アルバート様が笑った
「余計なことを言ってしまったみたいね」
一瞬の沈黙の後、夫人はたおやかに微笑みながら席を立った。
「……アルバートにも挨拶をしたかったけれど、そろそろ公爵様が送った迎えが来たようだわ」
夫人の言う通り、何かを話しながら近づいてくる聞きなれない男の人たちの声が、扉を通して部屋の外から聞こえて来た。
ハーマンが扉の前に近づき、私も釣られるように椅子から立ち上がった。
「ヴィオラさん。つい心配でお節介なことを言ってしまったけれど、アルバートをよろしくね」
夫人が微笑んで、手袋をつけたままの手を差し出す。一瞬躊躇いつつも私が手を差し出すと、夫人がぎゅっと強く私の手を握った。
「……ッ、?」
「あら、ごめんなさい。思わず力が入ってしまって」
力強い握手にちくりと微かな痛みを感じたような気がして、ちょっとだけ眉を寄せると夫人はパッと私から手を離す。
その時ちょうど扉が開き、見覚えのない騎士たちがアルバート様と共に部屋に入ってきて、夫人を見るなり低く鋭い声を出した。
「ヘレナ様!……勝手に屋敷を抜け出されるとは」
リーダー格なのだろう。眼光鋭い強面の騎士様が、怒り混じりの冷たい瞳で夫人を見る。
「大袈裟ね」
ため息を吐く夫人に、強面の騎士はぎろりとした視線を送り「公爵様がお待ちです。すぐにお帰りを」と有無を言わさない口調で言った。
さっきまで夫人に対して悲しさや怒りでいっぱいだったのに、私は困惑しながら夫人や騎士やアルバート様を見た。
確かに公爵夫人が黙っていなくなったら、大事になるだろうけれど……それにしても騎士の反応はきつすぎやしないだろうか。
しかし夫人は慣れているのか騎士には特に反応せず、無表情のアルバート様に「あなたとお話ができなくて残念だわ」と微笑んだ。
そしてそのまま騎士に連れられて出て行く後ろ姿を、私は呆然と見送った。
◇
「内緒で来たと言っていたのに、ずいぶん早いお迎えでしたね……」
「母上が供も連れずに出かけるとしたらこの公爵邸以外にない。早馬で真っ直ぐこちらに向かったんだろう」
「そうなんですか……」
息子のところに行くとわかっているなら、そんなに追いかけなくても良さそうなものなのに……。
そんなことを思っていると、強い視線を感じた。アルバート様が私の頭のてっぺんから爪先までを観察するようにじろじろと見ている。
「……何ですか、そんなにじろじろと」
「母上の前で、何か食べたり飲んだりしなかったか?」
「え? ハーマンが淹れてくれた紅茶を飲みましたけど……」
若干苦かったのでお砂糖はたっぷり入れた。
私の言葉に、アルバート様は「そうか……」とそこはどうでもよさそうな返事をしながら、更に私の観察をした。
「体調は? 少しでも何か異変はないか」
「ないですよ! どちらかといえば、旦那様のほうが体調が悪そうです」
「私は問題ない」
そう言うアルバート様の顔色は悪い。夫人が来てから様子もおかしいし、こんなに私の体調を気にするのもおかしい。
もしかして、何か精神的なもので具合が悪くなってしまった経験があるのかもしれないな。
そう思うと少し悲しい気持ちになって、私は努めて明るい声を出した。
「よかった、私も元気です! それなら先ほど言っていたカードゲームをしましょう?」
「カードゲームか」
アルバート様がどこかホッとしたような表情で頷く。
そのまま二人で私の部屋に向かいながら、ちょっとだけ強張りがとけたアルバート様の表情に私も内心ホッとした。
◇
カードゲームは、なんとなく予感していた通り私の惨敗だった。
多分頭の出来が違いすぎるのだろう、何度やっても惨敗の結果に終わる。ここはやはり、運で全てが決まる人生ゲームや黒ひげ危機一発にすべきだった。今のところこの世界にはないけれど、作るべきだろうか。
「失礼します」
私がちょっとむくれていると、ローズマリーが恭しく紅茶とシュークリームを持って入ってきた。
粉砂糖がかかったクッキーシューは、もう存在自体が美味しい。
まずは紅茶を一口飲むと、いつも通りの良い香りが口の中に広がった。ローズマリーがいつも淹れてくれるこの紅茶はとても香りが良くて美味しくて、私の大のお気に入りだった。
そして待ちに待ったシュークリームを口に入れる。サクッとした生地に、なめらかな生クリーム。天上の味だ。
「これは……十個食べられますね……」
「十個」
「気分的には百個です」
「君は……いつも君だな」
噛み締めるように言う私に、アルバート様が気の抜けたような顔で至極当たり前のことをいった。
「安心した」
そう言って、アルバート様が目を細めてふっと笑った。
予想だにしなかった初めての表情に、私は目を見開いた。
アルバート様が、笑った。
「アルバート様、今……!」
びっくりして思わず前のめりになった瞬間。
何か熱いものが胃からせり上がり、思わず口元を押さえた手を生温かいものが濡らした。
手が、真っ赤に染まっている。
驚いてアルバート様の顔を見ると、彼は信じられないものを見るような目でこちらを凝視し、弾かれたように立ち上がった。
息ができない。胃も喉も食道も、全てが焼けつくように熱い。
視界が真っ暗になって、ぐらりと体が揺れて、何かに抱きとめられたその瞬間。
「ヴィオラ!」と、アルバート様の、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます