第26話 憧れの人 (乃彩視点)

 突然、蝶々さんが現れた。

 ……と思えば、現在あたしは、何処かへと連れて行かれている。

 意味がわからなかったけど、結翔から離れることで安心している自分がいた。


 結翔があんな前置きをするのは、あたしが悲しまないように弁を立てたに違いない。

 はっきりと言葉にはされなかった。

 言葉にされなかったけど、あたしは振られる寸前だったから。


 居た堪れなくなってしまったあたしにとって、蝶々さんの提案は助かった。


「どう? 少しは気が楽になったかな?」

「えっ……」

「お姉さんに隠し事はできないぞ? まあ理由まではわからないし……言いたくないなら言わなくていいけど、ね」


 無理に聞いてこない。

 やっぱり優しい人だ。

 あたしはあの場から逃げて楽になったけど、同時に後悔もしている。

 結翔に追求して、きちんと振られるべきだったのかもしれないと。


 立ち向かう事を教えてくれたのは、結翔だ。

 以前の炎上の流れを大きく変えることはできたのは、逃げ続けたあたしを表舞台に立たせてくれた彼のおかげだから。

 なのに、振られるのが怖くて逃げてしまった。

 その時点で、あたしは彼に相応しくなかったのかもしれない。


 もちろん、相応しいとか釣り合うとかでこの恋を諦めるつもりはない。

 けど、結翔から見るあたしはそういう風に映るのだと覚悟している。


「さっき、告白の返事をもらう直前だったんです」

「え――……」


 変な反応と共に、蝶々さんは足を止めた。


「待って。もしかして私、お邪魔しちゃった?」

「いえ、いいんです。返事をされるのは、ちょっと怖かったので」

「…………」


 あたしが俯いた顔を見せると、言葉を返してくれない蝶々さん。

 傷口に触れてほしくない、あたしの本音を察したのだろう。

 気を遣わせてしまっている事に気付いて、申し訳なくなる。

 ……話題を変えよう。


「むしろ蝶々さんが来てくれて助かった……みたいな。言い忘れてたんですけど、あたしこれでも蝶々さんのファンで……」


 黄島がファンって言った時、実はあたしもそう言い出したかった。

 結翔に振られるビジョンが頭に過って傷心して、さっきは言葉が出なかったのだ。

 つい言葉にしてみると、白峰蝶々とリアルに会っている事実にドキドキしてしまう。


「そっか。私のファンなのは意外。いつから?」

「あっ……あたし実は昔、小羽根初ちゃんのファンだったので」


 あたしの言葉に、蝶々さんは一瞬目をぱっちり開けて、次には何かを懐かしむ顔をした。


 ――うい

 昔、ジュニアアイドルとして活躍していたあたしと同い年くらいの少女。

 彼女の所属していた少人数のグループは、蝶々さんのいる『カラリア』みたいな大人気にはならなかったけど、コアなファンは多かったと思う。


 彼女達は、よくこの地域でライブを行っていた。

 その中でもあたしは、小羽根初ちゃんのキラキラした笑顔に一瞬で心を奪われたのだ。


「じゃあ、最初からお姉さんのファンなんだ。感動……正直、純粋なファンよりも嬉しいかも」

「それは純粋なファンが可哀想なんじゃ……」

「あはは、オフレコでお願いね」


 蝶々さんが小羽根初ちゃんを気にするのも、当然の話だ。

 小羽根初ちゃんの引退と共に、彼女の意志を受け継ぐというドラマを背負ってデビューしたのが、白峰蝶々というアイドルなのだから。


「そっか、初ちゃんのファンか。嬉しいなぁ憶えていてくれて。乃彩さんにはお返ししないとね」

「えっ、いえいえ……あたしは何も――」

「お姉さんがお返ししたいと思ったの! という訳で、お姉さんと美味しいお店巡り行こっか」

「お店……巡り?」


 喫茶店を出る時、蝶々さんは結翔に「あたしと夕食を摂る」と言っていた。

 だからお店へ連れて行かれるのは察していた。

 それでも巡るというのは、何店舗かはしごするという意味……。


 あたしもモデル志望だっただけあって、一時期は体型を気にしていた。

 だからトップアイドルがそれでいいのかという気持ちが多少ある。

 そういう意味で、ちょっと驚いた。


「有名人になりたいなら――というか乃彩さんもう有名人だったね。それじゃ、人付き合いのためにも、いいお店は沢山知っておいた方がいいよ」

「でも、そういうお店って大抵お高いんじゃ……」

「お高いけど、乃彩さんがユイと付き合うなら、いずれ返してくれそうだし?」


 急に結翔の名前を出されて、喉から言葉が出なくなってしまう。

 もしも彼と付き合うことができたなら……。

 そうしたら、もちろん蝶々さんに対する恩返しはするつもりだったけど、あたしはもう――。


「あれ、自信なさげ?」

「さっき、結翔から告白を返される直前、振られるような気がして――」

「うーん……元気出してって言っても、乃彩さんだって充分悩んでいるよね。なら、やっぱり美味しいもの食べるのが一番だよ。という訳で――」


 そう言った蝶々さんは、あたしの腕を強引に引いて歩き出した。


「ど、どうしてあたしに……そこまでしてくれるんですか?」

「お姉さんはこれでも乃彩さんのこと応援しているからね。ファンサービスじゃないよ?」


 蝶々さんは振り返ると……変装用のサングラスを下げてニコッと笑ってくれる。

 こんなあたしを見ても、まだ期待の目を向けてくれるなんて、純粋に嬉しい。

 炎上した時に泊めてくれた事といい、蝶々さんに対する恩は増えるばかりだ。


「あと、ユイ相手にもお姉さんみたいに強引な感じでいいからね? ……自分を、押し殺さないで」


 胸にチクリと刺さる感覚。

 手厳しいけど、ありがたい言葉。

 なぜか、喫茶店での結翔と蝶々さんのやり取りを思い出した。


 あの時、蝶々さんは彼に「ウザい」と言われても言葉をまくし立てて、彼が返事を返さないと知るや否や開き直っていた。

 その前に「押して押して押しまくるべし」と蝶々さんは言っていたけど、もしかして。


 あれは……あたしに対して実践して見せてくれたのかもしれない。

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