第23話 泥酔した蝶姉

『今日はありがとうございました』

「いえいえ、こちらも突然のご連絡にも関わらず協力頂いて助かりました」


 無事に今回の配信を終えることができた俺は、少し緊張としていた。

 最近は色々な方面から巻き込まれることが多かったからか、心配事が多い。

 こんなのは、配信を始めたての頃以来の感覚だ。


 AMEさんに挨拶もしたし、流れでこのまま通話を切ろうとしたのだが――その寸前で彼女の言葉に手が止まった。


『あの……一つ気になったんですけど』

「はい?」

『トイさんっていつも裏ではこんな対応をしているのですか?』


 …………?

 質問の意図がわからない。

 裏というのは今のような配信外のことか……?

 特におかしな対応をしたつもりはないが、妙な緊張が残っていたせいで、冷や汗が出る。


「なぜ、そんな質問を?」

『コメントで言われていた通り、トイさんは普通にいい人なのかと思いまして』


 心配していたことが……現実になってしまった。

 途中で NGコメントに設定したとはいえ『トイ善人説』のは沢山流れていた。

 彼女はそれが気になったのだろう。


『私もマネージャーに言われていなければ、トイさんが怖い人だと思っていましたので……』

「なるほど。AMEさんは本来、俺を頼る気はなかったと」

『正直に言えば、その通りです』


 前以ってAMEさんと打ち合わせはなかった。

 配信中も俺が主導権を持っていたし、彼女に対して遠慮などしていなかった。

 ゆえに、怖いと思われても仕方ない行動を俺は取っていたのである。


 配信後になって、急に俺の態度が変わったものだから、勘違いしてしまったのだろう。


「それが答えですよ」

『えっ?』

「おっしゃる通り、こちらの評判は良くありません。それで貴女に萎縮されてしまうと困るというだけです。一応、貴女の方が年上ですし」


 そういう事にしてほしい。

 あくまで今の態度はビジネス……配信中の姿が素であると。

 実際、本当に今はちょっと緊張して態度がおかしくなっているだけなのだ。

 けして……裏では善人なんてイメージを持たれても困ってしまう。


『……そんな気を遣っていただいてありがとうございます。またご機会があればお話ししましょう』


 やだね。


「はい。こちらこそありがとうございました」


 俺の伝えたい事が本当に伝わっていたかどうかは怪しいが、流れに任せて通話を終えた。

 窓を開けて電子タバコをふかしながら、デスクチェアの背もたれを倒す。


 スマホを手に取りアナリティクスを見る。

 最近の伸びはとても良いが、一時的なものに過ぎない事はわかっている。

 重要なのは新規登録者の人数だけではなく、登録解除者との比率だ。


 統計を見て、やはり実は善人というイメージは危険だと判断する。

 一般的な感性の視聴者であれば歓迎するイメージだが、なにぶん俺は炎上系配信者。

 配信中ビジネスでそういうキャラ作りをしていると思われるのは、現在の俺が作っているキャラを本物だと思いたい層にウケない。

 ――俺の炎上配信は、雰囲気や演出がウケているから。


 そんな雰囲気や演出が、トイ自身の不要なイメージによって崩れてしまうのではないか、という不安が尽きない。

 情報は有用だ。

 今時アナリティクスから分析しない配信者など、どう足掻いても這い上がれない。


「生物と同じだ……コンテンツにだって寿命が存在するからな」


 どんなコンテンツであろうと、人間の飽きというものは絶対に訪れるのだ。

 そして飽きが大衆の中で広まった時、パラダイムシフトは必ず起こる。

 俺がここまで躍進しているのも、流行に乗ったからに違いない。


 実際……俺が第一人者として黒首ロクロ含む多くの炎上系配信者が現れた。

 配信界隈が一般人にまで普及して、奇抜で斬新な配信者が求められていた頃だったのだと思う。


 だからこそ『トイ善人説』にはそれなりのインパクトがあったかもしれないが、むしろイメージを壊している。


(しかし、今の悩みを解決する足掛かりにはなるかもしれない)


 だから俺は考える。

 変化――今の現状を変えるような大きな変化が必要なのだと改めて考えさせられた。


 そんな時、ふと紺野のことが頭に浮かぶ。

 件の炎上から信じられない伸びを見せ始めている新人インフルエンサー。

 彼女には見どころがある。

 だから近くで観察したくて、つい脳裏に彼女の顔が過ってしまう。


(恋愛……か)


 配信でも言った通り、紺野の炎上は恋愛関連。

 そして恋愛進捗なんていう、彼女にしかできないコンテンツを作ろうとしている。

 そこに巻き込まれる俺としては複雑な心境だが、応援したい気持ちはある。


(試しに――彼女と付き合ってみるか)


 気持ちが固まったそんな時、カチャリと家の鍵が開く音がした。


「だだいみゃ! ユ〜イ〜」


 窓を閉じ玄関へと向かうと、そこにはデロンデロンに酔った蝶姉に姿が。

 今日は深夜までパーティーがあると言っていたが、お酒を飲むとは聞いていない。

 この状態の彼女は極めて危険である。


「ユ〜イ〜、だだいみゃ〜! 愛しのお姉ちゃん帰っれきたぞぉ?」

「おかえり蝶姉、とりあえずリビングへ」

「やらぁ! ユイから離れらくにゃ〜い」


 がっしりと腕を掴まれ固定される俺。

 振り離そうとしても、全く離れる気配がしない。

 蝶姉は小柄な割に、酔うと馬鹿力を発揮してしまうのだ。

 やがて胸に抱き付かれた結果……玄関から身動きができなくなってしまう。


「うへぇ、ユイの匂い〜」

「蝶姉はお酒の匂いが凄いかな」

「なんらと? お姉ちゃんの匂いしかしな〜い!」


 というか俺の匂いって……タバコ臭いが残っているんじゃないか?

 玄関には自然と居酒屋の匂いが完せ――いや、油の匂いはそこまでしなかった。


 それより蝶姉を風呂に入れなければならない。

 しかしこのまま風呂に入れたら溺れてしまいそうなので強引にも入れることができない。

 まずはリビングのソファーで眠らせたいのだが、なまじ俺の胸に抱きつかれ移動困難である。


「ちゃんろご飯は食べら? お風呂はぁ?」

「どっちも済ませたから安心してくれ」

「もーっ、お姉ちゃんがまられしょ!」


 たしかに蝶姉を寝かせるのはまだだった。

 酔っている間の言葉は基本スルー。

 ここからは理性を保ちながらのスピード勝負である。


「あーんっ、ユイちゅきぃ……」

「はいはい、早く結婚して未来の旦那さんに期待してくれ」

「お姉ちゃんはユイがい〜い!」


 大人っぽさは欠片もなく、完全に駄々っ子だ。

 いつもは「早く彼女作れ」って言ってきた癖に、言い方がまるでずるい。

 俺だって男だから、蝶姉のようなハイエンド美少女に迫られたらドキドキしてしまうというのに。


「俺にはもうそろそろ付き合う人ができるから、蝶姉はダメ」

「…………」


 すると、急に酔いが覚めたのか目をぱちくりさせて絶句する蝶姉。


「……なんれ?」

「紺野から受けた告白の返事、返そうと思うんだ」

「ずっと返さないから見捨てられれるれろ? ユイじゃムリらろ!」


 また呂律が回らなくなった蝶姉。

 急に否定されるとちょっとショッキングだ。

 告白を待たせていいと言ったのは蝶姉だし、俺を格好いいと言ってくれたのも蝶姉なのに……。

 荒ぶった蝶姉はずっと俺の胸に頭をグリグリし続けている。


「……そうだな。いっそ俺から告白するのもいいかもしれないな」

「らめらろ!」

「ダメじゃない。疲れてるだろうし早く寝なさい」


 ムスッとした顔を見せられるが、今日の俺は蝶姉に厳しくいくことにした。

 小柄なだけあって今の蝶姉は可愛らしく、とても絆されそうになるが、早く威厳たっぷりで頼りになる蝶姉に戻ってほしい。


 意地でもお風呂に俺を連れ込もうとした蝶姉と格闘し続け、彼女が疲れ果てるのを待つ。

 正直、引っ越しのバイトよりもハードだった。

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