第3話 女幽霊 Bパート
唇を重ねた、その瞬間。
体の芯をぞくぞくとした快感が迸ると共に、チャクラに滾(たぎ)るほどの神気が注がれるのがわかった。
ともすれば腰からくずれ落ちそうになるほどの快楽と。
圧倒的な万能感。
何時までもキスをしていたくなる欲求を、スズメは気力で強引にねじふせて、というか、実際に女薫をポイと放った。
ちょいと乱暴だが、気遣うような余裕はなかったのだ。
「ヤバイ薬って、こんな感じなのかしら?」
白目を剥いて気絶している薫を見る。
見ているうちにも、黒いモヤが少女を少年へと変化させる。
「ほんと、なんなんだろコイツ」
と、薫の不可思議に思いを馳せたのは一瞬。
スズメは立ち上がった。
『そこにいたかあああああああ』
矢のように鋭くテーブルの脚の1本が殺到する。
それをスズメは避けた。
しかも首を傾げただけで、だ。それだけの動作で、顔面に迫り来る凶器を回避してみせた。
これこそが、七星スズメの能力だった。
九十九神の名は、未来日記。
過去未来、全ての事象が記されていたとされる白紙の日記の、その半分である。
能力は、その神の名が示すとおりに、未来予知。
もっとも。
普段のスズメでは、予知は1秒の半分ほどの先しか読めはしない。
くわえて、5回も使えば神力が尽きてしまうという有り様だ。
もう1度書こう。
普段のスズメでは。
だが、今のスズメは違う。
充実した神力が、ゆらゆらと立ち上っているほどなのだ。
1秒先の未来を見通すことなど、造作もない。
連続使用しても、何等の支障もなかった。
『どうして、中らないいいいいいいいいいいいいいい!』
雨あられと降り注ぐ凶器を、スズメは歩みを進めながら避けた。
未来が読めるのだ、余裕だった。
ほどなく、スズメは怨霊と対峙した。
『憎い憎いにくいにくいにキィいいいいいいいいいいい』
胸を掻きむしりながら怨霊が悲鳴をあげる。
スズメは気の毒そうに怨霊を…彼女を見た。
ネクタイを外して、剣と化する。
「のさばる魂に安らぎを」
胸を刺した。
悲鳴が止み、凶器が床に落下してひどい物音を立てた。
ヒューーーーーーーーー、と怨霊の口から断末魔が漏れ、般若の面相が落ちる。
そこにあるのは、儚げな女だ。
女がゆっくりと中空を見上げた。
『なんだ、そこにいたんだ。ずっと待っててくれたの?』
女の体が崩れ、光となって霧散し、昇華してゆく。
スズメはその様子を最後まで見送った。
「つっかれた~~~」
家に帰り着いた薫は、ボスンと万年床に倒れ込んだ。
築40年。木造アパートのワンルームだった。
トイレと風呂こそあるが、もちろんウォシュレットじゃないし、風呂もバランス釜という昭和風情がしこたま残った部屋である。
であるからして、倒れ込んだだけで、ギシリと床が軋んだ。
「にしても、つかれた…」
疲労といった感じじゃない。
気力が吸い取られた感じだ。
何かがあったんだろう。
が、その何かが思い出せない。
怨霊から逃げ出して、スズメに怒られたところまでしか記憶にないのだ。
その後がプツリと途切れていた。
目を覚ますと全てが終わっていて、スズメに訊いても
「憶えてないなら、それでいいわ。もしも憶えてるようだったら、記憶喪失になるまでぶちのめさなきゃならなかったんだから」
なんて物騒なことを言われてしまったのである。
「とりあえず、飯でも食うか」
薫は布団のうえにあぐらを掻いた。
帰りにコンビニに寄って、大量に食料を買い込んでいた。
弁当にホットスナック。お菓子にジュース。チルド惣菜に冷凍食品。
欲しいがままに買ってしまった。
おかげで財布はスッカラカン。素寒貧である。
だが問題ない。
祓いの報酬、1万5千円が入るのだから!
「なに食べようかな」
久方ぶりのまともな食事だ。
ブルルルル、スマホが震えたのは薫が立ち上がろうとした時だった。
相手は
「マネージャー?!」
薫はあわててボイスチェンジャーのアプリを起動した。
なんせマネージャーは薫が女だと思ってるのだ。
「はい」
と出たところで
「遅い!」と怒られてしまった。
「あたしはあんた等と違って忙しいんだから、直ぐに出なさいよね!」
キンキン声で喚かれて、薫は思わずスマホを耳から離してしまった。
感情的にさえならなければ知的美人だとおもうんだけどな~~~。
などと考えながら、薫はマネージャーとの出会いのことを思い返していた。
約2ヵ月前のことだ。
「アネモネに入ることになりました。花園薫です」
と挨拶したのだが
「あ、そ」
であしらわれた。
それだけなら、まだいい。
よくはないけど、女性から嫌われ体質の薫からしたら慣れたものだ。
けど、マネージャーは更に言ったのだ。
ふ~~~ん、とバカにしたみたいに笑って
「あんたぐらいの顔でアイドルね」
ま、
「せいぜい頑張れば」
と追い打ちしたのである。
その態度に、薫は怒るよりも『こんな人間が現実に存在するのか』と感心してしまった。
かように態度の悪いマネージャーは、もちろんというべきか、『スター』や『フラワー』といった等級の人気アイドルを任されるはずもなく、『マッシュルーム』に位置するカースト底辺のアイドルばかりを複数かけもちで担当していた。
そうした扱いがまた彼女のプライドに障るらしく、常にカリカリイライラしているのである。
「まったく、これだからチヤホヤされるだけが望みの女ってのは嫌なのよ!」
マネージャーが毒づいている。
これはマズイ。
説教…というよりか、いびりモードにはいりそうだ。
何回かネチネチやられている薫は、察するとスパっと切り込んだ。
「それで、何の用なんスか?」
「…今日のことよ」
マネージャーはまだ何か言いたげだったが、本題を口にした。
忙しいというのは本当なのかも知れない。
「あんた等、アネモネに頼んだ幽霊の祓いのことよ」
「問題なく祓えたっスよ?」
問題なくだぁ?!
マネージャーは語尾をあげることで不満を伝えてから
「大ありよ大あり! なんなのあれは!」
ヒステリックに怒鳴った。
「床も天井も壁も、ボロボロじゃないの! テーブルも椅子も無事なのはひとつもないし! ただの幽霊の祓いが、どうしたらあんな惨事になるってゆーの!」
えーと。俺が怨霊にしてしまったからDEATH。
なんて告白できるはずもない。
「店の修理費用と、営業損害、せめて50万! あんた等アネモネの借金だからね!」
言うことだけ言うと、通話は切れてしまった。
薫はしばらくボーとしてから
「1万5千円の報酬…もらえないんだろうなぁ」
コンビニ袋に詰められた食料品に目を向けた。
仕送りの振り込みがあるまで、あと20日。
どうやって食いつなごうかと考えながら…。
退魔士と書いてアイドルと読む、そんな世界(仮) 飯屋魚(ままやとと @MAMAyaTOTO
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