。
11月28日という日付と、場所がミズノト美術館であること、盗むものが山城の壺。芦花は自分のメモと同じことが書いてあることを確認する。
「では、全体の会議は以上で終わります。各自綿密な対策を」
「はい!」
会議室中の刑事が起立して敬礼をした。
会議を終えて、警察署の五階の隅にある部屋へ戻ってきた。
「ただいま」
芦花の気の抜けた声が、小さな部屋に広がる。
「お帰り、室長」
今泉虹乃(いまいずみにじの)が声をかけてくれる。
「なんかいいこと言っていました?」
田上星菜(たがみほしな)が訊いてくる。
「全然。いつも通り頑張れってさ」
芦花は溜息を吐きながら、座っていた虹乃に後ろからまとわりついた。
髪からローズの香りがする。
いつもの虹乃の香りではない。
シャンプーを変えたのかな?
「一回も捕まえたことないんだから、いつも通りやっていたら、また捕まらないですよね?」
虹乃が呆れたように言った。
背中にいる芦花の頭をぽんぽんと撫でてくれる。
「今、あたしたちも動画を見ていましたけど、予告日は来週ですよね。早くないです?」
星菜がカレンダーを見て言う。
本日は11月21日。
犯行期日は11月28日。
あと一週間で対策を立てないといけない。
干支警察署の五階の隅、芸盗イブキトラノオ特別対策室。
対策室といえば聞こえが良いが、実際は三人で雑務をするだけである。
ここ干支町に芸盗イブキトラノオが現れて一年が過ぎようとしている。
芸術盗賊、略して芸盗。
干支町にある美術館から様々なものを盗んでいった。
毎回、犯行予告を動画サイトに公開する。
そして、犯行が終わった後の報告も動画にして公開する。
毎回、自分の窃盗の様子を事細かに解説し警備を欺く様は、手品師のような芸術性を伴った窃盗である。
非常に洗練された窃盗の様子は、一般町民にも人気でファンも多い。
まるで映画をみているようだと、イブキトラノオの動画を待ち望んでいる人は多い。
窃盗は犯罪であるにも関わらず、窃盗の様子が人気なのはまずいのではないかと思うのだが、最近ではファンクラブも出来たとかなんとか。
そんなイブキトラノオに対して、警察は威信のためなんとか捕獲したいと思っていた。
思ってはいたのだけれど、どんなに警備を強化しても、どんなに人員を増やしてもイブキトラノオを捕まえることは出来なかった。
軽々とイブキトラノオに美術品を盗まれて行ってしまう。
とうとう先月で十連敗を記録した。
警察署全体に捕獲を諦めたような雰囲気が流れ出してきていた。
それでも警察としてはイブキトラノオの捕獲を諦めるわけにはいかない。
尻尾を撒いて逃げるなんてことはみっともなくてできない。
形だけでも対策をとっているかのようにしないといけない。
警察署内で暇そうな人を集め、イブキトラノオ対策室を設置し、いかにも仕事をしている形を作った。
しかし実際にしている芦花たちがしている仕事は、毎日イブキトラノオの動画を眺めているだけである。
「虹乃、星菜。支度しなさい。現場の下見に行くわよ」
「はい!」
「分かりました!」
芦花が指示を出す。
虹乃と星菜の二人は退屈から解放されて、嬉しそうな返事をした。
二人とも散歩を待ちわびた犬みたいだった。
可愛いなぁ。
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