アルバートの告白




「離婚することだけだ」


 そう言うアルバート様は、その言葉を言えたことに絶望しているようにも、安堵しているようにも見えた。


「……なぜ、そんなことを言うんですか」


「君が倒れたのは……母上が毒を盛ったせいだ。しかし現時点で証拠がない。捜査をしようにも父上が妨害している。母上を捕らえるまではーー、おそらく、時間がかかる。その間君を危険な目に遭わせるわけには……」


「それもですけど、そんなことより」


 震える声でアルバート様の言葉を遮った。


「どうして何も悪くないご自分を、そんなに責めるんですか」


 私の言葉に困惑して揺れるその視線がまた悲しくて、震える声をアルバート様にぶつけた。


「なぜ私が倒れたことが旦那様のせいになるんですか? なぜ、何かを愛してはいけないなんて……そんなことを言うんですか?」


 私に毒を盛ったのが、公爵夫人だとして。

 悪いのは夫人だ。捜査を妨害しているという公爵様も共犯だ。

 アルバート様は何も悪くないのに。



 私の言葉に、アルバート様が一瞬言葉に詰まり、少し迷ったあと口を開いた。



「……殿下が前に言ったことを覚えているだろうか」

「殿下が?」

「フィールディング公爵家の男の愛は重い」


 ゾッとするほど暗い自嘲めいた笑みを浮かべて、アルバート様は「愛を言い訳に人を利用し、尊厳を踏みにじり、不幸に陥れる。それがフィールディング公爵家の業だ」と言った。



「母上もその犠牲者の一人だ。『息子』の教育を一任された彼女は……私が六歳の時からフィールディング公爵家の罪を説き始めた。愛した者も、それに巻きこまれる者も不幸になる。利己的な血、そして薄汚い血が流れる私が罪を重ねないよう自身の罪深さを知ることが大切だと」



 あまりの言葉のひどさに、私は言葉を失った。


 それを、六歳の彼は聞かされたのだろうか。おぞましさにただただ唇を震わせていると、アルバート様の口から耳を疑うような『教育』内容が淡々と語られた。



「私がそれまで少しでも好んでいたものは、全て私自身の手で壊し、踏みつけ、燃やすように命じられた。食事には毎回私の好物が用意され、それには必ず毒物が……といっても、死ぬことも後遺症が残ることもない程度のものだが――混ぜられていた」


「そんな……」


「私を庇う使用人もいた。その者たちは例外なく、私の目の前で鞭打たれた。侍女長であり、私の乳母だった者は貴族だったため鞭打ちは免れていたが……最終的には母上の手によって、盲目となった」


 そこで一呼吸置いて。アルバート様は、淡々と。声を荒げることも、泣く事もなく続けた。



 悲鳴を上げる乳母の前に、可愛がっていた犬が立ち塞がって吠えたこと。「次はこの犬ね」と呟いた夫人に、必死で謝ったこと。謝って謝って、犬も乳母も好きじゃないこと、これから何も好きにならないと訴えたこと。


 そうしてその時初めて夫人は、アルバート様の頭を優しく撫でて、微笑んだということ。

 それから乳母は犬を連れて、故郷へと帰ったこと。


「それから数年が過ぎたところで父がこの騒ぎを知り、南の領地へ母上を連れて行った。君に言えるのは、これくらいだ」


 アルバート様の口調はひどく冷静なのに、指先が震えている。

 氷のように冷たいその指先にそっと触れる。

 びくりと跳ねた指先が、驚いたように固まってーー同じように震える私の手を、優しく、強く掴んだ。



「……どうして泣いているんだ」

「だん、旦那様は……」


 言葉は繋がらなかった。ぼたぼたと熱い涙が次から次へと頰を伝い、絨毯に落ちていく。


 止めどなく溢れる私の涙に、アルバート様は困り果てたように眉を下げて、「泣かないでくれ」と、私の頰や目元を繋いでいない指先で何度も拭った。


「ずっと私を、守って、くださっていたんですね」


 初夜のあの日も、新婚の慣例を無視したことも。王城の舞踏会で、公爵夫人から言われて初めて私のエスコートを決めた事も、きっと全部。

 私が危険な目に遭わないように、彼は何も言わずに私を守ってくれていたのだ。


「……守れていない」


 アルバート様が苦々しく悲しそうに呟く。


「もう私のせいで、誰も傷つけないと誓ったのに。……結局、私は君を守れなかった」

「私はこうして、無事でいるじゃないですか」


 ひどい泣き顔のまま、私は無理矢理微笑んだ。


「次は私、もっとうまくやります。夫人とはお茶どころか握手も会話もしませんし、旦那様の側から離れません。というか屋敷に入れません。旦那様が私を守ってくださるように、私も旦那様をお守りします」


「何を言って……」


「夫人が捕まるまで、離婚なんてしません。そして旦那様に好きな人が現れるまでお側にいます。だって約束したじゃないですか。私が旦那様の感覚を取り戻すお手伝いをするって」



 夫人の呪いになんて負けないで、どうか愛する人を見つけてほしい。

 愛し愛される人を見つけてほしい。今まで与えられるべきだった愛情が、アルバート様の今後の人生にずっと降り注いでくれればいい。


 このままずっと一人で耐えていたアルバート様と離婚して、彼を一人この地獄に置いていくなんてことはしたくなかった。



「母上のことだけではない」


 アルバート様が、苦しそうにそう言った。


「私自身が、誰かを好きになりたくないんだ」

「……大丈夫ですよ、旦那様」


 彼が何を怖がっているのかを考えると、止まった涙がまた出そうになって、私は握ったままのアルバート様の指を強く握った。

 


「旦那様が誰かを好きになって、もしもその方の意思を無視してひどいことをしそうになった時は、私が絶対に止めますから」

「……止める?」

「はい。気絶させてでも、どんな卑怯な手を使ってでも。私はお止めして、その方を絶対に逃して差し上げます。私は長生きしますので、あなたの最期まで私がきちんとお止めします」


 私の言葉に、旦那様が一瞬口をつぐみ、迷ったようにまた口を開いた。


「私が、君を愛してしまったらどうするんだ」

「……同じですよ。大丈夫、旦那様が酷いことをなさりそうな時には、絶対に逃げますから」


 アルバート様の目を見て、私はにっこり微笑んだ。


「それに……旦那様。私は、あなたが自分の気持ちのままに人を傷つけるような人だと思っていません。誰かを不幸にしたくないと、感情も感覚を失くしても一人で戦っていたあなたは……誰よりも優しい人です」


 アルバート様が目を見開いてハッと息を呑む。そんな彼の目を見てにっこり笑って、私はずっと言いたかったお礼の言葉を伝えた。


「苦しかったですけど、旦那様がずっと看病してくださったおかげで、私は眠っている間ずっと心強かったです。旦那様がいてくださって、本当に救われました」


 私の言葉に、旦那様が俯いて、微かに聞き取れるくらいの小さな声を出した。


「君が……」

「はい」

「君が生きていてくれて、本当によかった」


 そう言うと、アルバート様が顔を上げた。

 銀色の髪が窓から差し込む光に輝き、青い瞳が透き通った宝石みたいにキラキラと輝いた。


「私は……私は、君が、この世界のどこかで笑っていてくれればいい」


 そう微笑むアルバート様の表情は、この世のものとは思えないくらい綺麗で。

 ようやく見れた笑顔に嬉しくなって、また涙がぽろりと落ちた。


 今日だけは涙腺が弱くなっても仕方ない。

 けれど明日からは、絶対にいつも通りに過ごせるように。


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