第28話 T0Yの由来
何度だって思い出す。
その度に考えないようにしたことがある。
人間誰しもが嫌な経験の一つや二つ。
そう……恥じた経験の一つ二つ、あるだろう。
忘れたいと思っても、忘れられない。
それは偏に自分のミス……責任であるからだと思う。
あの時ああしていれば、こうしていれば――。
そんな未練が付きまとうのは、自分に出来ることがあったから。
自分に変えられる力があったからだ。
そこから目を背けてはいけない。
「すみません。まだでしょうか?」
俺は今、地域で最も大きい病院へと来ている。
入院している妹に会いに来たのだ。
しかし面会の許可を取りたいのに、何故か受付に待たされていた。
「申し訳ございません。もう少しお待ちいただければ――あっ、許可出ました……面会時間は30分です。どうぞ……」
「何度も訊いてすみません。ありがとうございます」
スタッフ不足ならばタッチパネルを用意するなど、技術で解決できた問題。
少々神経質になってしまったのは、一時間も待たされていたからである。
面会時間より許可を取る時間の方が長い。
病院の方々が忙しいのは理解している。
だから、顔に難色は示さないよう気を付けた。
俺の妹は長期的に病院の個室を使わせていただいているのだし、彼らも仕事だろうと割り切る。
しかし、こんなストレスを溜めた状態で妹に会うなど言語道断。
扉越しに深呼吸してからノックした。
「久しぶり、羽衣」
「お兄様……先月末ぶりでしょうか。来て頂けて嬉しいです」
そこにいたのは、枕を抱いて顔を隠す妹の姿。
顔は見えないが、既に一年もの期間をベッドで過ごしているのは退屈だろう。
たかが足の骨折ではない。
間接障害などの合併症があり、適切に治療すれば元通りになると聞いている。
が、こうして時間がかかっている。
そしてその、かかっている時間だけ俺は――妹の顔を直接見たことがなかった。
見たいとも、言えない。
俺を火の海から助けてくれた彼女は、顔に火傷を負ってしまい俺に見せたくないのだと言うから。
「今日は、どんなお話を聞かせてくれるのですか? とても楽しみです」
「俺の話が面白いかはわからないけど――実は最近悩んでることがある」
「お兄様もお悩みになることがあるんですね」
我が妹は俺を何だと思っているのだろうか。
最近の俺はむしろ悩んでばかり。
まあ何かと妹に気を遣わせたくないので、正直に話す事にする。
「実は、同じクラスの女子に告白されたんだ」
「知ってますよ。乃彩さんでしたよね」
「……知ってたのか」
無理もない……か。
知っている可能性はあると思っていた。
彼女の告白はバズったからな。
何かのニュースを見て知ったのだろう。
「はぁ、お兄様はダメダメですね~」
突然、呆れるような溜息を吐かれてしまった。
「何がダメなんだ?」
「『彼女が出来た』ではなく『告白された』と表現したのは、つまり告白の返事に困っているということでしょう?」
概ねお察しの通り。
流石、俺の妹なだけあって鋭い。
だが、敢えて否定させてもらう。
「いや違う。告白は受けようと決めている。ただ俺は彼女のことを好きなのかわからなくて、本当に受けていいのか……不安がある」
「ふうん。やはり……お兄様はダメダメですね」
「なんでだよ……」
おかしなことを言ったつもりはなくて、純粋に気になる。
「『告白を受けていいのか不安がある』のは、『告白を受けようと決めている』などとは言えません」
言われてみれば矛盾しているように聞こえる。
でも、俺はどちらも本心のつもりだ。
しかし、指摘されて初めて考える。
ならば……どうしてそんな相容れない気持ち同士を心に同居させているのか。
心の何処かで、俺は答えを出さなければいけない事に急かされているのか。
または、自信を持てないだけかもしれない。
そんな俺を見て、羽衣は再び溜息を吐く。
「はぁ……お兄様が優柔不断だなんて、似合いませんよ」
「ゆ……優柔不断だと!?」
「今のお兄様はまさに優柔不断です。昔は女慣れしているはずなのに……変わってしまったのですね」
優柔不断だなんて初めて言われた。
今回ばかりは真剣に悩んでいるだけで、本来俺は優柔不断などではない。
常に即決即断で動いているつもりだ。
「してたか? 女慣れ」
「今だからバラしますけど、私のグループの半分はお兄様のこと大好きでしたよ」
羽衣のグループというと、当時ジュニアアイドルで一緒に組んでいた子達以外にいない。
多分異性としてではないのだろうけど、素直に嬉しい。
「マジ? 羽衣は?」
「あ、私は違いますよ」
心にグサッと刺さる羽衣の言葉。
そこはお世辞でも兄を大好きでいてほしかった。
「ふふっ、がっかりですか?」
「妹に大好きじゃないと言われてがっかりしない兄はいないからな?」
「安心してください。大好き『でした』ではなく、今も大好き『です』というのが正しいだけなので」
相変わらず羽衣は、他人の揚げ足取りが好きみたいだ。
きっと顔を隠した枕の裏で、小悪魔っぽく微笑んでいるのだろう。
ならば、俺も同じ手を使うまで。
「別にあの頃だって『女』慣れしていたんじゃなくて、『妹の友達』慣れしていただけだからな?」
「ほほーん、つまり妹の前でカッコ付けたかったという訳ですかな?」
「そうだよ。悪いかよ」
ずっと……俺は妹のためだけに生きていた。
単なる妹ではない。
小羽根初は俺にとって――魂だった。
愛しくて愛しくて堪らない永遠の推し。
俺はこの世に産声を上げた時から、ずっと妹のファンなのだ。
兄妹という関係は、その時点で完成している。
お互いに愛し合うべきだと神に定められているのだから。
どんなに他人から白い目を向けられようと、構いはしない。
妹を幸せにできるならそれでいい。
(だから――俺がトイであることは、死んでもバレてはいけない)
羽衣にとって自慢の兄でいないといけない。
だからいつか――羽衣と蝶姉と平和に暮らせるその日が来たら、俺はトイを辞める。
必要なのは入院費だけではない。
退院した後、彼女には一切の不便を与えない。
だから、トイは使い捨ての仮面なのである。
――T0Y。
それは
なんとか空白を繋ぎ、すべてが元通りになるまで、飲み続ける毒でもある。
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