短い夜②




「本当に旦那様って優しいですね……!」

「……」

「どうぞ、お茶です! へへ、人生で初めて人にお茶を淹れました! ブランデーを入れると美味しいらしくて、ちょっと多めに入れておきました。……あ! 秘蔵のお菓子も出しますね!」

「……!」


 アルバート様にはブランデー入り。私にはノーマルタイプのお茶を、それぞれテーブルに置く。


 パメラ曰くブランデー紅茶では酔ったりしない、ということなのだけれど、一応だ。招き入れといて酔っ払ったら申し訳ないものね。アルバート様だけ特別だ。


 しかし、差し出された紅茶を仏像のような表情で眺めたまま、アルバート様は動かない。


「……やっぱり、ちょっと怒ってますか?」

「いや……怒ってなどいない」


 押しに弱いアルバート様は、苦渋の決断といった面持ちで私の部屋にいることを了承してくれた。それはもう、しぶしぶと。

 どうせ私の近くに潜んでいるなら目の前にいる方がいいじゃないか、という気持ちもチラッとあったけれど、どうやらそれとこれとは違うらしい。


「あの……旦那様。お疲れでしたら、やっぱり大丈夫です」


 急に申し訳ない気持ちになってきて、私はそう言った。温かいお茶とお菓子を食べてほっこりしたら、怖さも薄れてきた。……ような気もする。



 しかしアルバート様は「疲れていない」と首をふり「ただ……耐えられるか不安だ」と呟いた。


 耐える……? 


「…………まさか旦那様。私によこしまな考えを……?」

「……! ち、違う! それは絶対にない!」

「ですよね」


 自分のパジャマ姿を見る。色気が無。無である。

 首から足首まで隠れる長袖のワンピースタイプだ。中にはお腹から足首までしっかりと温めてくれるパジャマパンツまで履いていて、昼間よりもよっぽど露出度が低い。冷えは健康の大敵なのだ。でなければさすがに、騎士様のところに行こうとは思わない。

 

「では何にですか?」

「………………何でもない」


 言いたくなさそうなアルバート様に首を傾げる。

 しかしまあ、言いたくなさそうなことは聞かないでおくのが優しさだ。

 そう思った私は「それにしても旦那様が夜まで私をつけ……見守ってくださっているとは思いませんでした」と話を逸らした。


「見守る?」

「最近ずっと、偶然を装っては私を助けてくれていたじゃないですか。あれは、私を心配して見守ってくれていたんですよね?」


 一歩間違えればストーカーにも見えるアルバート様の行動は、私が毒に倒れた後から始まった。

 きっとまた私に何かが起こらないか、心配だったのだろう。


 ーーそういうのも、もしかしたら大変だったのかもしれないな。


 夕食の時の、早く離婚したい発言を思い出してそう思う。

 見守りなんていらないと私が言っても、それはそれでアルバート様の気がすまないに違いない。



「……いつも、本当に通りがかっているだけだ」


 アルバート様が気まずそうに目を逸らす。嘘が下手にも程がある。


「……そして誤解があるようだが、私は夜、基本的に執務をしている。断じて普段、夜は君の部屋に近づいてはいない。ただ今回ここにいたのは……単純に君の様子が気になったからだ」

「様子?」

「夕食の途中から、急に元気がなくなったのではないかと……」


 驚いてアルバート様の顔を見ると、彼は心配そうな眼差しでまっすぐこちらを見ていた。

 まさか私の感情の動きに気づいているとは思わなかった。あのアルバート様が。


「……ありがとうございます。でも何でもないんです。ええと……ハンバーグが美味しくて、無くなるのは悲しいな、と……」

「……なんだ、そうなのか」


 アルバート様がほっとしたように息を吐き「ならば次は大きいものを用意させよう」と言った。


 あ、納得するんだ。……納得するんだ……?

 若干の侘しさと淑女としての危機感を感じつつも、アルバート様が気づいてくれたことは純粋に嬉しい。


「……旦那様って、本当に優しいですね。気にかけてくれて嬉しいです……」


 しみじみとそう思う。少し不器用だけれど、アルバート様は誰よりも優しい。

 私がそう言うと、アルバート様は一瞬息を呑み、ブランデー入りの紅茶を一気に飲み干した。



 ◇




 アルコールのおかげだろうか。

 アルバート様は先ほどの強張った表情からどことなく柔らかな表情となり、リラックスし始めたように見える。


「……これは何だ?」


 サイドテーブルに置かれた二つの小瓶を手に取り、アルバート様が言った。


「これはゴドウィンからもらったものですよ。これを爪に塗ると、爪が色づいて輝くんです。素敵ですよね?」

「…………彼か」

「はい。何年も前にゴドウィンに、爪を色づかせるものがあればいいのに、と言ったことを覚えていてくれて。それで作ってくれたんです。これは私の人生で三本の指に入るほど嬉しいプレゼントでした」


 ちょうどあの時は王都に来たばかり。久しぶりに再会した友達に会ってもらったものだから、余計に嬉しかった。


「……私も、君に欲しいものを言われたら何でも贈る」

「えー! 嬉しいです! プレゼントって、もらうと本当に嬉しいんですよね」


 今のところ欲しいものはないから、いろんな味のマフィンでも作ってもらいたいな。


「そういえば、旦那様の心に残ったプレゼントってありましたか?」

「プレゼント……」


 何故かまた瞳からハイライトが消え始めていたアルバート様が、「……非常に印象深いものがある」と言った。


「非常に斬新で精巧な力作だったが……精巧すぎて、嫌がらせなのかそうではないのか判別がつかなかった」

「そんな……」


 ひどい話だ。

 嫌がらせかどうか判別がつかないようなものを、普通の人間は贈らない。十中八九嫌がらせだろう。

 それなのに嫌がらせじゃないかもしれないと思うアルバート様が健気で、私は少し目頭が熱くなった。


「嫌がらせかどうかわからないものは、宝物庫にでも放り込んでおきましょう?」

「いや……今は、宝物なんだ」


 そう言って寂しそうな、嬉しそうな顔でアルバート様が笑う。

 なんて不憫なのだろう。そのうち私もアルバート様に、どこからどう見ても喜ばせるために贈ったものだとわかるプレゼントを、贈ってあげよう。


 私がそう決意していると、アルバート様が少しだけ複雑そうな顔で、灰色の方のマニキュアを手に取った。


「……女性が身につけるもので灰色とは、珍しい気がするな……」

「あ、そうなんです。ちょっと地味な色なんですけど……」

「私はこの色が好きだ」


 アルバート様が何かを好きと言ったのは初めてで、私は驚いてアルバート様の顔を見た。マニキュアに視線を落とす彼は、とても優しい顔をしていた。


「この色は、君の瞳の色だから」


 何でもないように言うその言葉に、病気かと思うほど心臓が跳ねた。

 頰が一気に熱くなり、誤魔化すように大声を出す。


「そ、それは……! 好きなものができて、良かったです……! あ、他には、他にはありますか?」


 アルバート様が少し躊躇って、首を振る。


 まあ灰色は私の瞳の色でもあるけれど、今の季節の空の色でもある。なんていうかよく見た色だから、見慣れて愛着が湧いたのかもしれない。サブリミナルというやつか。いや違うな。



「……他に好きなものは、ない、が。以前よりも世の中に、ずっと興味を持てるようになってきた」

「それは……すごく、素敵なことですね」

「君のおかげだ」


 いつもより饒舌で照れ臭いことを言うのは、お酒が入っているからだろうか。


「……君が好きそうなものを見つけると、君に見せたいと思う」


 アルバート様が目を伏せて、そんなことを言う。


「……いや。好きそうなもの、ではないな。何を見ても君はこれが好きだろうかと考え、好きになってくれたらいいのに、と思う。そして君に見せたいと」

「……それは、私も一緒です」

「一緒?」


 驚いたように目を見開くアルバート様に頷く。


「私も最近、いいなあって思ったものや美味しいものを食べると、旦那様に見せたいな、一緒に食べたいなって思うんです。そして旦那様も、好きになってくれたらいいなって」

「……! そ、そうか……」


一瞬驚いた彼は跳ねるように顔を上げ「一緒か……」と呟いた。


「……君に好きになってもらえるものは、幸せだろうな」


 気恥ずかしい雰囲気が漂って、私は「そうだ! ドミノしましょう!」と言ってチェス駒を取り出した。かっこよさにつられて買ったものの、ルールがよく理解できないまま埃をかぶっていたのだ。


「……ドミノ?」

「この駒を並べて倒すと……ほら、流れるように倒れてい……かない?」


 悪戦苦闘する私に、アルバート様が呆れたように笑う。

 その顔があまりに優しくて、もう少しこの時間が続けばよいのにな、と思った。



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