第二話 「因果応報請負業者」

 

「お電話ありがとうございます。因果応報請負業者です」

「はい、因果応報のご依頼ですね。お任せください」

「お気持ちはわかります。すぐには信じられないですよね。でも、安心してください」

「あなたの因果応報は、私どもがきっちりと完遂いたします」

「利子、利子ですか?……利子はお客様それぞれで異なります。ご了承ください」

「では、資料をお送りしますので、お名前、ご住所、お電話番号を……」 

「ええ。大丈夫です。どうか、信じてください。因果応報は確実に存在します」

 

   * * * 

 

 電話が鳴り響いている。

 方々から聞こえる、ため息、苛立ち、ぼやき。”因果応報請負業者”に押し掛けたヒトビトはみな、浮かない顔をしていた。長蛇の列に並んで、受付の順番が来るのを今か今かと待っている。

 今回の調査対象は”因果応報請負業者”。その名の通り、因果応報の請け負いを専門とする業者らしい。実際、因果応報をどのように請け負っているのか、それを調査するのが私の目的だ。

 請負業者の本社は、木々に囲まれ閑静でひっそりとした土地にあった。五階建てぐらいの高さで、外壁は薄いクリーム色。建物正面のちょうど真ん中に、屋上よりも高い柱がどっしりと立っていた。柱の上部には大きなアナログ時計が設置されている。柱の下部に、正面玄関。両開きのガラス戸をくぐり、次々にヒトが訪れる。ガラス戸の前、数メートルほどの長さの屋根があった。それから、各階に大きな窓が等間隔に並び、窓の外にベランダがついていた。外観はまさに学び舎だ。企業の社屋にしては珍しい作りである。廃校になった校舎を買い取ったのだろうか。建物の節々から、年季の入った感じを受ける。補修はされているが壁には細かくヒビが入り、強度補強用の金属がいくつかの窓を斜めに横切っていた。

 私は、正面玄関をくぐった先、一階の受付で列に並んでいた。なかなか前に進まない。

空間はヒトビトで埋まる。いくつもある窓口はどれも長い行列ができていた。大混雑の様相だ。受付窓口の係員、来客対応の警備員など、職員はみな忙しそうに業務にあたっていた。

 

 順番が来るまでの間、待合を観察してみる。床や天井に、何かを剥がしたような跡がある。おそらく、元からあった壁や柱を撤去した名残だろう。建物の外観から考えるに、もともとは各階に教室のような部屋が並んでいた。業者は、一階を改造し、無理やり広い空間を作った。そして、そこを受付として使っているように思われた。

 窓から差し込む太陽光と天井の蛍光灯が、ヒトやモノをあかるく照らす。そのあかるさとは対照的に、誰もが口をへの字にして、ため息をついている。受付まで長い時間待たされることへの怒りか、それとも。

 電話の呼び出し音と、ヒトビトの負のつぶやきが絶えない。一階受付の雰囲気は決して良いとは言えず、正直、長居したくない空間だった。

 

 前に並ぶヒトの背中を見つめる。私は、しぱしぱと二三度瞬きをする。心なしか、少し瞼が重い。瞳の奥に、睡魔の気配を感じた。そろそろ休息が必要かもしれない。

 不可思議定数研究所は、”とある目的”のために設立された。目的のために、”不思議”の調査を行っている。調査はとにかく数をこなすしかないという方針だ。私も、次から次へと調査に旅立っている。私としても、その方がありがたいのだが。残念ながら、どうしても疲労は溜まる。

 とにかく、今は目の前の案件に集中しよう。ふ、と周りを見渡すと、みな白い小冊子を手に持っていた。手のひらほどの大きさで、厚さは十ページもないぐらいだ。

 もしかして、と思い鞄を探る。あった。小冊子が調査用書類のすき間に挟まっていた。見落としていた。私はすぐに小冊子を取り出して、目を通す。

 まず表紙。

『因果応報請負 説明書 兼 進捗管理冊子』

『冊子をよく読み、説明会へ必ずお越しください』

 表紙をめくる。

『あなたの因果応報が完遂されるまで、丁寧に対応いたします』

『純粋で自然な因果応報をお約束します。 ※業者から直接、なんらかの危害をくわえることはございません』

『因果応報に関して虚偽の報告はおやめください。請負業者では、一件一件丁寧にお調べしております。虚偽の報告は必ず判明します』

『この小冊子が発行された時点で、あなたの因果応報は受理されています。説明会には絶対にお越しください。従っていただけない場合、再発防止のため処罰の対象となります』

 次のページを開く。表があった。因果応報の管理番号・受付日・完遂日を記すようだ。

すぐ隣に記入見本があった。日付が中央に入った円形のハンコを、受付日と完遂日の欄に押すらしい。続いて、表の下の文章を読む。

『完遂時にハンコを押印します。あなたの因果応報が完遂されたことを示す証です』

『完遂前に小冊子を紛失されますと、小冊子が新規発行となります。完遂まで時間が余分にかかる場合がございます』

『進捗状況のお問い合わせには、管理番号が必要です』

 更にページをめくる。説明会について記載があった。

『次ページの、注意事項をよくお読みになって説明会にご参加ください。お待ちしております』

 小冊子は残りあと一ページ。顔を上げて、列の進み具合を確認する。ふう、とため息をついた。あまり進んでいない。ヒトの背中を前へ前へ辿っていく。私の番が来るまで、かなりの時間がかかりそうだ。

 最終ページを確認しようとしたとき、後ろから肩を叩かれた。振り返ると、少し猫背の男性が立っている。瞼が半分ぐらい瞳を覆っていて、あまり生気が無い。長い手足をだらりと垂らし、片手をズボンのポケットに突っ込んで、もう片方の手に小冊子を持っている。口角は下がり、眉はやや吊り上がっている。周囲のヒトビト同様、不満げな表情だ。

「あんたさあ、因果応報なんて、ホントのホントにあると思う?」

 男性は、ぶっきらぼうな口調で私に尋ねる。私が何かを言う間もなく、男性はさらに発言を続けた。

「……あるわけないよ。見たことなんて無いし、いままでのジンセイで起こったことも、無い」

 と吐き捨てるように言った。

「無駄なんだよ。ただのガス抜きだよ。こんなもん」

 猫背の彼は足で床を叩く。タンタンと音が鳴った。

「弱者のただの妄想なんだよ。信じたところでどうせ裏切られるのにさ」

 まだ何か言いたそうだ。彼はコトバを探して、口をもぞもぞと動かしている。彼の背後に鮮やかなものが見えた。職員募集の広告だ。大判の紙に力強い文字で、

”職員急募 監視員を特に募集しております” 

と書かれている。待合の混み具合を見るに、請負業者は絶好調なようで、職員の数が足りていないのだろう。私は、彼の発言を待っていたが、それっきり彼は口をつぐんでしまった。私は正面に振り返る。ときどき、彼のいら立ちを示すように足音が後ろから聞こえていた。

 列が進むのを待ちながら私は考えた。”因果応報を請け負う”とは。その中身とは。単純に考えれば、因果応報を受けるべき相手のところに出向いて、相応の罰を下すということだろう。しかし、小冊子の一文。

『純粋で自然な因果応報をお約束します。 ※業者から直接、なんらかの危害をくわえることはございません』

 難解な文章だ。因果応報を依頼する側は、相手側になにかしら損害や罰を与えてほしいと切望して、業者に依頼すると思うのだが。こんな文章を見たら、絶望それから落胆するに違いない。一度は期待させておいて、と恨み言を並べてもおかしくない。とにかく、今は詳細を探る必要がある。受付を済ませ、説明会に参加しなければ。

 とりあえず、これまでに得られた情報をまとめよう。手帳を取り出すため、鞄に手を入れた瞬間、

「いい加減にしてよ!」

 正面玄関のガラス戸から、女が入ってきた。金切り声をあげ、半狂乱になって、列を割って、ロビーを駆ける。受付手続き中のヒトを乱暴に押しのけ、窓口の係員に詰め寄った。

「いつになったら因果応報が終わるのよ! 早く! もう耐えられないわ!」

 女の叫びに、列に並んでいた全員が息をのむ。後ろに並ぶ猫背の彼も、足の動きを止めた。みなが、さっきまで垂れ流していた不満のつぶやきをやめ、女の動向をじっと見守っている。女はひどくやつれていた。ゆるく波打った黒色の髪は無造作に伸び、白髪が目立つ。衣服はかろうじて洗濯されているようだが、広くシワが入っていた。手に持ったハンカチをぐしゃぐしゃに握りしめ、涙を流している。

 係員と女の間には、透明な板がある。板には円状に小さな穴が空いていた。女は、ハンカチを床に放ると、板に両手と顔を張り付け、気が狂ったような声を係員に叩きつける。

「ねえ! 因果応報なんてやっぱり嘘なんでしょ? ほんとうは無いんでしょ!?」

 唾が飛ぶ。女は極度の興奮状態だ。だが、窓口の係員は極めて冷静に、

「いいえ。因果応報は確実に存在します。さあ。さんはい」

 と答えた。女はひるむ、黙り込む。周囲は、やり取りを注意深く観察している。

「……」

「ご不安でしたら、もう一度、因果応報について、最初から丁寧にご説明しましょうか?」

 女は板から手を離し、後ずさった。体を震わせる。両腕で自らの体をかきだく。

「い、いえ、大丈夫です。はい、因果応報は確実に存在します……」

 さきほどまでの勢いは一瞬にして失せた。彼女はハンカチを拾い、涙をぬぐう。窓口の係員は、女にひとつ提案をした。

「信じていただけて、なによりです。よろしければ、監視員を増強しましょうか?」

「ええ、ええ。お願いします。一瞬も見逃さないようにしてください! もう、もうこんな気持ちで生きていくのなんてウンザリなんです!」

「承知しました。監視員を追加で手配します」

「お願いします! 早く、早くワタシを救って!」

「承知しました。では、改めて利子を計算しますね」

 女は、一度は取り戻した冷静さを捨て、好きなだけ騒ぐと、警備員に両腕を引かれながら、建物を出ていった。待合にざわめきが戻る。

「ほら、やっぱり因果応報なんてないんじゃないか」

 どこか安心したようなつぶやきが聞こえた。

 

   * * *

 

 私は鞄に手を入れたままだった。これまでに得られた情報に加え、一連の騒動についても記録しよう、と手帳とペンを取り出す。一番新しいページを開き、ペンを紙にあてた瞬間。

 誰かが私の腕を摑む。ペンを持つ手が揺れ、手帳に意味のない線が引かれた。周りが再度ざわめく。私を掴む手を目で辿る。警備員が鼻息を荒くして隣に立っていた。鋭い視線で私を睨んでいる。

「あなた、冊子の注意事項をお読みにならなかったんですか?」

「注意事項、とは」

「最後のページに書いてあったでしょう」

 しまった。最後のページを確認しようとしたところで猫背の彼から話しかけられ、それから女の騒ぎがあったりで、すっかり忘れていた。

「しっかりと表記してあったはずです。”小冊子以外の紙類・いかなる筆記用具の持ち込みも禁止”、だと」

「す、すみません」

 私は急いで手帳とペンを鞄にしまう。だが、決まりだからと警備員は鞄を取り上げる。彼の後ろから、別の警備員が重厚な箱を持ってきた。彼らは箱の中に鞄を放り込み、大きな南京錠をつけ、その鍵を私に差し出す。円滑な調査のため、ここは素直に従ったほうがいいだろう。彼らは、鞄の中身を勝手に覗いたりはしないと私に告げた。

「ついてきてください」

 最初の警備員は、私を列から連れだした。待合いを抜けて、建物の中央部にある階段に向かう。

「因果応報は繊細なので、事前の注意事項は隅々まで読んでいただかないと困ります」

「申し訳ないです。以後気を付けます」

「……」

 私が謝罪すると、警備員は少々面食らった顔をした。それほどオカシな返答はしていないと思うが。

 警備員は階段をどんどん上っていく。私も後からついていく。階段の床は黄色く、壁側には銀色のてすりがついていた。階段のもう片方の端、つまり壁と反対側の端には、それぞれの段に細い柱が立っている。柱の上から、それぞれの柱をつなぐように青色の手すりがかけられていた。建物の外観・一階と同様に、階段からも学び舎に似た雰囲気を感じ取る。踊り場に大きな窓が付いていて、緑が揺れているのが見えた。窓を開けたら、気持ちの良い風が入ってきそうだ。だが残念ながら、どの窓もきっちりと閉まっていた。

「注意事項をお読みになっていない方は、最上クラスに案内する規則です」

「そうなんですか。あの、最上クラスとは」

「一番丁寧で、根気強い説明を行うクラスです」

 警備員についていく傍ら、こっそりと途中の階の廊下を覗く。階段から左右に伸びた廊下に部屋がいくつか並んでいる。部屋は、前後に引き戸がひとつずつ、引き戸の上に室名のプレート、廊下に面した部分に大きな窓があった。窓の向こう、室内に茶色い机と椅子が並んでいるのが見える。クリーム色のつるつるとした廊下。壁に掲示板らしきものが設置してあった。やはり廃校を改装をして、会社として使っているように思える。

 しかし、一見して異様な点がふたつ。ひとつめは、廊下に屈強な警備員がズラリと並んでいる。どの階も同様だ。私は、狂乱した女を思い出した。同様の事態に備えての配置だろうか。ふたつめは、どの階も不自然なほどにシンと静まり返っている。すべての教室は現時点では空なのだろうか。

 私は、情報を何度も脳内で反復する。記憶に刻み付けるように。私は今、なんの記録手段も持っていない。鞄を取り戻せるまでは、なんとか脳に情報を保管しておくしかない。

「着きましたよ」

 目的の教室にたどり着いた。最上階最奥の教室。この階の廊下も静まり返っている。ただ、私と警備員の足音のみが響くだけ。他の階同様、廊下の端から端まで警備員が一列に並んでいる。威圧感のある風景だ。

「どうぞ」

 警備員は教室の扉を開け、中に入るよう促す。扉の上部を見ると、教室名を書いたプレートが掲げられていた。”最上クラス”と。

「ご案内、ありがとうございました」

 私が礼を言うと、ここまで案内してきた警備員は、びっくりして目を丸くし、その場で少しよろめいた。私が喋った内容が珍しいのだろうか。変なことを口走っているつもりはないのだが。彼は気を取り直すと、廊下の警備員に一声かけ、一階へ戻っていった。静寂な空間に、彼が階段を下る音が響く。音はすぐに小さくなって聞こえなくなった。

 教室に入る。すかさず、背後で扉が閉まった。廊下の警備員のうち、誰かが閉めたのだろう。一歩入ったところで、瞳が強く痛んだ。その衝撃に、瞼を閉じると同時に口角の片方だけが上がる。思わず、手で瞼を覆った。

「おや、どうしました」

 入り口から数歩進んだところ、教卓と黒板の間に、初老の男性が立っていた。頭がほとんど白髪で、丸い眼鏡をかけている。ワイシャツにサスペンダー、灰色のスラックス、腕に茶色のチェック柄の腕カバーを着用していた。温和そうな雰囲気の男性。恰好とたたずまいがまさにセンセイだ。

「目にゴミでも入りましたか」

「いえ、なんでもありません」

 私は、首を横に振り、手を下ろした。

「そうですか。ああ、あなたが。受付から連絡がありました。そこの席に座ってください」

 センセイは、教卓のすぐ前の席を指さした。

「わかりました。ありがとうございます」

 素直に礼を返した。すると、センセイは目をしばたたかせる。さっきの警備員といい、センセイといい、何故そんなに驚いているのだろう。

「あの、なにかおかしな点でも?」

「……、あなた珍しいですね。いえ、こちらの話です。お気になさらず」

 私は指定された席に向かいつつ、軽く教室を見渡した。机の数は、教室の広さに対して少ない。横に五つ、奥にむかって四列で合計で二十ほどの席だ。席と席の間は十分な距離が空いている。

 席に座り、小冊子を机の上に置いた。視線を正面に向けると、センセイと目が合う。

「他のみなさんが揃ってから、説明会をはじめますね」

「はい、よろしくお願いいたします」

 私の返答に対し、センセイからまた訝し気な視線を感じる。

「これはこれは、ご丁寧に」

 センセイの前、教卓の上にいくつも紙袋が並んでいる。紙袋の取っ手に、

”最上クラス専用資料 ※取り扱いに注意”

と書かれた札がぶら下げてある。そのほかには、分厚い本が一冊と、指示棒がひとつ教卓に乗っていた。付箋が本に大量に貼られている。ボロボロとまではいかないが、それなりに傷が入っており、センセイが長年使っているのだろうと推測できた。センセイは、眼鏡を指で押し上げると、本を開き、内容を確認している。表紙に、”因果応報 説明の手引き”と書かれていた。教卓の隣に、高さが腰ほどの細長い会議机がある。濃い茶色の木目の天板に、折り畳み式の黒色の脚がついていて、会議机にも紙袋が置かれていた。

 他の誰かが教室に入ってくる気配はない。受付の混雑さからして、全員が揃うまで時間がかかるかもしれない。私の目の前にあるのは、小冊子ひとつだけ。手帳を没収されたのが、とても辛い。

 視線を左右に振り、教室の様子を記憶に刻み付ける。追加で数点発見があった。入り口の戸、窓、壁……、それぞれがいやに分厚い。廊下の異様な静けさは、これらの厚みによるのかもしれない。あの防音性からして、改装時に遮音材や吸音材を追加した可能性もある。廊下と反対側の壁に窓がある。窓の向こうは、青空が広がっていた。最上階なので、途中階で見たような木々は全く見えなかった。おかしな点は、雨戸だ。室内なのに、外に面した窓、廊下に面した窓、両方の上部に雨戸が設置されていた。なぜ、カーテンではなく雨戸なのだろうか。そもそも、雨戸は室内に向かってつけるものではない。

 視線を教室の前方に戻す。黒板の下に非常用の懐中電灯が一本、黒板の上には額縁に入った書が飾ってあった。センセイの斜め後ろ、教室の隅に布を被った大きな物体が鎮座している。立方体のような形だ。布の上や物体の周りにホコリが積もっている様子はない。長期間放置されているわけではないようだ。

 センセイは本に視線を落としている。受付とは打って変わって、教室は恐ろしく静かだ。机の天板の下に手を入れて引き出しを探ってみる。何もない。手のひらと指にちりがついた。

 汚れをはらって、小冊子の残りの部分、まだ目を通せていない最後の一ページを確認する。

『プライバシー保護・円滑な運営・安全確保のため、説明会へ参加される際、小冊子以外の紙類・いかなる筆記用具の持ち込みも禁止いたします』

 警備員が指摘していたのはこの部分だろう。

『説明会は長時間かかる場合がございます。お時間に余裕をもってご参加ください』

『説明会開始後は、終了まで会場から出ることはできません。事前に用事をおすませください』

『因果応報は、あくまでも”因果応報”です。利子に影響が出るため、請負業者が直接危害をくわえることはございません。完遂までの利子は、因果応報によって変動します』

利子。たしか、窓口の騒動で係員が口にしていたコトバだ。因果応報の利子とはなんだろう。手数料として、被害者が業者に支払うのだろうか。

 私は待合での出来事、教室の様子を脳内で反復した。研究所に戻った後も、ハッキリと覚えていられるように。何度も何度も繰り返した。

 

   * * *

 

 回想を幾度も重ねたが、他の参加者はいっこうに現れない。そろそろ他の情報を得たい。私は片手を腹にあてて、もう片方の手をまっすぐに上げた。

「すみません。お手洗いに行きたいのですが」

「お手洗いですか」

「はい」

 教室を出る最も自然な理由になるだろうと思い、腹痛のためトイレに行きたい、と主張した。生理現象であれば、拒否もしづらいだろう。すんなりと許可がでるかと思ったが、センセイは目を瞑り、顔をわずかに傾けて、うんうん悩む。そして、

「説明会開始前なので、まあ特別にいいでしょう」

 センセイは、ポケットから無線機を取り出して廊下の警備員に声をかける。入り口が重い音を立てて開いた。

「トイレですか? でも、規則は守っていただかないと」

「一応開始前ですし、監視付きなら大丈夫でしょう。開始前から、教室を汚すわけにもいきません」

「それはそうですが……」

 警備員はしぶる様子を見せたが、センセイの説得によってなんとか私は手洗いに向かうことができた。廊下にずらりと並んだ警備員のうち、四ニンに囲まれて移動する。前ふたり、後ろふたり。少しでも怪しいそぶりを見せれば、すぐに教室に戻されそうだ。私は懸命に腹をさすり、腹が痛いんですという演技をしながら廊下を歩いた。

 手洗いへ到着した。階段脇に個室トイレの扉が一つだけ。警備員が引き戸を開ける。カラカラと軽い音がした。中に手洗い台と便器が置いてあった。窓は無い。

「なるべく早くお済ませください」

「はい」

 警備員は戸の前で待っているようだ。鍵をかけて、水を流し、音をかき消して、動きを悟られないようにする。手を耳に伸ばす。耳たぶに装着している多機能小型端末を操作する。この端末まで取り上げられなくてよかった。鞄の中に入っている通信機と通信を行う。警備員に気づかれないよう、音量は最小に設定した。通信は成功し、端末から音が聞こえてくる。

『プルルルルル……、はい……ら、因果応報請負業者……す』

 電話が鳴り響いている。少し様子をうかがう。どうやら、私の鞄が入った箱は受付窓口の内側、職員が事務作業をしている部屋に置かれたらしい。

 ひっきりなしに電話がかかっている。因果応報の依頼の電話と、それから、お礼の連絡。

『はい、私も自分のことのようにうれしいです』

『かなり長い時間がかかってしまいましたね』

『ですが、xxさんにとって一番納得がいく結果になってよかったです』

『それでは、お元気で』

 ガチャと受話器を置く。

『良かったあ……本当に良かった』

 係員は涙声でつぶやいている。他の係員が声をかけた。

『xxさんとこの件、無事に因果応報が完了したみたいだな』

『ええ。なんとか。安心しました。利子がかなり多くなった因果応報でしたね』

『そこは俺らでどうにもできないからなあ。因果応報の時期まではどうにも』

『そうですね……ああ、また電話だ。はい、因果応報請負業者です。はい……、因果応報のご依頼ですね』

 水を連続で流しつつ、しばらく音声を聞いていた。お礼の電話が何件も入っていた。少なくとも、電話をかけてきたヒトたちは自分の因果応報が達成されたと感じているようだ。しきりに、感謝のコトバを述べていた。

「ふーむ」

 手が無意識に動き、手帳を探す。ハッと気づく。

「そうだ、無いんだった」

 レバーを引く。水が流れる。手帳とペンを没収されているから、脳内ですべて記憶しないと。便器に腰かけて、耳から入る情報を脳に刻み付けた。研究所に戻った後の、報告書作成はなかなか苦戦するだろうな、と私はため息をついた。

 コンコン、と扉がノックされる。もうそろそろここを出たほうがいいだろう。

「戻るか」

 電話はまだ鳴り響いている。私は、便器のレバーをもう一度引いた。

 

   * * *

 

 洗面台で手を洗い、戸を開けた。警備員が目と鼻の先に立っている。

「早く教室に戻ってください。もうみなさん揃っています」

 警備員に囲まれて、廊下を早歩きする。通り過ぎた他の教室は、戸が閉められている。窓の向こう、何かに遮られ教室の中身は見えない。物音ひとつ聞こえない。警備員と私の足音だけが空間に響いた。

 教室に戻ると、他の参加者が席に座っていた。数にして六ニンほど。一階の待合で私に話しかけてきた、猫背の男性の姿があった。私の真後ろの席に座っている。相変わらず、浮かない表情だ。

「すみません」

 私はひとこと謝ると、さっさと席に着いた。

「みなさん揃いましたし、ではさっそく」

 廊下で待機していた警備員が、ずいぶんと教室内に入った。壁に沿って、参加者を取り囲むように並ぶ。教室の前後の戸にガチャリと鍵がかかる。外に残った警備員が鍵をしめたのだろう。

 センセイは室内を見渡すと、眼鏡を指でクイっと上げて、

「ようこそ。因果応報の説明会へ。それでは始めますね」

 と宣言した。本を片手に黒板に振り返る。チョークを手に取り文字を書く。きれいな文字だ。書き慣れている。

”因果応報が成り立ったと言える条件は?”

「どなたかわかる方?」

 シンと静まり返った教室内。誰も答えようとしない。

「わかる方はいらっしゃいませんか? じゃあ、そこの君、いかがですか」

 センセイは私の後ろに座る、猫背の彼を指名する。

「……そりゃ、悪いことしたヤツに、なにか悪いことが起きたら、じゃないの」

「はい。その通りです」

 彼はしぶしぶといった様子で答えた。見事正解していたようで、センセイが拍手を送る。彼はハァと息を大きく吐く。

「でもさあ。起きないじゃん。そんなのそうそうさ」

「ええ、よく聞くご意見です。因果応報なんてものは無い、と。では、因果応報が本当はあると思う方、手をあげてください」

 教室は静けさを保っている。誰も手をあげない。

「……因果応報なんてあるわけないだろう。無責任な希望があるだけのおとぎ話さ。今まで、見たことがないね」

 教室の後ろの方から、別の男性の声がする。

「ん~。手をあげなかったみなさんは”ない”と思ってるかもしれませんね。でも、”ある”んですよ」

 準備しますので少々お待ちください、とセンセイは本を閉じ、教卓の上の指示棒と紙袋を、教卓横の会議机に移動させた。そして我々に背を向け、教室の隅、布がかかった物体に近づく。中腰になり、掛け声を出して持ち上げた。とても重そうだ。腰を壊しそうである。両腕が震えている。今にも床に落としてしまいそうだ。

「手伝いましょうか」

「えっ……。いえ、大丈夫です」

 私の申し出を断り、センセイは物体を教卓に置いた。布が床に落ちる。ブラウン管のテレビだ。その大きさのせいで、本体の四隅が教卓からはみ出している。教室の後ろの席からでも十分に画面を見ることができるサイズだった。テレビの正面、画面の下に横長のスペースが開いている。なにかを挿入できそうだ。センセイは額に滲んだ汗を腕カバーでぬぐった。ずれてしまった眼鏡を直す。テレビの電源を入れると、砂嵐が映った。灰色の画面に乱雑にノイズが走る。 

 私の右後ろで、小冊子をペラペラとめくっていた若い女性。彼女が疑問を口にした。

「直接傷つけたりはしないって書いてあるけど、それでどうやって因果応報を受けさせるのよ。こんなの、ただのぬか喜びじゃない。……まあ、どうでもいいけど」

 ぺしんと冊子を机に叩きつけた音が聞こえる。女性はあきれたような声を出す。センセイは、女性の文句に対して、

「いえいえ、私どもはホントウに因果応報を完遂しております」

 と答えた。それから、紙袋をゴソゴソ探る。

「みなさん、ワタシどもがどうやって因果応報を請け負っているのかどうか疑問でしょう」

 センセイが取り出したのはプラスチックの黒い物体。ビデオテープだ。映像を録画し、再生するためのテープ。センセイは、それをテレビの下部に差し込んだ。

「なので、今からビデオを見てもらいますね」

 センセイが手を叩き、合図を出す。警備員が雨戸をすべて引いた。外に繋がる窓と廊下に面した窓が、厚い雨戸で覆われた。青空は隠され、ほんの一ミリも日光が入り込んでこない。廊下の様子も、もうわからない。教室は急に真夜中になる。テレビの明かりだけが、机や床、天井、私たちを淡く照らしていた。

「ああ、それから」

 黒板の方からカチっと、おそらく懐中電灯を外した音がする。

「はい、みなさんご一緒に」

 懐中電灯によって、黒板の上、額縁が暗闇に浮かび上がる。センセイは指示棒で書を指す。

「さんはい」

私はセンセイの指示通り、書を読む。

「因果応報は確実に存在します」

 声を出したのは私ひとりだけだった。他の参加者は黙ったまま。そういえば、たしかこれは半狂乱になった女が窓口で言っていたコトバだ。

「ひとりだけじゃだめですよ。はい、みなさんご一緒に。せーの」

「因果応報は確実に存在します」

今回も、声を出したのは私だけだった。

「皆さんで唱えないと、説明会が進みませんよ?」

 観念して、他のヒトもセンセイの後に続いた。

「因果応報は確実に存在します」

「はい、よくできました。では、今から再生します」

 センセイが再生ボタンを押し、砂嵐が止んだ。

 

   * * *

 

 青い背景に白い文字で、”実例 因果応報 A子さん(仮名)の場合”と表示された。A子さん、とは。もしかしてビデオは最大で、Z子さんまたはZ男さんまであるのだろうか。

「ビデオを見終わる頃には、きっとみなさんは、心の底から、因果応報があると信じていると思います」

「なんだよそれ。信じるヒトは救われるってか?」

 真後ろの猫背の彼が、センセイに揶揄を浴びせる。

「はい、因果応報は被害者にも加害者にも”救い”なんです」

 背後からハッと鼻で笑う声が聞こえた。

「加害者にも”救い”だって? 馬鹿馬鹿しい。そんな”救い”ならくそくらえだね。オレは帰る」

 猫背の彼は席を立ち、私の横を通り過ぎ、入口へ向かおうとする。が、警備員が彼を取り囲み、体を引きずって、無理やり席に戻した。

「おい、何をするんだよ! やめろ! オレは帰る!」

 彼は体を動かして警備員に激しく抵抗する。ガタガタと机と椅子が鳴る。センセイは本を手に取ると、目的のページを開き、

「規則ですので。説明会が終わるまでは、会場から出ることはできません」

 と穏やかに告げた。

「……」

 猫背の彼は、警備員に力で敵わないと理解し、おとなしく席に座った。彼が唯一できるのは、ときどき足で床を鳴らすことぐらいだった。

「では、続きを再生します」

”実例 因果応報 A子さん(仮名)の場合”

「これは、A子さんの因果応報がどのように果たされたのか、映像として記録したものです」 

「はっ、どーせお芝居とか作り物だろ。ただの慰めだ」

「いいえ。ホンモノです。では、お静かに」

 

 どこかの一室。室内は教室と同じように真っ暗だ。灯りが、ごくわずかな部分を照らす。パイプ椅子に女性が座っていた。プライバシー保護のため、光の角度が調整され、女性の姿は首より下しか見えない。上品そうなワンピースを着て、毛先をゆるく巻いた女性。彼女の前に、別のニンゲンの背中がぼんやり映る。

『では、A子さん。あなたの因果応報について教えてください』

『はい……』

 特定ができないよう、彼女の声は加工されていた。A子さんは、ワンピースのポケットからハンカチを取り出した。そして、自身の被害について語る。凄惨な事件だ。A子さんは見ず知らずのヒトから、xxにxx、それからxxを受けた。A子さんは、命からがら保護された。しかし、相手は――、相手はxxxxということを理由に、処罰から逃れた。そして、のうのうと暮らしていた。罪の意識など欠片もなく、その上、次の獲物を物色している。A子さんは罪になったとしても、自らで報復をするしかない、と思いつめていた。そんな折、彼女は因果応報請負業者の存在を知り、彼らに助けを求めた。

『ありがとうございます。A子さん。すごくつらかったでしょう』

『ええ、ええ。ずっとあいつを呪って暮らしていました。でも、あなた方のおかげであたしは救われました』

 

 場面が変わった。ナレーションが流れる。”ここから、実際の因果応報の様子をお届けします”

 どこかの街角。カメラに映るヒト。不遜な態度で街を歩いている。ヒトを映している角度から考えて、これは隠しカメラで尾行しているのだろう。画面がよくブレている。A子さんの因果応報を受けるべき相手が、はっきりと映像に収められていた。おそらく、様子を記録しているのは監視員。一階の待合で、広告に記載があった監視員だろう。監視員は、ヤツの至近距離で、ほぼ二十四時間尾行をしている。が、決して直接の手出しはしない。

 ハンニンの様子が変わる。とあるタイミングで、あたりをキョロキョロと見渡しながら、生活するようになった。いつも顔に汗をかいて、疑心暗鬼に日々を送っている。表情が休まるときはなく、決して笑顔もない。クマが目立ち、頬がこけ、どんどんやつれていく。映像はまるで、ホラーまたはサスペンス映画めいている。複数の監視員が交代して、映像を撮っているのか、映像は頻繁に、別の画を一瞬だけ挟んで移り変わっていた。

 そして、ハンニンは報いを受ける。報いはそいつに容赦なく襲い掛かる。監視員は本当に見てるだけだ。近くで記録を取っているだけ。手を出すどころか、コトバを交わしてさえいない。カメラが追う場面は、徐々に過激さを増す。公共の電波に乗せることなど決してできないぐらいに。もし手違いで流れたならば、視聴者に多大な精神的苦痛を与えるだろう。

 ハンニンはとうとう――。画面は砂嵐に変わった。A子さんの因果応報が終わったのだ。画面は、最初の場面、A子さんとインタビュアーがいる部屋に戻る。

『では、A子さん。因果応報は完遂、でよろしいですか』

『はい。やっと、やっとです。長かったです。最初は疑心暗鬼でしたけど、本当に因果応報ってあったんですね。早まらなくて良かった……』

 A子さんはハンカチで涙をぬぐう。彼女の涙は絶えず流れ、インタビュアーも涙声になっている。A子さん同様、因果応報が果たされたことに喜んでいる。

『その分、利子も多くつきましたね』

『当然です。それだけ、大きな因果応報でしたから。ありがとうございました』

『こちらこそインタビューに協力していただき、本当に感謝します』

 インタビュアーはA子さんに向かって、立ち上がり、頭を深く下げた。 

『いいんです。あたしの体験が、他の方の因果応報を達成する手助けになるのなら、いくらでも協力します』

『あの、お礼と言ってはなんですが、どうぞ。本来は、職員が押すのですが。良かったら』

 A子さんは、ハンコを受け取った。小冊子を膝の上に広げる。受け取ったハンコには歯車がついていて、A子さんは歯車を回して、日付を合わせた。

『ありがとうございます。ずっとこの日を待っていました』

 嗚咽で体を震わせながら、彼女は小冊子にハンコを押した。彼女は、今までの鬱憤を全て晴らすかのように、手を力強く振り下ろした。

 

 テープが最後まで再生され、画面は再び砂嵐に変わる。センセイがパチパチと拍手する。

「A子さん。本当によかったですね。はい。このように、因果応報はあるんですね」

 砂嵐の光が、センセイの顔を下方から淡く暗闇に浮かび上がらせる。参加者の反応は、

「……なんだよ、たまたまだろ。馬鹿らしい」

「ていうかヤラセなんじゃないの。さっきの映像がホンモノだって証拠はどこにあるの」

「都合がよすぎですよ。普通、こんな順調にことが運びますか?」

「俺にはこんなこと、起こるはずがないよ。……今までだってそうだったんだ」

「あぁ、わかった。ねつ造の映像でアタシたちを丸め込むってこと? はあ……。もっと別のヒトに見せたら」

 ため息、そして苛立ちが教室に広がる。背後の彼の足音が復活した。

「そうですよね。まだ一本目ですし。みなさんは最上クラスの方たちですし、まだまだ信じられませんよね。大丈夫ですよ。ほら」

 センセイは紙袋の中身をすべて取り出すと、丁寧な手つきで会議机に載せた。ずらりと並ぶビデオテープの数々。

「因果応報を達成するには、”信じること”が大事なのです。心の底から信じれば、映像のようなことがあなたにも起こるのですよ」

「なによそれ! まるでxxじゃない!」

 女性がガタリと立ち上がる、が、室内に配置された警備員がすぐさま彼女を包囲した。警備員に促され、彼女はしぶしぶ席に座る。

 センセイはA子さんのテープをテレビから取り出し、プラスチックのケースに入れると紙袋に戻した。そして、別のテープを挿入した。

「さあ、次の因果応報です」

 

「信じましょう。信じることで、因果応報は起きるのです」

 

   * * *

 

”実例 因果応報 B男(仮名)さんの場合”

 

 どこかの一室。先ほどと同じような暗い部屋。パイプ椅子に座る中年男性がひとり。彼もA子さん同様、首から下しか照らされていない。胸に誰かの遺影を抱えている。少し古い映像なのか、画面にときどきノイズが走っていた。

『では、B男さんの因果応報について教えていただけますか』

『はい』

 B男さんは、遺影の端をぐっと握りしめた。少年が笑顔を浮かべている。涙がぽとりと遺影に落ちた。

 B男さんの息子は、ある日突然命を奪われた。いや、厳密には奪われたのではない。実際はxxであった。息子さんのxxの原因となったのは、学校でのxxx。xxxの内容を語るB男さん。その内容に、子どもがそれほどまで残酷になれるものか、と耳を疑った。学校はxxを行い、真実を知ることが難航した。ハンニンどもはしらばっくれている。知らない。わからない。やってない。覚えてない。俺じゃない。私じゃない。老いも若きも、同じxxxを口走る。彼らに、罪の意識など微塵もなかった。

 良心ある同級生の証言で、B男さんはなんとか、xxxの詳細を摑んだ。が、B男さんと奥さんの訴え虚しく、ハンニンどもはxxxということ、それから学校がxxしたことで証拠不十分として、ハンニンたちは一切の罪に問われなかった。ハンニンどもは平気な顔で成長していく。ジンセイを謳歌している。けらけら能天気に笑っている。幸せになっている。

 B男さんも、A子さんと同じく、どんな罪を受けようとも、ハンニンをすべてxxしてやると思っていた。そして、因果応報請負業者に出会った。一縷の望みにすがり、助けを求めた。

 ナレーションが流れる。

”ここから、実際の因果応報の様子をお届けします”

 どこかの街角。画面が細かく分割され、老若男女、幅広い年代のニンゲンが映っていた。監視員は対象に察知されないよう、尾行を続ける。交代をして、二十四時間体制で張り付いている。最初の方は、ハンニンどもはゆうゆうのうのうと暮らしていた。けれども、ある時を境に、様子が異常になる。常にあたりを確認して、コソコソ毎日を送る。目が血走る。怯える。やつれる。支離滅裂な行動を繰り返す。

 そして、報いは彼らに牙を剥く。ハンニンどもは絶叫する。助けを乞う。恥ずかしげもなく、ヌケヌケと、いけしゃあしゃあと、助けを乞う。映像はどんどんグロテスクさを増す。無修正のxxxやxxが飛び散る。

 画面がひとつ、またひとつと砂嵐に変わっていく。だが、監視員は近くで見ているだけだ。決して手出しはしない。ただ、記録するだけ。

 とうとう、最後のひとりが――、画面は一面、砂嵐となった。カメラが切り替わり、B男さんとインタビュアーを映す。

『B男さん、因果応報は無事に完遂されました』

『はい。本当にありがとうございました。最初はとても信じられなかった。嘘だと思いました。でも、信じて良かったです。妻もワタシも、救われました』

 遺影を握りしめる手が震えている。インタビュアーが、B男さんへハンコを差し出した。B男さんは、ハンコを握りしめると、涙を流しながら、何度も何度も手を振り下ろした。彼の嗚咽が、わずかなノイズをのせ、テレビのスピーカーから響いた。

 ブツっとテープが切れる。画面は再度、砂嵐に変わる。センセイがパチパチと拍手する。教室の後ろに座った中年男性が、センセイに質問を投げかけた。

「ひとつ教えてほしいんですが。あんたらがハンニンたちをやったんでしょう? カメラにうまく映してないだけで。こんなの、こんなの……」

 男性の声はとても弱弱しい。

「いいえ。大丈夫です。ご安心ください。依頼者様にいらぬ罪の意識を植え付けないため、ワタシたちが直接手を下すことはありません。それに、”利子”に影響が出ますので。でも、もう少し映像に説明の文章を入れるべきかもしれません。ご心配おかけします」

「……でも、それじゃあ」

「ワタシたちは、あくまでも、”自然”な因果応報を請け負っています」

「……」

 センセイの有無を言わさぬ言い方に、男性は黙り込んでしまった。しかし、こうも都合よく、因果応報が起こるのだろうか。それこそ、作り物の映像である可能性も否定できない。夢をみせているだけのような。現時点までの説明・映像では、とても心から信じられそうにない。

「ところで、オレ、トイレに行きたいんだけど」

 考えを巡らせていたところ、真後ろから声が聞こえた。猫背の彼が、手洗いに行きたいと主張する。

「はい、そうですか」

「トイレはどこ?」

「部屋から出ることはできませんので、我慢するか、我慢できそうにないのなら」

 センセイはゴソゴソと教卓の下を探っている。室内に動揺が広がる。

「お、おいセンセイよ、何言ってんだよ……。この兄ちゃん、トイレに行きたいっていってるじゃねえか」

 警備員が臨戦態勢をとる。センセイは手の動きを止めると、

「因果応報はある、と心の底から信じていただけるまで、誰ひとり、この部屋から出ることはできません」

 とてつもない横暴に、参加者はざわめく。そして口々に、”因果応報を信じます”と叫んだ。トイレに行きたい彼は、一等大きな声で絶叫した。

「信じた。信じました! 因果応報はある! 絶対にあります! これでいいでしょう!? 早くトイレに……もう……」

「いいえ。まだです」

 警備員が縄を持ち、各々の席に近づく。慣れた手つきで全員を椅子に縛り付けた。全身が椅子に固定され、身動きができない。

「因果応報は確実に存在します。信じることが”救い”なのです」

 

   * * * 

 

 異臭に満ちた空間。真っ暗な教室。テレビだけが明るい。外の音は聞こえない。同様に内部の音も一切漏れない。虚しく反響するだけ。今はいったい何時なのか。私たちは椅子に座ったまま、xxもxxもxxも垂れ流しにして、画面を見つめる。

 センセイはせっせとテープを入れ替える。おぞましいビデオが延々と流れる。因果応報を受ける相手は、ひとりだったり、複数だったり、いろいろで、でもみな最後は悲惨な結末を迎える。ほとんどが無残にxんでいた。悲鳴とうめきが絶えない。テレビのスピーカーからか、他の参加者からか、それとも私の喉からか。

 ”因果応報は確実に存在します。” ときどき、センセイは私たちに復唱させる。”因果応報は確実に存在します。”

 画面が切り替わる。

”実例 因果応報 Y子(仮名)さんの場合”

 監視員がハンニンをカメラでこっそりと追う。ハンニンは周囲をしきりに確認する。ハンニンの精神が削れる。ハンニンは因果応報を受けた。監視員は見てるだけだ。xxが無修正にぶちまけられる。画面がxx色に染まる。びちゃびちゃとなにかが垂れる音がする。鼻をつく匂いが新たに広がった。

「もうそんなもの見たくないわ! い、因果応報は確実に存在します! だから、ここから出してよ!」

「やめろ! ビデオを止めろ! 因果応報は確実に存在します! ここから出してください!」

「どうしてこんなことをするんだ! ……因果応報は確実に存在します! 縄を解けよ!」

「俺はなにも悪いことをしてないのに! 因果応報は確実に存在します! ちょっとでいいから外に出してくれ!」

「なんなんだよこれは! 因果応報は確実に存在します! します! はやく解放してくれ!」

 参加者は叫ぶ。”因果応報は確実に存在します。”と。

 センセイは、

「うーん。みなさん、まだ信じ切れていないようですね」

 とまだ退出を認めない。ちょうど、Y子さんの因果応報が完遂された。画面が砂嵐に変わる。

「はい、Y子さんの因果応報も無事に達成されましたね。よかったですね。因果応報はあるのですよ。信じることで、因果応報は起こるのです。”救い”ですね」

 Y子さんの頬を涙が伝う。Y子さんの口角が上がる。Y子さんがハンコを押す。

「次はZ男さんですよ」

”実例 因果応報 Z男(仮名)さんの場合”

 Z……もう終わりだろうか。やっと説明会は完了するのか。参加者は少し、精神を持ち直した。安堵の空気が教室に流れる。きっとZ男さんで終わるだろう、と期待を抱いた。

 口を結んで、Z男さんの因果応報を見守った。はやく、はやく報いを受けろ。因果応報は不可避なのだ。終わった。Z男さんがハンコを押す。砂嵐になる。

 センセイは、Z男さんのテープを取り出し、ケースに入れて紙袋にしまう。次は――、

 

”実例 因果応報 AA子(仮名)さんの場合”

 

「心の底から、信じていただかないといけないのです」

「さあ信じましょう。因果応報は確実に存在します。信じることが救いなのです」

「ではみなさんご一緒に、さんはい」

 

”因果応報は確実に存在します。”、”因果応報は確実に存在します。”、”因果応報は確実に存在します。”、”因果応報は確実に……、

 

   * * *

 

「ない! ないんだよ! 因果応報なんて! あるわけない! ないんだよ!」

 突然、ひとりが発狂した。

「おいお前! あるんだよ、あるって言え!」

 別のひとりが叫ぶ。

「ない、ないね! 絶対に無い! オレはこんなものに洗脳されるものか! 嘘だ! 作り物だ! だって、今まで無かった、オレのジンセイにはひとつだってこんなもの!」

 発狂は止まない。椅子と机がガタガタ鳴る。鉄が匂う。

「別室へ連れて行ってください」

「承知しました」

 ひとり減った。次のビデオが映る。

「ではみなさんご一緒に、さんはい」

 因果応報は確実に存在します。

 

   * * *

 

「嘘よ! ないわ、無いんだわ! 本当は因果応報なんて無いのよ! いい加減にして!」

ひとり発狂した。

「おい、アンタ! あるって言わないと……」

「無いわ! だって、あのときも、あのときも、無い、無い、無い……」

「別室へ連れて行ってください」

「承知しました」

またひとり減った。次のビデオが映る。

「ではみなさんご一緒に、さんはい」

 因果応報は確実に存在します。

 

   * * *

 

”実例 因果応報 xx(仮名)さんの場合”

 

「とうとう、あなたひとりになりましたね」

「はい、因果応報は確実に存在します」

「テープがあともう二本しかありません。ここまで居残りになったヒトは初めてです。さて、どうですか? 信じていただけましたか?」

「はい、因果応報は確実に存在します」

「……本当の本当に?」

「はい、因果応報は確実に存在します」

「……冊子を拝見しますね。もしもし、事務室ですか。ええ、今から言う番号の確認を……」

「はい、因果応報は確実に存在します」 

「……中止! 中止です、中止! この方を一階の救護室に運んでください! 早く!」

「はい、因果応報は確実に存在します」

「うすうす感じてはいましたが」

「はい、因果応報は確実に存在します」

 

「あなた、”加害者”じゃありませんね」

 

   * * *

 

 電話が鳴り響いている。呼び出し音が私の意識を覚醒させる。瞼を開く。明るい光が一気に瞳に流れ込む。そのまぶしさに、目を細めた。

 私はベッドで横になっていた。腕から細い管が伸びている。管を視線で辿ると点滴の輸液バッグに繋がった。起き上がろうとするが、断念する。体が石のように硬い。思わず呻いた。

「ああ、もっと寝ていてください」

 ベッド脇のカーテンを開き、センセイが顔を出した。眉を下げ、心配そうな表情でこちらを見ている。

「ここは救護室です。といっても、事務室の一角をカーテンで区切って、ベッドを置いただけなんですが」

 そういえば、職員の声が方々から聞こえてくる。センセイの肩越しに、部屋を観察する。かなり面積の広い部屋だ。事務用机と椅子がずらりと並ぶ。職員はみな忙しそうに働いている。電話対応、書類仕事、来訪者の処理……。部屋の隅、警備員がソファの上で前で、雑魚寝していた。仮眠中、と書かれたプレートが天井から吊るされていた。

 机が並ぶあたりよりもっと奥、白色半透明の厚い壁がある。壁に設置された扉に”受付”と書かれていた。壁の向こうに、窓口の係員の後ろ姿がうっすらと見える。一階はまだ混雑しているようだ。並んでいるヒトビトの一部がなにやらモゾモゾ動いている。おそらく、口からぼやきを垂れ流しているのだろう。

「ちょっと座りますね」

 センセイは、ベッド横の椅子に腰かけた。カーテンを元の位置に戻し、彼は小冊子を取り出す。私はなんとか上半身を起こした。

「あなたの小冊子を確認しましたが。やはり、手配間違いでしたね。本当に申し訳ありません」

 センセイは深く頭を下げた。彼は、小冊子のとあるページ。因果応報を管理するページを開くと、

「この管理番号の因果応報ですが、記録がありませんでした」

と告げた。

「そうですか。不思議なこともあるものですね」

「手配間違いの詳細については、ただいま調査中です。……本来は受付で冊子を確認するのですが、直接最上クラスに通してしまったために……。なんとお詫びしたらよいのか」

 ひとまずは、偽造が発覚していないようで安心した。私が持ってきた小冊子は、研究所が調査のために”偽造”したものである。なんらかの不備があってもおかしくない。もし、騒ぎを起こさずに、受付を通っていれば、調査がもっとメンドウになっていたかもしれない。

「あなたは少なくとも、因果応報を受ける側じゃないでしょう」

「受ける側、ですか」

 教室を出る直前、センセイがそんな台詞を言っていたような。記憶が曖昧だ。

「ええ、説明が必要なのは、因果応報を”受ける”側です。一般的には”加害”側ですね」

 センセイは片手の指先を額に当て、瞼を閉じ、首を小さく振った。

「よりによって最上クラスに入れてしまうなんて。あそこは、一番重い因果応報を受けるべきの、クズが入るクラスなんです」

「……そうだったんですか」 

「ええ。あのクラスの参加者には、内容が特に凄惨なビデオを滝のように浴びせるんです。そうまでしないと、アイツらは因果応報を信じようとしません」

 記憶をなんとか掘り起こす。他の参加者は、たしか最後”因果応報なんて無い!”と叫んで、教室外へ連れ出されていた。あれから、彼らはどうなったのだろう。

「普通のヒトなら、一本だけの視聴でもかなり精神に傷を負うはずです。それをあなたに……何十本も見せてしまった」

 センセイは、もう一度頭を下げる。

「いえ、お気になさらず」

「……最初から違和感はありました」

「え」

 まさか、実は見破られていたのだろうか。背中に冷や汗が流れる。

「あなたは、他のクズと比べて、あまりにも丁寧なコトバ遣いや対応をしていましたから」

 私が口を開くたびに、センセイや警備員が驚いていたのはそれが原因だったのか。

 誰かの足音がこちらへ近づいてくる。カーテンが開く。警備員が顔を覗かせた。私を教室まで案内した警備員だ。センセイに何か耳打ちをする。センセイは立ち上がった。

「少々お待ちください」

 カーテンを閉め、ふたりは去っていった。私はベッドに寝転がる。救護室は、事務室の壁際にひっそりと作られていた。ベッドのすぐ横、 壁の向こうから声がする。

私は重い体を動かして、耳を壁にあてた。ふたり分の声が聞こえる。これは、猫背の彼だ。もうひとりは知らない声。

「はい。じゃあ、あなたの因果応報を申告してくださいね」

「え、ええと……あの……」

 もうひとりは係員だろう。猫背の彼はしどろもどろに、自身の悪行を喋る。彼の声はすぐに止まった。

「以上、です……」

「それだけですか? 被害者の方からお聞きしている内容、それとウチで裏が取れた内容より、ずいぶんと少ないような。まだ、”説明”が足りなかったですかね。では、もう一度教室に行きましょうか」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 ガタガタと机が揺れたような音。慌てて、彼は自身の悪行を更に喋りだした。声はすぐに止まらなかった。

「そこまでの因果応報となると利子がすごいでしょうね」

「利子、利子だと! 金か! いくら出せばいいんだ」

「お金じゃないですよ」

 激怒する彼に対して、係員は冷静な対応だ。

「じゃあ、利子って、利子ってなんなんだよ!」

「さきほど教室で見たでしょう」

 カーテンが開いた。耳を壁からさっと離す。分厚い封筒を手に、センセイが戻ってきた。

「お詫びと言ってはなんですが」

 センセイは封筒を差し出した。十中八九、中身は金だろう。私は、両手でゆっくりと封筒を押し返す。センセイは目を瞬かせた。

「いえ、それはいらないので、代わりにいろいろと教えてくれませんか?」

「ですが、あんなにあなたを傷つけてしまったのに。教えるだけなんて、因果応報が成り立ちません」

「私にとっては、それで十分です」

「……わかりました」

 

   * * *

 

 電話が鳴り響いている。事務室には多数の電話が設置されていたが、どの電話も少しも休んでいる暇は無かった。通話が終了するたび、すぐに呼び出し音が鳴る。

 私はベッドの端に腰かけ、センセイに向き直る。

「じゃあ、いろいろと聞かせてください。まず、受付で騒いでいた女性ですが、てっきり彼女は被害者の方かと」

「いえ。あの女性は、完全に加害者側です。彼女はもうずいぶんと前に説明を受けた方で、今も因果応報を受けている最中です。ああやって、自らの因果応報に耐えられず、いつ因果応報が終わるんだ、と駆け込んでくるヒトは少なくありません」

 次は何を聞こうか。そうだ、

「ええと、それから、”利子”とは?」

「そうですね……、立てますか? よろしければ、こちらへ」

 ベッドから立ち上がり、点滴のスタンドを押しながら、センセイの後をついていく。そういえば、なにか忘れているような。駄目だ。脳にモヤがかかって思い出せない。

 事務室から廊下に出て、斜め向かいの部屋に向かう。扉の上部に”監視室”と書いてあった。扉を開ける。テレビが壁一面に並んでいた。

「これが利子です」

 監視員の盗撮カメラに映る加害者たち。みな、周りをキョロキョロと見渡して、挙動不審に生活を送っている。すれ違うヒト、周囲のあらゆるものに怯えた目を向ける。前かがみの姿勢で縮こまって、体の表面積を小さくして、こそこそ暮らしていた。

「”利子”を払っていただいているんです。因果応報が完遂するまで、ね。ビデオで見たような因果応報がいつ、自分の身に降り注ぐのか、予想もつかないまま、毎日多大な恐怖とともに過ごしてもらうのです」

 私とセンセイは監視室を出た。廊下に声が響いている。監視室の隣の部屋からだ。一階の受付までは届いていないだろうが、かなり大きな叫び声だ。

「知りたいですか?」

 当該の部屋を指さし、センセイは小声で私に尋ねる。素直にうなずく。扉の正面に移動して、耳をすませた。

『もう受けた! 受けました、十分に因果応報を受けました! はやくハンコをください!』

『少々お待ちください。もしもし、事務室ですか。管理番号xxxxxxの確認のお電話お願いします。……、被害者さんに繋がりましたか。返答は……そうですか。わかりました』

 ガチャリ、……、ガチャン。受話器を取り、しばらくして受話器を置いた音が微かに聞こえる。

『まだ、だそうです』

『なんで! ならソイツに会わせろ! 無理やりにでもハンコを押させてやる!』

『相手に心当たりがないのですか』

『うるさい! 教えろ! 誰がオレに因果応報をなすりつけたんだよ!』

『守秘義務がありますので、お教えすることはできません』

『……クソが! クソが! こうなったら……』

『”自分”で”一気”に利子を払おうとしちゃ駄目ですよ。ちゃんと監視員が見てますからね。止めますからね』

『……どこが救いなんだよ、嘘、嘘つき! 因果応報なんて嘘だ!』

『信じていただけないのなら、もう一度説明いたします。最上クラスで』

『……因果応報は確実に存在します』

『信じていただけているようで、なによりです』

『はやく、はやく因果応報が終わってくれよ! オレを救ってくれ! もういいから、そのカメラを止めろよ!』

 センセイは私を見て、

「ね、救いでしょう」

 と言った。

 

   * * *

 

 救護室に戻った。センセイは職員を呼び、私の点滴を外すよう指示を出した。真四角の小さな絆創膏が腕に貼られた。私はベッドに、センセイは椅子に腰かけた。

「ほかに質問はありますか。到底、お詫びになるとは思えませんが、なんでもどうぞ」

「では……、どうして加害者に直接罰を与えにいかないのでしょうか。こっそり監視をして、因果応報が起きるのを待つというのは、あまりに非効率的で不確かだと思うのですが」

「我々が加害側に制裁するのは可能です。ですが、善良な依頼者の方に、余計な心の傷を負わせるかもしれない。そういう業務を行う職員だって、精神的に辛くなるかもしれない。それに……」

 待合が騒がしくなる。警備員がバタバタと慌ただしく駆けていく。

「それにね、因果応報がある、と加害者が信じたならば、因果応報が実際に起きても起きなくても、加害者が罰を受けるのは確定しています。むしろ、さっさと起きた方が加害者にとって救いでしょうね」

 誰かが半狂乱に叫んで、暴れている。センセイは、待合の方を見つめ、

「悪いことをして、なんにも罰を受けていない間の”利子”は、たっぷり払ってもらった方がいいでしょう?」

 と、静かに告げた。

「他にご質問はありますか」

「どうして他の参加者が”因果応報なんて無い!”と叫んだときに、教室から連れ出したのですか。まだ説明を続けるべきだったのでは。それとも、別の部屋で、追加で説明をしたのですか」

「いいえ。あの時点で説明は終了です。彼らが、因果応報を心の底から信じた、とわかったからです」

「ええと、彼らは”無い”と叫んでいましたよ」

 センセイは、真剣な顔をして、私に尋ねる。

「……因果応報が必要なことを平気で起こすようなクズは、因果応報が”ある”と思っていますか、”ない”と思っていますか」

 レンズの奥、センセイの瞳がまっすぐに私を射抜く。

「そんなクズが、あのようなビデオを延々と見せられて、心に強制的な変化が起きたら。これから自分にああいうことが降りかかるんだ、と心の底から信じてしまったとき、どういう反応をしますか」

「……なるほど」

「因果応報はね、”ある”んですよ。”ある”って信じ込ませないと駄目なんです」

 沈黙が流れる。私の手がシーツの上で無意識に動いた。やはり、なにか記憶から抜け落ちているような。

「いけない。質問に答えると言ったのに、ついついセンセイじみたやり取りをしてしまいました」

「いえ、よくわかりました。ありがとうございます」

 気が付くと、待合の騒ぎは止んでいた。カーテンの向こうから、職員の声が聞こえてくる。

”それにしても、因果応報を受けないといけないニンゲンが多すぎるわ”

”あいつら、呼び出されたら、心当たりはありませんって顔をして、不満ばっかり口にするんだぜ”

”まあな。説明会の後の変わり様をみて、ちょっと胸がすくよ”

 それから、電話対応のやりとりが耳に入った。

『ええ、本当に良かったです。私どもも本当にうれしいです。……はい、これが最後のお電話になるのを祈っております』

 センセイはスラックスのポケットから写真を取り出した。

「因果応報がある、ってことは、どこかでね悲しいことが起こってるんです」

 子どもが映っている。あれはたしか、

「因果応報なんてないほうがいいんですよ。ホントはね」

 センセイの指が写真の表面をなぞる。私はその子どもをつい最近見た。教室の中で――。

  

 正面玄関は混みあっていますから、とセンセイは私を裏口まで送っていく。途中、警備員が追いかけてきて、私に鍵を要求した。そうだ。鞄を預けていたのをすっかり忘れていた。警備員は私から鍵を受け取ると、急いで事務室に走った。すぐに戻ってきて、鞄を渡してくれた。

 裏口の扉を開ける。軽快な風が頬を撫でた。今回の案件はこれで終了だ。

「そういえば。どちらかというと、あなたは被害者の方ですかね」

「……どうしてそうお思いに?」

「いやなに。長年の勘ですよ。どうですか。よかったら、あなたの因果応報、請負いますよ」

「……いいえ。私がなんとかします」

「そうですか。助けが必要ならいつでもどうぞ」

 私は、センセイに別れを告げた。

 

   * * *

 

 電話が鳴り響いている。


「お電話ありがとうございます。因果応報請負業者です」

「はい、因果応報のご依頼ですね。お任せください」

「お気持ちはわかります。すぐには信じられないですよね。でも、安心してください」

「あなたの因果応報は、私どもがきっちりと完遂いたします」

「利子、利子ですか?……利子はお客様それぞれで異なります。ご了承ください」

「では、資料をお送りしますので、お名前、ご住所、お電話番号を……」 

「ええ。大丈夫です。どうか、信じてください。因果応報は確実に存在します」

「はい、連絡先はわかる範囲で大丈夫です。ご不明な場合はこちらでお調べいたします」

「では、裏が取れ次第、加害者の方に説明会の資料を送付しますね。進捗状況は追って連絡します……」

 

   * * *

 

 なかなか骨の折れる調査だった。体の節々が痛い。両手を真上に目いっぱい伸ばして、外の空気を思いっきり吸いこんだ。緑のみずみずしい香りが、私を癒す。

 さて、そろそろ戻って報告書をまとめなければ。鞄を探り、手帳を開く。

「あ」

 そうだ。今回は鞄を取り上げられていて、それに教室での熾烈な出来事で、意識が……、記憶が、混濁して……、あぁ。

 真っ白なページを前に、私は――。

 

   * * *

 

「これが、今回の案件の報告書です」

「……ありがとう。確認するね」

 私は不可思議定数研究所に戻り、報告書を仕上げて部長に提出した。

「帰ってきてから、なんかいつにも増して気迫がすごかったね。物凄い勢いで、机にかじりついてたし」 

 部長の言う通りだ。私は帰還後、すぐに自席に戻り、休憩もなしで必死に報告書を完成させた。酷使された体が悲鳴を上げたが、ただでさえ一種の拷問の後で記憶が薄れている。すぐに書かなければ、一生報告書を仕上げられない、と恐怖し、無理やりに脳と手を動かした。

 一切のメモ無しで、記憶を掘り返しつつ報告書を埋めたのは本当に大変だった。瞼が重い。もうすぐにでも、意識を失いそうだ。脳が極度の疲労状態に陥り、これ以上なにも考えたくないと、機能停止を起こしている。

「で、今回の案件どうだった? ”因果応報”はあった?」

「……」

「まあ、その様子を見てたら大体わかるけど。いい? 今回はちゃんと休みをとること。規定通りに休暇をとってから、次の案件に行ってね」

「……いいえ」

「ん?」

「……因果応報なんてありません。決して、ありません。決して」

  

 

不可思議定数x 第二話 「因果応報請負業者」 【終】

 

 

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