公爵夫人
優雅に微笑むアルバート様のお母様ーー公爵夫人に、アルバート様が強張った表情のまま口を開いた。
「母上、何故こちらに……突然どうなさったのですか」
「あんな事件があったのだから、様子を見にくるのは当然でしょう」
公爵夫人は困ったように微笑みながら、「突然ごめんなさい。公爵様には内緒で出てきたから先触れを出す間もなくて」と私に言った。
「とんでもありません。遠いところからいらしてお疲れでしょうから、お茶を用意致しますね」
多少驚いたものの、突然誰かがやってくる展開に私は割と慣れている。なんせ急に突撃してきた王族をもてなした経験もあるもんね。
ハーマンにお茶の用意をお願いしようとすると、公爵夫人が「ありがとう」と礼を言ったあと、ハーマンに「お茶は二人分で良いわ」と言った。
なるほどなるほど、アルバート様と積もるお話もあるよね。そう思って頷くと、夫人はびっくりするようなことを言った。
「ヴィオラさんと二人で話してみたいと思っていたの。もしよかったら、一緒にお茶でもどうかしら」
「私とですか?」
びっくりして思わず素っ頓狂な声をあげると、アルバート様も固い表情をさらに固くさせ「彼女とですか?」と言った。
「母上。事件についてお聞きになりたいのでしょう。私が説明致しますので、私の部屋に……」
「まあアルバートったら、姑から呼び出されたお嫁さんを心配しているの? 朴念仁のあなたに大切な人ができたということかしら。確かに随分仲が良さそうに見えたけれど……」
「そんなことは有り得ません!」
公爵夫人に揶揄われて、さっと顔色を変えたアルバート様が珍しく声を荒げる。
最近仲が良くなってきたと思っていた私は若干ショックを受けつつも、初めて見るアルバート様の姿に動揺した。
どうしたのかな。思春期か。ハラハラする私とアルバート様を交互に見て、公爵夫人がため息を吐いた。
「本人の前で、なんて失礼なことを。あなたが言うことが本当なら彼女と少しお話しをするくらい良いでしょう? ……ごめんなさいね、ヴィオラさん」
「い、いえ……」
「……失礼致しました。ではハーマン、母上におもてなしを。けして粗相のないように」
アルバート様が、昔のように無機質な表情でそう言う。
公爵夫人は困ったように優雅に微笑みながら、そんなアルバート様を観察するように見つめていた。
◇
ハーマンが淹れた紅茶の香りが、部屋いっぱいに広がる。
やはり公爵夫人が来て気合が入っているのだろうか。初めて見る銀の茶器で出された紅茶は嗅いだことのない芳しい香りで、苦味が強い。大人の味わいである。
私はせっせと紅茶にお砂糖を入れながら、アルバート様とそっくりの美しい所作で紅茶を愉しむ夫人を密かに見つめた。
ヘレナ・フィールディング様。元はコルベック侯爵家という建国当初から続く由緒正しい家柄の彼女は、我が国では珍しい銀髪をしている。
ある日出た夜会でアルバート様のお父様である公爵閣下に一目惚れされ、その銀髪も青い瞳も素晴らしい、どうか結婚してくださいと、その場で熱烈に求婚されたのだそうだ。一目惚れしたその場でプロポーズとは、閣下はなかなかに猛者である。
二人は貴族としてはかなり珍しいスピード婚で結ばれ、貴族の間では珍しいおしどり夫婦になった。
当時財政難に陥っていたコルベック侯爵家に鉱山の所有権まで渡したというから、閣下はよほど夫人が大好きなのだろう。
色々と推測するに公爵様はかなりのヤンデレだと思うのだけど、内緒でここに来て大丈夫なのかしら……。そんなことを思いながら、私も精一杯優雅に紅茶に口をつける。
「アルバートが新婚の慣例を無視したと聞いたわ。屈辱だったでしょう」
「あ、いえ……全然気にしていませんので」
実際その間は楽しんでいたので……とは言えるはずもなく、私はにっこりと笑った。
「そう……あなたは心の広い素敵な方ね」
「そんなことは……」
ないんだよなあ……。
心が広かったら枕を投げつけたりはしないだろう。あの夜のことは絶対にバレませんように、と念じながら私はほほほ……と上品に笑った。
「だからかしら。さっきあの子はああ言ったけれど、あなたを気に入っていることは間違いないと思うの」
「そうでしょうか……?」
「ええ。さっきは驚いたわ。前よりも表情が明るくなって、あなたを見る目が優しかった。昔飼っていた犬に対するような目だったもの」
犬……。
確かにアルバート様が私を見る眼差しは名ばかりの妻に対する目というよりも、なんというか洗い立ての洗濯物の上で寝転ぶ泥だらけの駄目な犬を見つめる眼差しだ。我ながら言い得て妙。例えの天才。だけど犬か……。
私がやや微妙な気持ちでいると、夫人が少しだけ声のトーンを落とし真剣な顔で口を開いた。
「だから、今日はあなたに忠告をしにきたの」
「え?」
「フィールディング公爵家の男は愛が重いと、聞いたことがないかしら」
「……はい、少しは」
「重いのよ、本当に」
何を言いたいのかわからずに私が首を傾げると、公爵夫人は「フィールディング公爵家の男は、愛のためには何を踏み躙っても平気なの」と困ったように微笑みながら言った。
「実際に、親しくなる前のあの子はあなたを傷つけたでしょう? きっと流れる血のせいで魂が汚れているのね。アルバートには気をつけた方が良いわ。今のところ誰かを傷つけたことはないけれど、その内きっとーー」
「アルバート様はそんなことはなさいません」
思わず夫人の言葉を遮った私は首を振って、もう一度「そんな方じゃ有りません」と言った。
ものすごく悲しい気持ちだった。
前にアルバート様が発して驚いた『魂が汚れる』という言葉を、今目の前のこの人が発したことで少し謎が解けた気がした。
そうだ。この人はアルバート様に、ただの一度も『怪我は大丈夫?』と聞かなかった。
「アルバート様は、優しい方です」
誰かを踏み躙るなんてとんでもなかった。
アルバート様は十四歳の頃からたった一人でこの屋敷で頑張ってきた。休むことも知らずにずっと真面目にお仕事をこなされて来た。
楽しいことも美味しいものも、心地が良いことも何もない毎日の中、ずっと一人で。ただ知らないだけかもしれないけれど、それならきっと知ろうともしていないのだと思う。
そんな人にアルバート様を侮辱する権利があって良い筈がない。
私の言葉に夫人は一瞬沈黙した後、「そう……」と小さな声で呟いた。
「……あなたはアルバートを、大切に思ってるのね」
夫人がそう呟き、私は頷いた。
夫人にとってはどうあっても。アルバート様は、私にとって充分大切にしたい存在だった。
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