短い夜①




 やっぱりマッシュの料理は格別である!

 すっかり普通のご飯が食べられるようになった私は、肉汁溢れる香ばしいハンバーグを噛み締めてはうっとりと目を瞑った。


 幸せとは……お肉に宿っていたんだな……。


 こんなに美味しいものを食べたら、どんなに悲しいことがあった人でも思わず笑顔になってしまうだろう。


 ……味覚さえ、正常ならば。


 私は目の前の席に座る、瞳からハイライトが消え淀んだオーラを背負ったアルバート様を見た。完全に闇落ちしてる。


「……どうしたんですか?」

「……何でもない。君が幸せならいいんだ……」


 ハンバーグを食べてるだけで、こんなに重いことを言われる人がいるだろうか?

 え、このお肉、実は殿下だったりしないよね? と一瞬猟奇的な考えが頭をよぎりぞわっとしたけれど、多分普通に牛肉だと思う。


 ーーどうしてこんなに落ち込んでいるのかな。

 午前中一緒にお庭を散策した時は時折挙動不審ながら元気そうだったし、それからも私の後ろに潜んでいたはずだと思う。何度も偶然助けてくれたけど、その時は至って普通だったのに。


 落ち込み始めたのは……時間的に、ローズマリーが帰ってきた後だろう。そう思って私は納得する。

 その時、きっとローズマリーを送り届けてくれた王城の使者の方とお話をしたのだろう。……それで公爵夫人のあれこれを思い出して、落ち込んでしまったのかもしれない。


 ……そうだよね。悲しいよね。

 私がしんみりしていると、アルバート様が暗い表情で「君と」と、予想外なことを呟いた。


「……あのゴドウィンという髪結師は、恋人なのか。……金髪ではないようだが」

「ゴドウィン?」


 思わず素っ頓狂な声が出た。

 なぜゴドウィンと恋人。おまけに金髪って何の話……?


「何を言うのかと思えば……。ゴドウィンは私の大事な友達です。お互い恋愛感情は微塵もないですよ」

「!……そ、そうなのか……いやでもしかし、彼は……」


 パッと顔を上げ、困惑した表情を見せるアルバート様に私は「絶対にないですから!」と念を押した。誤解されるのはなんだかすごく嫌だったのだ。


「それに私は、いくらかりそめでも旦那様がいるのに恋人を作ったりなんてしませんよ。まったく。そういうことを妻に聞くのは失礼です」


 私がちょっと怒った顔をすると、アルバート様は視線を彷徨わせた後に口を開いた。


「しかし……そのうち離婚するだろう、私たちは」

「え……」


 冷や水を浴びせられたような気持ちになった。自分ではもちろんそのつもりでいたけれど、実際にアルバート様の口からその言葉が出ると……ショックだった。


「それは……そうですけど……」

「……早く、その日が来るといいな。君には幸せになってもらいたいから」


 その言葉に自分でも驚くほど悲しくなった。

 目の前のハンバーグも、ちょっとだけ色褪せて見えるくらいに。


「旦那様は、そう思いますか?」


 私がそう尋ねると、アルバート様は躊躇うように視線を落とした後、「ああ」とぎこちなく微笑んだ。



 ◇



 やっぱり人間、やけくそ気味に気晴らしをするのはよくない。



 夕食の後、私は理由もなくむしゃくしゃとしていた。なんだかこう……気分がパッと晴れるようなことをしたかったのだ。

 そんな時にふと、『嫌な気持ちの時はホラー小説よ』と昔ゴドウィンが話していたことを思い出して、愚かなことにホラーの短編小説に手を出した。最悪なほどに怖い小説だった。


 パメラにもローズマリーにも下がってもらった今、この部屋に私は一人。一人である。

 物音一つしない、静かすぎるこの部屋で。


「………………」


 うん、何かこう……我を忘れて没頭できることをしよう。ゴドウィンにもらったマニキュアでも塗ろうかな。他にも何か気晴らしあったっけ……とそわそわしながらガサゴソ引き出しを漁っていると、窓にカン! と何かがぶつかる音がした。



「ギャーーーー!!!!」

「どうした!?」



 思わず上げた悲鳴に、焦った様子のアルバート様が部屋の扉をばん!と開けた。いや夜もいるんか、と頭の片隅で冷静に思いながら、救いの主アルバート様の背中に走り、「まっ、まっ、窓に……! 窓が……! カツンって!」と訴えた。


「窓だな。ここで待っててくれ」


 危ないのでは、と止めようとしたけれど、アルバート様は果敢にも窓に向かう。

 カーテンを思いきり開けてキョロキョロと周りを見渡すと「……これか?」と何やら微妙な顔をして窓の上を指差した。


「ううっ……何ですか……って、あら、サンキャッチャー……?」


 恐る恐る窓に近づいて覗き込むと、それは特注で作ったサンキャッチャーだった。

 なんで窓の外に……と思ったけど、そういえば今日お風呂に入る前に私が干した。


『水晶を月光に当てると良い感じに感受性が豊かになる』と言う眉唾ものの本を読んで、あ、これとか水晶でできてるし、アルバート様によいかも! と思いついたやつだった。


「他には何も危険なものはないようだ。……大丈夫か?」

「うっ……ありがとうございます、助かりました」


 とんだ醜態を晒してしまった。恥ずかしさに顔を真っ赤にしてお礼を言うと、アルバート様は「大したことじゃない」とふいっと私から顔をそむけた。


「……では、私はこれで失礼する」

「! ま、待ってくださいっ……! 行かないで!」


 がしっとアルバート様の腕を掴む。アルバート様が「!」と石のように固まり、チャンスを逃すまいと私は畳み掛けるようにお願いをした。


「さっき怖い本読んじゃったんですよ……! パメラにもローズマリーにも休んでいいよって言っちゃって……! 一人でいるとか今は無理です! もう少しだけ! もう少しだけいてください!」

「そ、それは……。こんな時間に、寝巻き姿の君がいる部屋にいるわけには、」

「大丈夫です! 絶対に何もしません! 何もしませんから!」


 アルバート様に安心してもらうべく、私は必死で頼み込んだ。


「正体がサンキャッチャーとわかってももう怖さゲージが振り切れちゃって一人は無理です……! 旦那様には申し訳ないですけれど、他に頼める人なんていな……あ。落ち着くまで夜勤で警備中の騎士様に話しかけに行けばいいのか」

「それは絶対にダメだ」


 絶対零度の冷ややかな声と眼差しに、にべもなく却下されて絶望する。確かに、お仕事の邪魔をするのは良くない。良くないけれど。



「……う。絶対にダメですか……?」


 しかしながら、諦めきれずにアルバート様の目を見つめる。

 冷ややかだったアルバート様がたじろいで、苦悶の表情を浮かべた。


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