第三話 「イブツノイシ」


 かつて、口は禍の元だった。


   * * *


「ああ、裸の口でございます」

「禍が起きてしまいます」

「野蛮で無修正で恐ろしい」

「平和のために、さあこれを」


「マトウ様。どうか、”口禍回避拡声器こうかかいひかくせいき”をご着用ください」


 高層の会議室に、無機質な電子合成音が響く。黒いスーツに身を包んだ、見るからに屈強な男性たちが怯え、部屋の隅に固まっていた。みなへっぴり腰になって、私を見つめる。彼らはブルブルと震え、サングラスの下から涙を流していた。

 そのうちのひとりが、長い棒がついた盆を私に差し出した。盆の上に機械が乗っている。男性たちが口元に着けているのと同じ機械だ。これが、”口禍回避拡声器こうかかいひかくせいき”。


 私は拡声器を手に取る。全体を観察した。

 透明で細長い布の中央が袋状になっていて、機械が収納されている。布の両端は輪の形だ。その輪を耳にかけて着用する。布は鼻の下から顎、そして頬を覆う大きさだ。

 

 機械はちょうど口の正面に位置している。透明な布で包んでいるため機械部分は丸見えだ。その上、機械自体のフタも透明なプラスチックであるので、中身が容易に確認できた。灰色の小さな部品がいくつも連なっている。

 拡声器の名の通り、機械を包む布に小さな穴が円状に開いており、機械のフタにも同じような穴が開いている。そこから合成音を発するのだろう。


 輪を両耳にかける。輪が耳をぐるりと囲む。布がすき間なく私の肌に密着した。

 両方の輪から、かちりと音がする。輪の部分にボタンがあったようだ。電源が入る。ピピピ。視線を落とすと、機械の部品が動くのが見えた。

 

 男性たちの震えが止まる。私に盆を差し出していたひとりが、

「マトウ様、なにか喋ってみてくださいませ」

と告げた。


”すみません。これで問題ないでしょうか?”

 キュルキュル。機械が動作する。私の発言から二三拍遅れて、


「……これはこれは大変申し訳ございませんでした。先ほどまでの問題、わたくしの口から禍が放たれる可能性は綺麗さっぱり消えました。平和が訪れました。ご心配をおかけいたしまして、お詫び申し上げます」

 無事に電子合成音が出力された。私の声とは全く異なる。単調で中性的で特徴がない音だ。それに、彼らと完全に同じ合成音である気がする。


 私が素直に拡声器を着用したことで、彼らはほっと息をつく。落ち着きを取り戻した彼らは、背筋を伸ばしまっすぐ立ち上がる。部屋の隅から会議室前方に移動し、ホワイトボードの前、横一列に並んだ。みな黒いスーツ、黒いサングラスを着用している。筋肉質で、屈強な男性たち。さきほどの怯えようには、少々面食らった。列の真ん中の男性が一歩前に出る。彼は、黒い髪を坊主に刈り上げていた。


「ワタクシたちは、平和維持員です」


 維持員を代表し、彼は私に歓迎のコトバを出力した。


 ここは、彼らの組織が所有する高層ビルの会議室。壁一面に設置された窓から、同様の高層ビルが周囲に乱立しているのが見て取れた。

 ガラスの向こうから電子合成音が聞こえる。広告を全体に張り付けた小型飛行機が空を飛ぶ。スピーカーに巨大な拡声器を被せ、至極丁寧で平和なコトバを振りまいている。太陽が反射し白や青に光るビル群の中、緑が少しだけ規則正しく植えられていた。


「マトウ様、先ほどは”口禍回避拡声器”を迅速にご着用くださり、誠に感謝いたします」


 代表と、後ろの維持員たちは電子音で感謝を表す。機械が口の正面に被さり、口の動きは全く見えなかった。腹話術のようだ。


「平和維持員は、平和を維持するため日々活動しております」


”そうなんですか。” キュルキュル。私のコトバが変換される。

「……左様でございますか。いつも、お勤めご苦労様です」


「とんでもございません。尊い平和を守る、大変やりがいのあるシゴトです。もちろん、いかなるシゴトも大いに素晴らしいものでございます」

 代表は丁寧な発言を出力する。口元が見えないと、感情や本音を推測するのがなかなか難しい。彼らの瞳はサングラスで隠されているので余計にだ。


”ええ、それはたしかに。” キュルキュル。変換用機械が音をたてる。

「……はい。代表様の言う通りでございます。どの職業も平等にかけがいのないものです」


 つらつらと出力される電子音から、全方面に微塵の敵意も抱かせまいというイシを感じる。拡声器は防音性が高いのか、自分の発した声がほぼ聞こえない。耳に入るのは、電子合成音のみだ。


 代表が長方形の薄い電子端末を取り出した。彼は私に端末を差し出す。


「依頼をご快諾いただき、心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございます。こちら、マトウ様へのご説明資料です」


 端末を受け取った。


”どうも。紙ではなく、端末なんですね。” キュルキュル。

「……お忙しいところ、ご用意いただきありがとうございます。紙ではなく、便利な電子端末をご使用されているんですね。わたくしも合理的だと感じます」

「恐縮です。もうだいぶ前に、紙はすべて廃棄されることが法で決定いたしました。紙は禍と悲劇を引き起こします。前時代的で野蛮なのでございます」


 紙への評価が大分辛口だ。


 ”へえ。そうなんですか。ちなみに、どれくらい前に法が作られたんですか?” キュルキュル。

「……たしかに、その通りでございます。恐れ入りますが、その素晴らしい法律が作られたのは、いつなのでしょうか? わたくしにお教え頂ければ幸いです」

「xx年前となっております。ワタクシどもの世代は、ホンモノの紙を拝見したことがございません。もし目撃したら、倒れてしまうでしょう。大変恐ろしいものだった、と習いました。どんな罵詈雑言でも無修正で書けてしまうのだと。あぁ、なんとも野蛮です」

 

 代表はじめ、維持員たちがまた震えだす。私が腰に巻いている鞄の中には、紙の手帳が入っている。彼らの前で見せないほうがいいだろう。


 受け取った端末に視線を落とす。写真が何枚か表示されていた。おじいさんがひとりと、それから電子機器の山。パソコンやマウス、キーボードが適当に積まれている。彼らの身長よりも遥かに高く積み上げられていた。


「依頼の説明はワタクシからいたします」


“わかりました。よろしくお願いいたします” キュルキュル。

「……承知しました。丁寧なお心遣い、感謝いたします。何卒よろしくお願いいたします」


 禍の無い平和なコトバを吐き出してはいるものの、私の拡声器は動作が少し遅いような。それに、変換前にキュルキュルと動作音が鳴っているのは私だけだ。不具合だとしたら、調査に悪影響が出るかもしれない。


”あなたたちと比べ、私の拡声器は動作がすこし遅いようです。音も鳴っていますし。故障でしょうか。” キュルキュル。


「……申し上げにくいのですが、貸与していただいた拡声器が皆様よりも少々、動きが遅いように思われるのです。いえ、わたくしの勘違いであればなんの問題もございません。念のため、お伺いしたく存じます」


 くどい。どんなコトバも平和に変換されているようだが、くどい。長い。禍を徹底的に排除するには、これぐらいの丁寧さが必要なのかもしれない。

 私の問いに対し、代表は首を振った。


「ご心配恐れ入ります。故障ではございません。使用を重ねるにつれ、拡声器の動作はどんどんと速くなります。マトウ様のおコトバの蓄積が必要なのです。十分におコトバが溜まれば、迅速な平和変換が可能でございます」


 ひとまず、問題は無いようで安心した。


 ”へえ、そうなんですか。” キュルキュル。

「……そうでございましたか。丁寧にご説明いただき誠に感謝いたします。わたくしの心に平和が訪れました」


 やはり、くどい。なんだか自分のコトバだと確信が持ちづらい。単調な合成音であるのが、余計にそう感じさせるのだろう。拡声器がコトバを吐き終わるたび、顔をかしげたくなる。そのうちに違和感が無くなると祈るしかない。


「マトウ様、使い込んでいただければ、おコトバをほんのちょっとの遅延も無しに平和に変換できますよ。楽しみにしていてくださいませ」


 代表は後ろの維持員をふたり連れ、会議室の扉へ向かう。


「では、マトウ様。”イブツ”のもとへ参りましょう」



 ビルの玄関前に自動車が二台停まっている。白い車体。窓は透明なガラス。輪郭は曲線を描く。運転席、助手席、後部座席にふたり乗車できるぐらいの大きさだ。代表と私が前方の車に、維持員ふたりが後方の車に乗り込む。


 運転席と助手席の間に、小型モニタが設置してある。画面の下にはいくつかボタンがついていた。

運転席の代表は、画面に顔を近づけ、

「おじい様のところまでお願いいたします」

と電子音を発した。

『カシコマリマシタ』

 拡声器の電子音とそっくりだ。自動車は、代表の操作無しで勝手に動き出す。ハンドルが左に右にひとりでに曲がる。


 自動車はビルから離れ、高く登った太陽の下、街中を一定の速度で進む。赤子以外のみなが拡声器を着用していた。平和な電子合成音が飛び交う。ヒトビトの表情は極めて穏やかだ。どこを見渡しても、禍の一片も見当たらない。拡声器が、禍の元をすべて取り除き、平和へと変換している。

 

 なんと、ヒトだけではなくモノにも拡声器が装着されていた。あらゆるスピーカーや信号機、広告、標識、その他音が出てくる可能性があるすべてのモノに、ピタリと拡声器が着けられている。ヒト用の拡声器より、何倍も大きい拡声器もあった。徹底的な力の入れようだ。


 窓から外を眺める。空を飛ぶ広告。店の看板。道路の標識。どの情報手段も音声が中心だ。次いで、画像と映像が少し、文字はほとんど無い。街中に拡声器があふれている。


 定期的に同じ掲示がある。”平和の統一まで イブツの残り……”、合成音が数を告げた。

 

 それにしても、この拡声器はピタリと顔に張り付いて少々息苦しい。新鮮な空気が欲しい。顎から指を挿し込んで、小さな空間を作ろうとした。私の動きを察知した代表が、

「マトウ様。それはなりません。法で着用が義務付けられているのです、何卒よろしくお願い申し上げます」 

 と合成音を出力した。モニタを見ると、後ろの二号車の様子が映っており、維持員ふたりが手を取り合い抱き合って首をぶんぶん振っていた。怯えている。


”すみません。以後気を付けます” キュルキュル。

「……大変申し訳ございません。みなさまのお心を乱してしまいました。平和のため、今後は決して拡声器を外さないと、わたくしは約束いたします」


 代表と維持員は、ホッと安心したように見える。なんせ。口は機械に、目はサングラスに覆われているし、電子音は調子が単一だしで、推測する材料がほとんどないのだ。

 私は端末を眺める。依頼内容についてそろそろ詳しい説明が欲しい。


”ところで、依頼内容の説明をお願いできますか” キュルキュル。

「……代表様。お手数をおかけしますが、依頼内容についてご説明いただけると助かります」


 窓の外の景色が、だんだんと寂しいものに変わる。建物は低くなり、密度が下がっていく。緑の割合が増える。代表が電子音を吐き出す。


「かつて、口は禍の元でありました」

「裸の口は、野蛮なコトバを振りまいておりました」

「禍は絶えませんでした」

「しかし、拡声器によって、コトバは平和に変換されるようになりました」

「禍は消え去りました」

「いまは、口は平和の元なのです」

 二号車の維持員たちは画面の中で、うんうんと頷く。代表は説明を続ける。


口禍回避法こうか かいひほうによって、前時代的な、野蛮な電子機器はすべて廃棄の対象になりました」

「昔の機器には、回避補助機能が入っていないのです。無修正のコトバをそのまま出力します」

 代表はコトバを区切ると、肩を落としうなだれる。


「強力なイシをもって、いまだに口が裸のままな方が、おひとりだけいらっしゃるのです」

 彼は振り返り、私の持っている端末を恐る恐る指さした。


「おじい様は、拡声器着用を拒否し、他の方が捨てた旧時代の機器を集めてらっしゃいます。郊外でひとり、極めて自由にお暮しになられているのです」


 拡声器によって平和が訪れました。めでたしめでたし――。とはいかず、おじいさんがひとり拡声器に反対して、昔の電子機器を集め、街はずれで好き勝手やっているらしい。


”おじいさんはどんなヒトなんですか” キュルキュル。

「……代表様。丁寧なご説明感謝いたします。そのおじい様はどのようなお方なのですか」

 ううん。まだ、慣れない。この次元のヒトビトは、平和なコトバをずっと浴びているから違和感が無いだろうが、私は違う。代表の返答を待つ。


「おじい様は、とても特殊な方で、個性的な方で、ある部分尊敬する箇所があり、驚くほどの生命力があり、長寿記録を更新し続けてらっしゃいます」


 ううん、くどい。平和で綺麗なコトバなのだ。しかし、いまいちわかりにくい。もっと率直に情報が欲しい。


”今ここだけ、こっそり外して喋っていただけませんか” キュルキュル。

「……代表様。ひとつお願いがございます。この空間でだけ、密かに拡声器を外し、おじい様について教えていただけないでしょうか。大変恐れ入ります」

 長い。もっと短く簡潔に変換できないものか。合成音の途中で、自分の発言を忘れてしまいそうだ。


 私の出力音に、代表は体をのけぞらせた。首を大きく振る。


「マトウ様。心苦しいのですが、口禍回避法により、拡声器を外すことは認められておりません。ご期待に沿えず、申し訳ございません。禍の元になるかもしれません。旧時代の禍。想像するだけで、ほんとうに恐ろしく感じます」


 諦めよう。おじいさんについては、現地で直接知るしかなさそうだ。画面に映るおじいさんを見つめる。眉は吊り上がり、口が大きく曲がっている。明らかに不機嫌な表情で、こちらを鋭く睨みつけていた。


 ”見るからに偏屈で、頑固そうなクソジジイですね” キュルキュル。

さて、禍特盛の罵詈雑言を、回避補助機能とやらはどんなコトバに変換するのだろう。


「……ああ、なんとも素敵なお写真です。お姿から、イシが強そうなおじいさまであるとお見受けします。特にこの口元に生命力を感じます。それから……」

 

 平和はくどい。

 

   * * *

 

 街からずいぶんと離れ、自動車は舗装されていない砂利道を往く。頭上の太陽が、自動車の影を真下に落とす。巨大な建物はひとつもなく、ぼうぼうに放置された木々の中に、民家がぽつりぽつりと見える。空き家ばかりだ。


 代表曰く、拡声器が浸透してからというもの、コトバの差が無くなった。郊外のヒトビトは拡声器を通し、都心への移住を表明した。ヒトビトが都心に集まったことで、効率的で先進的な施策が行えるようになり、平和がさらに進んでいるという。


「自然にあふれ、困難が多く、生活に達成感がある場所でお住みになられているのは、今はもう、おじい様だけとなっております。特別な価値観をお持ちの方です。いろいろとご不便でしょうし、心配でございます」


 ”うーん。でも、おじいさんは好きで住んでるんじゃないですか” キュルキュル。

「……ええ、好みは各々で異なれど、大変な場所にお住みですね。わたくしも気がかりでございます」

 私の拡声器は、まだ数拍遅れている。いぶかし気な視線を口元に送った。


「マトウ様。ご心配は不要でございます。マトウ様の発言が蓄積されるほど、動作はみちがえるほど高速になります」


 ”そうですか。しかし、法で着用が義務付けられているとは、驚きました” キュルキュル。

「……安心しました。本当に素晴らしい法ですね。みなが拡声器を着用し、驚くほど強固な平和が訪れているのがわかります。わたくし、感動いたしました」

「ええ。口禍回避法を検討する場でも拡声器はとても役立ったのですよ。史上類を見ない速度での、円滑円満で平和な制定でございました」


『モクテキチ フキン デス』

 自動車が停止した。数メートルほど先に民家が見える。格子模様の灰色コンクリートの塀。塀から、機器の山の先が少し覗いていた。山の隣に、わずかに石も見える。塀を超える高さの石となれば、かなり大きいかもしれない。

 塀の向こうから、カンカンと高い音が小気味良く響いていた。

 

 代表は運転席のドアに手をかけ、息を吸い込んで、吐き出す。彼の肩が上下した。おそらく気合を入れたのだろう。

「さて、マトウ様。まいりましょう」

 私も外へ降りた。砂利を踏みしめる。二号車から維持員がふたり現れた。


 彼らは民家に向かって歩き出す。が、腰が引けている。おじいさんがどれだけ恐ろしいのだろう。実は、おじいさんは武術のタツジンで、屈強な彼らより数段強く、いつも拳で彼らを追い返している――、などと妄想した。


 民家に向かって正面、両開きの門扉がある。金属の細い柱が横に並び、内側から鍵がかけられていた。

門扉のすき間から庭と家が見える。木造平屋建ての一軒家。築数十年は経っているだろう。家を囲むように庭が広がる。雑草がところどころ生えているが、最低限の手入れはされているようだ。キンキンと甲高い音が耳に入る。音は庭から聞こえていた。


 維持員たちはいつの間にか、私の後ろに隠れている。仕方ない。私は呼び鈴を押した。甲高い音がぴたりと止む。足音が近づく。門扉の鍵が開き、


「来たな! 心無いオシャブリどもめ!」

 おじいさんが飛び出してきた。白いタンクトップに、五分丈の茶色いステテコ。ガニ股で、年のせいか背は丸まっている。唇は片方に大きく曲がっていた。おじいさんは拡声器をつけていない。口が裸だ。

 大口を開け、歯を見せ、舌を動かして、私たちに向かってコトバを浴びせる。


 私の体が震えた。肩にしがみつく維持員が怯えているからだ。彼らの動きに体が連動する。

 

「おじい様、今日こそは古い機器をお渡しくださいませ。どうかお願いいたします」

 代表が告げる。きっと、拡声器の下で情けない声を出しているのだろう。けれども、拡声器は極めて穏やかに、平和的な音を出力する。


 おじいさんは、私たちの口元を確認し、ぺっと地面に唾を吐く真似をした。


「カアーッ! このオシャブリが! お前らのコトバには真心がこもっとらん!」

 苛立ちを隠しもせず、好き勝手に野蛮なコトバをまき散らしている。代表はこう続けた。


「おじい様の観点は独創的でございます。しかし、拡声器からでるコトバは平和を願っての、とても綺麗なコトバでございます。どうかおじい様も平和で暮らせるように拡声器を着用くださいませ」

 代表は拡声器を、私の肩ごしにおじいさんに差し出した。おじいさんは拡声器を睨んだ後、フンとそっぽを向く。


「ワシはつけたくない! そんなオシャブリよりも、ワシの作品を見ろ! どうじゃ?」

 ほれ、とおじいさんは庭に置かれた石を指す。円錐に似た形の巨大な石。機器の山と同じぐらいの高さだ。重量はかなりものだろう。石の表面、細い線がグニャグニャと波打っている。近くにノミとハンマーが落ちていた。鈍い灰色のノミは、先が細くとがっている。ハンマーは木製の持ち手に、石の頭がついていた。

 さっきまでの甲高い音。あれは、おじいさんが石を彫っていた音だったのか。


 代表と維持員は、顔を石のほうへ向けた。

「ええ。崇高で深い意思を示した比類なき作品でございます。ワタクシどもには、とてもその真意をつかむことはできません」

「……」

 おじいさんは眉間にシワを寄せ、合成音の意味を考える。視線を右上、左上に振る。ようやく、彼らの発言を解読した。


「……カアーッ! 嘆かわしい! この作品の言いたいことがわからんとは! ちょっと待っとれ!」

 到底、おじいさんが納得する答えではなかったようだ。おじいさんは大声で騒ぎながら、家に入る。そして、すぐに戻ってきた。


「おいドロボーども! お前らこれを読め!」 

 おじいさんは小型のモニタを抱えている。維持員と私の前に勢いよく突きつける。モニタの背面から太いコードが家の中へ伸びていた。

 維持員はとうとう逃げ出す。彼らを追いかける。敷地を飛び出して、自動運転車の屋上に登って、うずくまっていた。振動で車体が揺れている。


「おじい様。申し訳ございません。ワタクシどもは、古い機器は野蛮的で直視できません。どうか寛大なお心で、回収にご協力をお願いいたします」

 狼狽状態の彼らが、穏やかで冷静な電子音を吐き出している。その対比にほんの少しだけ可笑しさを感じてしまった。


「けっ、そのオシャブリが出す音はキンキンして、耳が痛いわ!」

「おじい様。モノを大切にする精神はとても素晴らしいものです。ですが、古い機器は口禍回避法によりすべて廃棄しなければならないのです。禍の元なのです」

「法律がなんだ! 知らぬわ! まだ十分に使える! お前らはお前らでオシャブリで遊んでろ! ワシのことはほっておけ!」

 おじいさんは自動車の近くまでモニタを運んできて、維持員に見せつけようとした。が、コンセントが抜けた。エラー音が鳴り、画面に細かくノイズが走る。

「ああ! 何時間もかけた大作が! おい、大丈夫か? 今助けてやるぞ!」 

 モニタを労わり、画面をやさしく撫でながら、おじいさんは家の中に引っ込んだ。


「マトウ様。あのお方が、例のおじい様です」

 代表は、自動車の上から無機質で抑揚のない合成音を浴びせる。私は答えた。


 ”はい。一目瞭然ですね。” キュルキュル。

「……ありがとうございます、代表様。あなた様のご丁寧な説明で、あの方が件のおじい様であると理解いたしました」 

 維持員たちは、おじいさんのいないすきに自動車から降りると、二号車に慌てて乗り込んだ。


「マトウ様、それでは古い機器を全て回収してくださいますよう、何卒よろしくお願いします。量が少々多いかもしれませんが、マトウ様ならきっと成し遂げてくれると信じています。あなた様は、平和の救世主でございます」

 彼らはそう言い残すと、この場から去った。


 私は、門扉をくぐった。おじいさんが家の中でなにやら騒いでいる。

”がんばれ! まだお前はやれる! 息を吹き返すんじゃ!”


 拡声器が変換した内容を思い出す。たしかに、おじいさんは”特殊で個性的で独創的な方”、かもしれない。これから私は、タイヘン強烈なおじいさんから、古くて野蛮で野生的な機器を回収しなければならない。ぽつりとつぶやく。


 ”骨が折れるなあ。”  キュルキュル。

「……なんともやりがいのあるシゴトでございます。わたくし、喜んでお受けいたします。さあ、平和に向かって前進いたしましょう」


やはり平和はくどい。


   * * *


「よく頑張ってくれたのう」

 おじいさんは故障したモニタを労わっていた。私に気づくと縁側から庭に降りてくる。

「フン。全員しっぽを巻いて逃げ出したかと思ったが、お前ひとりが残ったのか」

 と私に言った。この次元に来てから、同じ電子合成音ばかり耳に入れていたのでなんだか新鮮だ。

 

 ”維持員に代わり、私が機器を回収します” キュルキュル。

「……はい、おじい様。不肖ながらわたくしマトウが、機器を回収させていただきます。ご理解ご協力のほど、何卒よろしくお願いいたします」

 おじいさんは野生的に怒りをあらわにした。歯をむき出しにし、鼻息は荒く、目をキッと鋭くして、私に詰め寄る。

「駄目じゃ! 許さん! ……ん?、お前新顔だな? あの軟弱者ども。真心までじゃ飽き足らず、自分のシゴトまでも捨てるとはな」

 私は拡声器の内側で、おじいさんを説得するためのコトバを吐く。


”すみませんが、回収します。” キュルキュル。

「……申し訳ございませんが、法で定められていますので回収いたします。寛大なお心でご了承いただけますと幸いです」

「やだね! 絶対駄目! ワシはまだやりたいことがあるんじゃ。勝手に持って行くでないぞ!」

 おじいさんは機器の前まで駆けると、両手を広げた。


”うーん。どうしよう。あの、おじいさん。私は回収のためにここに来たんです” キュルキュル。

「……わたくし困惑しております。回収のためにこちらへ派遣されましたので、それに、平和のためにも古い機器は廃棄しなければならないのです」

「あー知らん! 知らん! ワシゃ、オシャブリをつけてる連中とは話をせん主義でね」


 おじいさんと私の押し問答が続く。拡声器からは一拍遅れて変換済みの平和なコトバが、おじいさんの口からは次々に無修正の野蛮なコトバが飛び出す。

 

 まったく進展を見せない。説得がなんともうまくいかない。回収作業が難航している。私が機器に無理にでも近づこうとすると、おじいさんが私の目の前に素早く移動し、邪魔をする。すきをついて、小さいマウス一つ回収できた、と思えば、おじいさんが私に突撃し、機器を取り返す。


 おじいさんは裸の口を元気に動かして、私を煽る。拡声器から出力される平和なコトバとは対照的に、私の中で苛立ちが募っていく。


 長引く攻防のせいで、私は庭に倒れこんだ。体力が尽きた。見上げた空は、いつの間にかオレンジ色に変わっている。


 対して、おじいさんはまだまだ元気な様子だ。化け物だ。私の体に、機器と石の影が落ちる。機器は塀を超えるぐらいの高さまで積みあがっていた。これを全て回収するのは、たとえおじいさんが素直に同意したとしても、長期戦になるだろう。


「そんなオシャブリに頼ってるから、余計腑抜けになるんじゃ。ほれ、ワシを見てみろ!」

 おじいさんは、庭に転がっていたノミとハンマーを手に取ると、石を小気味よく彫りはじめた。

 到着したときと同じ、軽快で甲高い音が耳を打つ。彼は手を止めずに、私を振り返り、

「お前にゃ無理じゃ! やーい、腑抜け腰抜け心無し! さっさとしっぽを巻いて帰らんか!」

 とにやけ顔で煽ってきた。


 限界だ。私は拡声器を外し、


「なんだとこのクソジジイ!」


 と目いっぱい叫んだ。石を彫る音が止まる。ジジイは目を丸くして、私を見つめる。じっと固まっている。あぁ、しまった。口は禍の元。なにか弁明しなければ、


「いや、あの……」

「お前! クソジジイとはなんだ! ワシは傷ついたぞ!」

「うっ、ええと」

「傷ついたぞ! あぁ傷ついた……」

 ジジイは両手を力なく垂らし、俯いて肩を落とす。私がなにか声をかけようとした瞬間、

 

「カアーッ! ひさびさだ! ババア以来じゃ! 爽快じゃ、ガハハハハ!」

 態度が一転した。ジジイは楽しそうだ。大口をあけ、顔を天に向け、げらげら、心の底から突き抜けるように笑う。


「お前、あの腑抜けたちよりも、少しは見込みがあるようじゃのお」

 口角をくいっと上げ、ニヤケ面で私を見る。腹の立つ表情だ。


「ええと、じゃあ、機器の回収に同意してもらっていいですか?」

 ジジイはぷいと顔を背けた。


「それとこれとは話がベツじゃ。どうしても持って行きたいのなら、ワシから奪ってみい、ドロボー!」

 地面に倒れた私の近くで、ヤツは馬鹿げた舞いを軽快に踊る。いらだちが再沸騰した。


「このクソジジイ!」

 

 拡声器による平和は局所的に崩れ、私とクソジジイの戦争が幕を開けた。


   * * * 


 まず、敵の全容を確認する。庭に積まれた古い電子機器の数々。モニタ、パソコン本体、キーボード、マウス。どれも製造されてから年数が経っているようだ。表面は黄ばみ、画面にヒビが入り、金属部分が錆びていた。これらの機器を全て、ジジイから回収して、維持員の元へ運ばなければならない。

 私の拡声器は、いったん鞄の中へしまっておいた。


「それにしても、すごい量だな」

「みんな、あのオシャブリに夢中になってな、さっさと捨ててしまったんじゃよ。カアーッ! もったいない! まだまだ使えるのに!」

 

 とりあえず、目についた本体を持ち上げた。ずっしりと重い。


「おいこのドロボー! やめろ! この無礼者めがー!」

「うわっ、クソジジイ!」

 私が、本体を持って行こうとしたところ、ジジイが容赦なく罵声を浴びせる。多分、この生の罵声に維持員は耐えられなかったのだろう。普段、平和で綺麗なコトバだけで暮らしているのなら、罵詈雑言に耐性がないのも当然だ。


「許さんぞ! カアーッ!」

 罵声に加えやたら俊敏な動きで、進路妨害をする。多大な危害をくわえられることは無いが、無策のままでは到底、すべての機器を回収するのは不可能だ。

 

 罵声を浴びせ合いながら、ジジイの手をはねのけたり、庭で追いかけっこをしたり。なんとか後部座席に小さな機器を二三積むことができた。全体のごくわずかな量だ。疲れた。今日はもう撤収しよう。


 ジジイはバンバンと後部座席のドアを叩いている。

「開けろ! 開けんか! それはワシのじゃ!」

『モウシワケ ゴザイマセン。 カクセイキヲ チャクヨウシテクダサイ。 クチハ ワザワイノ モトデス』

「なんじゃと! ワシはオシャブリなんぞ絶対につけん! 心の温かみがない!」


 ジジイの注目が私以外に向いてるうちに、こっそりと運転席に乗り込んだ。

「おいドロボー! お前、なに持ち逃げしようとしとる!」

「ゲッ」

 素早く移動して、運転席の窓を叩くジジイ。ジジイはさすがに、自動車には敵わないと早々に諦めた。ヤツは窓に顔をべたりと張り付ける。ジジイの大声がガラスを貫通する。思わず、顔をしかめた。


「今日はちょっとだけ取られてしまったが、明日はそう行かないぞ! 守りを強化しておくからな!」

「うるせえ!」

 ガラスが割れそうなぐらいの音量だ。ヨボヨボに見えるジジイの、どこにそんな力が眠っているのかが不思議だ。


「じゃあな!」

 ジジイは、さっさと家に戻っていく。カンカンと石を彫る音が聞こえる。まだ活動するのか、と驚愕した。


 成果は少ないが、維持員のところへ戻ろう。私は、運転席横のパネルに向かって行き先を告げる。

『モウシワケ ゴザイマセン。 カクセイキヲ チャクヨウシテクダサイ。 クチハ ワザワイノ モトデス』

 私は鞄の中から拡声器を取り出し、両端の輪を耳にかける。カチリとボタンが押された。目的地を口に出す。キュルキュル。電子音が出力された。


『モクテキチ セッテイ カンリョウ。 シュッパツシマス』


 自動車はひとりでに動き出した。日は沈み、夜がやってくる。この拡声器は密閉性が高く、少々息苦しい。途中、端末で”口禍回避法”について検索する。読み上げの合成音が車内に響く。


 口禍回避法とは、xx年前にこの次元で制定された法律だ。


 一、出力装置を持つ、または出力にわずかでも関する機能を有する電子機器は、すべて回避補助機能を採用する。

 二、回避補助機能が未採用の電子機器、および紙類・筆記用具はすべて廃棄処分・製造禁止とする。

 三、すべてのヒト・モノは口禍回避拡声器の着用義務がある。

 四、意思疎通の迅速化・効率化のため、かつて使用していた文字は廃止とし、新しい文字を作成する。

 五、これから製造される機器の入力方法は、拡声器による電子合成音入力のみとする。なお、音声入力が困難な者は、特注で製作された映像読取型意思変換器により、入力者の動きを読み取って――

 

 私は自身の姿を見た。擦り傷、埃、汚れ、泥まみれだ。

「平和とは程遠いな」

 星が淡く光る空の下、ふうとひとつため息をつく。


 自動車は、目的地に向かい一定の速度で進み続ける。パネルに到着までの所要時間が表示されていた。私は鞄から手帳を取り出す。維持員たちが手帳を見たら卒倒しそうなので、車の中で情報をまとめよう。


 窓から見える景色が徐々に発展していく。高層ビルが並ぶ。緑が少なくなる。次に、拡声器について調べた。端末が結果を読み上げる。


 口禍回避拡声器とは、回避補助機能が組み込まれた拡声器である。あらゆるコトバから禍を取り除き、平和で綺麗なコトバに変換する。詳しい説明は以下の通り。


 ・幅広いコトバに対応するため、かつ拡声器による音声入力の誤動作を起こさないため、出力電子合成音は一種類のみとする。

 ・読唇術による禍の可能性を考慮し、機械部分は口を覆い隠すような設計とする。

 ・声漏れによる禍の可能性を考慮し、ホンニンにも元の声が聞こえないほどの防音性を保つ必要がある。

 ・輪の部分に電源ボタンを付け、両耳に押し当てることでボタンが反応し、電源が入る構造とする。

 ・使用者の発言が蓄積されるにつれ、より迅速な平和変換が可能になるようにする。


 キッと車が止まる。信号待ちだ。横断歩道を渡るヒトビト。みな拡声器をつけて、歩いている。


 時折、車の後部座席をちらりと覗くヒトがいた。彼らは、驚いたり、怯えた表情で小走りに去っていく。その様子も、手帳に書き記す。


『あれが、あの』

『ああ、たしか残ってらっしゃるという』

『イブツのせいで、また禍が起こってしまうのではと心配です』

『拡声器をお使いになればいいのに。平和は何ものにも代えがたいものですわ』

『まさか私の発言がこんなに丁寧で綺麗になるなんて。自分の意思を伝えるのもずいぶんと楽になりました』

『ええ、ワタクシの拡声器も、発言がかなり溜まって、口を動かすことが最小限になりました』

『こんなに平和が簡単に実現してしまうなんて。本当に、口は禍の元でしたわね』


 全く同一の合成音が、私の耳に届く。私は顔を上げ、記録のために発言者を確認した。が、ペンは動かなかった。いったい、誰がどの発言をしていたのだろうか。


 自動車は目的地に向かい、進む。窓の景色が少しずつ移り変わる。


 定期的に同じ掲示がある。”平和の統一まで イブツの残り……”、合成音が数を告げた。


   * * *


『モクテキチ ニ トウチャクシマシタ』

 ビルの前で自動車が停止する。機器を抱えて、会議室へ向かった。会議室の扉を開けると、代表が私を待っていた。代表は、私を見た途端発狂する。


「あああ、恐ろしい。旧時代の機器は、回避補助機能がついていないのです」

 代表は足をもつれさせながら、逃げまどい、会議室の椅子の後ろに隠れてしまった。発言者ホンニンが慌てふためていても、出力音は相変わらず不気味なほど穏やかで、常に平和である。


「かつて、機械もヒト同様に野生的でした。野蛮なコトバも恐ろしいコトバも、打てば打ったまま、無修正で出力されてしまうのです。どれだけのヒトが悲しみ怒り、無用な禍が生まれたか」


 彼はできるだけ縮こまり、椅子の背に見事に体を隠している。彼の姿が見えないまま、電子合成音が会議室に広がる。


「でもそれも昔の話でございます。ワタクシたちは古い文字を捨て、新しい文字を開発しました。野蛮なコトバを表すことができる古い文字が捨てられたのはだいぶ昔の話です。現代では知っているヒトは、もうほとんどいないでしょう」


 窓の外にあふれる情報は合成音が多数を占める中、文字がほんの少しだけ含まれていた。あれが、新しい文字、か。旧の文字はどのようなものだったのだろう。


”ところで、機器はどこに置いておけばいいのでしょうか?” キュルキュル。

「……代表様。不安な気持ちは痛いほど理解できます。わたくしも旧機器は平和には不要だと、廃棄しなければいけないとの思いでございます。そして、この恐ろしい機器は、どちらへ運べばいいのでしょうか。何なりとお申し付けくださいませ」


 くどい。私はここまでの発言をしていない、と思う。しかし、いかなる禍の芽も焼き払おうとすれば、こういう変換になるのかもしれない。

 

 代表は、顔の上半分だけを椅子から覗かせた。

「マトウ様、どうかお願いいたします。近くの廃棄工場で、忌々しい機器たちを粉砕してきてくださいませんか。行き先は車に登録してあります。後生でございます。どうかどうか」


 たしか、私の依頼は回収だけだったはずだ。が、工場でなにか別の情報が得られるかもしれない。仕方ない。


 ”わかりました。クソジジイとの戦いでかなり疲れているので、手早く済むと助かります。ちなみに、粉砕にどれくらいの時間がかかりますか?” キュルキュル。


「……おじい様と平和のためなら、どんな遠い工場へも行きましょう。機器が石ころになるまで喜んで待ちます」


   * * *


 私は機器を車に戻し、目的地を工場に設定した。ビルから自動車で五分ほどの場所だ。広い敷地に建てられている。夜であるのも相まって、ひっそりとしていた。誰もいない。

 ”旧機器粉砕工場”と書かれたプレートが正門に掲げられている。工場の鍵は、金属の輪にまとめられ、自動車の扉のポケットに入っていた。正門の鍵を開け、敷地に入る。


 少し進んで、灰色の大きな建屋の鍵を開けた。扉を開けると、埃が舞い、悪臭が鼻をさす。灯りを点ける。この建屋は操作室のようだ。操作室に設置されていた粉砕機に古い機器を置き、スイッチを押す。ギギギと音がして、機器を木っ端みじんに砕いた。


 石ころのような破片が、粉砕機の中に転がった。


   * * *


 ジジイは今日も、石を彫る。


 門扉の近く、塀の前に自動車を停止させた。拡声器を脱ぎ、鞄にしまう。カンカン、と甲高い音が舞っている。


「おい来たぞ、クソジジイ」

「なんじゃ、ドロボー」

 私に気づき、ジジイは門扉の鍵を開けた。


「ワシの邪魔をするでないぞ」

 ジジイはノミを石の表面にあて、ハンマーをノミの尻に振り下ろす。何度も、何度も。汗まみれになって。


 石の表面は、全体的に細い線が彫られていた。ぐにょぐにょと折れ曲がっている。なにかの規則性がありそうだ。が、分析するのは今ではない。私の目的は機器の回収だ。


 ジジイが石に夢中になっているすきに、機器の山にこっそりと近づいた。


「な、なんだこれは!」


 機器の山をぐるりと取り囲むように、大小さまざまな石が、縄でくくり付けられている。とても太い縄だ。縄自体も、石とともに機器全体をぐるぐる囲っている。

 試しに縄の一本を両手で掴む。体重を乗せ、全力で引っ張ってみた。けれども、びくともしない。縄同士が複雑に絡み合っているようだ。


「カアーッ! ケッシッシッシッシ! ワシはドロボーの邪魔をせんとは言ってないぞ」

「このクソジジイが!!」

「ふぅ。この要塞を完成させるのに、夜通しかかったわい!」

 

 維持員はクソジジイを恐れて震えていたが、私は怒りで震える。怒りを力に、ジジイの要塞を突破しようと頑張った。けれども、ジジイの罠は相当頑丈だった。私は、なんとか縄のすき間に腕を滑り込ませ、マウスと小さめのキーボードを数点回収するしかできなかった。維持員に相談が必要だ。ジジイの守りを崩すため、工具を借りよう。


「あれ、クソジジイはどこにいった」

 ふと気が付くと、ジジイが庭から消えている。家の中から声が聞こえた。玄関の引き戸を開け、靴を脱いで、家に上がり込んだ。ジジイの姿を探す。


 縁側に面した部屋にジジイはいた。壁は暗い緑色の土壁。木製の茶色いタンスと、パソコン一式が置いてあった。ジジイはあぐらをかき、鏡を手に持って、自分の顔を見ながら口を動かしている。


 レースやリボンの装飾がついた、桃色の手鏡だ。楕円の鏡の下に細長い取っ手がついている。正直、ジジイに似合わない。全く。


「あーいーうーえーおー。かーきーくーけーこ。よしちゃんと動いておるな」

 ジジイは鏡に向かって、口角を上げる。唇の端がひくひくしている。そのまま停止した。なんと不器用な笑みだ。


「なにやってるんだ? クソジジイ」

「うわっ! なんじゃドロボーか」


 私が不意打ちで声をかけると、ジジイは口を真一文字にして、肩を揺らした。びっくりさせたようだ。少し胸がすく。


「フン、盗み見とはいい度胸だな。ドロボーよ。なに、ただの動作確認じゃ」

 すっと立ち上がり、ジジイは鏡をタンスに片付けた。気が付くと、ジジイの口角は定位置に戻っていた。下方に大きく曲がる。見るからに偏屈なジジイの復活だ。


 ヤツは部屋のパソコン一式の前に正座した。モニタも本体もキーボードも経年劣化で黄ばんでいる。ブーブーっと、羽音のような音を鳴らし動作している。画面がチカチカしているし、キーボードはいくつかキーキャップが無くなっていた。


 ふぅーと長く息を吐いて、ジジイは握りこぶしを作る。両方のひとさし指だけをすっと立てる。顔だけを画面に近づけ、背が弧を描く。画面の左上、短い縦棒が一定の速度で点滅する。

 ジジイの額に汗が流れ、のどぼとけがゴクリと上下した。両手を高く掲げ、ジジイは手を勢いよく振り下ろした。

 カチン。小さな音が部屋に響く。縦棒は一文字分だけ右に移動した。


「よし! やったぞい! 次じゃ」


 同じ動作を繰り返す。真剣な様子だが、入力速度がかなり遅い。拡声器の音声入力の百分の一ぐらいの速さだ。反復が十回にも満たないうちに、


「クソ!!」

 ジジイは大声を出し、黄に変色したモニタ本体を摑んだ。背後から画面を覗く。エラーを吐き出して、画面がグチャグチャな状態で固まっている。


「見るでない! ドロボー!」

「固まってるな」

「古い機械だからよくこうなってしまうんじゃ! 頼む! 動いてくれ! ……駄目じゃ。はぁ、また消えてしまった」


 私は、ジジイが最初、別の小さなモニタを掲げてきたのを思い出した。

「そういえば、最初、いったい何を見せようとしてたんだ?」

「フン。ワシの確固たるイシってやつじゃ」



 今日の回収は切り上げて、少ない成果を持ち帰る。自動車での移動中、手帳に情報をまとめる。ためしに旧の文字について検索してみたが、ほとんど見当たらなかった。


 窓ガラスの向こう、みなが拡声器を着用している。瞳は笑みを浮かべる。街は平和だ。ジジイのところは戦場だが。


 工場に直接向かう。私は、作業の進み具合と、ナイフなどの工具がほしい旨をつぶやいた。拡声器が半拍遅れて、合成音を出力する。平和変換された状態で文章が入力された。便利だ。代表へ送信した。


 数秒で返事が届く。端末が内容を読み上げる。

 ”必要なものはすべてご用意して、自動車に乗せておきます。マトウ様なら心配ないと思いますが、非平和的な使い方はしないでください。それから……”と丁寧な長文であった。


 やっと返信の読み上げが終わったところで、工場に到着した。操作室に入り、粉砕機に本日の収穫を放り込む。電源を入れ、粉砕機を動かした。


 機器の破片が石ころのように転がった。


   * * *


 ジジイは今日も、石を彫る。

 

 自動車を塀のそばに停め、拡声器を鞄にしまった。後部座席の工具箱を取り、運転席から降りる。

「ん?」

 門扉の鍵が開いていた。私は勝手に門扉をくぐり、庭を覗く。


「おいおい」

 昨日よりも一回り大きくなった機器の山が、そびえたっていた。機器を包む石の層がひとつ増え、威圧感を増している。石を固定している縄も、なんだか太さを増したような、よりぐるぐるに巻き付けられているような。あぁ、めまいがする。手から力が抜け、工具箱が地面に落ちた。


「カアーッ! どうじゃドロボー。驚いたか!」

 落胆する私に、ジジイが駆け足で寄ってきた。腹の立つ笑みを顔に張り付けている。


「おい、クソジジイ。どこから持ってきたんだ、この石たちは」

「ケケケッ」


 よくよく観察すれば、新たに被さった石の表面に細い線が見えた。巨大化した機器の山の隣、ジジイの作品に視線を移す。大きさが一回り小さくなり、石の表面がつるつるの平坦になっていた。

 私は、肩を落としてうなだれる。


「ハァー……」

「どうじゃ、これで諦めるか?」

「誰が諦めるか!」

 ニヤケ面で顔を覗き込んでくるジジイを振り払う。私は工具箱を開き、ナイフを取り出した。



 太陽が真上に昇る。ジジイはタイヘンご機嫌だ。私の背後で鼻歌を歌い、軽快にハンマーを振る。石を彫る。カンカン、と鋭い音が耳に延々と入った。私は、いろいろな工具を用い、なんとかジジイの砦を突破しようと試みる。だが、守りは異常に堅牢だ。果敢に挑んだ工具たちが、ひとつまたひとつと駄目になっていった。


「きゅ、休憩……」

 私は機器の山に背中を預けて座り込んだ。全身に汗をかいて、気持ちが悪い。顔から垂れた汗が、ぽとりと地面に落ちた。


「お前は今までの腑抜けよりも何百倍もイシが強いわい。ほれ」

 ジジイは私に、カップアイスを差し出した。


「毒とか入ってないだろうな」

「ケケケッ。そう思うならやめておけ! ワシは強制はせん!」

「はぁー……どうも」

 礼を言い、アイスと金属のスプーンを受け取った。上蓋を八割ほど剥がす。中身は白い。


 私はスプーンでアイスの表面を、

「うわっ、なんだこれ! かたい!」

 掬おうとしたが、わずかに線が入っただけで、つるりと滑った。ガチガチに凍っている。

「カアーッ! これがいいんじゃ! ちと食べるのがタイヘンじゃが、美味いぞ!」

 ジジイは腕に血管を浮かび上がらせるほど力をいれ、アイスをせっせと掘っていた。



 腕が痛くなりながらもアイスを完食し、私は機器の回収作業を再開した。


「あーいーうーえーおー、よし。かーきーくーけーこー、よし」

 要塞に四苦八苦する私をしり目に、ジジイは家に引っ込んで、鏡を使って動作確認を始めた。


「くーそーどーろーぼー、よし」

「おいクソジジイ!」

 争いを起こすコトバが聞こえた。私はジジイの元に駆ける。玄関から家に上がり込んで、縁側近くの部屋まで走っていく。


 ジジイは、あの全く似合わない鏡をもうタンスにしまい、パソコンの前で正座していた。昨日のパソコンとは別の型の機器だ。だが、古さは変わらないようで、モニタは不意に点滅し、画面を横切るようにノイズが走る。キーボードだって、ところどころキーが抜けていた。

 

 カチ、カチ、と打鍵音がだいぶ間をとって、控えめに響く。ジジイは顔を突き出し、背をおおいに曲げ、ひとさし指一本を使って、文字を打っている。

 眉間にシワをよせ、唇を突き出していた。動きは、スローモーションかと思うぐらいに遅い。あまりに真剣な様子に、怒りがしゅるしゅると小さくなり、禍がひとつ消えた。

   

 少しずつ画面に文字が積みあがっていく。ジジイは私に振り返り、画面を指さした。


「おいドロボー、これを読め」

「なんでだよ。自分で読め」

「カアーッ! ちゃんと文字が入力できているか、念のために確認したいのじゃ」

「……。ちなみになんて打ったんだ?」

「ワシが先に言ったら確認にならんじゃろ! おぬしが読んでから答えを言ってやる」

 私はジジイの隣に座り、モニタに顔を近づけた。いくつか文字が並んでいるが、しかし。


「なあクソジジイ。これ文字化けを起こしてるんじゃないのか」

「モジバケ、とな」

「何かが原因で文字が正しく表示されなくなるんだよ。だって、街で見るような文字と違うじゃないか」

 ジジイは目を丸くし、大口を開け、豪快に笑う。


「カアーッ! ちょっとは目の付け所が良いようじゃのう、ドロボー。これはな、昔の文字じゃ。あいつらがオシャブリをつけだしたときに捨てられた文字じゃよ」

「そうなのか」

 新しい文字に、古い文字と似た要素がひとつも見られない。平和のために、ここまでガラっと変えてしまったのか。


「昔の字の方が真心がこもってるわい。みんなはいらん、と言って捨ててしまったがな。ワシゃ、こっちの方が好きじゃ」

 ジジイは画面を撫でた。そして、両手を掲げ、深呼吸をする。キーに向かってひとさし指を下ろした。ビーッ。エラー音が鳴り響く。


「ああもう! またじゃ! なかなかうまくいかないもんじゃのう!」

「おいクソジジイ。で、正解はなんだったんだ」

「聞きたいか? 正解は、”愛するフミちゃんへ” じゃ」

 口角が弧を描き、ジジイはにんまりと笑った。


「……ジジイにあまり似合わないコトバだな」

「なんじゃと! やるか! ドロボー!」

 禍が勃発した。



 ジジイとの小競り合いの後、作業を再開した。

「クソジジイ。どんだけ石を積み重ねてるんだよ」


 石や縄の間から機器の姿は見えるのだが、回収は難しい。腕を目いっぱい伸ばして、機器を摑んだはいいものの、うまく引っ張り出せなかったり、部品だけ飛んできたり。ああもう、作業の進み具合はさんざんである。


 私は深いため息を吐いた。いつになったら回収が終わるのか。調査を完了できるのか。先が見えない。ジジイはというと、鼻歌交じりに石を彫っている。カンカン、と高い調子の音にむしゃくしゃする。


「いてっ」

 何かが私の頭に当たった。手で頭をさすりつつ、ハンニンを探す。体の近くに、石のかけらが落ちていた。原因はジジイだ。


「おいジジイ! 石の破片が頭にぶつかったぞ!」

「おお。すまんすまん。イシをぶつけると、ときに痛いものなのじゃ」

「いやぶつけたら、”いつも”痛いだろ!」

「ははは! そうかもな。いや本当にすまん。救急箱を取ってくる。待っとれ」


 腹の底から全力で、野蛮なコトバを叫びちらしたい気分だ。

 ジジイが救急箱を取りに行っている間だけ、と拡声器を鞄から取り出して、こっそり着けた。そして、私が思いつく限りの罵詈雑言を吐いてみる。拡声器の防音性で、私の声は聞こえなかったが、たしかに吐いた。キュルキュル。極めて綺麗で平和なコトバが出力された。


 あれほど醜悪なコトバをここまで見事に浄化するとは。口は禍の元、が全く過去になってしまったのも頷ける。心持ちがすこしよくなった。ジジイが戻ってくる前に、拡声器を鞄にしまった。


 日が暮れた。作業を切り上げる。回収できた機器を自動車に載せ、私は街へ戻った。


   * * *


 工場で機器を粉砕し、維持員代表を訪ねた。会議室に入り、回収の進度を報告する。

 

”すみませんが、あのクソジジイはとても厄介です。もっと強力な手段はありませんか” キュルキュル。

 

「……僭越ながら、わたくしの意見を申し上げます。おじい様は確固たる意思をお持ちの素晴らしいお方です。ですので、迅速な回収のためには、より力強い方法の検討が必要ではないかと」

「マトウ様、ご意見ありがとうございます。ええ、実はでございますが」


 代表曰く、以前、エライヒトが大勢集まって、クソジジイについて話し合ったらしい。もちろん参加者全員が拡声器を着用していた。会議では、綺麗なコトバが飛び交った。

 結論は、”強硬手段は全く平和的ではないので、やめましょう。”とタイヘン平和なものだった。


 よって、維持員たちが平和的交渉を地道に続けていた。今やこの次元で、野蛮なコトバを吐くのはジジイのみ。維持員たちはジジイのコトバに怯え、全く回収が進まなかった。


 クソジジイは拡声器の着用、並びに機器の回収を拒否している。けれども、ほぼ自給自足で生活しており、ほとんど家の敷地から出てこない。古い機器をどこか別のところへ運んだりもしない。維持員以外のヒトとの交流は皆無。放っておけば無害であるかもしれないが、禍の可能性が僅かでも存在するので対処を続けている、とのことだった。


「ところで、マトウ様の拡声器ですが、あまり、速度が改善しておりませんね」

 クソジジイの前で、拡声器を外しているのは内緒にした。きっと、代表の精神が平和とは遠い状態になってしまうと思う。


「もっとマトウ様のコトバが拡声器に蓄積されますと、見違えるほど動作が早くなりますよ」


”そうなんですね。目安として、あとどれほど喋ればいいでしょうか。” キュルキュル。

「……左様でございますか。あとどれほどで速度が改善するか、その時を楽しみにしております。それにしても、大変素晴らしい機能でございます」

「ええ、ええ。なんでも、蓄積された発言から、マトウ様独自のコトバの法則を解析し、発言とほぼ同時に、変換をしてくれるようになるのです」


 代表は会議室の窓に手を当て、外を見つめる。私も彼にならい、ガラスの向こうを眺めた。ヒトもモノも、拡声器を着けている。老若男女、穏やかな表情で街を歩く。禍の気配がこれっぽちもない。まさに、平和だ。


 街を見渡すと、定期的に同じ掲示がある。”平和の統一まで イブツの残り……”、合成音が数を告げた。


   * * *


 ジジイは今日も、石を彫る。

 

「なあ、クソジジイ」

「なんじゃ、ドロボー」

 ジジイは鏡を見ながらの発声練習の後、パソコンの前に正座する。いつものようにひとさし指一本だけを大げさに上下させていた。画面が固まったり、エラーを吐いたり、そもそもジジイが文字を打つ速度が遅すぎる。文章はなかなか完成しそうにない。


「クソジジイの代わりに、私が文章を入力する」

「はぁ?」

「詳しくはよくわからないが、フミちゃんへの文章が、古い機器に執着する理由のひとつなんだろう。だったら、私が代わりにさっと打てば……」

「いらん! 余計なことをするな! ワシが打たないと意味がない」

 私の提案に、クソジジイは激しく食って掛かった。ふーっふーっと鼻息が荒い。


「ワシが真心こめて、一文字一文字打つから意味があるんじゃ!」

 とはいっても、この調子じゃいつまでたっても終わらない、と私はキーボードに手を伸ばした。

 キーに触れる直前、ビィーっとエラー音が鳴る。


「ほれ! パソコンもドロボーに触られるのはイヤだ、と意思を表明しとる」

 クソジジイはパソコンを抱きしめ、労わるようにさすっている。そして、こちらに向かってベエと舌を見せた。私の口が、瞼が、ピクピク動く。まったく頑固なクソジジイだ。



 私が機械の山を小さくしていく傍ら、ジジイは石を彫る。時折なにか考え込みながら、表面に線を描いていく。一度はまっさらな表面になってしまったが、細くグネグネとした線が徐々に復活していた。


「それ一体、何を作ってるんだ?」

 ジジイは、フンと鼻を鳴らす。それから、”いしをほっている”と告げた。


「それはわかる。そのぐねぐねした線は……なにを示してるんだ?」

「……カアーッ! わかっておらんではないか。まあドロボーには理解できるわけないのう」

「ふん。意味の分からない作品だ」

「カアーッ! 素直なヤツじゃ! いいか、石を自在に彫るのはワシにとってまだ難しいんじゃ。だから、ちょーっと線が期待と違うように彫られても仕方ないんじゃ!」

 

 作業に没頭していると、もう夜である。撤収しよう。毎度毎度作業の終わりには、疲労がたまって体が石のように硬くなっている。

 今日の回収物を自動車に乗せた。ジジイと別れ際に口喧嘩をして、家を後にする。


 街は相変わらず平和だ。綺麗なコトバだけが存在し、誰も彼もが穏やかな表情をして平和に暮らす。


 とあるビルの壁面に巨大なスクリーン。報道番組が流れる。ある分野での偉業達成を告げる。画面を見上げるヒトビトの拡声器から、電子合成音が出力された。


”なんと、素晴らしい。感動いたしました。”

”なんと、素晴らしい。感動いたしました。”

”なんと、素晴らしい。感動いたしました。”

”なんと、……”


   * * * 


 ジジイは今日も、石を彫る。


「あれ」

 ふと、家の方に目をやるとタンスが開けっ放しになっていた。可愛らしい鏡が収納してあるタンスだ。ジジイは庭で作品作りに夢中になっている。タンスを閉めてやろうと縁側から上がり込んだ。引き出しに手をかける。


「これは」

 中身は鏡と――、拡声器だ。しかも、ふたつ。取り出して観察する。ひとつは使われた形跡があったが、もうひとつは新品同様だった。


「お前! なにやっとる! ホントウにドロボーみたいなことをしてるんじゃない!」

「クソジジイ。これは」

「ババアとワシのじゃ」

 ジジイは私の手から拡声器を取り返すと、ふたつともタンスにしまった。


「ババアとは毎日口喧嘩が絶えなかったよ。フン」

 カンタンに想像ができる光景だ。


「でも、ババアがオシャブリをつけてから、家の中は”半分”平和になった。アイツは綺麗なコトバしか喋らなくなった」

 ジジイは私に背を向け、庭に向かった。


「ババアは、ワシへの感謝を、綺麗なコトバを吐きながら死んだよ」



 日が暮れ、作業を切り上げる。

 回収した機器を後部座席と助手席に積んだ。拡声器をつけて、目的地を合成音で指定する。外から見えないように、座席にずるずると腰かけて手帳を開く。ペンを手に取り、情報を書き留める。


 自動車が止まった。窓から外を見上げる。信号待ちだ。道行くヒトの出力音が耳に入る。なんとも高度で教養のある会話だ。難しそうな単語が速度をもって、飛び交っている。しかし、全く同じ電子合成音なので、ひとりが喋っているようにしか聞こえない。

 いったい、誰が出力しているのか。私は姿勢を正し、窓からひょこっと外を覗いた。


 小さな子どもとおばあさんだ。難しそうな会話は続く。合成音が滝のようにドバドバと出力される。彼らの口元は、拡声器に隠されているが、そんなに早く口を動かせるものだろうか。

 それに、おばあさんはともかく、子どもの知識の程度が恐ろしく高いように思える。


”そこの君。ちょっとお聞きしたいのですが” キュルキュル。

「……そこのかわいらしいお子様。お聞きしたいことがございます」

 子どもは私に気づく。

「ご機嫌麗しゅう。いかがなさいましたか」

 さきほど、ポンポン飛び出していた単語の意味を尋ねてみた。子どもは不思議そうな瞳でこちらを見る。


「あっ」

 信号が変わり、自動車が発進する。子どもの姿はあっという間に小さくなってしまった。車は工場に向かう。


 定期的に同じ掲示がある。”平和の統一まで イブツの残り……”、合成音が数を告げた。



 機器の回収に、想定より数倍時間がかかっている。流石に代表から何かヒトコト言われるかもしれない。工場へ寄り、それからビルに向かう。会議室で代表が出迎えてくれた。

 

 彼は会議室の椅子に座り、机の上の端末で進捗を確認している。彼が触っている端末は、ジジイが集めている古い機器より、ずっと洗練された外観だ。黄ばんでいないし、ヒビも入っていないし、部品が欠けたりもしていない。

 端末は、ほぼモニタのみで構成されていた。もちろん、操作は音声入力。画面以外には、小さな電源ボタンがひとつ、下部についているぐらいだ。

 

「マトウ様。順調に回収が進んでいるようでなによりでございます。維持員一同、とても感謝しております。拡声器も、大変お似合いですよ」

 本心からそう思っているのだろうか。彼はこちらを向いて、私の返信を、コトバを待つ。どう返そうか。


 ”ええ。それは、どうも。ええと……、” キュル。

「身に余るおコトバで、恐縮の限りでございます」

 拡声器がコトバを平和に変換する。助かった。代表は視線を画面に戻す。


「ああ。おじい様も、拡声器の素晴らしさと平和の重要さに早く気づいてくださるといいのですが。そもそも着用が法で決まっておりますし。なにより、会話や意思決定もすべて円滑に平和に進みます」


”ええ、それは……、” キュル。

「それは、左様でございますか。なんとも素晴らしいものです」

 変換の速度が向上する。私の発言の蓄積度合いが上がったらしい。代表は、私の拡声器の出力に対して深く頷いた。


「ええ。法が成立後、あらゆる話し合いは全会一致するようになりました。コトバを綺麗にするだけで、無用な争いを避けられるのでございます」


”ええ……、” キュ。

「ええ、代表様。わたくし、とても感動いたしました」

「そうおっしゃっていただけて嬉しいです。昔のヒトは、裸の口で禍を作り続けていたなんて、考えるだけでも。ああ、恐ろしいことでございます」

 代表はなにかを思いついたように、パッと顔を上げる。椅子から立ち上がり、私に近づいた。


「そうだ。マトウ様。おじい様と拡声器で会話してみたらいかがですか」

 クソジジイと拡声器で。その案は、きっと更なる禍を引き起こすに違いない。身震いする。しかし、代表は名案だと、電子音でまくしたてる。


「今までのやりとりを伺っている限り、マトウ様からなら、おじい様もきっと意見を聞いてくださります。拡声器への嫌な印象が無くなるかもしれません」


”その、試し……、” 

「はい。明日、さっそく試してみます。ご助言、心より感謝申し上げます」


   * * *


 ジジイは今日も、石を彫る。

  

「ドロボー、なんかワシの作品の、感想をだな。なんでもいいから喋ってみんか」

 石の表面を、細い線がぐにゃぐにゃと這う。何を示しているか、私には全くわからない。


「素直な心で言ってみい。ほれ。さあ」

 ジジイは私に背を向けたまま、熱心に手を動かす。ノミが石を打つ音が甲高く響く。

 私は、鞄から拡声器を取り出し、着用した。感想を述べた。


”クソジジイの作品は……、”

「おじい様は本日も、石をお彫りになっています。素晴らしい作品ができあがっています。わたくし、完成を心待ちにしております」


 電子合成音がジジイの耳に届く。ノミがぽとりと地面に落ちた。ジジイはゆっくりと振り返り、私の口元を凝視する。目を見張り、今まであんなに元気に動いていた口は一切の動きをやめていた。


 さて、クソジジイはどんな反応を見せるのか。


「おじい様、いかがなさいましたか」 


 ジジイは無言で固まった。先ほどまでの威勢が途端に無くなる。まるで、電源を突然落としたみたいだ。しばらくして、ジジイが再起動する。聞こえないほど小さな声で呟いた。


「お前、本気でそう思ってるのか」

「お前の心は、本当にそう言っているのか」

「ワシは……、お前にオシャブリを外してほしい。だが、お前がイヤなら無理強いはしない」


 ジジイは家から鏡を持ってきた。リボンとフリルの装飾がついた、桃色の手鏡。とても可愛らしい見た目だ。


”その鏡、ジジイの顔に……、”

「おじい様の風貌によくお似合いの、とても可愛らしい手鏡でございます」


 ジジイは、鏡を私に押し付けた。何も言わずに家の中へ入る。玄関の扉を閉め、鍵をかけた。私は、縁側からジジイの様子をうかがう。


 ジジイは正座でパソコンに向かう。口が画面に触れるほど、顔を前に突き出す。背が丸くなる。真剣な表情で、独特の動きを繰り返す。両方のひとさし指が、上下に大きく動く。しばらくの間を持って、キーが音をたてる。

 エラー音が鳴る。ジジイはパソコンを励ます。なんとか再起動させる。また打つ。画面が固まる。ジジイは諦めない。


「おじい様、お庭の古い機器を持っていきます」

 ジジイは億劫そうに立ち上がり、部屋の障子に手をかけた。

「どんな中身でも、平和は平和じゃ」

 と告げ、障子を閉めた。


 それから、ジジイの邪魔は一切入らなかった。静かな空間。半分どころか、すべてに平和が訪れた。

 庭にある機器をせっせと自動車に載せ、何往復も運んだ。回収は驚くほど進み、とうとう旧世代の機器は残り一台となった。


   * * *


「ふう。今日は平和におシゴトが進んで、とても良き日でした」


 車内に電子合成音が響く。自動運転で街に戻る途中、私は、今日のやりとりを思い出す。試しに、と街をゆく皆に向け、考えるだけでも恐ろしい罵倒の数々を叫んでみる。


 拡声器の防音性は高く、私の声はまったく聞こえない。

 拡声器の秘匿性は高く、私の口はまったく見えない。


 合成音が、わずかな遅れもなく出力された。皆、微笑みを私に返す。平和だ。


 車は工場に到着した。機器が粉砕される。

 次に、会議室に向かう。今日は代表のほかに、維持員が数名待機していた。私は、彼らに残りの数を告げた。


 そうだ。維持員の前で、さんざんxxなコトバを喚きたてた。同時に合成音が吐き出される。

 代表と維持員の方々は、笑みを見せた。とても、平和だ。


 会議室から失礼し、鞄から手鏡を取り出した。鏡を顔に向ける。私の口は見えない。拡声器が覆っているからだ。


 窓の外、定期的に同じ掲示がある。”平和の統一まで イブツの残り……”、合成音が数を告げた。”1”と。


 私がこの次元に来てから、ずっと同じ数字だった。

 

   * * *


「おじい様は本日も、石をお彫りになっています。価値の高い、素晴らしい作品ができあがっております。お背中しか拝見できませんが、懸命にハンマーを振り下ろし、ノミで石を彫るお姿は威厳があふれています。作品の隣に、年季が入った、歴史的価値のありそうな布が置いてあります」

「……」

「おじい様はこちらを振りかえりました。昨日まであんなにお元気だった様子が、少しもなく。わたくし、とても悲しいです」

「……」

「素敵な手鏡を貸してくださりありがとうございます。わたくし、丁重な手つきでおじい様に鏡をお返ししました。あら、おじい様はもう一度背中を向けて、」

「……もうやめてくれ」

「待ってください。おじい様」

「……」

「確認したいことがございます。わたくしは、両耳にわたくしの手をそっと当てまして」


 拡声器を外した。鏡を私の顔の前で持っていてくれないか、とジジイにお願いした。ジジイは無言で頷いた。

 輪のボタンを両手で押さえる。拡声器を顔の前、中心から少しずらした位置で固定した。これなら、口の動きと同時に、拡声器の出力を確認できる。


 私は”ヤツ”を思い浮かべながら、ありったけの罵詈雑言を叫んだ。同時に、拡声器は合成音を吐き出した。平和に変換されていた。平和にねつ造されていた。私の意思が捻じ曲げられていた。


「な、そのオシャブリから出るコトバは、平和じゃが。心がこもってないじゃろう。本当に」


   * * *


「カアーッ! 完成したわい!」

「……、やっとか」

「ほら、早く読んでみろ」

 彼のイシが、画面に映る。


”愛するフミちゃんへ さいごはほんとうは、なんといいたかったのですか”

 私は、ジジイが隠し持っていた古い文字の語学書を参考に、文章を読んだ。ジジイはほっと一息ついて、汗をぬぐう。


「うん。ワシの意思がちゃんと反映されとるわい。よかったよかった」

「これは……」

「たまにな不安になるんじゃ。ワシはオシャブリをつけておらんが、ワシはちゃんとワシの意思を表現できてるのか、とな」


 ジジイは部屋から移動し、縁側に立つ。夕日でジジイがオレンジに染まる。作品の影が、地面に伸びる。かつて、古い機器が積み上げられていたあたりを影が覆った。


「だが、平和になったのは事実じゃ。本当じゃ。嘘八百でも、張りぼてでも、みながイシを捨てようと、平和は平和じゃ。みなが納得するなら、それでもいいのかもしれん」

 ジジイは機器のコンセントを抜いた。


「でもな。ワシは傷ついてもいい。お前とのジンセイは不幸だった、ずっと恨んでやる、と言われてもいい、ババアの意思を聞きたかったんじゃ」

 腰を曲げ、ジジイは機器を持ち上げる。縁側から庭に出て、古くてボロボロの布の上に置いた。


「ま。ここらが潮時じゃろ。今までありがとうよ」

 ジジイは機器を労わるように撫でた。イブツの愛がそこにあった。



 最後の一台を後部座席に積み込む。依頼は完了だ。そして、調査も。機器を粉砕し、代表に報告次第、研究所に戻ろう。私は自動車に乗り込んだ。コンコン、と窓を叩く音がする。ジジイは意外にも、見送りにやって来た。


「ふん。せいぜい余生を元気で暮らせよ。クソジジイ」

「ふん。さっさとどっかいけ。せいせいするわい」

 機器を全て没収されたというのに、ジジイはカカカと笑っている。ジジイは手にノミを持っていた。


 ああ、そうだ。わかった。ジジイが彫っている石の模様。あれは、古い機器が表示していた文字とよく似ていた。


「意思を示す手段なんてな。いくらでもあるんじゃ」


 ジジイは今日も、イシを彫る。



不可思議定数x 第三話 「イブツノイシ」 【終】

 




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