痒いところに手が届く




 ぼんやりとする頭で目覚めた。

 鏡に映った自分を見て、あまり腫れていないまぶたにホッとする。これならアルバート様にも気を遣わせないだろう。泣きながら冷やした私、超グッジョブ。


 いつも通り、いつも通り。

 少し緊張して息を吐きつつも、私は気合を入れて朝食のダイニングに向かった。


 心配なのはアルバート様のことだ。

 昨日私に話してくれたことで、フラッシュバックとか起きてないかな。


 ダイニングの扉を開ける。心配とは裏腹に、既に席についていたアルバート様の表情は思ったよりも明るくてホッとした。


「おはようございます」

「おっ、おはよう」


 やはり平常心ではないのか、心なしか声が上擦っている。

 それに。


「旦那様、少し顔が赤い気が……。体調が悪いのでは?」


 寝不足からの気が抜けた時に風邪を引くのは古今東西よく聞く話だ。

 首を傾げてじっと彼の顔を見ると、更に顔を赤らめた彼が慌てたように口を開いた。


「い、いや……元気だ。全く、問題ない」

「本当ですか……?」


 疑わしすぎて、思わずジト目になると彼はやましそうに目を逸らした。怪しい。


「ほ、本当だ。大丈夫だから……」


 怪しい……。


 もしや体調不良と言ったら私が問答無用で休ませにかかるに違いないと思って、隠しているのだろうか。


 少し風邪気味程度じゃ、休めないくらい仕事が溜まっているのかもしれない。

 倒れた私をずっとつきっきりで看病してくれたし、そもそも倒れる前からあれこれと引っ張り回しちゃってたし……。


「……そうだ! 私、今日は一人で大人しく過ごしていますから。その時間分はゆっくり休んでくださいね」

「!」


 アルバート様の情緒はとても大事だけれど、睡眠時間もお仕事の時間も大事だもんね。

 特に昨日、あんなに辛い経験を話してくれたのだから。風邪じゃなかったとしても、一人でゆっくりと心を休める時間も必要だろう。


「私の看病でお仕事溜まってしまいましたよね。でも今日空いた時間分は、しっかり休んでくださいね」


 一緒に過ごせないのはちょっと寂しいけれど、仕方ない。

 あとでハーマンにそれとなく無理しすぎないように止めてもらって、明日は一緒に遊べるといいな。




 ◇



 そう思っていたのだけれど……アルバート様の様子がどうもおかしい。


 初めは私が花壇の手入れをしながら「花切り鋏が欲しいな……でも取りに行くの面倒だなあ……」と呟いた時だった。


「これか」

「!!」


 音もなく、いつの間にか横に立っていたアルバート様がスッと花切り鋏を差し出した。


「びッッ……くりしたー! 旦那様、お仕事していた筈じゃ……」

「通りがかっただけだ」


 この庭園の端っこを……?

 疑問に思いながらも、とりあえず私は頭を下げてお礼を言った。


「ありがとうございます、助かりました」


 そう言うとアルバート様が少し照れたように頷いて、その表情に少しだけドキっとした。


「これくらい、大したことじゃない。他に何か手伝えることはないか?」

「あ、ないです! 大丈夫です!」

「そうか……」


 お礼を言ってアルバート様を見送って一息吐く。

 気分転換かな。偶然ってあるんだなあ。



 ……と思っていたけれど、もしかしたら偶然じゃないかもしれない。



 花壇の手入れを終えた後も、アルバート様はそこかしこに現れた。


 図書室の高いところにある本を取ろうとすると、背後からシュッと忍び寄り本を取ってくれる。

 私が階段から落ちそうになった時、サッと抱き抱えて助けてくれる。

 今日のおやつを食べながら、(んー……甘みが足りない……蜂蜜欲しいな……)と思っていると、背後からスッと蜂蜜が差し出される。


「ありがとうございます……?」

「通りがかったついでだ」


 通りがかったついでとは。

 それだけ言うとすぐに立ち去ってしまうけれど、またすぐにどこからともなく現れて何かしらを助けてくれる。



 ……もしかして、今日一緒に遊びたいと思ってくれてたのかしら? 実はひまだったとか。


 じゃあ、明日は遊びに誘ってみよう。

 そう思って次の日に声を掛けると、アルバート様はパッと顔を輝かせて頷いた。かわいいじゃないか……。


 だけど一緒に遊ぶ前後の時間も、アルバート様の『偶然通りがかっただけ』は、それからも続くのだった。



 ◇



「ようやく回復したと聞いた。……良かったな」


 エセルバート殿下が、大量のお花やお菓子を持って快気祝いに来てくれた。

 私はそのお土産品に目を輝かせながら、「ありがとうございます」とお礼を言った。


「いや、心ばかりの品だ。……本当に大変だったな。犯人は必ず捕らえるから安心して欲しい。そしてそのために当時の状況を聞きたいのだが……」

「あ、はい。ええと……」


 少し申し訳なさそうな殿下に、私はその日の状況を話した。突然夫人がきたこと。二人でお茶をする時はハーマンの淹れた紅茶を飲んだこと。最後握手をした時に、力が強くて少しだけチクリとしたこと、その後アルバート様と一緒にローズマリーの淹れた紅茶を飲んで、マッシュの作ったシュークリームを食べたこと。


「……なるほど、わかった。侍女と料理長は王城で取り調べをしているが、近日中にはここに戻って来れるだろう」

「良かった……!」


 ローズマリーとマッシュは、私が倒れたことにより重要参考人として捕まっていたのだ。ずっと心配だったから、戻って来られると聞いて本当に良かったと安心する。



「彼女たちの証言も助かっ……、それは置いといて。あれはどうしたのだ……?」

「私にも何が何だか……」


 そわそわと落ち着かない様子のアルバート様が、部屋の外からこちらを見ている。


 一応捜査の一環ということで私と二人で話したいと言った殿下に、アルバート様はかなり抵抗された。結局殿下が権力でねじ伏せたものの、何故か部屋の外で待機すると言って聞かなかったのだ。


「……もしかして、アルバートは君に何かを話したか?」

「ええと……」


 言いにくそうに殿下が言葉を濁した。そう言えば殿下は全てを知っているのだと、アルバート様も言っていたっけ。


「はい。私が倒れたのはおそらく公爵夫人の仕業だということとか……他にも、少し」

「……そうか」


 殿下が驚きに目を瞬かせ、「そうか……」と感慨深げに言った。



「あれがその話を口にしたのは、おそらく君が初めてだ。……あとは公爵夫人を捕らえるだけだ。良かった」

「それも少し心配なんです」


 殿下の言葉に、思わずポロリと本音が出た。


「もうアルバート様の前に現れないようしっかり捕まえて欲しいですけれど、実のお母様が逮捕されたらどんなに覚悟をしていてもきっとショックでしょうから……」


 とはいえ、絶対に逮捕されてほしいけれど。

 それとこれとは別として、アルバート様の心は心配だった。


「実の母親か……」


 殿下がポツリと呟く。


「……ヴィオラ嬢が支えてくれるなら、大丈夫だろう。さて、本当はまだ言いたいことはあったんだが、そろそろ視線が痛い。またの機会に」


 そう言って苦笑いする殿下が立ち上がり、何か思いついたように私の横に控えていたパメラに視線を向けた。


「……元気そうで何よりだ。何か困っていることはないか」


 優しい声音に、パメラが一瞬驚いたあと、「……殿下はお優しいですね」と少しだけ微笑んだ。


「お気遣いは不要です。ありがとうございます」

「そうか」


 頭を下げるパメラにちょっと微笑んで、殿下が「アルバート! 話は終わった」と声を出す。


 一瞬で私の隣にやってくる忍びの動きのアルバート様に、殿下が楽しくてたまらないと言った表情を見せた。


「これは本当に驚いた」


 殿下はそう言って笑ったけれど、驚いているのは多分私の方だと思う。



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