私はあなたのようにはならない
「君はここで待っていてほしい」
そう言って馬車に乗り込んだアルバートに、ヴィオラは心配そうに、しかしぎこちなく微笑んで頷いた。
「お気をつけて。お帰りをお待ちしています」
「ああ、行ってくる」
公爵の危篤が伝えられ、アルバートは単身で公爵のいる別邸へと向かうことにした。
知らせを聞いた夫人は取り乱したが、騎士とエセルバートに支えられ王城へと向かった。これからしばらく、取り調べが続くだろう。
馬車が動き出し、心配そうにこちらを見送るヴィオラの姿がすぐに小さくなっていく。
本当であれば、彼女を残していきたくはなかった。
しかし、父と対峙する自分の姿をヴィオラにだけは見せたくない。
ヴィオラを一人残していく心配と苦痛は、想像以上に堪え難い。離れるほどに襲われる強い不安と喪失感は、この血の成せる業なのだろうか。
先ほどの夫人の姿を思い出し、アルバートは改めて決意した。
同じ悲劇は、決して繰り返してはならないと。
◇
数年ぶりに会った父は痩せ衰え、瞳は落ち窪み、体を起こす元気もなさそうだった。
しかし父のその表情には悲壮さの欠片もなく、むしろ安堵の方が色濃いように見える。
実際、浅く早い呼吸は苦しいだろうに、余裕があるのか。
黙って入室したアルバートの顔を見た父親が、何かを察したかのように薄く微笑んだ。
「……愛する者ができたようだな。お前にも、ようやく私の気持ちがわかっただろう」
父の言葉には答えず、アルバートは何の感情もない眼差しを父に向ける。
「国王陛下が廃位され、母上は逮捕されました」
「……そうか。あの書状は囮か。しかしここで私の命が尽きるのは、神の采配だな……」
そう目を瞑って沈黙をした後に「お前には申し訳ないと思っている」と呟いた。
「しかし最期の望みだ。私の亡骸は手筈通りに……セレニアの棺は地下の隠し部屋の中にいる。……長かった。私はこの時のためだけに、こうして生き永らえてきた。ようやくセレニアも、安らかに眠れる」
母がこの南の地にきても、埋葬をされなかったのは父の独占欲ゆえだった。
自分が亡くなるまで母がどこかに行くなど――例えそれが神の下でも、許せない。
魂になっても、母を手放さず棺に縛りつける。それが父の狂気だった。
そして、夫人が逮捕されたと言っても父は心配も懺悔も、何の一言も発さない。
「……人の人生を台無しにすることに何の躊躇いも痛みも覚えないあなたのことを、私はずっと理解ができませんでした。いえ、理解したくもありませんでした」
自分の望みは必ず叶うと信じて疑わない父の表情を、アルバートは何の感慨もなく見つめた。
「しかし今は、いずれあなたの気持ちがわかってしまうような気がします」
ヴィオラが望むのならば、アルバートは彼女の手を離せるだろう。
彼女が明るく温かい場所で笑い続けてくれることが、唯一にして絶対のアルバートの願いだった。
しかしそれと同時に、ヴィオラをどこにも行かせず、他の男の目に触れさせず。ずっとアルバートだけを見ていてほしい気持ちが、確かに強く自分の中にある。
今アルバートの目の前にいる、人の人生を台無しにし続けた醜悪な男。
それはほんの僅かな衝撃で、アルバートに訪れるかもしれない未来だと本能が囁いている。
「だからこそ、あなたには地獄に落ちて頂きます。私が彼女を不幸にさせないための戒めに、あなたにはなって頂く」
「お前は、何を……」
困惑し不安に慄く父の顔を、何の感慨もなく見下ろしている今の自分は、さぞかし父親に似ていることだろう。
「秘匿されていた王女を監禁し、彼女が亡くなっても埋葬もせずに放置していたあなたの罪を、私は告発しました。王族に大変な不敬を働いたとして、あなたの死後、私はあなたを火葬するつもりです」
「な……」
父の顔が、ゆっくりと絶望に染まっていく。もう言葉にすら出せないようで、何かを言いかけた口がはくはくと動き、苦しそうに咳き込んだ。
「さようなら、父上。あなたの信じる神は、灰になったあなたを救うでしょうか。どうか絶望してください。今世でもあの世でも――あなたはもう、あなたの愛する人には二度と会えない」
死後の世界が本当にあるのかアルバートにはわからない。
しかし十五年間頼り続けた最後の希望が、生きている間に無惨に砕け散る。父にとっては一番の罰だろう。
それを自らが下しても、良心の呵責は一切覚えない。
見開かれた父の瞳に映るそんな自分は、やはり父に似ているように思う。
しかし自分は、この男のようにはけしてならない。
自分の名を切れ切れに呼ぶ男に背を向け、アルバートは部屋から出た。
◇
アルバート様のお父様が亡くなられてから、一月が過ぎた。
秘匿されていた王女の存在や、監禁され埋葬さえも長い間されなかった事実は社交界中を震撼させた。
夫人の罪は全てが白日の下に晒された。それら一つ一つは大変な重罪ではあったけれど――、夫人は二十年間公爵の狂気に晒され、精神状態が正常ではなかった。ということで貴人を幽閉する場所ではなく、南の地にある修道院に入ることになった。
そこでお医者さまと心の治療をしながら、日々神に祈りを捧げ贖罪をするように。それが殿下……いや、陛下からの沙汰だった。
そして今日。全ての捜査や沙汰が終わり、アルバート様のお父様のお葬式が開かれる。
お葬式といっても密葬で。火葬されたお父様の遺灰を、海に撒くという儀式だった。
罪人といっても貴人が火葬に処されるというのはこの国ではかなり衝撃的なことだったらしい。
実の父の罪を告発し、死してなお贖わせるというアルバート様のこの行動は、貴族の間でおおむね好意的に受け止められているという。ルラヴィ様や陛下や、ゴドウィンの影響力のおかげもあるだろうけれど。
アルバート様が遺灰を海に撒いていく。
その姿を後ろの方でそっと見守っていると、私の横にいる私のお父様が静かに口を開いた。
「私は公爵……ルーファスにお前とアルバート様の婚姻の申込をされたとき嬉しかった」
確かに、あのときお父様は嬉しそうだった。昔の友人の思い出を反芻するように、遠い目なんかして。
私が黙って頷くと、お父様はぽつぽつと言葉を続ける。
「私たちがまだ少年だった頃、ルーファスはもしも自分に愛する人ができたら大切に大切に守るのだと言っていた。……愛する人を大切に守ると恥ずかしげもなく誓った友人の子なら、私の子を大切にしてくれるんじゃないかと思ったんだよ」
「……」
「お前に申し訳ない気持ちも、ルーファスに憤る気持ちもあるけれど……」
そう言いかけたお父様は、口をつぐんで海に流れていく遺灰を見守っていた。
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