使用人は把握しておくべき


 ルラヴィ様の謝罪に驚いたけれど、少し救われたような気持ちになった。

 仕方ないよなあと思ってはいたものの、敵意を向けられるとやっぱりそれなりには悲しかったのだ。


「……ありがとうございます」

「あなたがお礼を言うようなことではありませんわ。……話はそれだけです」 


 ルラヴィ様も、肩の荷が降りたようなホッとした顔をする。

 その時扉をノックする音がして、パメラが紅茶を持ってやってきた。


「私はもう帰りますので、お茶は結構ですわ」


 そう言って立ち上がりかけたルラヴィ様に「ルラヴィ様の好物を用意しましたので、良ければ召し上がってください」と声をかけた。


「昨日アルバート様が作ったかぼちゃのマフィンです。ルラヴィ様が、以前お好きだったと聞いて」

「……今アルバートが作った、と仰ったの?」

「はい」


 驚愕して目を見開くルラヴィ様に、確かに驚くよなあ、と思う。貴族令息が厨房に入るなんて、それもお菓子を作るなんて聞いたことがないし、それがアルバート様なら尚更だ。


 言ってよかったのかな、とちょっとだけ思いつつ。

 だけど好きな人の作ったものは食べたいのが恋というもの。案の定ルラヴィ様は立ち上がるのを止め、差し出されたカボチャのマフィンをまじまじと見た。


「…………そう、なの。アルバートは、私の好物を覚えていたのね」

「あ、いえ、ルラヴィ様の好物は先日殿下に教えて頂いて……」


 懐かしそうに目を細めるルラヴィ様に私がそう言うと、ルラヴィ様がピクリと頰を動かし「殿下が?」と妙に冷え冷えとした声で言った。


「……そういえば舞踏会で、三人でお茶を飲んだと仰っていたわね」

「あ、はい。恥ずかしながら私はダンスが不得意でして……。教えて頂けないか尋ねたところ、屋敷に来て頂きました」

「……そう」

「……あ! といっても殿下は旦那様と踊られていましたので、私はハーマン……執事にだけ教えてもらったんですが。殿下とも旦那様とも踊っておりません」


 アルバート様とはその後一ヶ月くらいは練習したけれど、流石にそれを口に出してはいけないことはいくら私でもわかる。


 そしてこの国の王太子殿下を、自分のために呼びつけたわけではないことを強調する。不敬と言われたらその通りだとひれ伏すしかないからだ。いや教えて欲しいと言う時点で不敬かもしれないけれど……。


 私の言葉にルラヴィ様は「そう」と素っ気なく言い、優雅な仕草で紅茶を一口飲んだ。私の付け焼き刃とは全然違う、本物の淑女である。


 公爵家の教育……大変なんだろうな。

 アルバート様の重圧の要因もわかるかもと、私は咄嗟に口を開いた。


「ルラヴィ様は、小さい頃から高位貴族としての教育を受けてこられたんですよね」

「ええ」


 ルラヴィ様が当然でしょうと言う風に、訝しげな視線を私に向ける。


「どんな教育をされるんですか? どんなことが大変なんでしょう」

「きっとあなたと同じよ。主要な語学、男性に勝てない程度の教養。美の磨き方。大変なことは……全てを諦めなきゃいけないことかしら」


 予想外の言葉に戸惑った。私が受けた教育とは随分毛色が違うし、何よりも全てを諦めなきゃいけないと、少なくとも私は思ったことがなかったから。

 その私の表情を見て悟ったのだろう、ルラヴィ様が「良いご両親に育てられたのね」と静かに言った。


「それならご両親は……心配なさったでしょう。舞踏会の後、遠方のグレンヴィル伯爵がすごい速さで王城に来たとは聞いていたけれど」



 そうなのだ。あの舞踏会のあとすぐに公爵家からグレンヴィル伯爵家に手紙を出したところ、グレンヴィル伯爵家の屋敷は往復二日かかる遠方にも拘わらず、お父様は二日かからずにやってきた。着の身着のまま、髪も服もボサボサボロボロ状態で。


「……心配していたよ」


 怪我一つなくピンピンしている私の頭にそっと手を乗せ、お父様は静かにそう言った。


 そんなお父様は、横のアルバート様へ私を助けて頂いたことの礼を淡々と言い、身だしなみを整えるとアルバート様と一緒に王城へと行ってしまった。そこで色々と説明を受け、親子の会話をする間も無くトンボ帰りとなった。


「父様と母様はお前を信頼してる」


 発つ直前、いつも寡黙なお父様が真剣な顔をしてそう言った。


「だからお前が大丈夫と言う内は見守る。そうじゃない時は人に……私たちに頼れる子だと、信じてるから」


 それからアルバート様にさっと目を向けて「アルバート様。お約束をどうか、お忘れなく」と一言言い、そのまま馬に乗って帰ってしまった。

 ……そう言えば、アルバート様との約束って何だったのかしら。あの後聞いたけれど、アルバート様にはうまくはぐらかされてしまった。



 まあとにかく、そういう両親だから私は何かを諦めろと教えられたことはない。何事も諦めない心が望ましいとされる中で、何事も諦めていけなんて教育は私には異質に思える。

 ……だから我が家はパッとしないのかもしれないな。上に立つ人はきっと色んなものを犠牲にしてるのだ。


 公爵家という貴族の頂点の隠し事に少し触れたような気がして、私はちょっと神妙な気持ちになってしまった。


「……ちなみに。そんな素敵なご両親なのに私のことは誰にも相談しなかったの? ご両親じゃなくても、そうね……公爵夫人や、周りの方には」


 そう目を伏せるルラヴィ様に、私は首を振った。


「相談、は特に……。あ、髪結師のゴドウィン・ラヴリーという友人にはバレていましたけど」

「ああ……。あなた、確か仲が良いのよね。あなたが結婚してから、彼はあちこちであなたの良い評判をさりげなく広めていたわ」


 ゴドウィーン!

 王都に来てからというもの、ゴドウィンの好感度は上がる一方で下がることを知らない。もしもゴドウィンが地獄に落ちた時は、私が一生懸命蜘蛛を探して糸を垂らしてあげようと思う。百本くらい。



「……でも、そうなのね。馬鹿馬鹿しいことをしたわ、私ったら」

「……ルラヴィ様?」


 自嘲気味に笑うルラヴィ様に私が首を傾げると、彼女は少しだけため息を吐いた。


「……もう帰るわ。そのマフィン、持って帰ってもいいかしら」

「あ! はい、どうぞ」


 パメラに持って帰れるよう包むようにお願いをする。恭しく頭を下げたパメラに目を向けて、ルラヴィ様はちょっと迷ったように声をかけた。


「パメラ。……デボラは元気なの?」


 ルラヴィ様の言葉に、パメラの肩がピクリと跳ねる。


「……はい。今は、父と南の地方で療養しております」

「そうなの。……元気で良かったわ」


 パメラが頭を下げて、マフィンを包むために部屋を出る。私の表情を見て、デボラさんなる人物が誰だかわかっていないことに気づいたルラヴィ様が眉を上げた。


「……まさかあなた。侍女長の名前も知らないの?」

「えっ、侍女長!?」

「パメラのお母様よ。昔……ひどいお怪我をなさってからずっと療養中だけれど、まだ侍女長として名前だけは在籍しているはず」

「そうだったんですか……!?」


 侍女長はパメラだと思っていた。侍女の誰もがパメラに指示を請い、テキパキと動いているから……。

 でも確かに、侍女長と紹介されたことはなかった。


「アルバートの乳母も兼任していたの」


 ちょっと呆れた顔をしながらルラヴィ様が言った。


「次期公爵夫人なら使用人の出自や人物像を見るためにも、きちんと紹介状などにも全て目を通した方が良いわ。使用人を扱うのは、女主人の大切な役割なのだから」


 ぐうの音も出ない。

 早速この後ハーマンに紹介状なんかを持ってきてもらうようお願いしよう……。


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