novel.34 語られる過去の話

「さて、どこから話したものかな。いや、きっとどこから話すも何も、最初から話すべきなのだろう」


 天沢さんにしては珍しい前置きなんかをした後に、天沢さんはその経緯を、いや、真実を話し始めた。つまるところ薬真寺先輩のした話は観客の話。今から天沢さんがする話は関係者の話。


「この話をする前に前置きしておくが、私は今は一途に汐宮先輩のことが好きだから、今からどんな話をしても、そこは疑わないでくれ」


 その言葉に、私はこくり、と頷いた。天沢さんはそれを確認して、話し始めた。


「私が中学2年生の頃だった。私には憧れの先輩がいた。いや、は皆にとっても憧れの人だった。私の所属していた陸上部で唯一全国大会出場経験を持つ、その名の通り陸上部エース・雪城ゆきしろ さかき先輩」


 なるほど、天沢さんには雪城さんがそう見えていたらしい。薬真寺先輩とはまた別の見え方だ。


「雪城、と言う名前も榊、と言う名前も、まさしくぴったりな人だった。雪のように儚く美しいのに、榊の葉のように神秘的で神々しい人でもあった」


 私はそこで榊、と言う漢字は神殿で飾られる榊の葉から来ていることを思い出した。神殿に飾られる、と言う意味で、天沢さんは神々しいと表現したのだろう。


「反面、中学時代の私はとても暗かった。自分に自信がなかったし、いつも卑屈ばっかりだった。そんな自分も嫌いだった。陸上部に入ったのも、走って嫌な自分を忘れたいからで、大した理由もなかった。そんな私に、手を差し伸べたのが雪城先輩だった」


 薬真寺先輩が言っていたことと一致する。薬真寺先輩もおとなしい子、なんて言っていたから。


「興味を持ったらしかった、そんな私に。とある日、自主練中に雪城先輩に声をかけられた。50メートル競走しないかって。私はもちろんどうして自分なんかと、と思ったのでわざと負けようと思ったのだが、……その時だな、雪城先輩に魅せられたのは。あの人は私に、真正面から、私に負けたら許さないわよって言ったんだ」


 そう話す天沢さんの顔は、何か思い出を優しく思い返すようだった。


「当然臆病な私は言葉通りに勝ったよ。雪城先輩は長距離専門で、私は短距離専門だったからな。私が勝つのは、まぁ、当然とも言えたんだ。でも、それでも私は勝つことに必死だった。この人は負けたら何するかわからなかったから、と言うのがある。でも多分本気でも、私は短距離ならあの人には勝てていたんだ。わざと負けようとしなければ。私の臆病な気持ちを、あの人は最初から見抜いていたんだ」

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