第5話 元の世界へ

「ハルカ、本当にありがとう」


 次に彼が何を言うか、悠にはわかった。


「元の世界に帰るんだ」


 その声が大きな神殿の中をこだまする。


「……帰れないんじゃなかったの」

「わからないと答えたはずだ」


 ギルベルトは悠を元の世界へ戻る方法を知っていた。だが特別な力を持つ聖女を簡単に帰すわけにはいかない。だから真実を話さなかった。話せなかった。

 今日は多くの人が救われ喜ばしい日だったが、彼はずっと罪悪感に苛まれていた。


 少し寂し気な瞳を持っていた悠。それが何故だかはわからないが、そんな中でもこの世界の人々の為に祈ってくれた。安心させようと笑ってくれた。そしてこっそり泣いていた。それを隠そうと一生懸命だった。

 そんな悠をギルベルトはとても愛おしい存在に感じた。その愛おしい人が悲しむ姿は見たくなかった。


「俺意外、この帰還魔法を知る者はいない」


 そもそもギルベルトはこの世界の事はこの世界の人間で解決すべきだと考えていたのだ。だが母が死に、父が倒れ、弟まで動けなくなってしまった。結局、異世界の聖女に縋るしかなくなり、自分が情けなくて仕方がなかった。

 

「私は用済み?」


 自嘲的な言い方を、ギルベルトはすぐに否定した。悠本人だってこの世界で自分がいかに必要な存在なのかわかっているはずなのに。


「そんなわけない!」

「じゃあどうして帰れなんて言うの!?」


(ああ嫌だ。嫌な子になってる……)


 悠は自分が滅茶苦茶なことを言っているとわかっている。泣きながら家族や友人の名を呼んだのを聞かれているのに。


「帰ってほしいわけがない! けど今を逃したらもう二度と手放せないかもしれない!」

「……え?」


 ギルベルトは自分は何を言ってしまったんだと少し顔を赤くしながら頭を横に振るう。


「け、喧嘩別れみたいなことはしたくない……」

「……うん」

「たった半日だったが本当に助かった。父や弟は聖者でもあるんだ。能力も高い。ハルカほどではないが」

「王子様は?」

「俺は聖者にはなれなかった。家族で唯一な」


 とても悔しそうな、寂しそうな顔になる。


「ごめん……ありがとうって言うべきなのに」

「振り回したのは俺達だ。ハルカは怒って当然なのに」

「あのね私、この世界にきてよかったよ。私を必要としてくれる人がこの世界にはいるって知れたから」


 これは本心だった。今日のこの出来事が、悠の憂鬱な心を救ったのは間違いない。


「なにかあったのか?」


 心配そうに尋ねてくれるギルベルトを前に、悠は恥ずかしくなる。彼は王子として国民の命を背負っている。それに比べて自分の悩みなど個人的で些細なことだ。


「ちょっとね」


 誤魔化すように笑った。


「悩みの大小は関係ない。辛いものは辛いだろう」


 その言葉にまた涙がこみあげてくる。悠は辛いと思うこと自体が悪いことのように思えてしまっていたのだ。養子だということに気付かないほど愛されていたのに、今更それを疑うなんて恩知らずだと。


「……私を勝手に帰して、王子様は大丈夫なの?」

「ああ。俺は王子だからな」

「またそれ~?」


 大笑いして、ぐっと力をこめ涙が流れないようにする。側によってきたジローをたくさん撫でた。


「ジローは任せろ」

「よかった……ジロー、たくさん可愛がってもらってね」

「キューン」


 ジローは言葉がわかっているのか、切ない鳴き声を上げた。 


 最初来た時と同じように悠は召喚陣の中心に立つ。


「呼んでくれてありがとう」


 最後に少しでもギルベルトに良い印象を持って欲しくて、悠は笑顔でいた。


「どういたしまして」


 ギルベルトも同じようだ。そうして悠の右手の甲に、そっと優しく口づけをした。


「……!!!」


 顔が一瞬で真っ赤になった。少し照れたような、でも寂しそうな顔のギルベルトと目が合う。だが彼はすぐに身をひるがえし、召喚陣の外へと飛び降りた。


「また会おうね!」


 自分が変な挨拶をしていることはわかっていたが、それが咄嗟にでた言葉だったのだ。


「ああ!」


 ギルベルトは驚いたようにそう言うとニコリと笑い、腰から小さくて分厚い本を取り出した。


 悠には聞き取れない言葉を詠唱し始めると、足元の召喚陣が光始める。強い風も巻き上がり始めた。


「キャウン!」


 悠の姿が消えかけたその時、ジローが勢いよく飛び込んできた。


「えっ!」


 そして召喚陣の上には誰も、なにもいなくなった。

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