第16話 謝罪

 目を覚ました俺は、蝶姉の顔を見る前に信じられぬものを見た。

 『LEIN』に来た2件の未読通知。

 紺野乃亜か一枚の画像とチャットが送られてきていた。

 それは――紺野の下着の写真だったのである。


〔こういう下着なら結翔に喜んでもらえるかな?〕


 ……俺も男子。

 写真に目が釘付けられていると、再びチャットが飛んできた。


〔ごめん!送信相手間違えた!〕


 瞬く間に削除されてしまう紺野の下着写真。

 反論に困った俺は数秒……大切なものを失った喪失感で頭がフリーズした。


 そして腹いせに〔保存しました〕と返信する。

 保存なんてしていないし嘘である。

 しかし小癪にも紺野は、こういった方法で俺の気を引こうとしているに違いないのだ。

 俺も彼女を恥ずかしめる権利があるだろう。

 その後紺野から返信はこなかった。





 それはそうと学校に行った俺は大変だった。

 炎上の件で哀れまれていた時とは明らかに違う興味の眼差し。

 それがあらゆる方向から向けられ、授業中すら落ち着く気配がなかった。

 何が大変だったのかって……今日も紺野が学校を休んだことにある。


 もう炎上を克服しただろうに、な・ぜ・か彼女はこなかった。

 きっと、今の俺のように玩具にされたくなかったからなのかもしれない。

 けして今朝の誤送信が本当にミスであり悶えてサボったなんてことはないだろう。


「昨日のT0Yチャンネル見た?」

「紺野さんから告白されてたよね?」

「それで二人は付き合うの!?」


 炎上していたなんて嘘みたいなくらいバズった紺野の恋愛だ……話題にもなるだろう。


 しかし明らかに想定以上である。

 みんなが紺野を囲んで聞き出すことを想定していたから、俺は逃げ場を失っていた。

 今日欠席するとは紺野乃彩――中々知恵が回るらしい。


「ははっ、僕なんかが紺野さんと釣り合うかなぁ。あははっ」


 無難に自分の立場を理解しているようなことを返答する。

 俺はあくまで、地味男キャラを貫くのだ。

 とはいえ、ここまで何度も質問されては俺も持たない。

 ……紺野には遅刻してでも来てもらいたい。


(ここまで紺野が必要になる時がくるとは――もしかしてこれが恋!?)


 最初は藁にもすがる想いで和成と美波に助け舟を求めたが、奴らは助けてくれるどころか瞬く間に俺の敵と化した。

 連中は目を輝かせて俺に紺野の件を問いただしてきたのである。

 二人がミーハーであることを俺は忘れていた。


 当然、嫉妬のような視線を送る者達もいる。


「なんで地味男が――」

「紺野のセンスを疑うわ」


 陰口を人に聞こえるよう話すのはどうなんだ。

 まあ俺を好きになる感性は俺も疑っている。

 というか、まだ付き合った訳でもないのに、よくもまあここまで盛り上がれるものである。


 実はこれも紺野の策略なのかもしれない。

 俺が告白を断れない空気を作っておくことで誘導する――そういったテクニックだろう。

 やはり狡猾な女……紺野は要注意人物である。


「赤松くん。話があるのだけれど、今いいかしら? ついて来てほしいの」


 そう言ってきたのは小紫。

 有無を言わせず手を引かれた俺は、あっさりと彼女に連行された。


 向かった先は空き教室。

 入ると、小紫以外に二人の女子がいた。

 紺野や小紫とよくつるんでいるギャル二人組。

 ナナチーとマナミンと呼ばれていた気がする。

 元を辿れば炎上の発端でもある。


「二人が赤松くんに謝りたいらしいわよ」

「ひっひぃ! ごめんなさいごめんなさい!」

「ごめんなさい許してください!」


 この前まで俺を見下していたギャル二人は、釈変して何度も謝罪してきた。

 腰が抜けているし、靴を舐めろと言えば本当に舐めそうなくらいには怯えている様子。

 ……ドン引きだ。


「なんでこんな怯えてるの?」

「少しキツく叱っただけなのに、おかしいわね」

「えぇ……」


 小紫は、俺が炎上を鎮火したら「何でも言うこと聞いてくれる」と言っていた。

 しかしこんな命令はしていない。

 なのに、本人は「偉いでしょ?」と言いたげにドヤ顔である。


「えっとナナチーとマナミンだっけ? ごめん本名知らなくて」

「ナナチーです!」

「マナミンです!」

「本名教えてくれないんだ……とりあえず僕はいいから、紺野さんに謝ってあげて」


 全てを知る俺にとってこの炎上の被害者は紺野以外にありえない。

 彼女に謝るというのが筋だろう。

 二人がしたことは許されないが、後は紺野の裁量に委ねることにした。


 その後、ギャル二人を空き教室から追い出し、別の話があるという小紫と二人きりになった。


「それで……私が聞きたいことわかるわね?」

「ん……? わからないけど」

「トイ様の件に決まってるじゃない!」


 グイっと身体を引き寄せる小紫。

 なんだ……? まさか小紫までトイのファンとか言う訳ないよな……?


「赤松くん! あの人と知り合いだったの?」

「予めどんな手を使っても文句を言わないでほしいってお願いしたはずなんだけど」

「文句なんてある訳ないじゃない! むしろ、なんで教えてくれなかったの? ねぇどうして!?」


 テンションが上がり始めた小紫は、俺の腕を掴んでブンブン揺らしてくる。

 どうしてそんな興奮しているのかわからない。

 俺の仕業だということを疑わないのもそうだし、小紫も幾分か頭にネジが飛んでいる。


「一旦落ち着けてくれる? 何が言いたいのか僕にはわからないんだ」

「トイ様とどうやって知り合ったの!?」

「黙秘権を行使する」

「キーッ! 私がトイ様の大ファンと知っておきながら、鬼畜の所業よ!」

「大ファンって初耳だよ」


 『キーッ!』とか実際に言う人を初めて見た。

 正直、トイ関係の炎上事件については、やけに詳しかったとは思っていた。

 ……トイのファンって実はヤバい奴しかいないのではないかと心配になる。


「乃彩に聞いても教えてくれなかったんだから。赤松くんが教えてくれないと困るの! 私もトイ様に会いたいのよ!!」

「紺野さんと連絡取れるようになったんだね」


 話を逸らす。

 結局、紺野が今どんな感じなのか知らないから。


「あっ、言い忘れていたけど昨日やっと乃彩が寮に帰ってきたのよ。なぜか今日は欠席したけど」

「別に良いけど、先に言うべき重要な情報じゃないか……」


 勿論俺は知っていた。

 でも赤松結翔は知らない情報なので知らないフリを貫く。

 しかし小紫も今日紺野が欠席した理由を知らないとは……な。

 いよいよ本当に俺を困らせるのが目的だったのかもしれない。


 すると小紫がパンッと手を合わせ、急に落ちついた雰囲気を取り戻す。

 切り替えが早くて怖い。


「じゃあトイ様のことはさておき、赤松くんどうするつもり? 告白のこと」

「教室で言った通り」

「付き合うとも付き合わないともハッキリとは言ってなかったじゃない。どっちなの?」

「…………」

「まさか赤松くん……はぁ呆れた。この期に及んで答えを出せないなんて、本気なの?」


 まだ一日も経っていないのだろうが。

 俺の場合は特殊なケースだし、告白の返事には慎重になって然るべきだろう。


「何でも言うこと聞くって言ったよね? それ以上その件について触れないこと」

「ぐぬぬ、このヘタレ野郎……でも、これで命令権はなくなったということで――」


 それは都合が良すぎるだろう。

 だいたい、言い出したのは小紫なのにな。


「いやいや、小紫さんは僕の言いなりになるって言ったよね?」

「へっ?」

「言ったよね?」

「お、覚えてないわね」


 苦笑いを浮かべ誤魔化そうとする小紫。

 俺はポケットからボイスレコーダーを取り出し、以前の会話を再生する。


『わかったわ。貴方に賭ける。解決したら何でも言う事聞く。言いなりになる』


 しっかりと言質は取っていたのである。

 俺は再び小紫に対し笑顔を浮かべた。


「言ったよね?」

「……言ったわね」


 ガハハ、勝ったな。

 即落ちである。


「わ、私に何やらせるつもり!? この変態!」

「とりあえずそうだな……暫くは紺野さんの手助けをしてほしい。報告は随時すること」

「私の反応無視!? もっと欲かきなさいよ!」


 何を言っているんだ。


「そういう命令されたいの? そういうこと考える小紫さんの方が変態だと思うけど」


 意地悪を言うと、顔を朱色に染める小紫。

 

「……赤松くんは一応の恩人なのだし、多少そういう恩返しをしてもいいかなって思っただけよ」


 平然とそう言えるのは、恥じらいがあると言えるのかどうか。

 小紫はやはり、友達想いなのだろう。

 とはいえ昨日、蝶姉に幸せなセクハラを受けていなければ望んでいたかもしれないな……。


「小紫さんが嫌がるような命令はしないようにするから、とにかく紺野さんのことよろしくね?」

「言われなくたって乃彩の手助けはするつもり。友達だもの。でも本当にそんな命令でいいの?」


 再度聞いてくる小紫。

 こいつ、俺が過激な命令したらどうするつもりだったんだろう。


「俺が紺野さんを受け入れるにしろ振るにしろ、彼女には元の生活に戻ってもらいたいからね」

「乃彩を一躍の有名人にした仕掛け人が何を言っているのか私にはわからない」

「わからなくてもわかったね?」

「……わかったわよ」


 今、俺は紺野のことを知りたいと思っている。

 彼女の動向は小紫が把握しているだろうし、暫くは小紫を利用して観察する。

 俺は小紫を残して、先に空き教室を後にした。






「……何なのよあの男。なんで私……少し期待してたのかしら」

 ボソッと誰にも聞こえない声で、小紫は独り言を残していた。

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