ハッピーエンドの外側




「エセルバートはとても優しい子ね」


 気弱で引っ込み思案で、情けない王子。そういつも叱られていたエセルバートの頭を撫でたのは、十五も歳の離れた姉だった。


「いつかきっと、あなたは素敵な王様になるわ。あなたが弟なんて、とても誇らしい」


 そう言って微笑む姉の姿に、エセルバートは初めて自分を認められた気がして、嬉しくなった。



 ーー僕は、絶対に素敵な王様になろう。



 そう決意したのも束の間に、姉は不幸な事故で亡くなった。

 姉が何より愛した子どもーーエセルバートの友人は、無口で暗い瞳を持つ、人を寄せ付けない少年になった。


「ねえ、殿下。アルバートがおかしいわ」


 そう言うルラヴィに、当時六歳のエセルバートは頷いた。

 アルバートの服に隠れた肌は傷だらけ。好きだったものには何の興味も示さない。出された好物にも一切手をつけず、自分に誰かが近づくことを極端に嫌がるようになった。


 あれは多分、公爵邸の誰かがアルバートをいじめているに違いない。


 羨ましいくらいに優しいアルバートの父親に、相談してみよう。使用人には見つからないように先触れを出さずに訪れた公爵邸で、エセルバートとルラヴィは地獄を見た。



「……はあ。フィールディング公爵邸で、そんなことがあったと」


 ルラヴィと共に王城へ帰り、エセルバートは父に公爵邸で見た光景を訴えた。

 父は一瞬驚きに目を開いたものの、ため息を吐く。


「まったく、ルーファスは……。女一人死んだくらいで一体何をしているんだ」


 そう呟く父にエセルバートが凍りついていると、父はどうでもよさそうに「所詮奴隷の血だ。放っておけ」と吐き捨てた。



 ◇



「陛下。お迎えに来てくださり、ありがとうございます」


 アッシュフィールド公爵邸にルラヴィを迎えに行くと、既に玄関で待っていたルラヴィがエセルバートに礼をし、馬車に乗り込んだ。


「ドレスを贈ってくださってありがとうございます。だけど……どういう風の吹き回しですか? しかも、こんなに珍しい形のものを」

「ゴドウィン・ラヴリーに頼んだんだ。あのマニキュアという画期的なものを作る男なら、コルセットのいらないドレスも作れるのではと」


 デザイナーと試行錯誤の末作り上げたらしいそれは、エセルバートの目にも素敵だと思う。

 ハイウエストのゆったりとした真っ白いドレスは、レースや真珠がふんだんに使われていて、ルラヴィの淡い金髪によく映えた。


「アルバートが以前、痩せればいいという風潮は不健康だ、コルセットのないドレスはないのかとぶつぶつと言っていてな。私もそれに賛成だ。特にルラヴィ。大昔も言ったがお前は太ってもかわいいのだから、もう少し食べるべきだ」


 エセルバートの言葉に、ルラヴィが肩をすくめて礼を言う。



「それにしても、こうしてアルバートのところに行くのは久しぶりですわね。私は陛下とアルバートは、このまま絶縁するのかと思っていましたが」

「私もそう思っていた」

「……ヴィオラ夫人に感謝しなければいけませんわね」


 苦笑して頷く。

 ルラヴィには途中から気づかれてしまったが、彼はヴィオラを囮にしていた。



 何としてでも公爵夫人を捕らえて、アルバートを昔の友人に戻す。

 それから、目を背けたくなるほど悪徳の限りを尽くす父王を、王位から引きずり下ろす。


 この二つの目標を叶えるために、エセルバートは公爵にアルバートへの政略結婚をけしかけた。


 身分が低すぎず高すぎず、人当たりの良い女性と結婚したらアルバートも元気になるのでは、と。


 その娘が多少危険な目に遭っても仕方ない。

 こみあげる罪悪感を無視して、エセルバートはそう思った。


 アルバートに疑われないよう、ヴィオラを警戒するふりをした。目をかけている素振りをし、公爵夫人の注意までひいた。


 アルバートが彼女を愛したのは想定外だったが、彼女は確かに公爵夫人を刺激し、エセルバートの目的を叶える役目を果たしてくれた。

 夜会で危険な目に遭ったり、毒で倒れて。



 全てを終えたあと、アルバートとヴィオラにそう懺悔した。

 アルバートがエセルバートに怒りと軽蔑の目を向け、口を開きかけた時。


 ヴィオラが「でも結果オーライですよね……?」と首を傾げた。


「人を囮に使うなんて確かに人として最悪だなって思いますけど、私は結果無事だし、アルバート様はもう怯えなくていいし、セレニア様も安らかに眠れるようになったし、全員ハッピーってすごいですよね……!」


「……いや。それとこれとは違う。ヴィオラ、君は実際倒れて危険な……」


「それに、陛下が結婚しろって言ってくれたから私は今旦那様と結婚できて毎日幸せなわけで……へへ」


 恥じらうのか。


「! た、確かに私も幸せだが……」


 そしてそこで照れるのか、アルバート。


 場の空気は和んでしまい、そこで話は有耶無耶になった。あれ以来、二人には会っていない。

 けれどおそらくアルバートの中で、自分は既に友人ではなくなっただろうと、そう思う。 



「……やってしまったことは変えられません。これから、善き王になれば良いのですよ」


 丁度馬車がフィールディング公爵邸に着いた時、ルラヴィが言った。

 そうだな、と肩をすくめて降りると、楽しそうなヴィオラの声と、キャンキャンとはしゃぐ子犬の声が聞こえる。


「……あ、陛下、ルラヴィ様! ようこそいらっしゃいました」


 子犬とぬいぐるみのおもちゃで遊んでいるヴィオラが、屈託のない笑顔で笑った。

 足元でじゃれている子犬は、昔アルバートが可愛がっていたシンバという犬の孫だそうだ。


 シンバと再会することはできなかったけれど、その子どもや孫、それから侍女長と再会することができたと、エセルバートが謝罪をする少し前、アルバートが噛み締めるように言っていた。


 そしてヴィオラとアルバートにやけに懐いた子犬を一匹引き取り、公爵邸で暮らすことになるのだとは聞いていたが。



「旦那様はすぐそこの庭園にいます。今日陛下とルラヴィ様がくるので、朝からたくさんマフィンを焼いていたんですよ」


 確かに、アルバートが庭先に立ち手を挙げているのが見えた。


「ルラヴィ様にはかぼちゃ、陛下にはいちご。アルバート様は紅茶で、私は全種類頂こうかと――」

「全種類、私も挑戦してみようかしら」


 ヴィオラとルラヴィが談笑する姿を微笑ましく思いながら、少し緊張して庭園に足を踏み入れる。


 日差しが降り注いでいた。花が咲き乱れる春の庭だ。

 テーブルには山のようなマフィンが置かれ、姉が好きだった薔薇の紅茶の香りが漂う。

 アルバートがエセルバートにそっとカップを差し出した。


「……良い香りだな」

「ええ。……懐かしいですね」


 そう言って微笑むアルバートの顔に、懐かしいものを感じて。

 ヴィオラとルラヴィが談笑する声や、遊んでほしいとねだる子犬の声と、マフィンと懐かしい紅茶の香り。



 込み上げるものを必死で飲み下しながら、エセルバートは微笑んだ。




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