第38話 崖っぷちカップル1

 思えば、乃彩が不審者に襲われそうになっていたあの日からずっと――。

 俺は、けっこう濃い日々を歩んでいる気がする。


 まさか自分が高校生の間に恋愛をするなんて、思ってもいなかった。

 これでもストイックに配信一筋で一年やっていたはずなのだが……人生わからないものである。


「それじゃあ配信付けるからね?」

「ああ」


 ――週末。

 俺は乃彩の家へとやって来た。

 前々から決めていたカップルチャンネルの初配信をするためだ。


 結局、『灰灰パンダ』さんに連絡を撮ったところ、すぐに引き受けてくれた。

 彼には俺がトイだって事は伝えていないが、薄々気付いているかもしれない。

 しかしこれまでの彼を考えれば信頼できるのは間違いない。


 ちなみに、いつもエンスタライブで乃彩のアシスタントをしている小紫はこちらのチャンネルには関わらないらしい。

 曰く、「二人の時間に私が入るわけないでしょう?」とのこと。


 最初の活動だけは、予定通りに配信だ。

 そして今――乃彩によって配信開始ボタンが押された。


「聴こえてる? コーチューブは初めてだから、反応ください」


“聴こえてるよー”

“マジでやるのか”


「はい、多分今見てる人は知ってると思うけど改めて……エンスタで活動してる乃彩です。今回は『崖っぷちカップル』のチャンネルに来てくれてありがとね。って訳で、ほら挨拶」


“彼氏くん出たぁ”

“髪なげぇ”

“結翔くん見てる〜?”


「こんにちは……いや、こんばんは? 結翔です。よろしくお願いします」


 いかにも慣れていない風を装っておくが、実際少し緊張している自分がいた。

 地味男としてカメラに映るのはこれで二回目。

 あくまで乃彩の彼氏として振る舞うことに決めた為、普段の調子を出しづらい。


 逆に乃彩はいつもよりノっている気がする。

 ライブを見ているだけでは気付かなかったが、普段より声がワントーン高い。


「どっちでもいいでしょ」

「でも挨拶って大事じゃない?」

「適当でいいの!」


“始まったばかりでイチャコラするな〜”

“仲良しだね♡”


 別にイチャイチャしていたつもりはない。

 なのに、周りからすればこの程度のやり取りでもそう見えるのだろうか。


 コメントの流れを追うと、奇妙な感覚だ。

 他人の配信のチャット欄なんてまず見ない。

 『T0Yチャンネル』と比べると随分……治安がいいと言うか、視聴者がチョロい気がする。


(何だよそれ、ずるいぞ)


 心が温まる類のコメントばかり。

 何が面白いのかわからないけど、トイの時にいつも感じている窮屈感が……なかった。


「はい。みんなが聞きたい事色々あると思うけど、コメント全部は拾えないのごめんね」


“大丈夫だよー”

“色々気になる”

“質問ボックス募集してたよね”


 俺はいくらチャット早くても鍛えているから読めるけど……。


「という訳で早速聞きたいこと募集してた『質問ボックス』読む感じでいい?」

「うん、僕もどうすればいいのかわからないから、乃彩に任せるよ」


“よく見たら結翔の顔悪くないよね”

“結翔普通にイケメンで失望”


 なぜか容姿を褒められている。

 地味男が主導権を持って配信を進行するのは、最初から求められていないので、すべて乃彩任せ。

 その結果……外行きの地味男として見せたけど、俺に対するコメントも多い。


 今までの教室にいる時のように、空気みたいな扱いをされる覚悟さえしていたので、驚きである。


「まず一つ目の質問は――」


<なんでチャンネル名『ノアユイ』か『ユイノア』じゃないんですか?>


 最初の質問をピックアップした。

 チャンネル名自体は以前、乃彩のエンスタライブで発表したが、理由までは言わなかったか。


「チャンネル名は僕が決めました。なので乃彩には由来を言わないでもらったんです。とはいえ、大した意味があるという訳でもないんだけどね」


“由来ずっと気になってた”

“結翔が決めたのか”

“なんとなく察しは付いた”

“結翔はチャット見てるの?”


「皆さんチャットありがとうございます。ちゃんと見てますよ。『崖っぷち』というのは、そのまんまです。僕達は炎上がきっかけでギリギリ付き合うまで至ったので、そういう部分で『崖っぷちカップル』にしました」


“なるほどー”

“ほんとよく付き合えたよなぁ”


 本当によく付き合えたものだとは、俺も思う。

 炎上前に乃彩がトイとしての俺に会っていなかったら、そもそも俺が脅迫と疑い動画を撮影することもなかった。

 動画を撮ったのだって、偶然蝶姉から小型カメラをもらったからである。


 何処か一つの要素でも歯車が抜け落ちていたら、この絶妙に噛み合った運命のような現実はあり得なかっただろう。


 もちろん、『崖っぷち』という意味はそこだけじゃない、乃彩の炎上は実際ギリギリだった。

 それに、俺の正体がバレるかどうかのチキンレースも含めて俺達は『崖っぷち』にいる。

 だからこそ、このチャンネル名を選んだ。


「あたしは『首の皮一枚カップル』でも良いって思ったんだけどね」

「それは流石にダサいよ」

「結翔の長髪の方がダサい」


“これは鋭いツッコミ!”

“実際、ダサいのはそう”

“顔が良いだけあって似合ってない”


 酷い言われ草だ。

 炎上の時、SNSで散々「人の髪を不潔とか馬鹿にするな」って擁護のコメントが多かったのに。

 あれも結局、乃彩を叩きたいだけで本心ではなかったということか。

 まあダサい自覚はあるのだが、譲りたくない。


「いいじゃん好きになってよ、僕の長髪も」


 髪切ったら俺がトイってバレるから!


“そこ対抗するんかい笑”

“長髪は貫くんだ・・・”

“きっと髪が本体なんだよ() “


「まあ長く見てれば……いつかは好きになってあげられるかもね〜」

「じゃあ、長く一緒にいないとね」


 対抗心で言い返すと、乃彩は一瞬固まった。


「そ、そうね……」


 そして何故か目を逸らされた。


“乃彩ちゃんめっさ照れてる”

“結翔くんもっといけいけー”


 何か変なこと言ったか? と考えてからようやく変なこと言った事に気付いた。

 無意識に気持ち悪いこと言ってて……少し恥ずかしくなる。


「次! 次の質問見ようか」

「うん」


 こういう時は逃げるが勝ちと相場が決まっている。


<恋愛進捗ライブ見てて思ったけど、結局乃彩ちゃんの告白への返事が遅れた理由って何?>


 二つ目の質問を読み上げた。

 これは正直回答に困る質問だが、答えられない訳じゃない。


「乃彩には本当に悪いと思うけど、僕って乃彩の事知らなすぎて……きちんと知ってから向き合いたかったというのが一番の理由かな」


“まあ本来、告白にすぐ答えを出すのって困るよな”

“例の動画では断ってたし、悩んだんやな”

“一番というと、二番目の理由がある?”


「二番目の理由はね、結局一番目に行き着くんだけど、周囲から揶揄われて……気持ちの整理が難しかったのが大きいかな。あっ、誰が悪いって話じゃなくて、僕がそういうのに慣れていなかったから」


 隠す必要もないので、事実をそのまま告げる。

 もっと簡潔に言えば、俺が優柔不断だったという話に収束するけど。


「結局、乃彩のアプローチに僕が折れたって感じなのかな。どちらかというと、僕はアプローチする側って感じだけど」


“それな笑”

“同じ学校に転校して、それ見たかったー”

“むしろ乃彩ちゃんよく諦めなかった!”


「ふふん、ほんと頑張って落としたんだから」


“満面のドヤ顔である”

“流石ギャル。強い(確信) “


 どうやら視聴者が満足してくれたらしい。

 いつもより神経を使う。

 だが……不思議と悪くない。

 俺の優柔不断な部分を叩かれる雰囲気もなく、民度の良さに感動しそうである。

 それはそうと、次の質問を読むとする。


<乃彩ちゃんが炎上した動画について、結翔はどう思ってた?>


 三つ目にして誰もが気になっているであろう質問を選んだ。

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