トイ!トイ!トイ!

高央みくり

第1話

ニコは私にとって、すごく大切な友達だった。彼女の体はピンク色で長い耳がトレードマーク。耳元につけた白いリボンは私とお揃いのもので、リボン結びができるように練習して、私が自分でつけた物だ。


幼稚園の頃からずっと一緒で、どこへ出かけるにも一緒だった。周りの子たちがどんどん大人びてきて、ぬいぐるみと一緒に出かけているのは私くらいしかいなくなっていたけれど、それでも、どんな時だって一緒に過ごしたいと思っていた。これからも一緒にいろんなところへお出かけするんだと思っていた。


だから学校から帰ってきたら彼女がいなくなってるなんて、本当に信じられなかった。

「もうすぐ中学生になるんだから、そんなボロボロのぬいぐるみを持ち歩くのは恥ずかしい。持ち歩くくらいなら捨ててしまった方がいい」なんて、くだらない理由で捨てられてしまったのは、もっと信じられなかった。


私はニコを捨てられてしまったことを知って、ランドセルを床に放り投げたまま、家の外へ出た。

「結衣!自分のランドセルくらい、片付けてから行きなさい」という母の声が、扉が閉まる音で遮られる。


私はゴミ捨て場に向かって必死で走った。運動が今だけでいいから得意になればいいのにと思った。早く行かなきゃ。もしかしたら、まだニコが入った袋は残ってるかもしれない。


…そう思ったのに、現実はそんなに甘くなかった。ゴミ捨て場に着いた時には、もう何の袋も残っていなかった。走っても間に合わないことなんて、心のどこかでわかっていたはずなのに。


きっと私が学校に行っている間に、とっくの昔にニコは連れて行かれてしまったんだ。


私はその場にしゃがみ込んだ。喉の奥がツンとして、涙がボロボロ溢れた。


ずっと一緒にいたかったのに。これからもいろんなところに、ふたりで行きたかったのに。たとえお別れする時が来てしまったとしても、ちゃんと気持ちを伝えてからお別れをしたかったのに。


わあわあ泣いたって、もうニコは帰ってこない。一緒に運ばれて行ったゴミと一緒に燃やされてしまうんだ。


そう思うと、もっと悲しくなって涙が溢れた。でもきっと私よりも悲しいのはニコの方だ。ボロボロになったからって、捨てられてしまったのだから。

もっと大切にしてあげればよかった。おかあさんは前から「そんなぬいぐるみなんて」って言ってたんだ。学校に連れてくなって言われても、捨てられてしまうくらいなら連れて行ってあげればよかったんだ。


後悔ばかりが渦を巻く。涙も悲しい気持ちも、いつまで経っても引っ込んではくれない。


もう一度、ニコに会えたら…。


そう思った瞬間、私の後ろから声がした。


「ニコちゃんはそこにはいないよ」


男の子の声だ。


「誰?」


振り返るとそこにいたのは、私よりもずっと高い身長の男の子だった。綺麗で長い銀髪、真っ青な瞳。それからまっすぐピンと伸びた耳…。


「耳ィ?!」

「しっぽもあるよ」


きつね?の男の子はくるりと私の前で回ってみせた。なんだかぴかぴかしていて高そうな和服の隙間から、これまた立派なふさふさのしっぽが生えている。

あっ、ほんとだ。よく見たら耳だけじゃなくてしっぽもある…じゃなくて!


「な、なななななに?!あなた何者?!てかなんでニコのこと知ってるの?!」

「それはぼくの仲間が、あなたの探し物を連れてきたからさ」


男の子の仲間がニコを連れて行った?なんで?


「連れて行ったってどういうこと?どこに?」


私が尋ねると、男の子は少し考えてからこう言った。


「君はもう一度、大切なあの子に会いたいと思う?どんなに大変だったとしても、会いに行けるという覚悟があるのなら、僕があの子のいるところへ連れて行ってあげるよ」


私はごくりと唾を飲み込んだ。そんなの会いたいに決まってる。あの子を取り戻せるなら、どんなことでも頑張れる自信がある。


「お願い!私をニコのもとに連れて行って!」


私がそう言うなり、男の子はふっと微笑んだ。


「君ならそう言うと思ってたよ」


男の子は着物の袖から何かを取り出すと、私の首にそれをつけてくれた。

…なにこれ。なんか札みたいなのがついたネックレス?


「通行証さ。こっちの世界に戻ってくるまで、絶対にそれを外してはいけないよ」


こっちの世界?

男の子の長くて細い指が触れる。男の子はそのまま私の体を抱き抱えると、トンッと靴を鳴らした。


「それじゃあ、改めて自己紹介させてもらおうか。僕はトイランドと人間界を繋ぐ案内人、こんのすけさ。よろしく頼むよ」


トイランド?ていうか男の子はなんで私のこと抱っこしてるの?これって、お姫様抱っこってやつなんじゃ…そう訊ねる間もなく、私たちの体は宙に浮かぶ。


へ?私たち飛んでる?


いや。正確に言うと、私たちの体は真下にぽっかりと空いた穴の中へ向かって、真っ逆さまに落っこちていた。


「う、うわあ〜〜〜ッ!?」


さっきまで目の前にあったゴミ捨て場がどんどん遠くなっていく。この真っ暗な穴の先に、そのトイランドとやらは本当にあるんだろうか。


私は思わず目をぎゅっと瞑った。


「大丈夫だよ。僕がちゃんと連れて行ってあげるから」


私の不安な気持ちがこんのすけにまで伝わっていたのか、こんのすけは手をぎゅっと握ってくれた。


「う、うん」


そうだよね。こんなことで怖がってなんかいられない。私はきゅっと唇を結び、こんのすけに身を任せた。


私はどんなに大変な思いをしても、ニコを取り戻しに行くって決めたんだ! ニコのこと、絶対、絶対に取り戻してみせる。


ーーーーー


トイランドにやってきた私は、こんのすけと共にトイランドのあちこちを歩き回っていた。


でも私がここに来て最初に驚いたのは、私の体が人形みたいになっていたこと。窓ガラスに映った私の姿を初めて見た時は本当にびっくりした。だって手は布みたいになっているし、目はビーズみたい。私は驚いて、こんのすけに掴みかかってしまった。


「ねえ!これどういうこと?!私、お人形さんになっちゃったの?!」


こんのすけは慌てる私を見て、ああ、となにか察したようにこう言った。


「言い忘れてたけど、人間はそのペンダントを付けてると、トイランドにいる間はおもちゃの姿に見えるようになるんだ。トイランドには人間嫌いもいるからな。通行証はトイランドへの入国証でもあるけど、そいつらにバレないようにするためのものでもあるんだよ」


へえ。そんなにすごいものなんだ。それならたしかに、トイランドを出るまでは、このペンダントをつけたままじゃないとダメだよね。でも、バレたらどうなっちゃうんだろ?


「もしもだよ?もしもそういう子たちに、人間ってバレたらどうなっちゃうの?」

「バレたら?うーん…体を八つ裂きにされるかもしれない…」

「や、八つ裂きぃ?!」


怖っ!トイランドから帰るまで、絶対にペンダントを外さないようにしなきゃ。私は心からそう誓った。


ところでニコがトイランドのどこにいるのか考えてたんだけど、こんのすけが言うには、この世界にやってきたおもちゃたちは、持ち主と過ごしていた頃と近い暮らしをする傾向があるんだって。


だから普段からニコを連れて、いろんなところに一緒に出かけてたなら、もしかしたらニコもトイランドのあちこちを歩き回ってるんじゃないかって、こんのすけは教えてくれた。


トイランドには私が住んでる街とは違って、教科書で見たことがあるような古い建物から、最近作られたみたいな真新しい建物まであった。そしてなによりもすごいのが、どこを見てもおもちゃ、おもちゃ、おもちゃ。本当に私はおもちゃの国、トイランドにやって来たんだ。


「よお、こんのすけ」

「こんにちは。チャーリー」


「あら、こんのすけじゃない」

「やあ、マリー。今日も素敵な服が揃ってるね」


こんのすけは知り合いが多いみたいで、あちこちで声をかけられていた。ダンスが上手なブリキのおじさん。服屋で働いているフランス人形のお姉さん。ぴょんぴょんと跳ねながら、楽しそうに遊んでいる積み木たち…。


こんのすけは会う人、会う人に、ニコのことを訊ねてくれたけど、誰もニコがどこにいるのか知らないみたいだった。ニコはどこにいるんだろう。こんのすけは持ち主と過ごしていた頃と近い暮らしをするって言ってたよね。じゃあさっき会った服屋さんは、持ち主とお店屋さんごっこをよくしてたのかな。ブリキのおじさんは、持ち主が音楽に合わせて踊りを踊らせるのが好きだったのかもしれないし…。


じゃあこんのすけは…って、あれ?こんのすけは?


さっきまで隣を歩いていたはずのこんのすけがいない。あたりをキョロキョロ見回してみても、周囲にいるのはおもちゃばかりで、人の姿はなかった。


どうやら私は考え事をしている間に、こんのすけとはぐれてしまったようだった。さっきまでどこにいたのかもわからない。初めて来た街だから、どの道を通ったのかもわからない。困ったことに、こんのすけとの連絡手段もない。私はもう途方に暮れるしかなかった。


まだ何の手がかりもないし、どこに向かえばいいかもわからないしどうしよう。…そもそも私が会いにきたら、ニコは喜んでくれるのかな。帰りたくない、おまえなんか嫌いだって言われちゃったらどうしよう…。


心細くて、悪いことばかりが頭をよぎって、私はまた泣き出しそうになった。地面を見て歩いていたからか、私は目の前に人がいたことに気づかなかった。


「うわっ!」


私は何かにぶつかって、勢いよく尻もちをつく。石畳の床は固くて、お尻がジンジンする。


「悪い。大丈夫か?」


声がした方を見上げると、茶色くバサバサした長髪の、ちょっと怖い雰囲気のお兄さんが私に向かって手を差し伸べて立っていた。一瞬、「あれ?この人も人間?」って思ったけれど、よく見たらこのお兄さんにも、オオカミみたいなふさふさの耳と、立派な尻尾が生えている。トイランドの住人っておもちゃばかりだと思ってたけど、こんのすけみたいに人間みたいな姿の人もいるんだな。


「すいません。ありがとうございます」


見た目は怖そうだけど、本当は優しい人だったりする?私はお兄さんのご厚意に甘えて、差し伸べられた手を取ることにした。


私たちは近くにあった公園に移動する。オオカミのお兄さんは、私をベンチに座らせると、少し離れたところで誰かと連絡を取り始めた。


もしかして、トイランドには迷子センターみたいなのがあって、そこに連絡してたのかなあ。さすがにもうすぐ中学生になる歳にもなって、迷子センターに連れて行かれるのは、いくら別の世界だったとしてもちょっと恥ずかしいかも…。


オオカミのお兄さんは、戻ってくると私にペットボトルのジュースを手渡し、隣に座った。


「待たせたな。それで…どうした?迷子か?」

「ええと、知り合いとはぐれてしまって」


もらったペットボトルをきゅっと握りしめる。

いくらこんのすけがこの街の有名人だったとしても、もしかしたらこの人は知らないかもしれないもんね。

オオカミのお兄さんは、「知り合いねえ…」と呟きながら、何やら私の首元をじっと見ていた。あれ?もしかしてペンダントを見てる?


「もしかしてそのペンダント…その知り合いって、こんのすけのことだったりするのか?」


…!こんのすけの知り合い!


「そうです!良かったあ、こんなとこでこんのすけの知り合いに出会えるなんて!」


やったー!迷子になったと思ったら、こんのすけの知り合いに出会えるなんてラッキー!これでこんのすけと再会できるかも!

そう喜んだのも束の間だった。オオカミのお兄さんは、私の耳元でこう囁いたのだ。


「なあ。お前、人間だろ」

「え!?なんでそれを知って…!」


しまった!そう思って慌てて口を塞いでももう遅い。そうだよ、オオカミのお兄さんはこんのすけの知り合いだったとしても、人間の味方とは言ってない。なのにこんな反応をしたら、私は人間です!って言っているようなものじゃない!


「トイランドには人間嫌いもいるからな」

「バレたら?うーん…体を八つ裂きにされるかもしれない…」


さっきこんのすけとした会話が、頭の中をよぎる。どうしよう。このお兄さんが人間嫌いだったら。


心臓がどくどくと早鐘を打つ。私は震える唇をゆっくり開いた。


「もしそうだって言ったら、どうします?」


ごくりと唾を飲んだ。オオカミさんの鋭い眼光が、私をまっすぐ見据えている。


八つ裂きは嫌だ、八つ裂きは嫌だ…!


心の中でそう繰り返していると、オオカミのお兄さんの手がこちらに向かって伸びてくる。思わず、私は目をぎゅっと瞑った。


その瞬間、お兄さんの手は私の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「…え?」


私は恐る恐る目を開いて、お兄さんの方を見る。するとお兄さんはおかしそうに笑ってこう言った。


「別にとって食ったりしないから安心しろよ。俺はこんのすけの仲間のエリオット。お前にとって、味方だよ。お前のこと探してるって連絡が来てて、ちょうど見つけたから保護しただけ」


私はヘナヘナとへたり込み、膝に顔を埋めた。


「な、なんだあ…。エリオットさんってこんのすけの仲間だったのかあ」

「エリオットでいいぜ。悪かったな。誤解を生むようなことを言って」


エリオットはそういうと、ニカっと笑ってみせた。


でも本当に食べられちゃうかと思った。だけどこんのすけの仲間って言ってたし、私の味方とも言ってくれたし、もう安心だよね。


ーーーーー


「おーい!」


そうこうしているうちに、エリオットから連絡をもらったこんのすけが、私を迎えに来てくれた。


「エリオット!結衣を保護してくれてありがとう」

「おう、連れならちゃんとそばにおいとけよな」

「結衣もごめんね。他の人にニコちゃんのこと聞いてる間に見失っちゃって…」

「ううん。私も考え事してて。はぐれちゃってごめん」


今度こそ、はぐれないようにしないと。今回はたまたまエリオットと会えたから良かったけど、会えなかったらこんのすけを探して、ずっとトイランドの中を一人で彷徨うことになってたかもしれないし。


でもこれだけ歩き回ったのに、全くニコの情報が出てこないなんて。…もしかして、ニコは歩き回ってるんじゃなくて、街の中じゃないどこか別の場所にいる?


たしかに私たちはあちこちにお出かけへ行ったけど、小さい頃からよく遊びに行ったのは…。


「あっ!」


私が思わず叫ぶと、こんのすけとエリオットが驚いたようにこちらを見た。


「どうしたの?結衣」

「私、思い出したの!ニコがいそうな場所!」


そう、私は思い出したんだ。昔はお母さんとお父さんと、私とニコで毎年ピックニックに行ってたんだった。ニコにお揃いのリボンをつけて、シロツメクサで冠を作って。それが毎年の楽しみだった。ニコももし、あのピクニックを楽しんでいてくれてたら…。


「ニコはきっと、シロツメクサがたくさん咲いてるところにいる!私をシロツメクサがたくさん咲いているところに連れて行って!」


ーーーーー


「ニコー!ニコー!」

「ニコちゃーん!」

「結衣が会いに来てるぞー!いたら返事しろ!」


こんのすけは私たちを中心街から離れたところにある、草原に連れてきてくれた。中心街は新しいものから古いものまで集まっていたからか、なんだかごちゃごちゃしていたけれど、ここはあちこちにお花が咲いていて、落ち着いた雰囲気だ。


「シロツメクサってクローバーのことだよな?」

「そう。クローバーで、白い花が咲くの」


エリオットも心配だからって、私たちと一緒に来てくれた。こんのすけは「これだけ広い草原でも、遮蔽物はとくに無いから、ニコがいればすぐにわかると思う」って言ってたから、きっと3人で手分けして探せば、すぐに見つかるよね。


「ニコー!私だよー!会いに来たよー!」


シロツメクサはあちこちに生えていた。他にも草原にはいろんな色の花が咲いていて、ここでニコとピクニックが出来たら最高だなあと思う。


いい香りがする花も咲いているみたいで、そこら中から香水みたいな香りがするし、これだけカラフルなお花が咲いてるなら素敵な花冠も作れるだろう。


ニコが見つかったら、また改めて、この花畑に遊びに来よう。そんなことを考えながら歩いていた時、丘の上に生えている木の下に、小さな影が見えた。


「もしかしてニコ…?」


私は早足で木に向かって歩いていく。近づくにつれて、それははっきりと見えるようになっていって、気づいた時には私は走り出していた。


「ニコ!」


私は木の下ですやすやと眠っていたニコを抱き抱えた。小さいピンクの体に長い耳。耳元に結ばれている、白いリボンは私とお揃いのものだった。


ニコは私に抱き抱えられた瞬間に驚いて起きたみたいで、「ふわぁ?!」と小さな悲鳴をあげて、きゅるんとした大きな瞳をぱちくりさせた。


「もしかして、結衣ちゃん…結衣ちゃんなの?」


ニコの大きな瞳の中がウルウルと揺らぐ。


「うん。ニコを迎えに来たの。…一緒に帰ろう?」


やっと再会できたことで安心出来たのか、私たちはわあわあ泣いた。でもニコと会えたからもう、悲しくはなかった。


ーーーーー


私たちはひとしきり泣いた。声を聞いてやってきたこんのすけとエリオットは、「見つかって良かった」と私たちの再会を喜んでくれた。


一緒に探してくれたこんのすけたちを見送り、私たちは2人で花冠を作った。ニコは私が来るまでに、先に花冠を作っていたらしく、作った花冠を頭にかぶせてくれた。


「上手だね」


私がそう言いながらニコの頭を撫でると、ニコは照れくさそうに「えへへ」と笑った。


この幸せな時間がずっと続けばいいのにな。


私はそう思いつつも、本当にこのままニコをトイランドから連れ帰るのは、良いことなのかという疑問にも悩まされていた。


ニコを連れ帰れれば私は幸せだけど、お母さんはまたニコを捨てようとするかもしれない。そういうことになりそうなら、このままニコはトイランドで他のおもちゃたちと暮らした方が幸せなのかもしれない。


トイランドのみんながみんな、良い人とは限らないけど、こんのすけやエリオットみたいな優しい人もいる。きっとお願いすれば、私の代わりにニコを見守ってくれる…。


悲しい思いをさせるくらいなら…そう思ってしまう。


「結衣ちゃん、どうしたの?」


ニコの声でハッと我に帰る。ニコは心配そうに私を見ていた。


「ううん、なんでもないよ。そろそろみんなのところへ戻ろっか」


とりあえず今日は、一緒にニコを探してくれたこんのすけたちの元に戻ろう。私はニコを抱っこして、歩き出した。


朝も抱っこしていたはずなのに、なんだか久しぶりに抱っこしたような気がする。ふわふわして、抱っこしただけで安心する。


もし、これが最後の抱っこになったとしても…。


「ねえ、ニコ。私…」


そう言いかけた時、私はふと何かがおかしいことに気づいた。さっきまで明るかったはずなのに、私の足元には影が落ちている。しかもその影は私の体よりも遥かに大きく、どう見ても私のものじゃない。


何かいる。


「結衣ちゃん!後ろ!」


「えっ」


私はニコの声で思わず後ろを振り向いてしまった。そこにいたのは、私たちよりも数倍は大きく真っ黒い影のような怪物。


「ズルイ〜〜〜ッ!」


その怪物から私たちに向かって鋭い影が伸びてくる。今から逃げたって、きっともう間に合わない。なら、ニコだけは守らなきゃ。


「危ない!」


ニコを抱え、私はその場に縮こまる。その瞬間、後ろでパーン!という大きな音と共に、怪物がうめく声がした。


「大丈夫か!」


声がした方を見ると、エリオットが立っていた。エリオットの両手には、キラキラと光る銃が握られている。あの怪物には大きな穴が空いていたけれど、もしかしてあの銃から出た弾によるもの…?


エリオットは呆然と立ち尽くしていた私の体を掴むと、こんのすけの方に突き出した。


「あとは俺がどうにかする!こんのすけは、こいつらを安全なところへ!」

「わかった」


こんのすけは私たちの体を抱えると、街の方の森に向かって高く跳んだ。こんのすけに抱えられながら、私はエリオットと謎の黒い怪物を見ていた。


あのエリオットが戦っている怪物は何?そして、あの光を放つ銃は何なんだろう。


「あの、エリオットを置いて行って大丈夫なの?」


私が訊ねると、こんのすけは器用に木の上を飛び移りながら答えた。


「エリオットは強いから、あんなのに負けたりしないよ。それよりも、君たちに怖い思いをさせてしまって申し訳ない。詳しい話は、街に戻ってからさせてもらうよ」


ーーーーー


こんのすけは街のはずれにある、なにやら大きなお屋敷の前に降りると、私たちの体をそっと下ろしてくれた。


こんのすけが門のチャイムを鳴らすと、ガチャガチャと鍵を開ける音がした。屋敷の扉から顔を覗かせたのは、私よりも少し背が高いくらいのメイド姿の女の子。


「おかえりなさい、こんのすけ様」

「ただいま、リリ。様はいいって言ってるだろ」


リリと呼ばれた女の子は、「ええ、でも…」と言い淀んでいる。よく見たらこの子にも耳が生えてる。長くて細い黒色の尻尾に、黒い三角形の耳。


この子も人型なんだな。うんうんと勝手に納得していると、私は視線を感じた。ジロジロと見てしまったのがまずかったのか、いつのまにか黒猫さんは私の顔をじっと見つめていたのだった。


「…隣の方たちは新入りさんですか?」


「え、えーと…」


し、新入り?新入りなのかなあ。


「お客さまだよ」

「そ、そう!ただのお客さまです!」

「自分でお客さまって言うお客なんかいないよ、結衣ちゃん…」


ニコが小声でツッコミを入れた。


「ふ〜ん…」


黒猫さんは私たちをジロジロと訝しむように見つめた。キリッとした顔立ちなだけに、余計に見定められてるように感じる。


あ、怪しまれてるのかなあ。八つ裂きは嫌だ、八つ裂きは嫌だ…。


少しだけ顔を上げ、ちらっと女の子の表情を確認してみる。目があった瞬間、女の子は何か言いたげにしていた言葉を飲み込んで、ハァと小さくため息をついた。


「お客さま、ですね。どうぞ、中へご案内いたします」


私はひとまずホッと息を吐いた。これは大丈夫そう…なのかな?


私たちは黒猫さんに案内されて、本がたくさんある部屋に通された。こんのすけは用事があって、後からこの部屋に来るらしい。


お屋敷の中はすごく広いのに、掃除があちこちまで行き届いていて、すごく綺麗だ。木造の床もピカピカしていた。


猫って綺麗好きって言うし、もしかしてこの子もそうなのかな。そんなことを考えていると、さっきの黒猫さんとは別のメイドさんがお茶を出してくれた。


「主人は後ほど参りますので、少々お待ちくださいませ」


メイドさんは垂れ気味の目を細めて微笑んだ。黒猫さんは黒髪をシニヨンにまとめていたけど、この子は白髪で癖っ毛のショートボブ。2人ともどことなく似た雰囲気があるから、もしかしたら姉妹なのかもしれない。


「ありがとうございます」


私はお礼を言って、お花の描かれたカップに入っている紅茶を啜った。熱すぎず、ホカホカと程よく温かく、ほんのり甘くて美味しい。


後からこの部屋にやってきたこんのすけは、私たちの座っていた席の奥にある一際大きな席に座り、紅茶を一口啜ると、手を組んで話し始めた。


「それじゃあ早速だけど、このトイランドとさっきの化け物について説明しよう」


こんのすけが言うには、トイランドは心を持ったまま捨てられたおもちゃたちがたどりつく場所らしい。心を持っているおもちゃたちは、放っておけば持ち主に捨てられた悲しみや恨みなどの心の闇から、化け物になって人間界で悪さをしてしまうことがあるから、それを避けるためにトイランドが作られたんだそう。


私たちがあの黒いやつに襲われたのも、持ち主の私とニコに対する僻みが原因で、今日みたいに幸せそうなおもちゃを許せず、街に現れることが時々あるんだって。


「君たちを襲った、心の闇の集合体であるシャドー。それから、心の闇にのまれてしまったおもちゃたち…グルームを浄化するのが、僕らの仕事なんだ」


こんのすけはひと通り話し終えると、カップの中に残っている紅茶を啜った。


「それで、君たちはこれからどうするの?選択肢としては概ね2つ。2人とも今日のことは忘れてトイランドから人間界へ戻るか、ニコちゃんはこのままトイランドに残って、今日ここであったことだけ忘れてもらって、結衣には人間界へ戻ってもらうか」


私とニコは顔を見合わせた。正直なところ、究極の選択だと思う。ニコにはトイランドに残ってほしいと思っていた。でもあんな化け物に襲われるかもしれない環境に置いておくのは危険だと思う。だからといって、一緒に人間界に帰っても、ずっと一緒にいられる保証は無い…。


「ニ、ニコはどうしたい?」

「私?私は…」


私に訊ねられ、ニコはカップの中の揺れる水面を眺めていた。正直、自分の意見も言わずに、ニコに判断を委ねるのはずるいと自分でも思う。それに、これでお別れになる選択をニコが選んだとしても、一度でもニコを手放してしまった私は受け入れるしかない。


私はニコの一挙一動を息を飲んで見守る。ニコは顔を上げ、芯のある眼差しでこんのすけを見た。


「私は悲しい思いをするおもちゃを減らすことができるなら、この街に残ってあなたたちに力を貸したい。でも、このまま結衣ちゃんと別れるのは嫌。だから第3の選択肢があるのなら教えてほしい。…あるんでしょ?"概ね2つ"ってことは」


私はハッとしてこんのすけの方を見た。こんのすけは待ってましたと言わんばかりに、テーブルの引き出しから紙を取り出した。


「あるよ。第3の選択肢。強い絆で結ばれている君たちだからこそ、選べる選択がね」


取り出した紙を私たちの前に置かれたテーブルの上に並べた。紙には「討伐隊入隊書」と書かれている。


「第3の選択肢。それは、"2人とも僕たちの討伐隊に入隊する"だ。僕たちはシャドーやグルームの浄化の他に、もう1つ仕事がある。それが今回、僕が君たちを引き合わせたように、望まない別れをしてしまったおもちゃと持ち主を、トイランドでもう一度引き合わせる仕事だ」


こんのすけはコンコンとペンの先で机を突く。


「トイランドにやってくるおもちゃたちは、元々人間界のもの。この世界にやってきたおもちゃの中には、時々、本人たちが望まなかったお別れをした子たちもいる。君たちと同じように、持ち主ではない、別の誰かに捨てられてしまった子たちとかね」


私はこくこくと頷く。たしかに私たちの他にも、親に捨てられてしまったり、どこかで落としてしまったりして、悲しい思いをする子はいると思う。


「だからこそ君たちには、望まない別れをしてトイランドにやってきたおもちゃと持ち主を、もう一度引き合わせる手伝いをしてほしい。それなら2人ともトイランドで会えるし、悲しいおもちゃを減らすこともできる。…どうかな?」


私たちは顔を見合わせた。私もニコも、出す答えは同じようだった。


「「もちろん、やります!」」


ーーーーー


こうして私とニコは、トイランド公認の隊員として討伐隊へ入隊。私は人間界とトイランドを行き来しながら、ニコはトイランドで暮らすことになり、ずっと一緒…とまでは流石にいかないけれど、無事にお別れせずに済んだのでした。


これから2人で力を合わせて、討伐隊のみんなと頑張るぞ!というところまで来たんだけど、実は1つ、気になることがあって。


それが討伐隊のリーダー兼、人間界とトイランドを繋ぐ案内人のこんのすけのこと。こんのすけ、私たちを見ている時に時折寂しそうな顔で見ているんだよね。


そういえば、どうしてこんのすけはニコのことを知っていて、私をトイランドに連れてきてくれたんだろう?トイランドと私の住む世界を繋ぐ役をしてるってことは、きっとなにか理由があるんだと思う。


こんのすけだってトイランドの住人。もしかしたら、望まない別れをした経験があるのかもしれない。もしかして、私がニコを探していたように、こんのすけも誰かを探しているとか?それこそ、自分の持ち主とか…。


でもそれがわかるのはまだまだ先になりそう。だってこんのすけって、いつも涼しい顔をしてばかりで、私たちには本音を漏らそうとしないんだもの。


だけどいつか、こんのすけが自分から本音で話してくれるようになってくれる日が来たら、こんのすけが心から笑顔で笑えるように、私たちは頑張ろうと思います!


それでは今回はこの辺で。いつかまた、私たちの活躍をお話しできる時が来たら、その時はまた聞いていってくれると嬉しいな!

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