一番大事な親友
ローズマリーが帰ってきた。
「ヴィ、ヴィオラ様ーッ!! 申し訳ありませんでした!!」
地に頭をつけんばかりに頭をひたすら下げる彼女は、えぐえぐと号泣している。
取り調べは配慮したものだったと聞いているけれど、それでも辛かったのだろう。艶々としていた赤毛はパサつき、心労のせいか短期間でかなり痩せてしまったようだ。
「ご無事で……ご無事で本当によかったです……」
ローズマリーが私に用意していた紅茶は、公爵夫人に貰ったものらしい。
私が嫁いでくる少し前にここで働き始めた子爵家出身のローズマリーは、元々世紀の大恋愛と噂されている公爵夫妻に憧れていた。
そんな憧れの公爵夫人と初めて顔を合わせたのは私とアルバート様の結婚式の日。
憧れの公爵夫人に声をかけられ、こっそりと「ヴィオラさんにぜひ飲ませてあげて欲しいの」と渡された紅茶は、高位貴族の淑女が嗜む、ローズマリー憧れの最高級の茶葉で。
公爵夫人は「嫁いできてくれた彼女に、何か贈りたかったのだけれど」と儚げに笑って言った。
「離れて暮らしているせいか、私はアルバートとうまくいっていなくて。アルバートや他の使用人に渡したら嫁いびりと誤解されて捨てられてしまうかもしれないから……内緒にしてね」
その言葉に、ローズマリーは屋敷で働き始めた初日に言われた「外部から入ってくる物は全てハーマンとパメラが検品する。たとえ公爵夫妻が渡したものであっても」という言葉を思い出す。
公爵夫人はお優しいのに。
親子喧嘩でこんなに良いお茶が、飲まれることなく捨てられるなんてありえないわ。
そう思ったローズマリーは、自分が紅茶を淹れる時は私にそのお茶を出していたのだそうだ。
「本当に本当に申し訳ありません。まさかこんなことになるなんて……」
「仕方ないわ。紅茶自体が悪いわけじゃないし。だけどこれからはどんなに些細なことでもパメラに相談してね」
「ヴィオラ様ぁ……」
痩せてしまったローズマリーの口に揚げたドーナツを放り込む。昨日一足先に帰ってきたマッシュが腕によりをかけて作った特製のもので、かけられた粉砂糖が罪深いほどに美味しい。
多分久しぶりの甘味を噛み締めたローズマリーは「ふみまへん……」とまた涙をこぼした。
やっぱり公爵夫人が絡んでいることには間違いないんだろう。わかってはいたものの、やっぱりショックである。
そして紅茶を贈った事や、夫人が遊びに来たその日に私が倒れた、という事実は証拠にはならないだろう。
実際に、殿下が公爵家別邸を捜査をしたいとしたためた書状をフィールディング公爵に送ったようだけれど、公爵はこれを拒否した。
『親愛の情を込めて紅茶を贈り、息子の様子を窺いに行っただけで犯人扱いされるとは許し難い』ということらしい。フィールディング公爵家本邸のみの捜査なら許容できるが、公爵夫妻の住まう別邸の敷地内には一歩でも立ち入ることは許さないと。
国王陛下はこの事件を、ただの事故として捜査を打ち切る方針らしい。殿下とアルバート様は「大丈夫だ」と言っていたけれど、本当に大丈夫なんだろうか。
「というか、なんでこんなことになってるのよ……」
その時丁度お見舞いに来ていたゴドウィンが、地を這うような低音を出した。
ちなみに彼は私に毒を盛ったのが公爵夫人であることを、数回の質問ですぐに見破って私の度肝を抜いた。メンタリストすぎて怖い。
とはいえさすがに毒を盛った理由まではわからないようで、単純に嫁いびりだと思っているようだ。
「ねえヴィオぴ、もう離婚、せめて別居しましょう。あなた一人くらいアタシがいくらでも面倒見るし、匿ってあげるわ。貴族は貴族と結ばれるのが幸せだと思ってたけど、こんなことになるならあなたが結婚する前に……、……弟子にすればよかったわ!」
「ゴドウィン……!」
ゴドウィンの熱い友情に思わずホロっとくるのは何度目だろう。
ゴドウィンは仕事に厳しいから絶対弟子にはなりたくないけれど、こう言ってもらえるのはとても嬉しい。
「と、とにかく……あなたには行く当てがあるのよ。ここにいなくてもいいんじゃない?」
「うーん……私、ここが好きなの」
いずれ離婚はするだろうけれど、今じゃない。
私個人の気持ちといえば、この屋敷もこの屋敷の人たちも大好きだし、居心地が良いからずっとここにいたい。
私がそう言うとゴドウィンは「そう……」と目を伏せて、「楽しく暮らしてるようで何よりだわ!」とカラッと笑った。
「ただ一つ聞きたいんだけど……あれは何なの?」
ゴドウィンが私の後ろに、不審者を見るような眼差しを向ける。
振り返ると特に何もいないけれど、見当がつく。十中八九、アルバート様が『偶然』こちらを通りがかったのだろう。
私がヘヘッと笑って誤魔化すと、ゴドウィンがあからさまにドン引きしていた。
「いや、でも結構助けられてて……あ、そうだ」
助けになっていると言えば、ルラヴィ様のお話を思い出す。ゴドウィンが密かに、社交界の淑女たちに私のポジティブキャンペーンをしていてくれたことだ。
「ずっと私を助けててくれてありがとうね。私の良いところとか広めてくれて」
「……何よ急に。アタシは将来の大口顧客に恩を売ってるだけで……」
「買いきれないほど恩を売ってくれてありがとう。ゴドウィンは私の一番大事な親友だから、次は私が助けるね。だからこれからもずっと……仲良くしてね」
私がちょっと照れながらそう言うと、ゴドウィンが大きく目を見開いて、天を仰いだ。
「あ〜……もう……反則だろ」
「え?何が?」
「何でもないわよ」
何故か若干ヤケクソ気味に私の頭をぽん、と手を置くと、口を開いて優しい声を出した。
「長居するわけにもいかないから、帰るけど。……ヴィオぴ」
「ん?」
ゴドウィンが私の髪を一筋掬い、何故かその髪に唇を寄せた。
「!?」
「――心から、ヴィオラの幸せを願ってる。君はずっと俺の女神だから」
突然の奇行に驚愕していると、ゴドウィンが悪戯っぽく笑って髪から手を離した。
「まあ、これくらいは許されるわよね?」
そう言ってこの上ない満足そうな笑顔でゴドウィンがサムズアップする。
何だかよくわからないけれど、ゴドウィンが楽しそうだからいいの……だろうか?
頭の中をはてなでいっぱいにしながら、颯爽と帰っていくゴドウィンを見送った。
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