長い一日/アルバート視点①
ヴィオラと並んで本を読む、五時間ほど前。
「アルバート」
エセルバートに呼び出されて謁見の間へ向かう途中、後ろから声をかけられた。
振り向くとそこにいたのは、昨日まで謹慎を命じられていたルラヴィだ。
いつもであれば、いかにも恋に浮かされたような熱のある瞳をこちらに向ける彼女だがーー、今は友情以外の感情が全く感じられない瞳で、アルバートをまっすぐに見つめている。
「ようやく、演技は止めたのか」
アルバートがそう言えば、ルラヴィは素っ気ない口調で「ええ」と頷いた。
「何の成果も挙げられないのにこうして人を巻き込んで、ようやく目が覚めたわ。……ヴィオラ様は、お元気かしら」
淡々と言うルラヴィだが、ヴィオラの名前を口にする時は少しだけ申し訳なさそうに目を伏せた。
「元気だ」
元気すぎるほどだった。
毎日何度も瞳を輝かせてアルバートの元へ来ては思いつきを実践し、うまくいったわけでもないのにどこか満足気な顔をして帰っていく。
「そう。……よかったわ。そして何より、怪我をさせて本当にごめんなさい。具合はどう?」
「問題ない。……それに、私が怪我をしたのはルラヴィのせいではない」
「……いいえ、私のせいよ。だってマリーナとアンナは……彼女たちは、本来誰かを傷つけるような子じゃないもの」
一瞬悔しそうに唇を噛んだルラヴィが、振り切るようにため息を吐き「そういえば」と明るい声を出した。
「そんな人じゃない、と言えばあなたもよ」
何がだ、と目線で問いかけると「あの事件の時よ」とルラヴィが言った。
「まさかあなたがあの場でヴィオラ様を庇うとは思わなかったわ。あなただったら、マリーナの腕を掴んで止めるくらいできたでしょう? だけどそんな余裕もなく必死でヴィオラ様を守ろうと、強く強く抱きしめて。今までだったら、何があっても絶対にそんなことはしなかった筈よ」
「…………」
思い切り眉を顰めて黙ったままのアルバートに、ルラヴィが心なしか嬉しそうに微笑む。
「ずいぶん大切なのね、彼女のことが」
「馬鹿げたことを」
ルラヴィの世迷言をにべもなく切り捨てる。
「知っているだろう。私は生涯そんな気持ちは持たない。特に彼女にだけは、絶対に」
「ふうん。……まあ、そういうことにしておきましょう」
顔をこわばらせたアルバートに、ルラヴィが「じゃあ、私はもう行くわ」と肩を竦めた。
「勝手に体が動いた時点で……。いえ、彼女にだけと限定している時点で、それはもう大切と言っているのも同義だと私は思うけれど」
言うだけ言って去っていくルラヴィが、フィールディング公爵邸に向かっていることなんて知る由もなく。
「……有り得ないだろう。馬鹿げている」
そう呟くアルバートは、ルラヴィの言葉を振り切るように首を振り、足早に謁見室へと向かった。
ーーこちらも、馬鹿馬鹿しい勘違いをしていそうだ。
呼び出されて謁見の間に訪れたアルバートは、ニヤニヤとした笑みを浮かべるエセルバートに迎えられて思わずため息を吐いた。
「なんだなんだアルバート。妻と離れて寂しいとでも? 随分と仲が良いことだ」
「……くだらない話をするために呼ばれたのならば、今すぐ帰らせて頂きたいのですが」
冷ややかにそう言うと、エセルバートは「はっはっは。これはお熱い」と高らかに笑った。
何を言っても無駄だ。この話題に飽きるまで流そう。そう思いながら冷ややかな目線を向けると、エセルバートは全く気にせず「いやはや独り身には惚気が堪えるな」としつこく続けた。
「聞くところによると、ヴィオラ嬢はお前の感覚がないことを知り奮闘しているそうじゃないか。私もそれを聞いたとき、あまりのロマンスについ頬を押さえてしまった」
「表向きは使用人でさえ知らないことを、よくご存知ですね」
「王だからな」
「違うでしょう」
悪びれず不敬なことを言うエセルバートに思わず突っ込むと、エセルバートはふん、と皮肉げに鼻を鳴らして笑顔で毒を吐いた。
「あんな貴族に操られるだけの耄碌した日和見ジジイなど、もはや冠を被った傀儡だ」
「……ダツラの酒の件ですね」
「ああ」
あの舞踏会で、本来供される予定のないダツラの酒が何故紛れていたのか、調査はなかなか進まなかった。
仕入れ業者や料理人等々の調査はすぐに終わったのだが、一番疑わしい給仕の調査と事情聴取が難航している。
高位貴族や王族の前に顔を見せ、飲食の世話をする給仕。
彼らは公爵家や侯爵家で経験を積み、王城に相応しい人物と推薦された者ばかりで、その殆どが貴族の血を引いている。
貴族への事情聴取を含めた調査は、手続きが煩雑だ。
それでも数人や十数人であれば、問題なく調査できただろう。ただ今回給仕は数十人。一人一人の手続きに時間がかかり、また聴取する者もそれなりの身分の者が行わなければならず、そこでもまた時間がかかった。
そして昨日、調査途中にも拘わらず、国王から調査終了が命じられた。
被害者であるフィールディング公爵家から令嬢二人の謹慎と補償金で手打ちにした以上、負担が大きい調査は不要と申し出があったからだ。
他の大貴族も、フィールディング公爵家がそう言うのならとその意見に賛同した。
加害者側である侯爵家は躊躇したようだが、所詮ダツラの酒の詳細がわかっても令嬢の罪は変わらない。長引かせる方が悪手だと判断し、賛同した。
王家としては管理責任を有耶無耶にできる、願ってもない提案である。即座に調査を終了させた。
「さすがフィールディング公爵というべきか。病床に臥しても、こういった判断力は衰えていない」
今フィールディング公爵家の仕事を行っているのはアルバートだが、実権は父にある。今回補償金を受け取り、王家に恩を売る道を選んだのは父だった。
「……父の真意は他にあるでしょう」
「そうだろうな。公爵の頭の中は、いまだにお前の母でいっぱいなんだろう」
淡々と言うエセルバートは「まあそんなことよりも、今一番私が気がかりなのはお前とヴィオラ嬢のことだ」と急に真面目な顔でアルバートに向き直った。
「本当のところはどうなんだ。お前にとって、彼女はどんな存在だ?」
「どんな存在でもありません」
間を置かずに返された返事に、エセルバートは「そうなのか……?」と疑わしいものを見るような目でアルバートを見た。
「アルバート。ヴィオラ嬢がもしもお前の前からいなくなった時のことを想像してみてくれ。どうだ?」
「別にどうとも……元より父が亡くなったら、離縁するつもりです」
ヴィオラの顔が急に浮かび、少し声音が硬くなった。しかしそれには気づかなかったようで、エセルバートは「そうなのか……」とややショックを受けた顔をした。
「ルラヴィの勘は当たるんだがな……」
「……当たるわけがないでしょう。あんな意味のない演技を、何年も続けていたんですから」
「意味がないかどうかはまだわからんさ」
そう言うエセルバートは、「それと同時にお前が、今からヴィオラ嬢を手放したくなくなる可能性もゼロじゃない。勿論、至極真っ当な独占欲として」
「有り得ませんね」
そう言いながら、また浮かんできたのは『旦那様!』と晴れやかな笑顔を見せるヴィオラの顔だった。
あの少女に、どうして自分が特別な思いを抱くことができるだろうか。
「有り得ません。ーー話が以上なら、今日はこれで失礼します」
そう言って、礼を取り部屋を出る。
「それならそれで……私としては、気が楽なんだがな」
扉を閉める刹那、アルバートの背に向かってそう呟くエセルバートの声は、アルバートには届かなかった。
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