第29話 猫の足も借りたい
「まあご安心くださいな。お兄様ならきっと大丈夫ですよ……さっさと告白を受け入れるべきです」
「なんか適当じゃないか?」
俺はこれでも真剣に悩んでいるつもりだ。
賢い羽衣なら、とっくに気付いているだろうに、はぐらかされた気分だ。
そう思ったのも束の間――。
「そんな事はありません。お兄様、ちゃんと乃彩さんのエンスタライブ追ってますか? 彼女はどんなお兄様でも受け入れてくれますよ」
「エンスタの方も知っていたのか……」
「お兄様のことですもの。きっちりリサーチしているのですよ」
おっとそれは怖い事実が判明した。
裏を返せば、俺がボロを出してトイの正体に勘付かれる危険性があるということ。
しかし、妹の言う事には無条件で信頼できる。
彼女が大丈夫と断ずるなら、きっと大丈夫。
まったく兄という生物とは、チョロいものだ。
「それにしてもお兄様、私には気になることがあるのですが?」
「お、おう。何だ?」
「よそ行きのお兄様、如何にも僕陰キャって顔していますのに、よく乃彩さんのような陽キャに近付くことができましたね!?」
「せめて俺の顔を見てディスってくれ……」
顔に枕を当てている羽衣には、俺の顔が見えていないだろう。
そもそも『僕陰キャって顔』とは何だよ……。
乃彩……ギャルが陽キャなのはわかるけど、陰キャは難しい気がする。
俺はトイであることを隠すため、普段は地味男になりきっている。
だけど、あくまでそう見せているだけで、陰キャと言われるとわからない。
嫌われ率99%のトイでも、たまに「顔はカッコいいのに」みたいなコメントが流れてくる。
俺の顔が好きな女性は少なからずいるのだ。
まあ人間性でアウトだろうけど……。
そもそも顔の良さが、陰キャを否定できるファクターになるともわからない。
というか、陰キャとは何だ――ぶっちゃけ知らないがな。
「エンスタライブでも乃彩さんは、元々お兄様を好きだったと言っていました。つまり炎上騒ぎの前からお兄様と交流があったのでしょう?」
「まあ、な。と言っても特別な繋がりがあった訳じゃない。ちょっと乃彩が膝を擦りむいた時に、介抱してやったことがあるくらいだ」
全くの嘘ではない。
炎上騒ぎの直後の出来事だが、俺が『赤松結翔』として乃彩と接点を持ったのは、あの時だ。
「そうなのですか……あれ、一応下の名前で呼んではいるのですね。感心です」
「告白を受けるつもりだって言ったろ? 日々アプローチされてるし、段階は踏んでいる」
「そう言われると、なんだか嫉妬してしまいますね。……お兄様を取られるみたいで」
妹に嫉妬されてしまうのか……恋人を作ることの意味は、思っていたよりも深そうだ。
「付き合ったら、羽衣にも会わせるから、仲良くするんだぞ」
「ギャルと仲良く……ですか。別に寝取ってしまっても構わないのでしょう?」
「構うわ!」
まさか我が妹が女の子好きだとは思わない。
が、ジュニアアイドル時代には同じグループの皆から好かれていたことを思い出す。
特に和成から告白を受ける前の美波なんかは、いつも羽衣の側に寄って離れてくれなかった。
その気になれば、女の子だって落とせそうなのが俺の妹なのである。
「ふふっ、ではお兄様の方を寝取らせていただきますね?」
「あのなぁ冗談は止せって……」
――その後も羽衣と沢山話した。
そうしている内に、あっという間に面会時間の終わりが近づく。
刑務所じゃないんだぞ、と思いながらも、病院の規則を破るわけにはいかない。
「そろそろ時間か、また来るよ」
買ってきた果物だけ置いて、俺は家に帰る準備を始める。
「あっ、お兄様。最後に蝶姉への伝言をお願いできますか?」
「ん……? いいけど」
スマホで連絡を取ればいいのに。
伝言なんて、珍しいこともあるものだ。
「では、『猫の足も借りたい日々はようやく抜け出せそうです』……と」
「足……? 手じゃなくて?」
「手は足りているじゃないですか。実は蝶姉にリハビリを付き合ってもらっていたのですよ」
羽衣が蝶姉からリハビリを手伝ってもらっているなんて、初めて聞いた。
話を聞く限り、回復傾向にあると考えていいのだろうか。
「それではお兄様、また今度――乃彩さんの恋愛進捗ライブ、ちゃんと見ていますからね?」
「わかってる」
「告白、受けるのですよ?」
「わかってる」
保護者か!?
そんなに心配されるほど、柔じゃないんだけど。
「蝶姉への伝言も、一字一句間違えずに伝えてくださいね」
「ああ。またな羽衣、お大事に」
***
病院から出た俺は時計を見ながら、『LEIN』を開いた。
蝶姉に連絡を入れるのだ。
しかし前を向くと、そこには彼女の姿が。
「あれ。蝶姉……?」
「うん、お姉ちゃんだよ。ユイを迎えに来たんだ」
「電車で帰ると遅いでしょ? 車でお出迎えサプライズだよ」
「そ、そうなんだ。助かる……けど、それより俺が今日羽衣に会いに行くって伝えたっけ」
「伝えてないけど、お姉ちゃんレベルになるとユイの行先わかっちゃうの」
「怖いな。エスパーかよ」
「そう、お姉ちゃんエスパーなの」
よくわからない。
果物買っている姿でも見られたのだろうか。
またはGPSでも付けられているとか?
もしそうでも、蝶姉相手になら構わない。
そういえば、いつも病院に行くときは蝶姉に連絡していたのに、今日は忘れていた。
アポ無しだったから、蝶姉の知り合いの看護師が心配して伝えてくれたのかもしれない。
蝶姉は有名人だけあって、色んなところでVIP待遇なのだ。
もしかしたら……面会前に一時間も待たされた理由もそれの可能性がある。
「あれ? 蝶姉……仕事はどうしたんだ?」
今日の蝶姉は確か、朝から仕事に出かけたような……。
ただでさえ忙しいはずなのに、俺の前ではとことん余裕な姿を見せてくる蝶姉。
酒に酔わなければ、常に威厳ある彼女のことだ。
サボったりはしないはずだが……。
「お姉ちゃんこれでも天才なので、ちゃちゃっと終わらせてきたよ。というか迎えに来たのがついでだよ?」
「そっか……上手く行ったなら良かったよ」
俺を迎えに来る為に急いだ訳じゃないのか。
なら、良かった。
「そういえば、羽衣から伝言あったんだ」
「ん~?」
「猫の足も借りたい日々はようやく抜け出せそうです――だってさ」
「……そっか、嬉しいお知らせだね」
蝶姉は嬉しそうに微笑んだ。
回りくどい言い方の伝言だが、当たり前のように気付いた様子。
羽衣が話していたリハビリの事を、是非とも聞き出したい。
しかしここで聞いたら、今度は今日羽衣とした話を逆に聞き出してきそうだ。
なので、あまり考えないようにした。
ちなみに蝶姉は滅多に運転をしない。
俺もまた、運転してほしくないと思っている。
帰り……俺は揺れまくる車に酔いながら、帰宅することになった。
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