頭突き




 痛くて、熱くて、苦しい。

 もしかして今までのことは全部夢で、私はまだあの病室のベッドの上にいるんだろうか。


「ヴィオラ……」


 そう思っていた時、アルバート様の声が聞こえた。額に乗せられた冷たい手がひやりと心地よくて、薄目を開けるとそこには辛そうな顔をするアルバート様がいた。


「すまない……」


 なんでアルバート様が謝るんだろう。一瞬そう思ったけれど、すぐに意識が遠のいていく。


 そこから何度も、起きたり寝たりを繰り返した。地獄みたいに苦しい中、目を覚ますたびにアルバート様は私のそばにいた。手を握ったり、額の汗を拭いたりしてくれながら。


 何かに縋りたい時、絶対に誰かがそばにいてくれるのは安心する。

 目覚めるたびにアルバート様の冷えた手に安心しながら、私は何度も謝り続けるアルバート様の声を聞いていた。




 ◇



 ようやく楽に息がつけるようになった。妙に意識がはっきりとしている。

 重いまぶたを開けて、ぼんやりと天井を見上げた。



 三日くらいは、痛いと苦しいの間で眠っていたような気がする。

 一体私の身に何があったんだろう……なんかやけに右腕が重いのが怖いんですけど……。


 おそるおそる鉛のような右腕に視線を向けた私は、ぎょっとして目を剥いた。


 げっそりと頰がこけ目の下にクマができたアルバート様が私の手を握っていて、今にも死にそうな悲惨な顔をしている。思わず「うわっ」と声を出すと、アルバート様が虚ろに私を見て――飛び上がった。 



「目が覚めたのか……!」



 視界の端ではパメラが走って出て行き、年配の女性ーー、お医者さまらしき方を連れてきた。


「さあ、アルバート様。これでお休みになれるでしょう」


 そう言って無理矢理アルバート様を追い出すと、お医者さまは私の瞼の裏や喉の奥などをてきぱきと診察を始める。


 どうやら私は一週間もの間眠っていたようだ。

 診察を終えたお医者さまが、少し安心した表情で説明をしてくれた。



 ◇



「単純に言えば、一緒に摂取してはいけないものを摂取してしまった、ということです」


 そのお医者さまーーメアリーさんは、そう言った。


「お飲みになっていた紅茶は、この国では高貴な方が好むお茶でして、単体でお飲み頂く分には全く問題ありません。しかし、南の地に生息するメイモンという果実の果汁と一緒に摂取すると強い毒性を持つのです。メイモンは非常に苦味が強いので、通常口に入れることは稀なのですが……お心当たりはございますか?」

「苦いもの……あ、ハーマンが淹れた紅茶……?」


 私の言葉にメアリーさんは首をふり「執事の方が淹れた紅茶は既に調べておりますが、あれはむしろ毒性を中和し、毒物を排出する作用がある紅茶となります。むしろ、あの紅茶を飲まれていたからこそ命を落とさずに済んだのかと」と言った。

「ひえ……」


 思わず声が出た。ハーマンのおかげで命拾いした。ボーナス三倍決定の瞬間である。


「他にお心当たりがないのなら、直接召し上がられたわけでは無いかもしれません。調査がすむまではいつもの紅茶は念のためおやめください。それから内臓に大きな負担がかかっているので、しばらく食事は消化に良いものを。少しずつ量を増やしてください」


 私は頷きながらもショックを受けていた。

 そのメイモンとやらをいつどこで摂取していたのか、ということも気になるけど、また食事制限が始まったことも悲しい。

 弱っているはずの私の胃は今、悲しいほどに空腹を訴えている。



 その後すぐにメアリーさんはお帰りになり、すぐに絶対休んでないだろう顔のアルバート様がやってきた。

 手にほかほかと湯気を立てる、美味しそうな香りのスープを持ってきて。


 食べてもいないのに一瞬で胃袋を掴まれた私は、勢いよく食べようとして――アルバート様に止められた。


「ゆっくり」「こぼさないように」「よく噛むんだ」と言いながら、彼はけして不正を見逃さない試験官のような顔つきで私の食べる姿をじっと観察している。


 正直ちょっと……いや、かなり鬱陶しい。そう思いつつも、有無を言わせない眼差しに渋々従った。


「美味しかったです」


 あっという間に平らげて、手を合わせる。


「久しぶりの食事だが、吐き気は?」

「ありません。もっと食べられると思うんですけど」

「夜は少しだけ増やすように言おう」


 夜か……。

 肩を落とした私を見て、アルバート様が心底ホッとしたような、とても悲しいことがあったような、複雑で奇妙な顔をする。


 どうしてそんな顔をするんだろう? 看病中ずっと私に謝っていたことも含めて、色々聞いてみたいけれど。


「……アルバート様、今日はゆっくり休んでくださいね」


 彼の目の下の隈があんまりにもひどかったので、何も聞けなかった。


 ……きっと、寝る間も惜しんで看病してくれていたんだろう。


 明日か、また次か。アルバート様がちゃんと休んで、私が元気になった時、聞いてみよう。

 多分きっと。聞かなきゃならない大事な何かが隠されていそうな、そんな気がした。



 ◇



 私の今世の生命力はなかなかのものだ。

 三日が経ち、お医者様の度肝を抜くほど元気いっぱいになった私は、何故かあれ以来姿を見せないアルバート様の執務室を元気よくノックした。


 ハーマンがちょっとだけ困ったように扉を開ける。

 部屋に入ると、アルバート様が実務机に座り、顔も上げないままカリカリとペンを走らせていた。


「――どうした」

「元気になりましたので! お礼に伺いました!」

「……それは何よりだ。礼はいらない。――用事が済んだのなら、戻ってくれ。見ての通り仕事中だ」


 驚くほど冷ややかな声に、私はぽかんと口を開けた。さてはハーマンが何かとんでもないミスをして怒らせたのだろうか。八つ当たりなんてしなさそうな仏のアルバート様をこんなに怒らせるほどに。


 しかし私が胡乱気な視線にハーマンはぶんぶんと首を横に振った。違うらしい。


「……? 旦那様、どこか具合でも……」

「最近、私の態度が甘かったが」


 私の言葉を遮って、アルバート様が少しだけ語気を強めた。


「私とあなたは名ばかりの夫婦だ。こうして交流を図る必要も、あなたに私のことを心配される筋合いもない」

「は?」

「私に構わなければ、好きにしてもらって構わない。私に関わることだけはやめてくれ。迷惑だ」


 …………。


「ハーマン。ちょっとだけ出てくれるかしら」


 私がそう言うと、ハーマンは礼をしてすぐに出て行く。扉が閉まるのを見届けて、私は怪訝そうな顔のアルバート様にゆっくり近づいた。


「旦那様。ちょっとお顔を貸してくださいませ」

「――忙しいと言った筈だ。戻っ……っ――なに、を」


 アルバート様の頬を両手でがしっと掴む。見開かれた瞳に、やけに据わった瞳をした私の顔が映って。



 次の瞬間、私の頭突きがアルバート様の額にクリーンヒットした。



「!!??」


 かなりの勢いで打ちつけたのに、アルバート様は驚くだけで赤くなった額をさすりもしない。


 ぬう。やはり痛みを感じなかったか。

 どちらかといえば被害を被った側の私のおでこを自分でさすりながら、私はキッとアルバート様を睨み「ばかですね!」と叫んだ。


「あんなに熱心に看病してくださった旦那様が、私を迷惑だと思ってないことくらいわかってますよ!」

「な……」


 驚きに目を見開いているけれど、むしろわからないと思ってることに驚きだ。


「なんですか、どうなさったんですか。名ばかりとはいえ、私たちは夫婦です。なのに旦那様は全て一人で抱えて、私には何も言わず――……こうして突き放されたら、私はとても悲しいです」

「……」

「旦那様は、何を怖がっているんですか?」

「……!」


 肩が揺れる。私は一歩も譲らない気持ちで、もう一度口を開いた。


「教えてください。教えてもらえるまで――私、ここから動きません」


 私の視線に、アルバート様は脅迫が本気だと悟ったのだろう。

 小さく息を吐き、一瞬だけ目を瞑ったあと――、淡々と口を開いた。



「君が毒に倒れたのは、私のせいだ」

「え?」

「私が君の命を脅かした」


 そう言うアルバート様の唇は震えていた。


「私は、何かを愛してはならない。少しでも何かを好ましいと思ってはならない。そう教育された。そして君が倒れたのは、その教育のためだと思う」

「教育……?」


 その言葉の不穏さにゾッとする。公爵夫人の顔が浮かんで、私は信じたくないような気持ちで青ざめた顔のアルバート様を見つめた。


「君が倒れたのは、母上――フィールディング公爵夫人が行ったことだと確信している。しかし証拠がない以上、私が今君のためにできることは、君と距離を置き、近いうちに離婚することだけだ」


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