第27話 芸名:※※※※ (乃彩視点)

 最初に向かったのは、高級天ぷら屋さんらしい。

 まだ夕方だからか、人は空いていた。

 テレビで見た事もない内装に、桜の木材の香りがふんわり漂う。


 少し緊張したが、初めて読モの仕事でカメラを向けられたほどではない。

 モデルの意識を思い出すと、油っこいものを夕方から食すのは、重そうだと考えてしまう。

 重そうというか……重い。

 蝶々さんは小柄だから、結構食べるタイプだとしたら意外だ。


「だけど、良かったんですか? 蝶々さんがアイドルになった夢って――お金を稼いで贅沢したいから……なんですよね?」


 それは蝶々さんが、初ちゃんから受け継いだ意志として語られたもの。

 傍から見たら、高尚とは言えない夢だろう。

 しかし俗っぽい彼女の考えは、意外にも親しみを持たれるようになった。

 何より、蝶々さんのアイドル活動にかける熱意は誰が見ても本物だったから。


「いいのいいの。さっきも言ったでしょ? 言わば投資ってこと」


 そう言われてしまえば言い返せない。

 憧れの人から食事に誘ってもらえただけで嬉しいのに、こんなに良い想いをしてもいいのか。

 ……罰が当たらないか不安になる。


 天ぷらを一口食べると、そんな不安が吹っ飛ぶくらいの美味しさには吹っ飛んだ。

 夕方から油なんて重いという考えも一緒に。


「ふぅ~」

「……!?」


 パクパクと夢中で食べる中。

 ふと蝶々さんが耳に息を吹きかけてきて驚く。

 横を振り向けば、微笑んだ彼女の顔。

 あたしが食事に夢中で、上の空になっていたことに気付いた。


「ねえ」

「は、はい」

「ユイがなんでトイ……炎上系配信者になったのか、なんで――その姿と実生活の自分を分けているのか、興味ない?」


 何か話があるとは思っていた。

 でも蝶々さんからトイの話をされるとは、思ってもいなかった。

 はっきり言ってすごく興味はある。

 でも、それをあたしが勝手に聞いていいのか。

 迷いはしたが、あたしは頭を横に振った。


「ユイは自分語りをしたがらないの。乃彩さんもトイのファンならよく知っているんじゃない?」

「……そうでしたね」


 そもそも彼は秘密主義だ。

 今まで身辺を探らせるような情報を出したことがないし、あってブラフだった。

 彼自身が探る側である以上、警戒態勢は万全。

 そんな彼から聞き出そうとしても、困難を極めるのは、よく知っていた。


「やっぱり教えてほしいです」

「じゃあトイになった理由から」


 蝶々さんには躊躇いがないようだった。

 しかし同時に、真剣な目つきになる。


「――ユイは、両親を火事で亡くしているんだ」

「えっ……?」


 突然の重たい話に戸惑う。

 彼の家に泊まった時、ご両親の姿はなかった。

 だけど不思議に思わなかったのは、二人とも一切そんな話はしなかったから。

 その上で、あたし自身が『結翔が従姉の家に居候している』状態だと推察していたからだった。


「だから私はアイドルになったんだ。ユイ達を養う為のお金が必要だったから」


 すなわち、蝶々さんは結翔を養っている育ての親ということになる。

 まだ話の途中ではあるものの、複雑な背景だ。

 しかし頭の中で情報を整理する前に、彼女の言葉に引っ掛かりを覚える。


「ユイ達? 結翔だけじゃ……ないんですか?」

「ユイにはね、妹がいるんだよ。火事に巻き込まれて、入院している妹がね」

「入院!? 大丈夫……なんですか?」

「命に別状はないよ。入院しているのは、火事から逃げる時に足を怪我しちゃったから」


 ほっと安心する。

 足の怪我というのも心配だけど、生きていることが何よりも大事だから。


 ……なんて考えているあたしも、炎上した時は死ぬことを一度も考えなかった訳ではない。

 辛かったし、投げ出したかった。

 あらゆるすべての不幸から逃げたくなる瞬間は、確かにあった。

 ただあたしは、恵まれていた。

 結翔が声をかけてくれたし、ギャル友達も心配してくれて何度も連絡をくれた。

 だから生きることを選んだ。


 99%の不幸があっても、1%の幸福で人間は幸せに生きることができると思うから。


「同じく火事に巻き込まれたユイは、気にしてるんだと思う。お姉ちゃんに頼らず、自分でもお金を稼ぎたいって言われた時は……困ったなぁ」

「それが――結翔が炎上系配信者になった理由ということ……ですか」


 蝶々さんはコクリと頷いた。

 何も知らなかったとはいえ、心が痛くなる事実。

 何も考えず、キラキラしたいという理由でモデル志望になったあたしとは大違い。

 最初から覚悟が違う。

 トイは生まれながらの天才だと思っていたけど、彼なりに必死だったことを知った。


「……ユイに妹の話はしないでね」

「あ、はい」


 センシティブな話題は避けよう。

 蝶々さんが注意するということから、結翔にとって妹がどれだけ大きい存在なのか理解できる。

 あたしは一人っ子だからわからないけど、かけがえのない存在なんだと思う。


「そういえば、結翔の妹さんって――」


 彼の妹はどんな子なんだろう。

 本音を言っていいなら、会ってみたいな。


「なんて……な……まえ――……」


 ――そんな好奇心が溢れたその瞬間。

 あたしの脳裏に衝撃が走った。

 自ずと、その真実に辿り着いてしまったから。


 結翔が炎上系配信者になったのは一年前。

 蝶々さんのデビュー日も一年前。

 彼女がアイドルになった理由は家族を養う為。

 でも世間的には違う……意志を引き継ぐため。

 意志……すなわち夢。

 彼女の夢は贅沢すること――誰と? 家族と。


「その反応……気付いちゃったかー」


 蝶々さんのデビューと共に消えた少女。

 あたしの最初の推しが、引退した理由……。


「うん、そうだよ。ユイの妹の名前は。そして――」




『――――……


      「芸名――うい


                ……――――』

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