レモネードとお休みの時間
もう少しでアルバート様が帰ってくると思うから待たれては、と言った私に、ルラヴィ様は首を振った。
「アルバートのことは、もういいの」
「……もういい?」
「ええ。さすがに人を巻き込んだことは反省したし……もう……無駄な努力はやめるわ」
「えっ」
戸惑う私に、ルラヴィ様は綺麗に微笑んで馬車に乗り込んだ。
「……アルバートと、どうかお幸せにね」
いずれ離婚すると告げようか。いやでも、理由はなんて説明しよう。グルグルと悩んでいる私にルラヴィ様はそう言い残し、返事をする間も無く馬車は走り去っていく。
それを見送りながら私は、もう一度「えっ……」と呟いた。
◇
女心は秋の空。
ルラヴィ様と入れ替わりで帰ってきたアルバート様を見て、私は心の中で十字を切った。
「……なんだ」
「いえ……旦那様。世の中には星の数ほど女性がいますからね」
ルラヴィ様がアルバート様を諦めたのは、多分私のせいでもある。普通に後ろめたい。
脈絡なく慰め始めた私を、アルバート様は奇怪な生き物をみるような目で見た。
……お気の毒だ。
逃した魚は大きかったが、釣った魚(私)は小さかった男、アルバート様。
私がアルバート様なら情緒を取り戻した瞬間悔しすぎて打ちひしがれると思う。
知らない間に国一番の美女に振られたアルバート様に優しい顔を向ける。
彼は、何を言っているんだこいつは、というような嫌な顔をした。
「……何を言っているのかさっぱりわからないが」
「世の中には素敵な女性がたくさんいるということです。今後情緒を取り戻した暁には、あの時大事にしておけばよかったー! と後悔なさる日が来るかもしれませんけど、きっと他にも大事にしたい女性ができると思います!」
「…………」
何かを察したのか、アルバート様の表情がいつもよりも冷ややかだ。
「………………私には大切にしたい女性などいないし、これから先も作る気はない」
「大切にしたい女性は作るものではなく、いつの間にか大切にしているものですよ」
我ながら良いことを言った。少々得意気にアルバート様を見ると、彼は珍しくムキになって口を開いた。
「だから私は、君を大切にしたいとは……」
「え? あ、はい。もちろん私じゃなく…。あれ、いや、私って大切にされてる……?」
「していない!」
アルバート様の否定は無視するとして。思わず首を傾げる。
思い返せば最近は食育と称したマフィン作りも「……」と言う顔をしつつ手際よく私の好きな紅茶のマフィンを中心に作ってくれているし、私が間違って執務中に乱入した時も「…………」となりながら、ちょうど終わったところだったと明らかな嘘を吐きながら私に付き合ってくれている。
何より先日はシャンパングラスから守ってくれた。
身を挺して庇ってもらったのに、大切にされてないと言うのは逆に失礼じゃないだろうか……?
いや、でも本人「大切にしていない」と意味わからないくらいムキになってるな……。反抗期かしら……。
……まあここは、やや心を開いてくれているということで!
どちらにせよ私の言う大切にしたい女性、とはニュアンスが百八十度違う。
そのお相手はいずれ見つかるとして、まずは心を開きかけてくれているだけでもアルバート様にとってはかなりの大進歩じゃないだろうか。
最近は『眉を顰める』『驚愕する』以外の表情も結構出てきたし、これは私の情緒復活に向けての作戦がかなり効いている証拠だと思う。
「よし。ならば気合を入れて今日もたっぷり情緒を磨いていきましょう!……といっても今日は寒いのでやる気が出ませんね……」
もう秋は終わり、冬といって差し支えない。
今にも雪が降り出しそうな曇天を見上げ、世界一寒いのが苦手な私は、今日は早々にぐうたらすることに決めた。
「はい、あつあつのレモネードです。寒い日、真っ昼間からブランケットにくるまり、こうしてぬくぬくと飲むレモネード……最高ですよね」
私とアルバート様は、一番日当たりの良い部屋ーーといっても今日は曇り空なのでさっぱり日が入らないーー私の部屋のソファでそれぞれブランケットをかけ、熱いコップを手にしていた。
レモンの爽やかな香りが、部屋の中いっぱいに広がる。
「……風邪予防になりそうだ」
「そうなんです! この世で一番大事なものは健康ですからね。健康じゃないと、編み物一つ楽しむのも気力が必要ですから……」
といっても前世の私は、今世と同じで不器用だった。なので例え健康でも編み物は楽しめなかったような気もする。
そんな私に、アルバート様は不思議そうな顔をした。
「……まるで大病をしたことがあるような物言いだな」
「えーと……実は、昔体が弱かったんです」
「それは知らなかった」
心底不思議そうな顔をするアルバート様に、「子どもの頃の話です」と誤魔化した。
お互い本を読んでぐうたらしよう、ということで話はまとまった。
私はドレスのデザイン集を手に取りアルバート様は……仕事の書類に目を通し始めた。この男、ぐうたらの意味を知らないのだろうか。
「旦那様。今はお休みしましょう? 急ぎではないんですよね」
「……昼間から休むのは抵抗があるんだ」
「? みんながお休みの日まで働いてるじゃありませんか」
私が思うに、アルバート様は働きすぎだ。いつも人が休む日まで働いている。
最初は公爵家大変すぎる……と思っていたけれど、急ぎではない仕事やハーマンに任せてもいいような仕事までお一人でなさっていると聞いて、それも感覚を失うストレスの一因なのではないかなあ……とも思い始めてきたのだ。
「休んで気分転換したら、お仕事も捗りますよ」
「そうは言うが、私が昼間から休むわけにはいかないだろう」
「何故ですか?」
びっくりして聞き返すと、アルバート様は反射的、といった風に口を開いた。
「休むなど、私がそんな堕落した振る舞いをすればより魂が汚れて……」
「魂が汚れるって……」
ハッとしたように口をつぐむアルバート様に、厨二病だ……と一瞬思いかけたけれど、先程のルラヴィ様の発言がふっと浮かんだ。
『全てを諦めなきゃいけないことかしら』
アルバート様の顔を見ると、何も触れてほしくなさそうな固い顔をなさっている。
何も聞けず、私は何でもない風を装って微笑んだ。
「…………そんなことを言わずに、ほら、どうぞお休みください。何なら私の膝をお貸ししましょうか?」
「なっ……!」
「お嫌でしたら、一緒に休憩しましょう。ほら、これおすすめです」
狼狽するアルバート様に適当に数冊の本を渡す。
それから小一時間、私たちは何も言わずにのんびりとした時間を過ごした。
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