涙の落ちる音




 殿下と騎士たちの入室に、アルバート様は夫人の手を慎重に離した。


「王太子殿下にご挨拶を申し上げます。しかしながら殿下、一体何を仰っているのかがよく……」


 驚きつつも夫人はすぐに礼を執り、困ったように微笑んだ。

 そんな夫人に殿下も鷹揚な微笑みを返すけれど、微笑みとは裏腹に場の空気がどんどん張り詰めていくのを感じた。


「今までのあなたは、もう少し慎重に動いていました。どこまでなら自分に害が及ばないかを考え、けして尻尾を掴ませなかった。おかげでここまで来るのに、本当に時間がかかった」


「どうやら殿下は、私を何らかの罪に問いたいということですね」


 だけど、と夫人はまた微笑む。


「陛下自ら送ってくださった書状があります。公爵邸で起こった全てのことを不問にする、と。私が今この場で何をしようと、殿下でも私を罪には問えないのですよ」


「ええ。そちらに署名した私の父、フランツ二世の治世においては確かに、フィールディング公爵邸の捜査は行われなかった」


 含みのある言葉に、夫人が怪訝そうに眉をあげた。


「しかし、公爵邸以外で起きた事件はまた別です。例えば、王城の舞踏会で故意にダツラの酒が混入されていたことなどはね」

「……それこそ私には何の関係もございませんわ」


 眉間に皺を寄せる夫人は、「それにその捜査は打ち切りになった筈でしょう?」とため息を吐く。


「未婚のご令嬢が起こした事件ですもの。捜査が難航することで噂が長引くのもお気の毒だと、被害者であるこちらが捜査の打ち切りを提案し、陛下も賛同なさいました。闇雲に掘り返すのはいかがなものかと思いますわ」


「些か気になることがありましてね。なんでもそのご令嬢二人は、他でもないあなたから『アルバートとルラヴィを結婚させたかったのに、グレンヴィル伯爵家との友情を優先せざるを得なくなった。悲しくてたまらない。傷ついているだろうルラヴィに何も言わず寄り添ってくれ』といった内容の手紙が届いたと」


「それが何か? アッシュフィールド公爵令嬢のことを私は気に入っていました。彼女もアルバートを愛していたことは明白でしたから、つい感情が昂ってそんな手紙を送ってしまいましたが……罪に問われることではないでしょう?」


 そう言う夫人は自分の勝利を確信しながらも、落ち着き払った表情の殿下に疑問と不安を感じているようだった。

「逆でしょう」と苦笑を浮かべる殿下が、夫人をまっすぐに見据える。


「アルバートを好きだと公言するルラヴィが目障りで、しかしさすがに公爵令嬢に手は出せなかったのでしょう? ですからルラヴィの友人を焚き付け、ダツラの酒を飲ませ問題を起こすよう仕向けた。うまくいけばルラヴィにも責任の一端を負わせられるし、アルバートにはヴィオラ夫人が自身の妻というだけで傷つけられたと、そう思い知らせることができる」


「妄想がすぎます!」


 夫人が気色ばんで、きつく殿下を睨みつける。


「何の証拠もなくそのような――」


「ある給仕が懺悔しました。自分を王城の給仕に推薦したハドリーという男に、ダツラの酒に更に高揚剤を足し、令嬢二人に飲ませるよう命じられたと。その男はフィールディング公爵領の一部を管理している執事で、夫人が幼い頃からコルベック侯爵家に勤めていたそうですね。生家は薬屋で、メイモンが採れる南出身だとか」


「……何を仰るのかと思えば。給仕の証言と推測だけで私を捕らえるなどと乱暴な事を仰るつもりですか? 例えハドリーが何か罪を犯していたとしても、私を捕らえられるような証拠になるとは思えませんが」


「ええ、それで結構ですよ。今頃ハドリーのいる屋敷には、家宅捜査をする者たちがつく頃です。そしてあなたのーーいえ、公爵夫妻の住む別邸を、証拠が出るまで調べるだけですから」


 殿下の言葉に夫人が初めて焦りを見せて、目を向いた。


「なんと無礼な……! そんなこと、公爵が許すわけがないでしょう! 陛下だって!」

「許されますよ。何故ならこれからは私が王になり、彼は公爵ではなくなるのですから」

「は?」


 困惑した夫人が「世迷言を……」と呟いて。だけど、どんどん顔が青ざめていく。


「我が父、国王陛下は自らの私腹を肥やし、色に溺れ、そのために様々な悪事を働いてきました。――例えばその書状。フィールディング公爵家から金と引き換えに渡したものですね」


「そこにいるアルバートと私は、公爵と陛下の悪事を告発することにしました。……陛下の罪状は多すぎるので割愛しますが、例えばダツラの酒の件では、お互いの利益のために無理に捜査を打ち切ったこと。そして陛下が……若い頃奴隷に産ませた王女の存在を秘匿していたこと。フィールディング公爵はその王女を金と引き換えに公爵邸に監禁し、亡くなった彼女を埋葬もせずにいること。そしてそれを、陛下は黙認していること」


 その時、王城からの遣いの騎士がやってきた。急いでやってきたのであろうその騎士が、殿下に紙を渡す。


「……そういったことを含めて、一部の高位貴族たちに本当に父が国王に相応しいと思うか訴えました。するとアッシュフィールド公爵家や、ダツラの酒の被害者であるチェンバレン侯爵家を始めとする四つの侯爵家、グレンヴィル伯爵家、その他にも多数の高位貴族が現国王の廃位を求め、私の即位を支持しました。

 そしてたった今、父上は廃位された。……よってあなたが掲げるその書状も、もう時間切れというわけだ」


 言葉もなく、青ざめたまま動かない夫人が手からはらりと書状を落とす。殿下はそんな夫人に何の色も宿らない眼差しを向け、夫人の罪状を淡々と口にした。


「夫人。あなたにはダツラの酒の件以外にも、ヴィオラ夫人への毒物による殺人未遂、十年前に侍女長を務めていた子爵夫人への傷害など数々の犯罪行為に手を染めた疑いがある。調査はまだこれからだが、国王の権限で、今ここであなたを捕らえる」


 殿下の言葉に合わせて騎士が動いて夫人を捕らえたとき、夫人が「……今公表できるのなら、最初から公表していればよかったじゃない……」とはらはらと涙をこぼした。


「私は、私は一体何のために、ここに嫁いできたの……?」


 そう言う夫人の頰に、透明な涙がとめどなく滴り落ちる。


 誰も何も言えなかった。声を出さずに泣く夫人の、涙が落ちる音が聞こえてきそうなほどに静かだった。



 殿下が何かを言いかけようと口を開いた時、扉が音を立てて激しく開かれた。


 見ると慌てているハーマンが、場の空気に一瞬怯みつつも声を上げる。


「非礼をお許しください。アルバート様、先ほど別邸より連絡が参りまして……」

「どうした」


 アルバート様の声に、ハーマンが口を開いた。


「公爵様が、危篤だと。アルバート様にすぐに別邸に向かうよう伝えてほしいと、早馬が参りました」


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