不可思議定数x

丸目 瞠

第一話 「マックロ・xxxx・パラメータ」


 ”不思議”は、xxの殻に包まれている。

 殻の中身をのぞくには、


* * *


 脳を破壊せよ。

 薄暗く長い廊下の天井に、同じ文句が書かれた看板がずらりと垂れていた。視線を廊下の突き当りに向ける。なんの変哲もない、灰色の金属の扉があった。扉の先には、別の次元。私はこれから異なる次元に遷移する。遷移許可申請書を片手に持ち、廊下を歩く。別次元への旅路は、異様な雰囲気だ。

 上を見れば、等間隔に蛍光灯が何本も設置してある。が、ひとつとして灯りが点いていない。その代わり、壁に張り巡らされたネオン菅がてかてかと発光し、ゆらゆら幾何学模様を描く。

 ネオン菅は途中途中で、あっちこっちに折れ曲がっていて、ナニカの形を作っているような、でも図形の意味を読み取ることはできない。脳波が乱れる。

 青、紫、赤、桃の、鮮やかで怪しい光が漂う中、ヘンテコな音が鳴り響く。

 拍子も旋律も音圧も、すべての構成要素が予想できないほど不規則に変化して、意味を理解しようとすると、頭がおかしくなりそうだ。脳波が乱れる。

 夢のように無秩序で異常な空間を進む。廊下の最奥より少し前。向かって右側、壁が少しせり出して、小部屋が存在している。部屋には小窓がついていた。分厚くて不透明で重苦しい素材で作られた小窓。この窓を介し、物品の受け渡しをする。

 私は小窓を少々強めに、二回叩いた。小窓が開く。私はその隙間に、書類を差し出した。遷移許可申請書を。次元遷移は厳密に管理されている。申請書無しで、遷移はできない規則だ。

 窓の向こうから手が出てきて、紙が視界から消える。続いて、重い音を立てて小窓が閉まった。

 遷移許可申請書の確認を待つ間、持ち物と装備の点検を行う。もう幾度も繰り返した動作。不備を見逃すと調査に悪影響を及ぼすかもしれない、気を引き締めて点検をした。少し手持ち無沙汰になった。廊下の果てに位置する灰色の扉をじっと見つめる。凝視していると、扉の向こうから、不思議の気配が漂ってくるような錯覚に陥る。

 ネオンの光と意味不明瞭な音は、未だ止まず。脳波が乱れる。

『申請書の確認を完了しました。目的、事前調査。遷移準備を開始します』

 担当所員の声が廊下に流れる。小窓が再度開き、ヘッドフォンが差し出された。私はそれを受け取ると、どうも、と挨拶をした。

 小部屋を通りすぎ、数歩進んだ先の検査用ゲートをくぐる。結果は良好。

『遷移準備完了。脳を破壊次第、出発してください』

 とうとう、廊下の最奥、突き当りの扉の前に立った。別次元の”不思議”が、私を待っている。

ヘッドフォンを着用し、目をつぶった。視界も聴覚も、完全に遮断される。今回の音波はどんなものだろう。耳に遷移用音波が流れ込む。廊下に散らばった音よりも、何百倍もおかしな音波。なんとも表現できない。脳波が乱れる。

 私は少し俯いて、深い集中状態に入る。

 音波が脳に染みわたり、意識をぐちゃぐちゃにかき混ぜた。脳が単一に攪拌されるまで、じっと待つ、……。

 視界が真っ暗なまま、手を動かす。取っ手を摑んだ。祈りを込めて扉を開けた。

 今度の”不思議”は、私の求めるものでありますように。


* * *

 

 目の前に、不思議な球がある。球が二重になっている。外側の透明な球の中に、二回りほど小さい球が浮かんでいる。大きさは、両手で抱えるほどだ。内側の球の表面は、青と緑に輝いている。球のまわりに、白くて細いものがところどころ浮いている。球の表面で、砂粒ほどのナニカがウゾウゾと蠢いている。

 表面に顔を近づけると、隣に立つ彼は意図をくみ取ったのか、球の表面が拡大されて、観察がしやすくなった。ナニカの一部は、一定の期間、活発に動いたかと思うと、そのうち動きを停止する。だが、それと同等もしくはそれ以上に、新しくナニカが生まれている。

 ナニカは球の表面を瞬く間に覆っていく。緑のほとんどは灰色に変わる。

 外側の球に、細長い液晶板が埋め込んである。液晶に数字が表示されていた。球の様子が変化するほど、数値が変化する。液晶板は何十桁も表示が可能な長さで、数字は刻一刻と移り変わる。初めは0点。それから、数字は急激に上昇した。やがて、球の変化が乏しくなる。肉眼で変化を感じ取れなくなる。数字は緩やかに上がる。

 とうとう、球の変化が止まった。停止した球は待っている。次の――、

「いかがですか、カソウセカイは」 

 これが、今回の調査対象、”カソウセカイ”。

「マトウさん。ようこそお越しくださいました」

 私の隣に立つ男が、口を開く。彼は手に持ったリモコンを球に向け操作を行う。球の表面がまた動き出す。

「我が社の主力製品、”カソウセカイ”です」

 遷移先の次元で、私は巨大なラボに招かれた。広大な敷地。手入れの行き届いた庭。ラボの外壁が漆黒に輝いていて、床はピカピカに磨き上げられている。建物に足を踏み入れると、高級そうな観葉植物や、彫刻の作品が私を出迎えてくれた。

 ラボに着くとすぐ、中から男性が出てきた。長髪長身、切れ長の瞳をして白衣をまとった男性だ。彼は依頼主であった。彼の依頼が私の所属する組織に届き、担当部署が”不思議”の匂いを感じ取った。そして、現地で調査せよ、と私に案件が回ってきたのだ。

 彼の研究室で、”カソウセカイ”の説明を受けていた。彼はそれなりの立場なのか、部屋はかなり広い。大きなスクリーンが何台か、それから、大小さまざまな、研究用の電子機器が置いてある。部屋の中央に、接待用のローテーブルと黒のソファが二脚。どれも、ちりひとつなく、綺麗に整えられている。部屋の隅の箱に視線をちらりと送ると、配線と電子部品が山を作っていた。もし、研究資材がひとつも置いてなければ、高級旅館の一室と見紛うほどだ。

 

「おかけください」

 私と彼は、向かい合う形でソファに腰かける。床を見ると、植物柄の絨毯が敷いてあった。足裏に伝わる感触から、なんとも上質そうな絨毯だ、と思った。部屋の扉がコンコンとノックされる。

 彼の秘書がやってきた。彼は立ち上がり、ティーポットとカップが載ったお盆を受け取った。嗅いだことのない香りが部屋に広がる。秘書は私に軽く挨拶をすると、姿を消した。

 彼はローテーブルにお盆を置き、ソファにもう一度腰を下ろすと、慣れた手つきで中身をカップにそそぐ。ツヤツヤと光沢のある黒いポット。金色の装飾が施された白いカップ。

「マトウさんに来ていただいたのは、ほかでもない。カソウセカイに関して、ひとつお願いがあります」

 真っ黒な液体がカップに落ちていく。鼻孔に沁みるはじめてのにおい。液体は、白い湯気をもくもくと吐いていた。

「その前に、先ほどお見せした、”カソウセカイ”についてもう少し説明します」

 私は鞄から手帳を取り出す。一番新しいページを開いて、ペンを片手に持った。彼が手を宙でひらひらと揺らすと、スクリーンがするする天井から降りてきて、ちょうどソファの横で止まった。スクリーンに資料が投影された。丸い球がいくつか、それから文章と数値がずらりと幕に浮かぶ。

「カソウセカイでは、プレイヤー……我々は管理者、と呼んでいます。管理者がカソウセカイにパラメータを与え、成長を見守ります。カソウセカイの発展度によって得点が算出され、その得点を管理者間で競います」

 彼がすっと右に手を振ると、画面が切り替わる。

「管理者ができることは、パラメータの管理だけ。どんなパラメータを”いつ”、”どれだけ”、”どんな組み合わせ”で与えるのか。それだけです。どんな風にカソウセカイが成長していくか、詳細は一切制御できません」

 私はペンを走らせ、情報を書き留める。

「マトウさん」

「はい」

「表面で蠢いている、小さな粒は見えますか?」

「ええ」

 カソウセカイの表面では、砂粒ぐらいのナニカが、所せましとひしめき合っていた。

「これは、カソウセカイの中での”生命”です。もちろん、我々より知能はまだまだですが」

 説明を一区切りつけ、彼は飲み物に口をつける。私もカップを手に取った。

 なめらかな曲線を描く美しいカップ。肝心の味は……、美味しい。しかし、香りも味も今までに経験がないもので、名前がわからない。

「いかがですか」

「美味しいです。いったい、何という飲み物なんですか」

「ええ。これは……」

 と彼は中身について丁寧に説明してくれた。飲み物は正体不明のナニカから、既知の物体に変わった。念のため、飲み物についても手帳に書き留めておく。

「では、そろそろ本題に入ります」

「はい、お願いします」

 カップを置いて、彼はグラフを投影した。

「わが社は販売開始より、パラメータに関して、幾度もアップデートを重ねています。グラフは“カソウセカイ”の理論上の最高得点の推移を示しています」

 最高得点のグラフは、まず急角度で右肩上がりに、それから緩やかに上昇、そして停滞、また右肩上がり、次にジワジワと上昇、その後は停滞……。こんな風に、同じ動きを何度も繰り返していた。停滞と右肩上がりの間で、パラメータ関連の更新が行われている。

「あちらをご覧ください。あれが現在の最高得点なのですが」

 私は、彼が指さす方を見た。天井付近に一枚、長方形の透明な液晶掲示板が吊ってある。掲示板には数字が表示され、刻一刻と変化している。数字は、極僅かに、だが確実に増加している。

 彼曰く、管理者から収集したデータを即時に反映させている、とのことだ。数値はもうあと一歩で、理論上の最高得点に届きそうだった。

「そろそろ、理論上の最高得点を取る方が現れるでしょう」

 彼は苦々しい表情をつくる。

「つまり、カソウセカイは発展限界を迎えます。そこで、マトウさんに依頼したいのが」

 ビーッビーッ、ビーッビーッ、大音量で警告音が流れる。今まで、部屋を優しく照らしていた間接照明がすべて、途端に真っ赤に変わった。

 スクリーンの映像が勝手に切り替わり、ひとつ、カソウセカイが映る。球の表面、一部をマックロなナニカが覆っている。それは、右往左往しながら表面を移動していた。

 いったいこれは、と疑問を投げかけようと、私は彼に視線を戻す。彼の様子も一変していた。眉間に深いシワを刻み、下唇を片方に寄せ奥歯を噛んで、スクリーンを睨みつけている。両手はグッと固く握り絞められていた。勢いよく立ち上がると、スクリーンに向かってこぶしを振り上げ、

「……少々お待ちください」

 幕に触れる直前で思いとどまったようだ。彼は深くため息をつく。彼は、私に背を向けると白衣のポケットから端末を出した。画面を指でなぞり、片耳にあてる。冷静さは消えうせ、空いている手を固く握り、ふるふると震えている。彼は、どこかに指示を出す。バグを即刻修正しろ、と。部屋の外が、慌ただしくなった。

 私はスクリーンをじっと見つめる。マックロなブツは、カソウセカイの中で好き勝手に動き回っている。私は手帳に、ブツの姿かたちをデッサンしてみる。だが、案外動きが速いのと、黒一色で描写されていることから、紙には、グチャグチャの黒い線が躍っただけだった。

 彼は通話を切り、端末をポケットに戻すと、私の向かいに座った。コホンとひとつ咳払いをして、

「すみません。少々取り乱してしまいました」

 幾分か気持ちは落ち着いたようだ。が、彼の中では、激しい感情がまだ渦巻いているように見える。

「いえ、お気になさらず」

 切れ長の瞳が、憎しみを込めた表情でスクリーンをにらんでいる。

「……これが、バグです」

「バグ、ですか」

「ええ。いくら対策をしてもいつのまにか、カソウセカイに出現してくる……」

 彼は、天井に吊るされた得点表示用掲示板を指さした。

「彼らの”欲”は、恐ろしいですよ」

数値が劇的に増加している。さっきまでは、せいぜい二、三点刻みで増えていたはずだ。しかし今、表示されている数値は、理論上の最高得点を優に超え、正常時と比べ数値の桁数自体がいくつも増えている。

 数値が増大しただけではなく、表示も目まぐるしい速度で切り替わる。チカチカと目に痛い。たまに、点数は瞬時にマイナスに触れたり、なんとも忙しい。

「まったく、担当者は何をやってるのか。今指示を出しましたので、すぐに修正が終わると思います」

 ビーッビーッ、警告音はまだ鳴りやまない。調査のためだ、バグを近くで見てみよう。私はソファから立ち上がった。

「マトウさん?」

「ええと、バグがよく見えないなと思いまして」

「バグを見たい、なんて少々珍しいですね。……、見やすいように、今拡大します」

「ありがとうございます」

 私と彼は、じわじわとスクリーンに近づいていく。

「いたっ」

「いてっ」

 頭をぶつけた。お互いがバグに注意を払いすぎたせいで衝突してしまった。私は、ぶつけたあたりを片手でさする。

「……マトウさん。お怪我はありませんか」

「いえ、こちらこそ申し訳ないです」

「すみません。僕、ちょっと距離感が測りにくいもので」

 彼は自らの片方の目を指した。義眼だ。

「そうだったんですね」

 では今度こそ拡大しますね、と言って、彼は宙で人差し指と親指をくっつけて、伸ばした。バグが画面を埋めるほど、大きく映る。

「ありがとうございます」

 私は礼を告げた。彼はそれっきり、無言のまま、直立のまま、義眼を手のひらで覆い、バグをじっと睨んでいた。

 バグは球の表面を、あちらこちらに乱雑に動き回っている。まるで修正から逃れるように。抗うように。ぐるぐるぐるぐると。

 しばらくして、警告音が鳴り止んだ。続いて、ピンポンポーンと軽快な音楽が流れる。

 ”バグは修正されました。” スピーカーから放送が聞こえた。

 スクリーンを見ても、たしかに、マックロなブツはきれいさっぱり消えうせて、何事もなかったかのようにカソウセカイは動いている。あわせて、得点掲示板の表示も元に戻った。

「正常な状態に戻ったみたいですね」

「ええ。バグは即刻修正します。それは、我が社もほとんどの管理者もみな同じ思いです」

 ふうとひとつ息を吐いて、彼はソファに深く腰かけた。大分落ち着いたようだ。眉間の皺も薄くなった。

「マトウさん、さきほどはすみませんでした」

「いえ、こちらこそ不注意でした」

「はい、……それにしても最近、希望が見えたと思ったんですけどね」

 彼はうつむき気味にポツリとつぶやいた。

「どこまでお話ししましたか。そうだ、そろそろカソウセカイが限界を迎えるという話でしたね」


* * *


 ローテーブルの上に、紙の束が置かれた。表紙を確認すると、”候補パラメータ 一覧”と表題がつけられている。

「我が社では、”カソウセカイ”の大規模改修を予定しています。ですが、当面の対策として、まずパラメータから手をつけたいと考えています」

 少し顔を動かして、束の厚みを確認する。なかなかの厚さだ。少なく見積もっても、全部で百枚以上ありそうだ。

「使えるパラメータが多数あるとはいえ、パラメータの量、時期、種類の組み合わせは有限です。なので、理論上の最高得点も有限になってしまいます」

「はい」

「ですから、マトウさんには、パラメータの選定をお願いしたいのです」

「私が」

「ええ」

 義眼の彼曰く、新しい風を吹かせるため先入観の無い方の意見が欲しい、できれば”カソウセカイ”を余り遊んだことがない方の考えを聞きたい、次の発展限界が来るまでの時間稼ぎのためにも従来と違った角度からの案を希望している……、とのことだ。

「おかげさまで、”カソウセカイ”は、もうほとんどのヒトに遊んでいただいていまして。マトウさんみたいに”カソウセカイ”にほとんど触れてないヒトがなかなか見つからなかったんです」

「そうなんですか」

 私はもともとこの次元の出身ではない。カソウセカイで遊んだことがないのは当然である。

「ええ。斬新な観点からのご助言期待しています」

「はは、セキニン重大ですね」

 表紙を摑み、ぺらりと端をめくった。一枚ごとにパラメータがぎっしりと印刷されている。候補だけで何百、下手したら千種類以上ありそうだ。

「……これだけ候補があるんですね」

「ええ、現実にそっくりなカソウセカイを構成するためですから」 

 一度に多くのパラメータを選定してしまえば、それだけ発展限界がくるまでの時間が伸びそうな気もするのだが。

「例えば、このページまるごと、ではダメなんですか」

 適当に何枚かページをめくり、指差す。

「……」

「……あの?」

「……」

 彼の返答が急に停止した。視線を上げて、彼の顔を確認する。彼はじっと、リストを見つめ、電源が切れたみたいに止まっていた。

 しばらく停止していたと思ったら、彼はバッと顔を起こし、私の問いにこう答えた。

「いろいろと準備があるのと、各方面の混乱を避けるため、更新はひとつずつという決まりができたんです」

 どうぞ、と彼はパラメータの束を差し出す。私はそれを両手で受け取った。

「そうだ。マトウさんの参考になるかもしれない。試しに、いくつか”カソウセカイ”を無作為に抽出してスクリーンに映します。何千万もの管理者が同時に遊んでいますから、様々なカソウセカイがありますよ」

「何千万、ですか」

「ええ、”カソウセカイ”の人気は前代未聞のもので……。いまじゃ得点が個の能力を示す、とも言われてます。公的な試験の採点基準に使われることもあるほどなんですよ」 

 義眼の彼が手をひらりと動かすと、スクリーンが六分割され、カソウセカイが六つ映し出された。

「ほお」

 各々、違った発展を遂げている。平和的、暴力的、科学的、神秘的、野生的、混沌的……。しばらくすると、スクリーンが切り替り、別のカソウセカイが映った。

球は基本的には青と緑に変化するようだ。たまに、意外な色が現れる。赤とか紫とか黄とか、金とか銀とか。なかなか面白い。だが、大体は似たような”カソウセカイ”に発展していた。分割された画面に、それぞれの得点も示されている。カソウセカイの発展度に比例して、得点が高くなっていた。

 彼は手を揺らし、カソウセカイを切り替えていく。どのカソウセカイも、発展度に違いはあれど、さきほどのような真っ黒いバグは見あたらない。

「さっきのバグですが、けっこうな頻度で起こっているんでしょうか」

「えぇ、そうなんです。最近は特に……。出現次第、すぐに対応していますが際限なく湧いてきます。バグが出現すると、カソウセカイの得点計算プログラムがエラーを起こすので、一時的に最高得点が不正に更新されて、秩序を乱すんですよね」

 かなり困ってる様子だ。彼の声色が沈んでいく。

「それはタイヘンですね」

 えぇ、と答える彼。

「まあ、いろいろと見ていただきましたが。現物を見るのがやはり一番だと思います」

「たしかにそうですね」

 百聞は一見に如かず。私は彼の提案に頷いた。

「では、僕は今から準備をします」

 義眼の彼は立ち上がると、白衣から端末を取り出しどこかに連絡をとった。そして、部屋の隅、彼の研究用デスクへ向かい、機械を操作した。

 私はカップを持ち上げ、残りを飲み干す。やはり美味しい。

「……あ、そうだ、マトウさんの正体は内緒でお願いします。我々が送り込んだと判明するとたぶん、大混乱が起きると思いますので」

 彼は、機械を操作する手はそのままに、こちらを振り返る。

「わかりました」

「なんせ、今現場はバグで手一杯なもので……余計な負荷をかけたくないのです」

 約束ですよ、と言い彼はデスクに向き直った。

「では、現場で円滑に動けるように、適当にマトウさんの設定を作って、調整してきます」

 その間お暇になるといけないので、と彼はスクリーンを報道番組に切り替えた。画面の中で、横長の机にいくらかヒトが座っている。とある議題について意見を交わしていた。

議題は、”カソウセカイの攻略法”。

『――社が開発したカソウセカイですが、登場から瞬く間に社会に浸透し……』

『最新の調査によると、所持率はなんと驚異の99%……』

『得点は各種試験等に用いられ……、今ではなんとコイビト探しの第一条件にも……、今日は攻略法を……』

『えー、次は専門家のみなさんに高得点のコツを……』

 カソウセカイの攻略法を番組で流すほどの人気とは、と考えていると。ピロリロリン、ピロリロリン。スクリーン上部に一行、白い文字で文章が流れた。

”速報 詐欺師の男、確保”

『そうなんですね。組み合わせの……、番組の途中ですが速報をお届けします。先日より世間を賑わせていた男が、さきほど捕らえられたとのことです。確保の瞬間をカメラがとらえていました』

 画面が切り替わる。どこかの街角、ヒトがもみ合いになって、ちいさな山ができている。

 中心にはひとりの男。男は、周りから徹底的に糾弾されている。男は必死に何かを叫んでいる。

『本当だ!ワシは本当に見つけたんだ!嘘じゃない!』

 男は、なにかを大切そうに抱いている。カメラはブレブレで、いったい男が何を抱いているのか、よく見えない。男に向かって、周囲からの怒号は続く。カメラに映るすべてのヒトが男に罵声を浴びせている。

『意味の分からないことを!』

『理解できない!』

『ふざけるな!』

『ウソをつくな!』

 ヒトビトは、男が抱えているものを奪い取ろうとする。群衆の手が、足が、口が、目が、男を襲う。攻撃を受けながらも、男は、なんとか祈りの姿勢を取った。天を仰ぐ。

『頼む。お願いします、――』

 ピッ――。

「あっ」

 小さな電子音の後、スクリーンが真っ黒に変わる。 

「こんな詐欺師の言うことは気にしなくていいです」 

 義眼の彼は、とげとげしい口調で吐き捨てるように言った。

「あんな真っ黒なデタラメを……さっきの詐欺師のせいで、社会がずいぶんとかき乱されました。ある意味、あの男もバグみたいなものですよ」

 彼は静かなスクリーンをギッと見つめる。無意識だろうか。彼の手は義眼を覆っていた。

「マトウさん。準備は無事に完了しました。一般的な意見が聞けそうなところに話を通しました。さあ、こちらへ」

 私は立ち上がる。絨毯を踏みしめ、彼の後をついていく。

「じゃあ、パラメータリストと……あとは通信機か、それも設定して後でお渡ししますので」

「どうも」

「それと、申し訳ないのですが、なにぶん急ぎの依頼でして……。期限は明日、でお願いいたします」

 義眼の彼は、プラスチックの扉を開ける。私は、扉の先に足を踏み出した。


* * *  


 目の前に、不思議な球がある。たくさんある。私の視界に入る範囲のヒトたちは、誰もが球を大事そうに抱えている。

 左を見ても、右を見ても、球球球……、球。老いも若きも、みな球とともに歩いている。

「驚いたな」

 先ほどのラボより規模の小さいラボが見える。こじんまりとした敷地。ほどほどに放置された木々。敷地を囲う金属のフェンスはところどころ曲がり、穴が開いている。修理のためか、黒い布のようなものが多数貼ってあった。

 ラボの外壁は元は白かったと思わせるが、今は黄ばみが目立ち、表面のあちこちに細いヒビが入っている。建物の高さは三階建てぐらい。ぽつぽつと見える窓、ガラスの向こうのカーテンは破れている。全体的に、余裕がなくギリギリの雰囲気を醸し出している。

 小規模なラボの、正面玄関から門に向かって伸びるコンクリートの道。その途中に私は立っていた。通信機とリストとともに。

 義眼の彼は、小規模ラボの敷地内へ私を送ると、後はよろしくお願いしますと言い残し、急ぎのシゴトがあるのでと私の元から消えた。

 後ろを振り返れば、ラボの門付近に警備員の後ろ姿が見える。義眼の彼がうまく調整してくれたようで、警備員が私を不審がる様子はない。

 警備員の姿ごしに、門の前を通るヒトを見ると、やはり彼らはみんな球を抱えて歩いている。うーん。不思議な光景だ。

 私は、通信機をズボンのポケットにしまい、リストの表紙をペラリとめくった。

「この中から、ひとつだけ、か」

 本来の目的、私がこの次元に来た理由は、不思議の調査。対象は”カソウセカイ“である。

 調査の条件や環境は、千差万別だ。目的の次元に遷移して対象を調べれば完了の案件もあれば、現地でなにか別の仕事が発生する案件もある。今回は後者だ。

 ”カソウセカイ”の調査とともに、義眼の彼の依頼もこなさなければならない。

「よし」

 私はひとつ頷き、気合を入れる。小規模なラボを訪ねる前に、まずはリストをさっと確認する。どのページも、小さな文字でパラメータがビッチリと並んでいた。いったい、どのパラメータにしようか。この中からひとつ選んで、義眼の彼に報告する必要がある。ページをどんどんめくるが、こうも多いとは。パラメータは、物理的・精神的・抽象的……さまざまな種類のものがあった。いつまでも道の途中で止まっているわけにいかない。なるべく早く目を通す。だが、パラメータ候補の最後の方なんて、もう私には、理解不可能なレベルの文字列が並んでいる。黒いミミズが、躍っているようにしか見えない。仕方がないのでそのあたりは読み流すことにした。

「最後のページだ」

 パラメータ候補の総数が記載されていた。とても多い数だ。

 リストをいったん鞄にしまい、私はラボの正面玄関に向かって歩き出した。玄関前には数段の階段。それぞれの段に落ち葉が積もっている。最上段まで上ると、両開きの木製の扉が私を迎える。

 扉の前にも枯れ葉が落ちていた。忙しいのか、掃除まで手が回っていないようだ。葉っぱの色も様々で、赤色、黄色、緑色、茶色、黒色……、黒色。

 呼び鈴を押す。誰かが出てくるのを待つ。……。そろそろ、もう一度呼び鈴を鳴らそうかと思った頃、扉がゆっくりこっそりと開いた。

 中から現れたのは分厚い眼鏡をかけた青年。青年は顔の半分だけをこちらに覗かせている。ぼさぼさに伸びた髪の毛、よれよれの白衣。体は大きく猫背になっている。レンズの向こうに、濃いクマが鎮座していた。

「……どちら様ですか……」

 最後の力を振り絞ってやっと音になったような、全く活気のない声が耳に届く。

「私、マトウと申します。ご連絡が来ているかと思います。急ですが、本日はよろしくお願いいたします」

「……」

 私と青年の間に、沈黙が流れる。眼鏡の青年は無機質な瞳でこちらをじっと見てるだけ。完全に停止してしまった。

「あの、」

 声をかけた途端、青年の体が動き出す。顔はギギギと音が出そうなほど不自然に小刻みに揺れ、視線は左右上下に振れている。彼の瞳がまぶたに半分隠れる。二三度瞬きをして、

「ああ!そうだ、マトウさんという方が話を聞きに来るって!いやー、すみません。忘れてました」

 一転して明朗快活な様子になった。背筋がしゃん、と伸びて、声と瞳に活力がやどる。彼は玄関の扉を全開にして、中へ手招きをした。

「ささ、玄関で立ち話もなんですし、どうぞどうぞ!」

「ありがとうございます」

 ラボへ一歩踏み入れる。建物内部、なかなかの惨状が広がっていた。

 玄関すぐの大広間は天井まで高さのある吹き抜けで、各階の窓から陽の光が差し込む。日光が、宙を舞う多量の埃に反射して輝いている。埃の量はかなり多く、むせてしまいそうなほどだ。

 広間の奥に、二階へ続く階段がある。視線を下段から上段に動かすと、途中でいくらか研究員が転がっていた。死んだように眠っている。ラボ内を徘徊している研究員も、みな生気がない。うつろな瞳。青年とおなじく真っ黒いクマを目の下に張り付けて、ブツブツと何かを言いながら移動している。天井からつり下がった電灯には蜘蛛の巣が広くかかっていた。どんよりとした雰囲気の建物内に、研究員の暗い本音が響く。

「目をつむると、いや、開けていても、黒いナニカ、宇宙が広がって……」

「おいやめろ……バグを連想させるな……」

「家に帰れたのっていつだったかな……」

 限界の端まで追い詰められたような、怨念のこもった重苦しい声だ。外壁同様に、建物内部の天井、壁、床も汚れがひどい。真っ黒なゴミが積もっている箇所もある。

「ははは、みんな忙しくて、ここで話もなんなので、俺の研究室に案内しますね!」

「……お願いします」

 眼鏡の青年はからげんきな声で笑う。必要な情報を得られたら、すぐに退散しよう。

「マトウさん、二階へ行きましょう」

「はい」

 私は青年の後に続き、一段一段登っていく。階段で寝ている研究員を踏まないよう気を付けながら慎重に。無事二階についた。

 二階も一階と同じ有様だ。廊下の突き当り、毛布をかぶって誰かがぐうぐう眠っている。青年は気にせず廊下を進み、目当ての部屋までたどり着くと扉を元気に開けた。

「失礼します」

「どうぞどうぞ!今、ちょっとだけ汚いですけど……」

 散らばる書類、電子部品、簡易調理食品の容器。部屋の真ん中にはふたり掛けのソファがひとつ。ぐしゃぐしゃの毛布がソファに無造作にほおってある。ソファの前、表面が見えないほどモノで溢れた低い座卓がひとつ。その上に球が転がっていた。

 部屋の隅に大きな机とパイプ椅子があった。机の上、大型ブラウン管ディスプレイがあかあかと真っ黒な画面を映す。作業の途中だったのだろうか。最終行のところでカーソルが点滅している。それから、部屋のいたるところに箱が置いてあって、丸めたポスターがみっちり詰められていた。

「ははは、忙しすぎて片付ける暇もなくて。座れるところを作りますから」

「お気遣いなく。立ったままで私は大丈夫ですから」

 そんなわけにいきませんよ!と青年は、ポスターの箱を器用によけつつ、ソファに辿り着く。毛布を両手で巻き取り、ソファの隅にポイっと置いた。

「はいどうぞ!」

 疲労の色が濃く滲む顔で勧められては断りもできず、私は素直にソファに腰かけた。青年はパイプ椅子をギィギィと引きずってきて、座卓を挟んで私の正面に座った。

「いけない、お茶をいれてこないと。ちょっと待っててください!」

 青年は慌ただしく立ち上がると、机に駆け寄り、受話器をとった。電話本体の円形の数字板に指を入れ、何回かぐるりと回す。

 部屋を見渡すと、壁に長方形の大きな電光掲示板が設置してあった。やや斜めにかけられているその板に、数字が黒々と表示されている。下何桁かが頻繁に切り替わっていた。

「お疲れ様です。ええ、今給湯室空いてますか? はい、はい」

 青年は受話器を置くと、足を上げ体を捻り箱を避けながら、移動する。部屋を出ていく直前、

「そうだ。お待ちの間、遊んでてもらって大丈夫です!さっき初期化したばっかりだから、好きにパラメータを設定してもらって大丈夫ですよ」

 彼は机の上の球を指さした。二重になった球。外側は透明なガラス球、内側はマックロな球。球は一切の動きを見せず、じっと停止している。

「リモコンと虫メガネは近くに置いてあるので!じゃっ」

 扉が勢いよく閉まる。青年が廊下をバタバタと駆ける音がわずかに聞こえる。これも調査の一環だ。触ってみよう。

 球のすぐ隣には手のひらほどの大きさのリモコン、それから虫メガネ。外側のガラス球のてっぺんに黒い細長い板がくっついている。0と表示されていた。

 リモコンを手にした瞬間、扉の外から話し声がうっすらと聞こえてきた。いったん操作は中断し、耳をすます。

 ”……このタイヘンなときに、……協力しろだなんて……、忙しいのに……、何を考えてるのかしら……。”

 ラボの方々にはあまり歓迎されていないようだ。建物内外と彼らの惨状を思い出す。たしかに、諸々の条件を思考回路に入力したら、扉の向こうから聞こえてくるようなコトバが出力されるのは当然だろう。声はすぐに遠ざかった。私は気を取り直して、まずはリモコンを観察する。

 上部に小さな液晶。液晶部分の下に、上三角と下三角のボタン、0から9までの数字ボタン、決定ボタン、電源ボタンがついている。

 リモコンの電源を入れ、上三角のボタンを適当に何回か押す。液晶部分にパラメータ名が表示された。パラメータを選んだ後、数字ボタンでそのパラメータをどれだけの量、導入するかを決定する。水、酸素、原始生物、と物質的なものから、道徳、理性、と精神的なものまで、種類は幅広い。入力値は、プラス、それとマイナスも指定できるようだ。

 ボタンを押し、リモコンに表示されるパラメータをぱらぱらと確認する。一通り見たところ、義眼の彼に渡されたリストのものとひとつも被っていないようだ。当たり前だが。

 目についたパラメータを適当にいくつか入力し、変化を待つ。虫メガネを手に取り、ガラス球の中を観察する。無と静。内側の、表面が真っ黒な球は完全に停止している。やがて、真っ黒な球が変化をみせる。赤色、緑色、青色、茶色……与えたパラメータに応じて目まぐるしく発展を遂げる。とうとう、砂粒のようなちっぽけな物体が球の表面で動き出した。

「おお」

 外側のガラス球の頂上、細長い板に表示されている数字も変動する。内部の発展に合わせ、数値がどんどん増えていく。やがて、球の表面の変化が鈍くなる。私が与えたパラメータを食い尽くし、発展がほぼ止まったようだ。同時に、数値もピタリと停止した。

「似てるなあ」

「えへへ、でしょう?」

 ちょうど、眼鏡の青年が戻ってきた。お盆にふたつ紙コップを載せて。青年は震える手で、座卓の上の紙を落とすと、盆を置く。その後、青年はパイプ椅子に座った。

「驚くほど、そっくりですね」

「ええ!リアリティを持たせるため、いろいろと工夫してるんですよ」

 紙コップに、黒い液体が入っている。湯気がもくもくと天井に伸びる。私は、ある飲み物を真っ先に思いついたが、それにしては独特のあの匂いが全くしない。

「ありがとうございます」

「どうぞどうぞ。一番高級なやつをいれましたから!絶対美味しいですよ!」

 そっと紙コップを摑み、ヤケドしないよう気を付けて飲む。

「……」

 感想としては、正直、美味しくない。すごくマズイ。眼鏡の青年をちらりと見てみると、彼は顔に満面の笑みを浮かべ、ほっとした表情をしていた。

「うーん、最高!ここのところゆっくりお茶をする時間もなくて……。ああ、美味さが体に染みていく……」

「そうですか」

「ええ。みんな美味い美味いって飲んでますよ」

「そうなんですか」

 もっと美味しい種類のものを彼らが飲めるよう、義眼の彼に提言しておこうか。私は、紙コップを机に静かに下ろした。青年は無事に中身を飲み干すと、”カソウセカイ”に目を向けた。まず初めに得点を、次に球全体の様子を確認している。

「おお、いい感じに育ってますね」

「ええ」

「でもマトウさん、まだまだ得点は伸ばせますよ!次はどうします?」

「次ですか」

 発展のための、順当なパラメータと飛び級のパラメータ、両方が脳内に浮かぶ。私は後者を選んだ。どうせなら、そのパラメータをどれだけ与えるかという値も最大にする。パラメータの選択、数字の入力が終わり、決定ボタンを躊躇せず押した。

「あっ、そのパラメータは!」

 眼鏡の青年が叫んだ。

 球の表面が、恐ろしい速度で蠢く。連動して得点が跳ね上がる。直後、乱雑な部屋に電子音がピーピーと反響する。球は最初の真っ黒な状態に戻ってしまった。0点。振り出しだ。

「あー、マトウさん。さっきのパラメータは駄目ですよ。滅亡一直線です」

 ちょっと呆れた顔をして、青年がつぶやく。パラメータが駄目とはどういうことか。

「……ええと、つまり罠的なパラメータがあるってことでしょうか。与えたら一発で、滅亡になってしまうような」

「いえいえ違います!それ単体で破滅を引き起こすとか、そんな怖いパラメータはないですよ」

 青年は両手を広げ、顔の前でブンブンと左右に振る。青年は立ち上がると、壁に押しやられていた黒板をギイギイ引っ張ってくる。もともと書いてあった文字を消すと、チョークを手に取り、文字を書き始めた。

「さっきのパラメータは、あまり発展してない状態で与えちゃうと、制御しきれずに初期状態に戻っちゃうんです。あれは、もうちょっと発展した後に、適量与えないと全滅です」

「なるほど」

「パラメータの組み合わせ、量、そして時期!これが大事なんですねえ」

「えぇ、痛感しました」

「へへっ。一足飛びにしたい気持ちはわかるんですけどね。候補はいっぱいあれど、無鉄砲にパラメータを与えられないのが辛いところです」

 彼は指についた粉を白衣で払った。私は0点のカソウセカイを両手で持ち上げて、まじまじと見つめる。真っ黒な球のまま、じっと静止している。

「……ひょんな拍子に、そういう類のパラメータを与えて、破滅する条件を満たしちゃうと怖いですね」

「ご心配なく!管理者が自分でパラメータとして与えない限りは大丈夫です!絶対に勝手にハンエイされたりはしませんから。その部分はちゃんと作ってますから!」

 眼鏡の青年は、私の前に座り、にこりと笑った。

「それは安心ですね」

「マトウさんも、頑張ればきっと一番を目指せますよ」

 青年は壁にかかった斜めの電光掲示板をビシッと指した。

「そういえば、あれは?」

「もーマトウさんったら。あれは、現在の最高得点を示す掲示板ですよ。通信線を各地に引いて、管理者からデータを集めて、即時に最高得点を反映してるんです」

「線を?」

「ええ。有線で。確実でしょ?」

 掲示板の数字は数点刻みで移り変わっていく。想像以上に、カソウセカイの競争は激しいようだ。

「いけない!マトウさん、そういえば何か話をお聞きにきたんですよね」

「はい、そうです」

「俺でわかることならなんでもどうぞ!」

「ありがとうございます。ではさっそく」

「できれば、シゴトとは関係ない話がいいんですけどね。ハハハ……」

 目の下に濃いクマをにじませ、彼は目線を下に向けて笑う。扉の向こうから、テンポの遅い足音やうめき声が聞こえてくる。

 私は、鞄からリストを取り出した。机の上に置いて、ページをペラペラとめくりつつ、本題を切り出した。

「……ええとこれが、パラメータ候補なんですけど。どれが良いと思いますか?」

「……」

「なにか意見を頂けたらと思いまして」

「……」

 部屋が途端に静かになる。さっきまで明るい調子でしゃべっていた青年が急に口を閉ざした。

「あの、」

「……」

 顔を上げて、青年に視線を移す。無表情だ。体を、机の方にやや前傾姿勢にして、ピタリと止まっている。

 口は真一文字に結ばれ、瞳の焦点が合っていない。私は手をリストと彼の間に差し込んで、ひらひらと振ってみる。彼の反応は無い。紙面を見つめたまま、電源をプツリと落としたみたいに完全に停止している。

「……」

「困ったな。再起動が必要か?」

 シゴトに密接に関わりそうなものを出してしまい、心的にショックを与えてしまっただろうか。

「バ」

 眼鏡の青年が口を開いた瞬間。ビーッビーッと鳴り響く警告音。

”バグが出現しました。バグが出現しました。”

 思わず耳を抑えるほどの大音量。この部屋のスピーカーだけではない。ラボ内のすべてのスピーカーから音が出力されているようだ。警告音が微妙にズレて重なり、不快度が高まる。

 電光掲示板へ目を向ける。数値が極めて高速に変化している。チカチカと点滅し、目が痛くなるほど。先ほどまでの最高得点を、何桁も飛び越えて、大幅に塗り替えているようだ。が、数値は安定していないようで、表示は目まぐるしく変わっていく。時折、頭にマイナスがついたり、なんともせわしない。

「バグだ!」

 青年は先ほどまでの無気力状態から打って変わり、勢いよく立ち上がる。目に活力が戻り、表情を険しくさせて、部屋を飛び出した。

「えっ、あの」

「バグは修正だ、修正だ!」

 彼は全力でラボのどこかを目指す。私は遅れまいと必死についていく。疲労が蓄積された体の、どこにそんな力が残っていたのか猛スピードで駆けていく。他の研究員も、警告サイレンに感化され、各々部屋から飛び出す。

 階段を駆け上がり、最上階の一番大きい部屋に転がりこむ。机が手前から奥までズラリと何列にも並び、部屋を埋めている。机の上にはパソコンが何十台も用意してあった。

 研究員たちは死んだ魚の目を蘇生させ、みな瞳がギラギラと不健康に輝いている。彼らは席につくと、一心不乱にキーを叩きはじめた。

 警告音が鳴り響く中、誰も喋らない。ブラウン管モニタに顔が触れるまで近づいて、キートップが飛んでいきそうなぐらいの気迫で手を動かしていた。

「おい、君。なにを突っ立っているんだ!」

 私に気づいた研究員のひとりが大声をあげる。

「バグを修正するんだよ!」

 キーを叩く手は止めずに、私に命令をした。眉間に皺を深く刻み、怒りのこもった視線を私に向けている。

「いや私は、ラボのニンゲンではなくて」

「ああ!?とにかくバグを修正するんだよ!直接でもいい!修正だ!」

 私は、助けを求め、視線を眼鏡の青年に向けるが、彼も一心にパソコンに向かっていて、とてもこちらに気づく様子はない。

 このままここにいては、さらにメンドウになりそうだ。と私は、急いで彼の研究室に戻った。そして、ソファの陰に隠れる。研究員が追いかけてくる様子はない。警告音は鳴りやまない。

「ん?」

 サイレンが頭に響く中、異変に気付く。怒号が聞こえてくる。ラボではない、窓の外から。私はコッソリと窓に近づき、周囲の様子を観察した。

「おお、これは」

 門の向こう、ラボの周り、たくさんのヒトが走っている。どこかに向かって、何かを叫びながら。彼らはバグを探している。門に視線を移すと、警備員も消えていた。

 なんとか彼らの発言を聞き取れないか、耳をすましてみる。

「バグがでた!」

「バグを修正しろ!」

「バグの存在は許されていない!」

「バグはどこだ!どこだ!」

「バグは認められない!」

 彼らは”バグ”に向かって、四方八方へ散っていく。……直接”修正”しにいくのだろうか。私は手帳を取り出し、ペンを走らせ軽く記録を取る。

 部屋の中の電光掲示板を見ると、得点は未だ勢いよく変化し、今までの最高得点を何桁も飛び越えて更新していた。時々はプラスマイナスの符号が反転したり。挙動がかなり不安定であった。バグだからだろうか。しばらくして、警告音が鳴り止んだ。続いて、ピンポンポーンと軽快な音楽が流れる。

”バグは修正されました” スピーカーから放送が聞こえた。

 瞬間、喧騒が消える。怒号、罵声、それらが不気味なほどピタリと止まった。ラボの内部も外部も同様に。電光掲示板も、動きが穏やかになる。バグが出現する前と似たような点数表示に変わった。

窓の向こう、ヒトビトはすっかりと落ち着きを取り戻した。彼らは満足したのか、方々に散っていった。

 ガチャリ、と部屋の扉が開く。眼鏡の青年が戻ってきた。背を曲げ、深く俯いているため表情を伺うことはできない。

 青年の背後、廊下の方を覗くと、さっき私に大声を浴びせた研究員が肩を下ろしてとぼとぼ歩いていた。

 さきほどまでの気迫はなりを潜め、活力を全く感じない、覇気のない姿に戻っている。

 青年は無言のままパイプ椅子に座る。私もソファに腰かける。青年は両肘を両膝に載せ、深くうなだれている。

「……」

 青年にとっては酷かもしれないが、私もやるべきことがある。

「あの、さっきの続きですけど……」

 机の上のリストを見せ、同じ質問を投げかける。彼はゆらりと顔を上げる。腐敗した魚のような生気が全くない瞳。半開きの口。青い顔色。

「わかりません」

 青年はもう一度繰り返す。

「わかりません」

 これ以上、ここにいてもなにも収穫が無いだろう。別の場所で調査を続けよう。

「……大変なときにすみませんでした」

 私はリストを鞄にしまい、ソファから立ち上がる。

 そのとき、彼の表情が一転、唇をかみしめ涙目になる。勢いよくパイプ椅子から立ち上がると、私の両肩を力強く掴んだ。 

「……わかりません!」

「ええと、それは理解しました。こちらもお忙しいときにご迷惑を……」

「バグを完全に排除する方法がわかりません!」

 青年は、そのまま私の体を前後に揺さぶる。

「マトウさん!お願いです!バグを徹底的に排除するなにか、なにかヒントをください!どんな小さな点でもいいので!」

 頭ががくがくと動き、意識がぼおっとする。

「あ、あの。と、とりあえず放してください……」

 やっと私の体を開放すると、青年はその場に座り込んだ。

「本当、バグに苦しめられているんです。みんな研究所に泊まりっぱなしで、ろくに家に帰れない。ろくに休めない……もう限界です!やれることはやった、と思います。でも……」

 私は驚いた。嗚咽交じりに、彼は語る。あらゆる場所に警備員を張り巡らせる、ポスターを貼って啓蒙活動を行う等々、努力はしている。だがあまり改善がみられないのだ、と。

 彼は立ち上がり涙を拭うと、部屋の床を覆う数々の箱、そのひとつからポスターを抜き取り、平面に広げて私に見せた。

 ポスターには、バグの例がいくつかと、バグを起こすのを思いとどまるよう忠告する文章が長文で印刷されている。バグの例はどれも真っ黒に映っている。

「……同じバグを違う角度から載せてるんですか?」

「いえ別々のバグです!」

「そうですか」

 バグがすべて真っ黒に表示されているから、どれも同じように見える。その上、長い文章が黒い文字でビッチリ書かれているので、もうほとんど真っ黒なポスターになっている。非常に視認性が悪そうな。遠くから見れば、単に黒い物体にしか見えないだろう。

「マトウさん、俺らを助けると思ってどうかお願いします!」

「は、はあ……でも私の……、意味がないと思いますけど、いやその」

 義眼の彼に伝えておく、と言おうかと思った。それが確実だ。しかし約束を思い出した。私の正体がバレてはいけない。

「頼みます!そうだ、これ、タダであげますから!」

 青年は球を手に取ると、グイグイと私の体に押し付けた。はい、と言わないと次に進めそうにない。私はガラス球、それからリモコンと虫メガネも一緒に受け取った。

「引き受けてくれるんですね!ありがとうございます!」

 涙をさらに流しつつ、青年は明るい表情に戻った。

「あ、そうだ。バグに出会ってもあまり無理しないでくださいね。マトウさん」

 真面目な面持ちになり、青年は真剣な口調で続ける。

「もし出会ってもまともに取り合っちゃダメですよ。みんな同じような嘘をついてきます!恐ろしいものなんです」

「承知しました」

「何かヒントが掴めたら、連絡くださいね!絶対ですよ!」

 連絡用に、と通信機をもらった。肩から下げる種類で、弁当箱のような大きな本体。本体からグルグル巻きの線が出て、受話器に繋がっている。それからカソウセカイを持ち運ぶための革ひもも渡された。青年に手伝ってもらい、カソウセカイを背中にくくりつけた。

 私はラボを出発した。眼鏡の青年は私を玄関先まで見送った後、すぐに建物内に戻った。

「さあ、行くか」

 荷物が増えた。カソウセカイ、それから無線通信機。来た時よりも重装備になったなと思いながら、門に向かって歩き出す。

「へえ」

 ラボを囲う金属のフェンス。穴をふさぐためだと思っていた黒い布は、よく観察してみればポスターだった。何枚かは敷地内に向かって貼り付けられていた。研究員でさえもその対象、ということだろうか。しかし、とくに曲がったり破れたりしていないフェンスにもポスターが大量に貼られている。遠目に見ると、真っ黒にしかみえない。彼らの決死の思いが伝わってくる気がする。

 門までの道すがら、まずはどこに行こうかと考える。ヒト通りの多い、にぎやかな場所でいろいろと情報を集めるとしよう。警備員に挨拶をし、門を出る。

「あの、大通りに行きたいのですが」

「それなら……」

 警備員は丁寧に道順を教えてくれた。穏やかな対応だ。さっきバグを捜索していたときのような、狂気的な様子は見られない。説明を終えると、両手を腰の後ろで組み、地面にしっかりと足をつけて立ち、ピシッとした。礼を言い、大通りに向かって一歩歩き出す、

ラボの外に踏み出した。すると、

「うーん、これは……」

 視界に無数の真っ黒な“ブツ”が飛び込んできた。

「なかなかスゴイな」

 私は無数の黒色に見守られながら、大通りを目指した。


* * *

 

 目の前に、不思議な”真っ黒”がある。たくさんある。どこもかしこも黒色だらけ。街はマックロであふれている。

 道行くヒトは、もう慣れっこなのか、気にしていないのか、目に入っていないのか、認識していないのか、素知らぬ顔をして通り過ぎる。

 警備員に教えられた道を移動して、大通りに到着した。地面はレンガ調に舗装され、広い道の両端に様々な建物が並ぶ。今はお昼時で、通りに面した飲食店はどこも賑わっている。

 てっぺんに昇った太陽があたりをさんさんと照らす。手を目前に掲げ、影を瞳に落としつつ空を見上げた。まぶしさに目を細める。

「あの太陽の強さは、パラメータでいうとどれくらいなんだろうか」

 大通りにはヒトが絶え間なく行き交う。そして、みんな球を背負って、リモコンを片手に持っていた。

 私は、植え込みを囲うブロックに腰を下ろす。木陰に入って、あたりを観察する。手帳を取り出して、ペンを構えた。

 誰もが誰かとすれ違うたび、横目で相手の点数を盗み見る。彼らの表情は微妙に変化を見せる。おおっぴらに本音を表に出すヒトはいないが、おそらく心の中で勝った負けたと感情が乱高下しているのだろう。

 時折、高得点のカソウセカイを持つヒトが現れる。彼らは、頭上に球を、両手で掲げる勢いで街を歩いている。周りのヒトビトは羨望と嫉妬に塗れたまなざしを彼らに送る。

 対して、私の”カソウセカイ”は、私の背中で真っ黒な球のまま。得点も0のまま。私の目的は、良い得点をとることではないので、いったんはこれで構わない。

 この次元にやってきたホントウの目的。”カソウセカイ”の調査。

 そして、義眼の彼の依頼。パラメータの選定。

 ついでに、眼鏡の青年からの依頼。バグ防止のための手がかり。まさか、さらに依頼が増えるとは。眼鏡の青年に正体はバレていないと思うが、青年の依頼についてはどうしようか。私が取り組む意味を見出せない。

 ペンを動かして、ここまでの調査内容を軽くまとめておく。こまめに情報を書き留めておかないと、戻った後、泣きを見るのは私なのだ。

 調査対象の”カソウセカイ”。与えたパラメータの組み合わせ・量・時期に応じ、カソウセカイが発展し、得点が計算される。カソウセカイは爆発的に流行し、競技規模が巨大になったことで、点数がヒトビトにとってかなり重要な意味を持つようになった。バグが頻発している。パラメータは有限であるので、理論上の最高得点が存在する。いつか発展限界がやってくる。限界を突破するには――。鞄の中のリストを見つめた。

「どれがいいんだろう」

 私は、周囲を観察する。街灯柱が数百メートルおきに配置されている。柱の上の方に長方形の電光掲示板が据え付けられていた。ラボのものと同様に、最新の最高得点を示していた。

 柱の下部に金属の箱が設置してある。箱から太い配線が顔をのぞかせていた。箱の蓋は開きっぱなしになっていて、配線が何重にも何重にもぐるぐる巻きになって収納されている。全部伸ばすと、かなりの距離を稼げそうだ。

 ヒトビトが街灯柱に向かって長い列をなしている。自らの番になると、配線先の端子を自らのカソウセカイの得点板に差し込む。なるほど。こうやって、得点を随時収集しているのか。もちろん、それぞれの柱にあの真っ黒なブツがきちんと貼ってあった。

 やった!順位が上がった。……、くそ、下がった。……、これで、やっと目標達成だ、などと方々から声が聞こえてくる。

 電光掲示板の数値は常に変化する。が、相変わらず下数桁が細かく変わるだけだ。抜きつ抜かれつの戦い。私はその様子も手帳に書き込む。

 しかし、ヒトビトは、自分の球で視界がいっぱいで、周りの真っ黒なブツには全く気を払っていないような。認識すらしていないような。

 私はリストを片手に、すっと立ち上がった。ぱらぱらと何枚かめくってみる。

「とりあえず、意見を聞いてみよう」

 道行くヒトに直接聞いてみた。どのヒトも、私が話しかけた瞬間、ちらりと私のカソウセカイを盗み見た後、自身のカソウセカイへ視線を戻す。

「あの、少しカソウセカイについてお尋ねしたいのですが」

 私は、いくつかパラメータ候補を読み上げて、希望を尋ねた。いくらかヒトを捕まえた結果、

「今忙しいんで」

「……よくわかりません」

「無駄な時間を過ごさせるな」

「うーん、それってどういう質問?」

「意味不明なことに付き合う暇はない」

「はぁ、理解できないわ」

「……それじゃ」

 成果はゼロ。誰ひとり、まともに答えてくれない。自分のカソウセカイを見つめたまま、私とはろくに目も合わせずに過ぎ去っていく。ここまで反応が良くないとは。だが、なにか反応を返してくれたヒトはマシな部類だ。無視していくヒトが圧倒的に多かった。もうひとりぐらい、尋ねてみよう。

「あの、カソウセカイについてお聞きしたいのですが」

「はあ?なにそれ、うわ、アンタさぁ」

 少し違った反応が返ってきたな、と思ったが、このヒトは私の背中を指さして、

「うわ、背中のソレ、真っ黒でバグって……うわ、0点? えっ0点!? 0点!そんな階層の雑魚に話しかけられるとか。うっわ、屈辱」

 0点、0点の連呼で、周りの視線が一気に私に集まる。数多の目がじろりと私を睨む。聞き取り調査どころではなくなってしまった。

 視線から逃れるため、建物と建物の間をすり抜けて、大通りから離れる。あまりヒトがいないところへ一時避難した。大通りから一本二本奥に入った細い裏路地に出た。ここでカソウセカイを発展させてしまおう。

 さっきのヒトビトの態度。カソウセカイの得点が評価基準のひとつまで成長しているので、あまりに点数が低いと意思疎通に影響がでるようになっているらしい。

「あれ。ここにもあるのか」

 路地裏の壁を見てみると、いたるところにポスターが貼ってあった。

「あーあ、破られてるな……」

 何枚かは破られ、地面に散らばっていた。小さくて真っ黒い山ができている。

「反抗ってやつかな」

 私は、リモコンをズボンのポケットから取り出して、カソウセカイにパラメータを与える。ある程度の得点、ヒトと問題なく会話ができるぐらいの点数を目指す。

「ええと、ラボで与えたパラメータは」

 記憶を振り返りつつ、パラメータを追加していく。パラメータを与えるたびに、真っ黒な球が少しずつ変化を見せ、発展していく。徐々に点数は上がってきたが、情報を集めるにはもう少し得点を上げたほうがよさそうだ。

「……かと言って」

 迅速に点数を上げようとして過激なパラメータを与えると、カソウセカイは初期化されてしまう。

「調査のためにも、手っ取り早くある程度の得点を出したいが」

 攻略の手がかりを少し聞けないかな、と思い、私は彼に連絡する。呼び出し音が何度か鳴る、が、応答はない。彼なら確実に攻略法を知っているはずなのだが。

「つながらないな」

 コツを聞き出すのは諦めて、私はリモコンをポチポチと動かす。比較的平穏なパラメータを与え、わずかだが着実に発展を続ける。しかし、なんともじれったい。下三角ボタンを押して、パラメータを切り替える。過激なパラメータ以外を適当に与えていく。単調な作業に、くわあとあくびが出た。その間、手元を止めておくつもりが、間違えて決定ボタンを押してしまった。

「しまった。今、何のパラメータを与えたんだ?」

 慌ててリモコンを確認するも、戻すとか取り消しとか、そういう類のボタンは見当たらない。

 虫メガネを取り出した。破滅の兆候が無いかどうか、球を注意深く確認する。

 球の表面で、せわしなく動き続ける無数の粒。与えられたパラメータをやがて使い切り、停滞期に入った。絶滅する様子はない。私は、ほっと息を吐いた。球はじっとして、私がナニカまたパラメータを追加するのをじっと待っている。もう少しパラメータを与えておこう。今度は、間違いを犯さないように慎重に操作をした。

「ん?」

 細い路地裏で、私はひとつ発見をした。

「これはたしか、パラメータ候補に入ってるやつだ」

 カソウセカイに、候補のうちのとあるパラメータがすでに出現していた。

 リストを作成する際に、候補パラメータの抽出条件を誤ったのかもしれない。これは候補から外れるだろう。リストの当該ページに、ペンで一本、横線を引いた。

 そうこうしているうちに、私のカソウセカイは大幅な発展を遂げた。これぐらい育てれば十分だ。大通りに戻ろう。リストをじっと見る。候補がひとつ減ったとは言え、まだまだ対象が多い。紙を凝視しながら歩いていたところ、ナニカに足をひっかけて転びそうになる。

「うわっ」

 すぐ体勢を立て直し、転倒を回避する。私は何に躓いたのか。地面を確認する。

「わ、ポスターのゴミかと思った」

 足元に、黒い物体が落ちていた。軽く見渡すと、他にも同じようなブツがぽつぽつとあった。ヒトビトは、カソウセカイに没頭しながらも器用にぶつからずに避けていく。しかし、認識すらしていなさそうな感じだ。

 大通りに戻る途中、道端で座っているヒトがひとり。背中しか見えないが、体が小さく揺れている。今の私の点数なら、まともに会話ができるだろう、と近づいてみる。

 あの、と声をかけようとして止めた。そのヒトはしゃがんで、ナニカをつついていた。真っ黒なナニカを。厚くて黒い表皮に覆われ、中身が見えない。表面が波打ち、どくどくと脈打っている。イキモノなのだろうが、正体がわからない。そのヒトはソレを摑んだり、地に落としたり、じっと見たり。両手をイキモノの一部にかけると左右に引っ張った。皮を剥ぐように。

 異様な光景に、周りは遠巻きにそのヒトを眺めている。

 イキモノが反撃し、そのヒトは両手や顔に怪我を負う。けれど、諦めない。怪我をしても、頭と体を使って中身をひきずりだそうとしていた。ひそひそとつぶやく声が聞こえる。

「何よあれ」

「何をやってるの」

「一体、何をやってるの」

「わたしたちには理解できないわ」

 

* * *

 

 私は大通りに戻った。ためしに、電光掲示板の柱にカソウセカイを接続してみる。順位を確認できた。……まあ、これぐらいの成績なら誰かは話を聞いてくれるだろう。道行くヒトに声をかける。

「すみません。少しお聞きしたいのですが」

 そのヒトはちらりと私のカソウセカイを見た。

「はい、なんですか」

 今度はまともに対応をしてもらえた。リストの中から、いくつかパラメータを選んで意見を聞いてみる。先ほどと同じように、いくらかヒトを捕まえて同じ質問をした。ヒトビトはこう答えた。

「えーと、難しい質問ですね……」

「ううん……。ごめんなさいね。よくわからないわ」

「申し訳ない。お答えできません」

「すまんの。わしの頭では力になれないみたいじゃ」

 会話はなんとかできるようになったにしても、返答の中身はあまり変わらなかった。パラメータを選定するための判断材料がほとんど集まらない。声をかけたヒトはみな、さっさと会話を切り上げて、自らのカソウセカイへ注意を向けた。”今”のカソウセカイで手一杯で、対応する余裕がない、ということかもしれない。

 であるならば、仮にパラメータを更新しても、進化についていけないヒトも出現しそうだ。まあ、そこは義眼の彼としても、仕方がないと納得しているのかもしれない。

 私は、最初に座っていたあたり、植え込みを囲うブロックにもう一度座った。空が夕焼けに変わっていく。意外にも時間が経過していたようだ。義眼の彼が設定した期限は、明日。さて、次の一手はどうしようか。そろそろ変則的な手段も検討する頃合いか。色々と考えを巡らせていると、

ビーッビーッと鳴り響く警告音。”バグが出現しました。バグが出現しました。”

 辺りの空気がガラリと変化する。ヒトビトは一斉にカソウセカイから目を離し、四方八方に散らばっていく。一番近くの街灯柱、電光掲示板を確認すると、すでに表示がおかしくなっていた。ついさっきまでの最高得点を何桁も更新し、チカチカと表示が忙しく切り替わる。 

「バグはどこだ!」

「修正だ!修正だ!」

「見つけ出せ!」

 老若男女問わず、狂ったように叫ぶ。雄たけびを上げて暴走する。ラボで見た光景と同じだ。もし私が、バグを起こした管理者に一番に接触できれば、なにか情報がつかめるかもしれない。

「……行くか」

 群衆に紛れ、私も駆けだした。


* * *


「いたぞ!」

 近くで叫び声が聞こえた。無秩序だった群衆が、一斉に声の方に移動する。私も同じ方向へ急いだ。

 大通りからだいぶ離れた、とある袋小路に男が追い詰められていた。すでにいくらかのヒトビトが男を取り囲んでいる。叫び声を聞きつけた他のヒトが背後から次々に訪れ、袋小路はすぐに満員状態になった。

 当の男は、かなり取り乱している。

 両手でカソウセカイをぎゅっと抱え、顔に汗を浮かべ逃げ道を探している。まだ、男が自由に動ける小さな範囲の中を、足をもつれさせながらあっちへこっちへウロウロする。だが、群衆はジリジリと彼の退路を断つ。とうとう、男の背中が壁に当たった。男はカソウセカイを後ろ手に持ちかえ、群衆から守っている。ちらりと、見えた彼の得点は、たしかにバグを起こしていた。

 駆けつけたヒトビトから男を罵倒する叫び声があがりつづけている。袋小路でも、例の真っ黒なブツがあちこち張り付いている。

 男はうなり声を上げると、カソウセカイを片手に抱え、壁に振り向く。空いている手で真っ黒なブツを剥がそうとした。彼の爪の痕が、壁の表面に残る。

「おい何やってるんだ!」

「これ以上意味不明なことはやめろ!」

 群衆は手を伸ばし、彼のカソウセカイを奪おうとする。男は壁に向いたまま、カソウセカイを両手で抱え直すと、腹に押し当て、包むような体勢をとった。男の背中に、群衆の怒りが突き刺さる。

 男の体の隙間から見えるカソウセカイは、ところどころ真っ黒になっている。バグが出現しているのが一目でわかった。

「お前!バグを起こしたな!」

「理解ができねえよ!」

「秩序が!」

「これは存在してはいけないものなんだよ!」

 違う!男は群衆に振り返る。一転、カソウセカイを両手で下から支え、高く掲げた。夕日がガラス球を照らす。橙と黒が、強いコントラストを描く。バグは、カソウセカイの表面に広がって、うぞうぞと蠢いている。

 違う!男は群衆に繰り返す。ワタシはあるパラメータを新発見したんだ!これはバグじゃない!と主張する。周りのヒトは嘘をつくな、なら証明してみろと怒号を飛ばす。男はしどろもどろに説明を行う。民衆はいったん静かに、男の弁明を聞いていたが、

「ペラペラと意味のわからないことをしゃべりやがって!」

「ただのバグだろう!ワシらにはそうにしか見えないね!」

「適当を抜かすな!」

「見え透いた嘘はやめろ!」

「理解ができないね!」

「気が狂ってるんじゃないのか!」

 と攻め立てた。私も男の話を聞いていたが、正直ほとんど理解できなかった。

 違う!男は群衆に懇願する。けれども、訴えが通じないとみると、再びカソウセカイを抱きかかえ、壁に振り返り、その場でしゃがみこんだ。

「ああ、来た!ほら、もう一度繋いで修正を受けろ!」

 誰かが、電光掲示板の配線を袋小路まで伸ばしてきた。あぁ、だから配線はあんなに長かったのか。球を接続することで、ラボから遠隔でバグを修正するのだろう。

「いや、戻さないぞ!やっと、やっと……」

 群衆がカソウセカイを取り上げよう、と手を伸ばすが、男は全力を振り絞り抵抗する。地面に体をこすりつけて、決死に守っている。

「仕方がないですね。みなさん、通してください」

 落ち着いた声が袋小路に響く。群衆の背後から、警備員が現れた。ラボの門近くにいた警備員と同じ格好をしている。警備員は、巨大な頭のハンマーを持っていた。彼は、男のカソウセカイを見ると、

「想定外の振る舞いは修正します」

 警備員は彼に向かって、ハンマーを容赦なく振り上げ――彼ごとカソウセカイを破壊した。パリンと鋭い音が響く。四方八方に真っ黒なブツがこびりついた。ついさっき男が、半狂乱になって壁につけた爪痕をも覆い隠す。男はその場に倒れこんだ。

 ピンポンポーンと軽快な音楽が流れる。

”バグは修正されました”――スピーカーから放送が聞こえた。

 袋小路に静寂が訪れた。群衆は口を開くことなく、自発的に解散していく。壁に飛び散った、カソウセカイだったモノ。こびりついた真っ黒なブツに、誰も興味を示さない。あんなに激しく抵抗していた男でさえ、男でさえ、すっぱりと諦めてすっと立ち上がり、どこかへ去っていく。

 私は、飛び散った黒いブツが気になり、じっと観察した。

「……」

 近くに貼ってあるポスターと照らし合わせる。たしかに、同じように見える。カソウセカイの成分だと思うが、真っ黒くて中身がよくわからない。指で軽くなぞるが、皮膚に少しもくっつかない。ちょっとひっかいたぐらいじゃ、傷一つつかない。

 僅かに残っていたヒトを急いで呼び止め、ブツを指さして問いかけた。

「何もないけど」

「何もないわ」

「何もないよ」

「何もない」

 誰もが全く同じ回答をする。私が指さしている方を見ようともしない。

 袋小路に残っているのは、とうとう私ひとりとなった。シンと静まり返った空間。バグの残骸を、ラボの関係者が回収にやってくるかと思いきや、誰も現れない。そういえば、似たようなブツが大通り、裏路地……いろいろなところにあったことを思い出した。

 私は、一連の騒動を手帳に書き記した。ついでに、壁に貼りついた残骸についても情報をまとめようと、残骸に顔を近づける。

 真っ黒な物体、と書いたところで手が止まった。それ以外、どう表現すればいいのか、

「わからない」


* * *


 日は傾き、空は暗くなり始めている。少しの間、うんうんと考えてみたが、どうにもペンが動かない。私は諦めて、手帳をズボンのポケットにしまった。

 瞬間、背後から足音が聞こえた。振り返ると、少年がひとり立っていた。彼は肩に白いトートバッグを下げて、ムッとした表情でこちらをわずかに睨んでいる。

「ちょっとどいて」

 少年は私に近づくと、ぶっきらぼうに言い放つ。若く芯のある声だ。私が素直に横に寄ると、少年は、カソウセカイが飛び散った壁の前に立った。

「君、どうしてここに?」

「仲間を弔いに」

彼は目をつぶり、壁に向かって祈りの姿勢をとった。少年は顔を左右に動かし、袋小路に私と彼しかいないことを確認すると、小さな声で

「……アンタ、バグに興味あるの?」  

と聞いてきた。

「まあ、あると言えばあるけど」

「フーン。じゃあこれ」

 ニヤと小さく笑うと、彼は肩にかけた白いトートバッグから、黒色のバッグを取り出した。ふたつめのバッグは布の表面が丸く盛り上がっている。中身はカソウセカイだろう。予想は正解で、中からカソウセカイが出てきた。

「ん?」

「ほら、よく見てよ」

 少年は少し苛立った様子で、カソウセカイを指さす。たしかに、外側のガラス球に付属した液晶部分、得点を示すその箇所はとんでもない数字をたたき出している。チカチカと点数が変動する。計算プログラムがエラーを起こしているのがハッキリとわかる。しかし、

「もー、反応が薄いなあ」

「え、あぁ。すまない」

 少年のカソウセカイをジッと見つめる。見当たらない。見つからない。得点はたしかに、カソウセカイにバグがあることを示しているが、真っ黒なバグがどこにもない。

「あれ、アンタ、もしかしてあんまり興味ない?……。まずい、通報される……。オレ、それじゃ!」

「待って!」

 逃げ出そうとした少年をなんとか捕まえる。決して通報しないから、いろいろと聞かせてほしい、と頼みこんだ。少年は驚いた顔をした後、目を輝かせ、私の申し出を快諾した。

 私は、ポケットに押し込んだ手帳を取り出す。

「君はバグを起こした、それで間違いない?」

「そうだよ」

 少年は得意顔で胸をはる。

「じゃあ、なんで」

 耳をすませても、あの警告音は全く聞こえてこない。

「なんで、って……。だってオレ、柱の配線に繋げる気ないもん。得点を順位に反映させない限りは、警備員はすっとんでこないでしょ」

「なるほど」

「ヘンなの、生まれたときから知ってるでしょ」

「いや、うん」

 私は正体がバレないように繕いながら、少年の証言を書き留める。

「あとは、まあ、警備員の抜き打ち検査を潜り抜ければ大丈夫。今まで何回かバグらせてるけど、オレ、捕まったことないし」

 眼鏡の青年が言っていたことを思い出した。あらゆる場所に警備員を張り巡らせている、と。警備員たちが、無作為にヒトビトのカソウセカイを確認してバグがないかを検査しているのだろう。

 だが、もし検査でバレてしまえばヒドイ目に合うというのに、少年はケラケラ軽快に笑っている。

「で、どういうバグなんだい?」

「どういう……、ってフツウのバグだよ。ほら球の表面を、あっちこっちにテキトーに動き回っているでしょ」

 彼は顔をカソウセカイに近づけ、じぃっと中身を見つめている。少年の瞳はきらめき、おそらくバグの動きに合わせて視線が動いていた。

 少年のカソウセカイの点数は相変わらず素早く切り替わっている。ちかちかと点滅し、自らの存在を強く主張する。

「しかし、すごい点数だな」

「えー、そう?オレ、点数なんかどうでもいいよ。面白いからやってるだけ」

 少年は目を細め、口角をあげ心底楽しそうに、自分のカソウセカイを眺める。私も再度球を覗き込んでみる、が。

「うーん、みえないなあ……」

 何度見ても、私の目には正常なセカイに映る。少年はキョトンとした顔をする。

「えっ。アンタさあ、バグが見えないの?」

「実はそうなんだ」

「両目をかっぴらいて見てみたら?両目で、だよ」

「……」

 少年は気を利かせ、虫メガネを渡してくれた。私は虫メガネを片目に当てて、拡大された表面を真剣に見つめる。顔を動かして、上下左右、あらゆる角度から覗き込んだ。しかし、真っ黒な箇所、バグは見当たらなかった。

「うーん……」

「……もしかしてなんだけど、オレにだけバグが見えてる、とか?」

 少年は俯き、声が小さくなる。不安にさせてしまったようだ。

「いや、たしかにバグは起こってる、と思う。点数が異常になっているし」

「うん、そうだよね。へえー、アンタには見えないのか。だったらアンタ、頭がさ」

 そこで区切ると、少年は私を羨ましそうな瞳で見つめる。

「良いのかもね」

 予想と真逆のコトバが飛んできた。

「どういうこと?」

「さあね。ま、そのうち理解できるんじゃないの」

 すっかり辺りは暗くなり、完全に夜が訪れた。義眼の彼が設定した期限は明日。少年に聞けそうなことを全て聞いて、早めに解散したほうがいいだろう。虫メガネを少年に返して、私はペンを握った。

「で君は、バグをどうやって作ってるの?」

「俺は作ってないよ。もともとバグは潜んでるんだ」

「もともと……」

 ふむ。実は、見逃している不備があるとか、そういう感じだろうか。ラボの様子から、そこまで手が回っていなくても驚きはない。私は手早く情報を書き留めながら、質問を続ける。

「君は何故バグを出現させてるんだ」

「うーん、さっきも言ったけど面白いから。欲?コーキシンってやつ?」

「ふうむ」

「バグが”ある”ならさ、その正体を確かめてみたくなるもんだよ」

「そのキモチはわからなくもないけど」

 ガサガサ、と少年はカソウセカイを黒色のトートバッグに入れると、それを更に白色のトートバッグにしまった。白色のバッグは分厚い布で作られていて、表面に曲線は現れていない。傍目には、カソウセカイが入っているとすぐにわからないだろう。こうやって、警備員やヒトビトの目を逃れているのか。

 そうだ、バグの件だけじゃない。パラメータの件についても聞いてみよう。有益な情報が得られるといいのだが。

「君」

「なに」

「君はどれが良いと思う」

 私は鞄からリストを取り出し、彼に提示した。

「ううーん」

 少年は私からリストを奪い取ると、顔をぐいっと紙に近づけて、視線を上から下に動かす。

「わからねえ!読めねぇ!……わからねえ!」

 唇をまっすぐに結び、口角はやや下がって、眉間にシワが寄っている。それでも、なんとか理解しようとして、紙面を見つめている。少年の手に力が入り、リストの端が波打つ。

「……オレ、なんていうか頭が良いわけじゃないからさあ、直感型だから。難しいことはよくわかんないんだ」

 だが、少年はすぐに諦めず、何枚かペラペラとめくり、どれか理解できそうなモノを必死に探す。

「ああ、ひとつだけ、微妙に……強いて言うならこれかなあ」

「ありがとう。参考にするよ」

 手帳に滑らせていたペンをリストに移し、少年が指さしたパラメータに丸印をつけた。

「じゃあ、そろそろ私は行くよ。協力してくれてありがとう。助かったよ」

「いえいえ。オレも楽しかったし」

「それは良かった」

「じゃあ、オレは帰ってやることがあるから」

「やること?」

 少年は顔をふいと動かす。男のカソウセカイが飛び散ったあたりを静かに見つめた。

「祈るんだ」

 少年の指が、バグだったものをなぞっていく。

「このヒトもさ、祈れば助かったかもしれないのにね。そう、こんな風にさ」

 天を仰ぎ、祈りの姿勢をとる。

「お願いです、xxxxを外してください」


* * *


 少年と別れ、義眼の彼が手配した宿に向かう。なかなか高級な宿を設定してくれたようだ。しかし、飯は不味かった。部屋に入り、ベッドの上でゴロリと横になった。

「……」 

 パラメータ一覧を両手で持ち、目前に掲げた。紙の端が少しヨレている。少年が握りしめた跡だ。

「さて」

 通信機を取り出す。彼を呼び出す……呼び出し音は鳴るものの、なかなかつながらない。

 少し汗が出る。ヒヤリとする。ちゃんと通話できるかどうか試しておくべきだったか。

『はい』

 義眼の彼が応答した。ホッとする。

「マトウです。私の意見もまとまりましたので、そちらへ戻ります」

『わかりました。明日、お迎えに行きます。ところで、パラメータは決まりましたか』

「ええ」

『よかった。今からなら検証が間に合いそうだ。徹夜で対応すれば、予定を前倒しにできそうです』

「そうですか」

『ああ。なるべく早く更新するように、と上から言われているんです。それで、マトウさん。教えてください』

「はい、――」

 通話が終了した。迎えは明日、朝一で宿の正面で、とのことだ。

 案件もそろそろ終了か。部屋の机に置いた無線通信機に目を向けた。眼鏡の青年は、今この瞬間もラボで働いているのだろうか。青年には連絡をしない。青年の件で、真に相談すべき相手なのは義眼の彼であろう。私と眼鏡の青年でバグについてあれこれ話してもあまり意味がないのだ。

 ベッドに寝ころんだまま、手帳を取り出す。ページをめくり、今回の案件のメモを眺めた。記述が足りないと思う箇所に情報を追記していく。記憶を確実にするため手を動かす。

「……今回も、ハズレかな」

 私は、手帳の一番新しいページ……、今回の案件の情報を書き留めたページ、最下部の空白を見つめる。

 もう寝よう。手帳をしまい、灯りを消して、目を閉じる。

 ビーッビーッ、警告音が聞こえる。続いて、怒号、罵声、悲鳴。

 喧騒を子守歌に、私は眠りについた。


* * *


 もうそろそろ迎えがくる時間だ。私は荷物をまとめ、宿を後にする。一歩外に踏み出した瞬間、 

ビーッビーッと鳴り響く警告音。

”バグが出現しました。バグが出現しました。”

 空気が一変し、誰もが血眼になってバグを探す。宿からもヒトが飛び出してきた。激怒し、叫び声をあげ、ヒトビトは狂気的に駆けずり回る。

 最寄りの電光掲示板に視線を向けると、見覚えのあるような点数表示。あれは。

「見つけたぞ!」

 すぐ近くで声が聞こえる。ほんの数メートル離れたところで、ハンニンが捕らえられたようだ。そちらに視線を向ける。

「お前か!バグを起こしたのは」

「フン!」

 やはり、あの少年だ。どうして。カソウセカイをシステムにつながない、と言っていたハズだが、欲に勝てなかったのだろうか。

「いいか、戻せ!バグを無くすんだ!」

「おい見てみろよ!得点が!」

「特にひどいな……」

「このガキ!」

 少年の周りにヒトビトが集い、絶え間なく罵声を浴びせる。少年は体中に傷をつくりながらも、カソウセカイをしっかりと抱きしめ、彼らから守ろうと必死に抵抗していた。カソウセカイから紐のようなものが垂れている。

「なんだよ!お前らが勝手に配線をつないだんだろ!くそっ……」

 群衆の中にいくらか警備員が立っている。どうやら、少年は見回りをしていた警備員に見つかってしまったようだ。カソウセカイにぶら下がっている紐は、ちぎれた配線だろう。

「ごちゃごちゃ言うな!」

「バグを起こすクズが、秩序を乱すクズが!」

「ほら!はやく渡せ!」

「もう一度つなげ!修正してやる!」

 怒号が少年を襲う。しかし、少年は、

「やだ!オレが、オレのだ!」

 奪われまいと必死に球を守っている。少し向こうの方から、巨大なハンマーを持った警備員が走ってくるのが見えた。

「いいか!戻せ!バグを無くすんだ!これは最後通告だぞ!」

 誰かが配線を持ってきた。端子部分を摑み、ずいっと少年の目前に差し出す。

 少年は、

「やだね」

と答えた。べーっと舌を突き出している。

「バグはいくら修正したってあるんだ、それこそいくらでも」

「お前らが認識してないだけだ」

「なにも気づいてないくせに」

 ビーッビーッと鳴り続ける警告音。はいと言わない少年に、ヒトビトは凶器を振り上げた。

 ズボンのポケットの中、通信機が震える。義眼の彼からだ。

『今から、マトウさんの案を実行します』

ぱち、とひとつ瞬きをする。視界の明度がわずかに上がった。

「マトウさん、迎えに来ましたよ」

 頭上から彼の声が聞こえる。私の視界は、真っ黒になった。


* * *


 目の前に、不思議な球がある。球が二重になっている。外側の透明な球の中に、二回りほど小さい球が浮かんでいる。中身の球の表面に、真っ黒な物体がもぞもぞと動いている。

ピンポンポーンと軽快な音楽が流れる。

”バグが修正されました。”――スピーカーから放送が聞こえた。

「いかがでしたか、カソウセカイは」

真っ黒な物体は修正され、いや、その被膜を外して――、


* * *


「マトウさん、お疲れさまでした」

 義眼の彼はローテーブルに、ティーポッドとカップを置く。はじめ、ここに訪れた時と同じ香りが漂ってくる。私は調査を終え、彼の研究室に戻ってきた。正確には、”体”は研究室に存在したままで、”意識”だけが戻ってきた。

「どうでしたか。カソウセカイへの没入体験は。まだ試作段階ですが。大規模改修の目玉なんです」

 私は研究室の隅に目を向ける。私をカソウセカイに連れて行っていた機械。ヒトほどの大きさのカプセル。プラスチックの扉が開いたままになっている。カプセルの中から細い配線が何本もゴチャゴチャとはみ出している。配線の先に、白く丸い電極パッドがついている。さっきまで、私の体のあちこちに張り付いていた。

「ええ、すごかったですよ。まさに現実にソックリなセカイでした」

 ソファの隣にスクリーンが下りている。その幕に、私が体験したカソウセカイ――”下層”の”仮想”世界――の様子が映っている。

「それはよかった。リアリティを持たせるため、いろいろと工夫してますから」

 カップに黒い液体が注がれる。湯気が立ち上がり、よい香りがいっそう部屋に広がった。私はカップの中身、正体を知っている。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

「一応、平均的な意見を参考にしたかったので、得点の偏差値が五十ほどのカソウセカイに入っていただきました。没入体験が可能になったといっても、パラメータの管理は、まだ外部からするしかないんですが」

 私は、ヤケドしないようにゆっくりとカップを傾ける。美味しい液体が胃を満たす。

「そういえば、マトウさんからの呼び出しがあったようでしたが。応答できず、すみませんでした」

 ああ、たしかカソウセカイのヒントを聞こうと思って、一度、義眼の彼に発信をしたんだった。

「早速、マトウさんの意見を取り入れました。ほら、見てください」

 彼は手を掲げ、人差し指と親指をくっつけて離して、スクリーンに映っているカソウセカイを拡大する。

 あの少年が胴上げされている。群衆は少年に対して、惜しみない拍手を送る。群衆の一部は、涙を流している。カソウセカイの中では号外が配られていた。”歴史的記録更新! 突如現れた伝説的少年……”

 義眼の彼を真似て、私も宙で手を左右に振る。カメラが切り替わった。少年近くの電光掲示板を見つけた。昨日の夜、少年のカソウセカイが示していた点数が正規のものとなったのだ。

「声が聞こえにくいですね。音量を上げます」

「すみません、ありがとうございます」

 カソウセカイの中のスピーカーは、速報を流す。

『最高得点の更新をお知らせします。大幅に更新です!快挙です。新パラメータを巧みに組み合わせて、少年が……』

群衆は少年と、それから彼のカソウセカイを眺め、称賛の声を上げる。

『わあああああ!すごいぞー!』

『やるな!少年!』

『素晴らしい!』

『綺麗なもんだ!』

『よし、さっそくワシらも使ってみるぞ!』

 私が先ほどまで潜入していたカソウセカイでは、新たなパラメータに湧いていた。我先に、とみなリモコンを必死に操作している。

 義眼の彼に視線を移す。顎に指を当てて、少し困ったような顔をしていた。

「うーん。現場。ああ、”現場”は、このラボの別の階の部隊のことです。彼らがバグの修正を完了する前に、僕がパラメータ解禁処理をしたので、こんな感じになってしまったようですね」

 義眼の彼は、私がカソウセカイに入って最初に訪れたラボ、死屍累々の模様が広がる小規模のラボのカメラを選択した。眼鏡の青年が両手をあげて、喜んでいる。

『なぜだか知らないが、新しいパラメータの案が降りてきたぞ!』

「僕がパラメータを解禁してすぐに、新パラメータをカソウセカイの中の、疑似カソウセカイに反映させたようですね」

 スクリーンは、また少年を映す。

 打って変わって、少年を賛美する群衆。しかし、当の少年は称賛には無関心。どうでもよさそうな表情をしている。ちっとも嬉しそうではない。やがて、そんなものには興味がない、と取材や握手、その他諸々を断り、ヒトビトをかき分けて、どこかに行ってしまう。

 少年は、また袋小路を訪れた。壁の前に立つ。そして、少年は真っ黒いブツに手を伸ばし、両手に力を入れ、爪が折れるほどの強さで、皮を引きはがした。瞬間、彼の体がモザイクがかかったように、黒くなる。

ビーッビーッと鳴り響く警告音。

”バグが出現しました。バグが出現しました。”

 義眼の彼は、はぁ、と重いため息をついた。怒りのにじんだ声で、現場に指示を出している。

 少年は、この次元を訪れて最初に見たバグ。それとそっくりに変身した。

 袋小路で、不自然なほどスッと正気に戻った男も、義眼の彼からすれば、そういう風に移っていたのだろうか。

「このバグについても、現場がすぐに対応します」

 彼は手を宙で動かした。現実の報道番組がスクリーンに表示される。

『速報です。カソウセカイが更新され、パラメータが解禁されました。さっそく、各管理者が、パラメータを試し……、すでに……、盛り上がりが……』

ピンポンポーンと軽快な音楽が流れる。

”バグが修正されました。”


* * *


 現実の、各地の様子を番組が映す。

「それにしても、新しく追加されたパラメータに大勢が反応していますね」

「……実は、厳密に言うと”新”ではないんですけどね」

「そうなんですか」

「ええ、もともと全て導入してありますので」

 机の上には、ティーセットのほかに、紙の束が置いてある。表紙に印刷された文字は、候補パラメータ一覧。丸印はひとつもついていないし、少年が握った跡もない。きれいな新品だ。彼はリストを手に取ると、私の目の前に掲げて、ペラペラとページをめくる。

「最初から、カソウセカイにはすべてのパラメータが要素として入っています」

 彼は白衣から万年筆を取り出し、リストの表紙に文字を足した。”解禁”候補パラメータ一覧。

「ですが、もともとカソウセカイの中には存在している、といっても管理者が使えるのは、我々が”解禁”処理を施したパラメータのみです」

 彼はペンを置き、代わりにカップを取る。

「では、未解禁のパラメータがなんらかの形でカソウセカイにあらわれたら?」

「黒塗りで表示されます。まあ、いってしまえばそれがバグの正体ですね」

「へえ」

「僕たち、つまり上位の存在が、パラメータを”解禁”したとき、下層はそれを認識できるようになるんです。それまでは、決して下層は未解禁のパラメータの気配すら感じ取れない、はずなんですけどね……」

 彼はカップを置くと、深くうなだれた。

 バグの正体は、存在はしているが未解禁のパラメータ。であるならば、もともとパラメータを導入しておく意味はあるのだろうか。義眼の彼も、カソウセカイを遊んでいる管理者たちも、バグを好ましく思っていないのに。

「でしたら、解禁、ではなく、都度新しいパラメータをカソウセカイに追加、という形にすればいいのではないでしょうか」

「うーん……、その通りなのですが」

 彼は長いため息をつく。

「我々ももちろん試してみたんですが。いやはやどうにも、最初からパラメータは全部入れておかないと、うまくカソウセカイは動かなかったんです」

「そうなんですか」 

「ええ。なので、バグを出現させない試みや、出現後に速やかにバグを修正する方法を色々と模索しています」

 義眼の彼は、長方形の板状の端末を机に乗せ、いくつか対策案を説明する。

「例えば、バグ、つまり未解放のパラメータの出現を感知したら、カソウセカイのイキモノが、バグを弾圧・修正をするように設定してあるんです」

「へえ」

「でもそれだけじゃ、十分じゃないんですよね。バグは、それ自体ももちろん。バグを起こす管理者もバグみたいなものですよ。はぁ……」

 どうして解禁していない、黒塗りのものを見つけてしまうんだろう……と彼は小さな声でつぶやいた。

 少年のことばを思いだす。“欲”。パラメータの解禁前後で一転、少年を称賛していたイキモノたち。もし彼らが、パラメータがすべて上位層に管理されている事実を知ったならどう感じるのだろうか。


 さて、そろそろこの案件は終了だ。本来の目的・カソウセカイの調査、義眼の彼の依頼・パラメータの選定、両方が完了した。眼鏡の青年の依頼、バグを排除する手がかりだが、青年にとって上位の存在である義眼の彼が、バグに対してこれからも取り組んでいくだろう。いい結果が出ることを祈っている。

「では、そろそろ私は失礼します」

「マトウさん、今回はありがとうございました。助かりました」

 義眼の彼は丁寧に礼を告げた。

 私は鞄を腰に巻き、ここを去る準備をする。

「あぁ、そう言えば。カソウセカイの中に、更にカソウセカイに似たものがあるとは、と驚きました」

「そうですね、そのように発展を遂げるカソウセカイも少なくないですよ」

「へえ、そうなんですか」

「発展の大まかな道筋は、現実とだいたい一緒になりますから」

 義眼の彼は、ラボの入り口まで見送ります、と告げた。

「なんにせよ、私が少しでもお力になれたのならよかったです。できれば、次は、もっと美味しい飲み物でも解禁していただければ」

 私は、小さなラボで眼鏡の青年にご馳走してもらった飲み物を思い出した。なかなかに強烈な味をしていた。

「うーん、そうですね。美味しい食事、というのは発展のために必要なものですしね。検討します」

 リストを手に取ると、彼はペラペラとめくっていく。

「ただ、すでに解禁したパラメータの数が膨大で、ひとつパラメータを解禁するのでも検証がタイヘンなんですよね。まだ、あとこれぐらいは残ってるんですよ。黒塗りのパラメータ」

 彼は、端末を取り出し、指で操作をすると私に画面を見せてくる。数字が表示されている。未解禁のパラメータの総数だろう。

「今回、新規パラメータを解禁したことで、しばらくは発展限界は来ませんけどね」

 ピロリン、とまたもや速報の音が響く。スクリーンに目を向けると、上部に白い文字で一行、”詐欺師の男。いよいよ、処刑”と表示されていた。

 義眼の彼の表情が一気に険しくなる。彼は慌てて、番組を変更した。

 どこかの建物の壇上で、男が処刑寸前になっている。暗い画面の中、男の前に紐がだらりと垂れていた。紐は、処刑台に繋がっている。

「あの、この男は、たしか……」

私は義眼の彼に話しかけたが、彼は私のコトバが聞こえているのかいないのか、スクリーンを一心に見つめている。この男、このラボに来た際に、スクリーンに映っていた。詐欺だと周囲から糾弾されて、身の潔白を叫んでいたと記憶している。たしか、その時、真っ黒なナニカを抱えていたような。

 彼は眉間にシワを寄せ、キツイ目つきでスクリーンを睨んだ。ローテーブルに足をぶつけたのも気にせず、勢いよくスクリーンに近寄る。義眼の彼は、片手の端末を力強く握り締め、後ろ姿をふるふると震わせていた。

「ああ、コイツは、」

 ぱち、とひとつ瞬きをする。視界の明度がわずかに上がった。

「ああ、この方は、」

スクリーンの上部、白い文字で一行、”偉大な博士。いよいよ、受賞式”と表示されている。

 どこかの建物の壇上で、男が称賛されている。明るい画面の中、男の前に紐がだらりと垂れていた。紐は、くす玉に繋がっている。

「新発見をなさった偉大な方ですよ。この方のお陰で、僕の……」

 彼が私の方を振り返る。目に涙を浮かべ、男性に感謝を述べている。

 スクリーンの中で、フラッシュを浴びる男性。あふれんばかりの称賛、拍手を受け取っている。だが、男性の表情は硬い。ちっとも喜びの色が見えない。引き締まった顔。あの少年を思い出す。

『……という新しい発見をした博士ですが、発見はどのように行うのですか?』

『……深く深く埋まっている化石を掘り出すようなものですよ……』

『……るほど、忍耐が必要だと……では、発見の決め手となったのは?』

『祈ることです』

と答えた。男性は祈りの姿勢をとる。天を仰ぐ。少年と同じ言葉をつぶやいた。

「お願いです。”黒塗り”を外してください」 

 義眼”だった”彼が握りしめている端末。表示されている数字はひとつ数を増やしていた。


* * * 


「おかえりなさい」

「ただいま戻りました。部長」

 再度の次元遷移を経て、私は所属する組織に戻ってきた。――”不可思議定数研究所”に。

 所属する課の扉を開けると、部長が出迎えてくれた。見たところ、他の所員はみんな出払っているようで、部長のみが在室。部長は自席で、書類の確認中だ。

 自分の席まで移動して、鞄を机の上に置き、私も椅子に座った。卓上に灯りをつけ、手帳を取り出し一番新しいページにバツをひとつつけた。

 手帳を最初のページに戻し、ペラペラとめくる。バツ印がページに並んでいる。ふう、とため息をついた。


いつの間にか近くに寄っていた部長が、私に耳打ちをする。

「で、どうだった?今回の案件は」

「……ハズレでした」

 と短く返した。

「そっかあ。残念だったね。ま、気を落とさないでね」

「ええ」

 これから、担当案件の報告書を仕上げなければならない。重い気持ちでペンを握った。

「おっ、さっそく?」

「はい。報告書の作成に取り掛かります」

「相変わらずやる気満々だねえ。うーん、そろそろ休憩しようかな」

 報告書に本格的に向き合いはじめた私と対照に、部長は来客用兼休憩用ソファでごろりと寝転がった。顔は見えなくなったが、穏やかな呼吸音が聞こえてくる。私はペンを走らせる。

「ねえ」

 部長はてっきり眠ってしまったと思ったが、不意に話しかけられて少々驚いた。

「なんですか」

「瞼って閉じたら、視界が真っ黒になるよね」

「そうですね」

「そこにいるよね」

「いますよ」

 ガリガリ、と筆記音が部屋に響く。疲れた体に鞭をうち、手を動かす。手帳を広げ、記憶を振り返り、報告書を仕上げていく。報告書を完成させ、次の案件に早く出発しなければ。……ああ、間違えた。書き直しだ。

「あ、そうだ」

 ずいぶんと書類シゴトに集中していた。ふ、と気が付くと部長はソファから起き上がり、私のそばに立っていた。

「これ、次の案件。また目を通しておいて」

 部長は片手に封筒を持ち、ひらひらとはためかせている。

「さっき帰ってきたばかりなのに、申し訳ないけど」

「いえ、問題ありません」

「それはよかった。じゃあ、ほら」

 私は、次の不思議に手を伸ばした。

 今度こそ、私が求めるものでありますように――そう祈って。

 


不可思議定数x 第一話 「マックロ・黒塗り・パラメータ」 【終】

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