第9話 彼の素顔 (乃彩視点)

「じゃあ私買い物に行くから、乃彩さんは自分の家みたいにくつろいでいいからね」

「はい。ありがとうございます」


 蝶々さんの提案で家に泊めてもらうことしたあたしは、彼女を見送ってリビングに戻る。

 外に出るだけでも怖いし寮には戻りたくない。

 あたしの気持ちも理解してくれているのか蝶々さんは優しくて明日学校を休んでここにいていいとまで言ってくれた。


(――優しい人)


 本物のしらみねちょうちょと会うことが出来るなんて思いもしなかった。

 活動できなくなったという劇的なドラマが話題を呼び、一年で経たずであらゆる記録をえたトップアイドル。

 彼女にあこがれてキラキラしたいと思ったあたしは髪を染めたりおしゃを覚えた。

 まさかクラスメイトの従姉だとは思っていなくて、初めて見た時ゆめなのかと思った。


 それに――怒られなかったし。

 動画を見ていたならあたしが赤松にひどいことをしているなんていちもくりょうぜん

 なのに怒るどころかへこんでいるあたしを慰めてくれたのだ。感謝しかない。

 そんな蝶々さんを動かしたのは恐らく赤松。

 あたしの心は彼に対する罪悪感で満たされていく。


(どうしてこうなってしまったんだろう)


 数日前まであたしの日常は充実していて、浮かれていて――きっと罰が当たったのかもしれない。

 いや、自分が悪いってことくらいわかっている。調子に乗ってしまったんだ。


(――調子に乗って、ナナチーとマナミンの罰ゲームに乗っかっちゃった)


 ギャル友の二人を悪く言うつもりはない。あたしが気を付けていればよかったこと。

 いつもあたし達にブレーキをかけてくれるコサキがいなかったのも、言い訳にはできない。


 正直あたしも、良くないとは思っていた。だけど、全く歯止めがかからなかったのは何故なぜなんだろう。

 昨日きのう酷い目に合って惨めな自分から逃げたかったから?

 偶然にも大好きなトイ様と出会ったことで周りが見えなくなってしまった?

 あるいは――そのどちらも。


(あたし――最低だ)


 最初はSNSで叩かれていることに納得がいかなかった。

 たかが嘘コクで、相手は地味な赤松で、ちょっとからっているくらいで言われ過ぎだと思っていた。

 だけど、多分そんなあたしは間違っている。


 あたしの方が間違っていて、明確な加害者で――そこに言い訳の余地はない。

 言い訳を考えようとする自分に、嫌気が差した。

 自分がこんなに最低でクズな女だなんて、信じたくなかった。


(どうして、赤松は助けてくれたんだろう――わからない)


 あたしは赤松のことも……無意識に見下していた。だから追いかけてきてくれた時だって、あたしは彼に拒むような事を言ってしまった。

 だけど――。


(今こうして匿ってくれて、赤松はきっと良い人なんだ)


 あたしとは違う。根から善人だから、心配してくれて追いかけてきてくれた。

 膝を怪我した所為で自分の力では立てなくて、背負ってくれた時、彼の背中は大きかった。

 元々赤松の身長は高いけど、なんだか頼りになるような――そういった言葉では表現できない感情を抱いたのである。


 不思議とあたしに安心感をくれた。

 実は男慣れしていないあたしにとって、初めての感覚だった。

 ギャルっぽくおしゃし始めてからは、それなりにモテているけど、ずっとトイ様に一途だったから。


(もしも昨日、トイ様に会っていなかったら――赤松にれていたかもしれない)


 そして他人を比較してしまうあたしは、叩かれて当然の人間なんだろう。


(でも、きっとそれで良かったんだよね)


 もしあたしが赤松を好きになってしまったところで、赤松からしたらあたしは嘘コクを仕掛けた加害者。

 彼の顔だって全国にさらされてしまった訳で、恨まれていたって仕方ない。

 未だあたしは大炎上中の身。家にかくまってまでくれているのに――そんなことで好きになるなんてにも程がある。


(だって、赤松はあたしのこと好きじゃないから)


 嘘コクとはいえ、一度告白した身。それだけは間違いなくわかる。

 あたしも一応口パクで『ことわって』とは伝えたけど、彼が告白を断ったことは重要じゃない。


(告白した時の赤松は、全然気にしていなかった……)


 あの時は赤松がショックを受けていないとわかってホッとした。

 だけど逆説的に考えたら、あたしから「好きじゃない」と伝えられても全くどうようしなかったということ。

 ――期待さえも、してくれなかったということ。


(なんであたし――目から涙が……)


 他人の家のソファーの上でうずくまりながら、あたしは泣いてしまった。

 幸い今は誰にも見られない。でもそれゆえに、せきりょうかんがあふれてくる。


 蝶々さんが買い物へ行き赤松が風呂に入っている途中なのでリビングに一人。本当は蝶々さんが一室貸してくれたけど、一人でいたくない気持ちから誰かを待っている。


「ふぅ、風呂の湯り直した方がいいのかな。蝶姉何処行ったんだよ」

「えっ?」

「なっ……ッ!」


 振り向くと、そこには風呂上がりの赤松。

 つい声を出してしまうと、彼は顔をらした。同時にあたしも顔を逸らす。


(いつからリビングに? 涙――見られてないよね……?)


 どうして振り向いてしまったのかはわからない。

 あたしがうずくまっていたことで赤松があたしに気付かなかったのはわかる。

 だから存在に気付いた時点で声だけかければよかったのに、なぜか見てしまった。

 泣いているところを見られたかもしれない。


「悪い……ソファーに隠れていて気付かなかった」

「ここはあんたの家だし――別に気にしてない」

「今日のことも――あんま気にすんなよ」

「わかってる」


 泣いているところを見られたくないし、早く何処かへ行ってほしい気持ちもあるけど、なぜか行ってほしくない気持ちも同居している。


 振り返った時、赤松の風呂上がりの姿をしっかりと見てしまった。

 下半身はバスタオルで隠されていたけど、上半身は筋肉質の水の下たる姿。

 不思議と胸がドキドキしてしまう。


「…………」

「…………」

「……じゃあ、俺は自室に――」

「あっ、あのさ赤松、いつもと違うけど――そっちが素なの? 言葉遣いとか『俺』とか色々……」

「あっ、いや……気にしないで」


 なぜかあせったように言葉遣いを戻し、去ろうとする赤松。

 そうしてリビングから出ようとする瞬間、あたしはもう一度だけ彼の顔を見ようと振り返る。

 一瞬だけ、再び彼の顔を見ることができた。


(なんで……?)


 記憶の中にある赤松の顔はしっかりと脳裏に焼き付いている。

 風呂上がりで、いつもと違い眼鏡をかけておらず前髪を上げている彼の顔。


 その顔は――あたしの大好きなトイ様そっくりだった。

 あの言葉遣いも含めて全部……なぜか赤松をトイと重ねてしまう。


(あたし――本当に最低だ)


 彼を好きになろうとしている自分の卑しさに、胸がキュッと引き締められる。

 そんな訳ない……一瞬見ただけで美化しているに違いないのに、ドキドキが止まらない。


(最低……あたし最低……)


 もしも今朝の告白が嘘じゃなくて本当だったら――そんな妄想にひたっているのは、きっと逃げている……現実逃避だ。

 よくないことなのに、なぜかそうであってほしい気持ちが溢れてくる。

 色々な感情が頭の中でぐちゃぐちゃになった。

 ソファーが濡れないように、赤松から貰ったハンカチで色々なものをきとった。



 胸が苦しいのに――心臓が高鳴って仕方ない。

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